第二話 未体験の知識

高くそして広く澄み渡る青空。この国は大地だけでなく、空も広大だ。
シルヴィーはサルゴンと共に広い牧場に立っていた。

五つ国大陸は国ごとに全く違う気候を有している。
創国は気候が一番安定しており、寒暖差もなく水源も豊富で一年中花々が咲き続けているくらいだ。
知国は気温差も安定こそしているが、河川や湖沼地等の水源を有していないので比較的乾燥地。
武国は温暖地で、工国は寒冷地だ。
そして、今いる農国は気候も寒暖差も激しく、晴天だった次の瞬間には大雨になったり、嵐が来るのも日常茶飯事らしい。
何故同じ大陸にも関わらず、国ごとにこんなにも違いがあるのかというと、女神がそう決めたから…と全く非現実的で都合が良いのか何なのか分からない理由でそうなっているらしい。真実かは分からないが…本にはそう書いてあった。

そうこうと考えていると、サルゴンが声をかけてきた。
「ごめんなぁ、勝手に巻き込んじまって」
「…いえ。気にしないでください」
シルヴィーは溜め息交じりに答えた。

サルゴンとシルヴィーは一匹の雛を探す事となった。
一刻も早く自国へ帰り、許嫁のフェルナンドに会わなければならないのに、何故広大な農国から一匹の小さな雛を見付けるという無謀な事をしなければならないのか…
だがしかし、サルゴンが「オラ"達"が雛を探す」と言い、男性がしがみついて礼を言いまくっていた、あの状況で捜索を断る事は出来ない。流石にそこは空気を読むしかなかった。
シルヴィーのテンションは激しく下がった。

「小さな雛ならば行ける範囲は決まってます。早く見付けてしまいま──」
そう言いつつ一歩踏み出した小柄のシルヴィーに大きな影が被さった。
影の主はゆらゆらと巨体を揺らし、目の前の小さな金の髪に顔を近付ける。
「ベェエエ~」
「……………きゃああああああ!!」
辺り一帯にシルヴィーの叫びが響き渡る。
叫んだ本人は後ろへ飛び上がり、足を縺れさせ、尻もちをついてしまった。
その大声と動作に若干驚いてしまったサルゴンはハッとしたように慌ててシルヴィーに声をかける。
「だ、大丈夫け?」
「ななな…なんですか、この牛?!」
シルヴィーは腰が抜けたまま、なお後ろへ下がった。
──視線の先には、牛。
シルヴィーよりも遥かに大きい。高さだけではなく横も重厚感があり、足など巨木のように太い。蹴られでもされたらただでは済まない事が容易に想像出来る。
「ンベェ~」
「この子はゴン。ゴンは人懐っこいべや。すぐに擦り寄ってくるだよ」
サルゴンは少し笑い、シルヴィーに手を差し出した。少し抵抗はあるが、腰が抜けてしまったので手を借りるしかないだろう。

シルヴィーは立ち上がるとすぐに牛…ゴンと距離を取った。
「お、大きいですね」
「うちじゃこんくらいは普通だけども…あ、もしかして牛初めてけ?」
「なっ…失礼な!牛くらい知っていますよ!」
シルヴィーは不機嫌そうにいつも肌身離さず持っている本…百科辞典を開くと、ページを『牛』の項目で止めた。
「牛は、雌雄とも頭に二本の角がある牛科の哺乳類、偶蹄類です。広義にはスイギュウ属、ヤギュウ属も含めますが、ふつうウシ属のもの、特に家畜牛を言います。最も広く飼われ、家畜として飼われ始めたのは五つ国建設初期時代といわれています。多くの品種があり、いずれも体は頑丈で頸は低く、その下に肉垂があります。用途によって乳用、肉用、労役用などに分けられます。…以上です」
「おぉ」
サルゴンは目を丸くして拍手した。まるで牛が初見かのような反応だ。
シルヴィーは呆れたように首を傾げた。
農の民…ましてや王位継承者がこんな基本的な事を知らないはずはない…まさか、知の民を馬鹿にしているのだろうか?

「サルゴン様は私をバカに」
「牛って、んな深い動物だったんべなぁ。初めて知ったべや」
「は?」
シルヴィーは眉を顰め、サルゴンを見た。
サルゴンはニコニコと笑いながら牛…ゴンを撫でてシルヴィーが話した事を聞かせている。
──まさかとは思うが…
「…サルゴン様、まさか飼育しているのに本当に知らなかったのですか?基本的な牛の知識」
「う~ん…牛は牛だへ。乳出したり農具引いたり…」
怪訝そうなシルヴィーの顔を見て言葉を切ると、サルゴンは苦笑した。
「仕事の手助けする動物…そうとしか思ってなかったへ」
「……」

──大雑把!!

農国民は家畜の事も知ろうとせずに、ただ利用しているだけだ。そう、利用出来れば詳しい知識など必要ない…というわけである。

シルヴィーはそこまで思案すると、溜め息を吐いた。
「家畜の知識くらいは知っておかないと王族…いえ、農の民失格ですよ。しっかりして下さ──」
「ベェエエエ」
「きゃあ!!」
溜息交じりの言葉に割り込むように、シルヴィーの瞳にゴンがドアップに映った。顔を近付けてきたようだ。
思わず、また尻餅をつきそうなってしまった。
「こここここ、来ないで!」
「ベェ」
「シルヴィーと友達になりてぇんだで。な?ゴン?」
「ベェエエ」
サルゴンの言葉に返事をして、牛が頷き、笑ったように見えた。
シルヴィーは声が出ず、目を丸くした。
「(友達?!ありえない!それに、動物が人の言葉を理解するわけない!偶然!)」
「頭、撫でてやってくれねぇだか?」
「へ」
「ンベェエ」
ゴンはのそりとシルヴィーに頭を差し出した。
顔が引き攣る。

「む…無理です」
シルヴィーは顔を横に振った。
「ど、動物なんて…わた、私触った事ありませんし…」

シルヴィーは動物に触れた事がなかった。知国には動物と触れ合う…もとい、ペットを飼う習慣があまりない。なにより、動物は様々な細菌が体に付けている為、シルヴィー自身接触しようとも思わなかった。
だから、動物の知識や姿は全て本から覚えた。

「本には、牛の触れ方なんて書いていません…!!」
シルヴィーは言いながら後退りした後、自分より大きい巨体に一度身震いしそっぽを向いた。

「…んだか。うん、仕方ねぇべな」
あからさまな拒否姿勢にも関わらず、サルゴンはやんわりと微笑むとゴンに向き直り、ポンポンと頭を撫でた。
「ゴン、シルヴィーは初対面で少し緊張してっだ。だから友達はまた今度…分かっただか?」
「……」
シルヴィーはゆっくりと振り返った。

──今度なんか、ない。

そう言おうとしたが、胸の奥がズキリと痛み言葉を出すことが出来なかった。

14/57ページ