第二話 未体験の知識
後ろの森からオオカミの遠吠えが聞こえてきている。青年は眉を顰め、呟いた
「危なかったでな…次は倍の数で来るけぇ、そうなったらもう逃げられん」
「……いい加減っ!!降ろしなさい!!」
「あっ、ごめんなぁ」
シルヴィーは青年の腕の中でもがくと、やっと地に足を付く事が出来た。
「私を次期知国王妃と知っての狼藉……目的はなんですか?!フェルナンド様から謝礼を貰うつもりなら…!」
そこまで言うと口を噤んだ。
目の前にいる相手は力の強そうな青年だ。自分でも言い過ぎかもしれないと感じる言葉ばかりをぶつけてしまっている。腹が立って苛々しているはずだ。
それに、色々と発展途上とはいえ自分は若い娘である。力も弱く、抑えつけられたら抵抗できない。今だって抱えられて、逃れたり振り払う事が出来なかった。
苛ついた青年とか弱い女性が対峙している…という事は
「(農国民は暇さえあれば、あ、あ、あんな事やこんな事をするとか、動物並の人間だと書いてあった…!!)」
シルヴィーは目の前の青年から一歩後退りした。
「…?」
「ち、近寄らないで!や、野蛮!変態!犯罪です!」
シルヴィーは踵を返すと、走り出した。
──逃げなければ。
この身は知国に捧げなければならないのだ。こんな通りすがりの農民の餌食になるわけにはいかない──その思考で必死になりすぎたのか、足元への注意が散漫となり、シルヴィーは地面の窪みに足を取られ転んでしまった。
「きゃあ!」
体が地面に叩き付けられ、しかしすぐに身を起こす。だが足が震えて立ち上がる事が出来ない。
「だいじだか!?」
「っ…」
後ろから青年が駆け寄り、シルヴィーを覗き込む。
二人の視線が重なり合うと、青年のエメラルド色の澄んだ瞳がとても優しく、不思議とシルヴィーの不安感を溶かしてくれた。
「……オオカミは」
しばし黙ってシルヴィーを見つめていた青年は、目を細めて微笑むとゆっくりと口を開いた。
「オオカミは今、赤子ができる時期なんだで」
「…え」
唐突な言葉にシルヴィーが怪訝そうな表情を浮かべると、青年は続けた。
「確かに、君の言う事は正しいっぺ。オオカミは臆病で人間の前には滅多に出ねぇ。でも、今は子供とおっ母を守ろと必死になってるでな」
青年はシルヴィーの手をそっと引っ張り、立ち上がらせた。
「今の君みてぇに、怖くても頑張って戦おうとしてるんよ」
「……」
動物も人間も"家族を守りたい"と思う気持ちは変わらない。
考えてみれば、こちらはオオカミ側から見ると轟音を立てながら自分たちの縄張りに侵入してきた謎の生き物…という事になる。確かに敵認定されてもおかしくはない。
それに目の前の青年はそんな危険を承知で助けてくれたのだ。
シルヴィーはおずおずと頭を下げた。
「……私、酷い事言いました…」
「だいじだいじ。君も怖かったでな。それに全然間違った事言ってなかったけ、気にしんと」
青年はニッコリ微笑み、手を振った。
酷い言葉やとんでもない勘違いを投げ付けていたのに、随分と軽い反応だ。農国民はお人好しとは本に書いてあったが、もう少し怒っても良いのではないか?と失礼な事を言ってしまった本人のシルヴィーは考えてしまった。
「まあ、何はともあれ。オラんち行くっぺや」
「は?」
呆れ気味だったシルヴィーは青年の唐突な言葉に、思わず変な返事をしてしまった。
青年は今いる平野の向こうを指差してニコニコしている。
改めて周囲を見渡すと、現在立っている場所は随分と拓けている事が分かった。地面には青々とした草。木の一つもない。目を凝らすと、遠くに動物も見える。
その光景は本に載っていた牧草地にそっくり、いや、そのものだ。
「心配しなくっても、歩いて30分だで。すぐ着くべさ」
「30っ…!?それはすぐとは言わな…こほん…指摘するのはそこではなく」
シルヴィーは頭を横に振ると、キッと青年を睨んだ。
「お気遣いには感謝します!が!私はここで待機するので結構です!無暗に場所を移動すると捜索隊が私を見付けにくくなりますので…それに」
──男性の家に娘単身で行くのは危険過ぎる。
今までの立ち振る舞いから、目の前の善良お人好し青年にそんなつもりはないのは分かるが、婚約者のいる娘が他の男性の家にお邪魔するというのは些か問題がある。
それに…昔から"男はオオカミ"と言われているではないか。
先程のオオカミの大群からは逃れられたが、次はこちらのオオカミが怖くなってきた。
「と、とにかく!私の事は放っておいて下さい。もしくは迎えが来るまでここで一緒に待機するか、です」
「…でもなぁ」
睨みつけられる視線に苦笑を浮かべつつ、青年は申し訳なさそうにシルヴィーの服を指差した。
「その服汚れ、今落とさねぇと…残るでな」
「……え」
シルヴィーは言われて初めて自分の全身がクシャクシャに汚れている事に気付いた。
「危なかったでな…次は倍の数で来るけぇ、そうなったらもう逃げられん」
「……いい加減っ!!降ろしなさい!!」
「あっ、ごめんなぁ」
シルヴィーは青年の腕の中でもがくと、やっと地に足を付く事が出来た。
「私を次期知国王妃と知っての狼藉……目的はなんですか?!フェルナンド様から謝礼を貰うつもりなら…!」
そこまで言うと口を噤んだ。
目の前にいる相手は力の強そうな青年だ。自分でも言い過ぎかもしれないと感じる言葉ばかりをぶつけてしまっている。腹が立って苛々しているはずだ。
それに、色々と発展途上とはいえ自分は若い娘である。力も弱く、抑えつけられたら抵抗できない。今だって抱えられて、逃れたり振り払う事が出来なかった。
苛ついた青年とか弱い女性が対峙している…という事は
「(農国民は暇さえあれば、あ、あ、あんな事やこんな事をするとか、動物並の人間だと書いてあった…!!)」
シルヴィーは目の前の青年から一歩後退りした。
「…?」
「ち、近寄らないで!や、野蛮!変態!犯罪です!」
シルヴィーは踵を返すと、走り出した。
──逃げなければ。
この身は知国に捧げなければならないのだ。こんな通りすがりの農民の餌食になるわけにはいかない──その思考で必死になりすぎたのか、足元への注意が散漫となり、シルヴィーは地面の窪みに足を取られ転んでしまった。
「きゃあ!」
体が地面に叩き付けられ、しかしすぐに身を起こす。だが足が震えて立ち上がる事が出来ない。
「だいじだか!?」
「っ…」
後ろから青年が駆け寄り、シルヴィーを覗き込む。
二人の視線が重なり合うと、青年のエメラルド色の澄んだ瞳がとても優しく、不思議とシルヴィーの不安感を溶かしてくれた。
「……オオカミは」
しばし黙ってシルヴィーを見つめていた青年は、目を細めて微笑むとゆっくりと口を開いた。
「オオカミは今、赤子ができる時期なんだで」
「…え」
唐突な言葉にシルヴィーが怪訝そうな表情を浮かべると、青年は続けた。
「確かに、君の言う事は正しいっぺ。オオカミは臆病で人間の前には滅多に出ねぇ。でも、今は子供とおっ母を守ろと必死になってるでな」
青年はシルヴィーの手をそっと引っ張り、立ち上がらせた。
「今の君みてぇに、怖くても頑張って戦おうとしてるんよ」
「……」
動物も人間も"家族を守りたい"と思う気持ちは変わらない。
考えてみれば、こちらはオオカミ側から見ると轟音を立てながら自分たちの縄張りに侵入してきた謎の生き物…という事になる。確かに敵認定されてもおかしくはない。
それに目の前の青年はそんな危険を承知で助けてくれたのだ。
シルヴィーはおずおずと頭を下げた。
「……私、酷い事言いました…」
「だいじだいじ。君も怖かったでな。それに全然間違った事言ってなかったけ、気にしんと」
青年はニッコリ微笑み、手を振った。
酷い言葉やとんでもない勘違いを投げ付けていたのに、随分と軽い反応だ。農国民はお人好しとは本に書いてあったが、もう少し怒っても良いのではないか?と失礼な事を言ってしまった本人のシルヴィーは考えてしまった。
「まあ、何はともあれ。オラんち行くっぺや」
「は?」
呆れ気味だったシルヴィーは青年の唐突な言葉に、思わず変な返事をしてしまった。
青年は今いる平野の向こうを指差してニコニコしている。
改めて周囲を見渡すと、現在立っている場所は随分と拓けている事が分かった。地面には青々とした草。木の一つもない。目を凝らすと、遠くに動物も見える。
その光景は本に載っていた牧草地にそっくり、いや、そのものだ。
「心配しなくっても、歩いて30分だで。すぐ着くべさ」
「30っ…!?それはすぐとは言わな…こほん…指摘するのはそこではなく」
シルヴィーは頭を横に振ると、キッと青年を睨んだ。
「お気遣いには感謝します!が!私はここで待機するので結構です!無暗に場所を移動すると捜索隊が私を見付けにくくなりますので…それに」
──男性の家に娘単身で行くのは危険過ぎる。
今までの立ち振る舞いから、目の前の善良お人好し青年にそんなつもりはないのは分かるが、婚約者のいる娘が他の男性の家にお邪魔するというのは些か問題がある。
それに…昔から"男はオオカミ"と言われているではないか。
先程のオオカミの大群からは逃れられたが、次はこちらのオオカミが怖くなってきた。
「と、とにかく!私の事は放っておいて下さい。もしくは迎えが来るまでここで一緒に待機するか、です」
「…でもなぁ」
睨みつけられる視線に苦笑を浮かべつつ、青年は申し訳なさそうにシルヴィーの服を指差した。
「その服汚れ、今落とさねぇと…残るでな」
「……え」
シルヴィーは言われて初めて自分の全身がクシャクシャに汚れている事に気付いた。