第一話 始まりの一織り

陽が落ち、月が高く上った時刻、アテナは自室の布織り機の前に座った。
「ふぅ…今日も一日忙しかったなぁ…」
どんなに疲れても、やはり一日に一回は織り機に触れないと落ち着かない。物心ついた頃から行っている機織りだ。癖なのか習慣なのかはもう曖昧だが、自然に手が動き始めた。

カタンカタンと音がする度に、ベッドの上のザー君が耳を動かす。窓からの夜風が心地良く、ゆらりとカーテンを揺らした。星は宝石のように鮮やかな姿で空に浮かんでいる。

良い夜だ。

手元の織り布もいつもより輝いて見える。まるで星々が流れる川のようだ。
アテナは塔の時とは違う、充実感を感じていた。
「…そういえば…」
心地よさの中に重く引っかかる物を感じ、アテナは手を止めた。

──お父様達はどうなったのだろう…

ザードがキルティー領にやって来て自分を連れ去った際、父たちは唖然とした目でこちらを見ていた。その後は…何の情報もない。自分を探している…という話も聞かない。昔の火事の件で捕まった…という可能性もある。

──自分の存在がバレてしまったから…

そんな考えが脳裏を過った時、部屋のドアが開かれた。
「あっ…ザード様」
「…まだ起きてるのか。早く寝ろ」
城内の見回りをしているのか、ドアを開けたザードはきちんと武装していた。アテナは立ち上がり、彼に向き直ると恐る恐る尋ねてみた。
「あの…ザード様」
「んだよ?」
「お父様達は…」
最後まで言葉を言う前にザードに睨まれてしまった。アテナはシュンと縮まる。
「すみません…」
「……なんで知りたいんだよ?あいつらお前に酷い仕打ちしてたってのに」
ザードは俯くアテナを訝しげに眺めた。
彼等が彼女にやってきた事を考えると不思議でならない。何故安否を気遣うのか?例えどんな目に合わされていたとしてもざまぁみろの自業自得ではないか。ザードは呆れたように腕を組んで溜息を吐いた。

「…ザード様の言う通り、お父様達は私をずっと働かし続けてました。でも、今考えるとそこまで辛くもありませんでしたし……ちょっと楽しかった…かもしれません」
アテナはしょんぼり顔を上げるとザードに訴えた。
「だからお父様たちは何も悪くないと思うんです。だから、無事かどうか心配で…」
「……アテナ」
「はい?」
「お前、そのマイナス思考だかプラス思考だかワケわからねぇ頭の中どうにかしろよ」
「???」
アテナは首を傾げた。本当に何も分かっていないようだ。ザードは呆れたように続ける。
「いいか?お前の生活は『普通』から見るとか な り 酷いんだよ!よく考えてみろ」
「…それは今のこの状態も含めます?」
「……含めるな」
そう言われてみれば、生まれてすぐ父親に殺されかけ、妹(姉?)に醜いと罵られつつコキ使われ、名前さえ貰えず塔に軟禁されていた。
「あのままだったら一生塔暮らしで死んでたんぞ」
「私はそうなると思ってましたよ」
「だから…その変な…!」
「でもザード様に会えて、毎日が楽しいですよ」
『辛い事もありましたけど』と付け足し、アテナは思い浮かべた。
ザードに誘拐され、城の部屋に軟禁されたが名前をつけてくれて、それから何とか外に出れるようになって、ザードの過去を聞いて、城の家事を任されて……
「……ええ、楽しいです」
「その間はなんだ!?」
そんなザードの睨む顔を見て、アテナは笑ってしまった。ザードもそれにつられてかクスリと笑う。

──穏やかな風が吹く

「…私、ここに来て良かったです。生きてる実感が湧きます」
塔にいたら味わえなかっただろう日々を過ごせている。辛い事も、哀しいことも、楽しい事も…全てを含めて、今の生活はとても充実しているのだ。
「ありがとうございます、ザード様。私、しあわせです」
アテナは微笑んだ。
「……ふん、今更礼を言われても遅いぜ」
ザードはスタスタとアテナに歩み寄り、グシャリと頭を撫でた。乱暴な手付きで少々痛いが、周りが屈強な戦士ばかりなのでアテナのような一般人を撫でる経験はなく、これが彼なりの普通なのだろう。
「礼は言葉じゃなくて、誠意で見せろ!これからはもっと俺様を敬う事!いいな?」
ニヤリと不敵に笑った顔はまさに俺様王子…アテナはガシガシと撫でられながらも頷いた。
「あと俺専用の飯を作ること!肉だ肉!それとマントが破れたから縫え!…そして…」
頭から手を離し、アテナの顔を覗き込むと、ザードは一瞬顔を赤らめた。
「…明日、聞いてきてやるよ。お前の知りたいこと」
一瞬その意味が分からなかったが、アテナは一層微笑んだ。
「ありがとうございます!」
「うるせぇな!今言った事ちゃんとやれよ!やらなかったら殴るからな!」
そう言うと、ザードは乱暴にドアを閉めて立ち去った。

「(ザード様は本当に良い人です…)」

恐らく元々ザードは世話焼きで心配性なのだろう。色々文句を言っているのもそれが理由なのだと、アテナは理解出来た。
自分が城に連れて来られたのも、ヒルデの件もあるだろうが…今までの酷い環境から助けたかったのもあるのだろう。最初自室から出るなと厳しく言いつけていたのも、城の兵士達のちょっかいを受けない為。
──過去、ヒルデを救えなかった事をずっと悔やんでいるのもきっと、責任感があるから。

「…ああ、どうしよう…」
ザードを知れば知る程、アテナの胸は熱くなり、痛みが増していく。勘違いしてしまいそうな自分が嫌になる。

──私はヒルデさんの代わり…それを忘れてはいけない。

アテナは胸の前に握った手をギュッと締め、俯いた。
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