第一話 始まりの一織り

「よく晴れて…洗濯日和ですよぅ~!」
アテナは足元の兎…罠にかかっていたがアテナに助けられその後紆余曲折あり、いまはペットとなった兎…ザー君の頭を撫で回しながら言った。
これでも彼女は塔に軟禁されていた時から自分の食事や洗濯、掃除全てをこなしてきた。城のような広い場所は初めてでどこまで出来るか分からないが、とりあえずやれる所までやろうと手に力を込めた。
「ぶふー!」
「ザー君も一緒に手伝ってくれるの?ありがとう」
ザー君は鼻を鳴らしてつり目を光らせた。アテナはその可愛らしい姿に微笑んだ。
「じゃあ…ザー君は洗濯を私の所まで運ぶ係。小さいのだけ。大きいのはいいからね」
「ぶ、ぶふふー!」

『俺様をなめるなよ!』と言わんばかりの勢いで、ザー君は大量に積み上がる洗濯物に走っていった。
それを見送って、アテナは水汲み場の水を汲みに歩き出した。

水汲み場は裏庭の更に奥の端、薄暗く日の当たらない場所にある。何故生活必需の水を汲む場所がこんな不便な所にあるのだろうと考えつつ歩を進める。事前にレオから井戸の場所を聞いていたが、なんとも古くて暗くて不気味な場所だろう…とアテナは背筋がゾッとした。
「レオ様が井戸の近くで洗濯しない方がいいって言った意味が分かりました…」

──しかし、これはまた重労働だ。洗濯場まで水を運んで、洗ってまた戻っての繰り返し…アテナは溜め息をついた。

「おい」
「きゃああああ!!」
突然背後から声をかけられたアテナは思わず叫んでしまった。人間驚くと体が動かなくなると言うのは本当のようだ…アテナは振り返る事も出来ずに硬直しながら口だけを動かした。
「だ…誰…誰です、か?」
「…たくっ…自分は背後から話しかけといて、逆にやられたらそんな反応か…」
悪態をつく言葉に聞き覚えを感じ、思いきって振り返ると腕組をしたザードが立っていた。アテナはホッと胸を撫で下ろした。
「良かった…てっきりお化けが出たと思いました…あ、ザード様洗濯物ですか?」
首を傾げてザードを見るが洗濯物らしき物は見当たらない。アテナはきょとんとしてザードを見上げる。
「??」
「…俺の力になりたい…ってどういう意味だ」
「え?」
「料理や洗濯して…俺の力になりたいとか言ったよな…説明しろ」
睨みつけるザードの視線がアテナに突き刺さる。疑心の目だ。
一度近付きかけた心が、再び離れてしまったのか…アテナは少し胸が傷んだ。
「…言えねぇのか?まさか、ここを抜け出す機会を狙うために…」
「違います!」
アテナはザードの言葉を遮り、叫んだ。
「以前ザード様に言ったはずです。私は…人が喜ぶ顔を見るのが好きなんです。それはザード様だって変わらなくて……」
アテナは一生懸命頭の中で伝えたい事をまとめた。上手く言語化できない。しかし、それでも伝えたかった。
「ザード様には、ヒルデさんに見せてたような笑顔でいて欲しいんです!」
「……」
ザードの表情は変わらず険しく鋭い。しかし、それでもかまわない。
「私がヒルデさんに似てるなら…私をヒルデさんだと思って頂いて結構です。ただ…ザード様が悲しい顔をしていたらヒルデさんもきっと辛いはずですから…」
言いたい事、伝えたい事、本心を言っているはずなのに、一言一言紡ぐ度に何故か胸の痛みはどんどんと増していく。喉も詰まり、目も熱くなる。
「ザード様は……幸せになるべきなんです…」
アテナはそこまで言うと俯いた。

「…お前がヒルデの名前を使うな」
「………すみません」
暫しの沈黙の後、ザードは舌打ちをした。それでもアテナは泣きそうになるのを堪え、繰り返した。
「私は……ザード様の力になりたいです…」
「………」
再び沈黙が流れる。相変わらずザードはアテナを睨み付け、アテナは俯く。
どんよりとした空気と足元の葉を揺らす風の音だけが辺りを支配していた──

その瞬間──

「ぶふっー!」
「ぎゃっ!」
ザードの足元に白い物体がタックルしてきた。物体は赤茶のつり目を光らせ、続け様に噛みつく。
「いでででで!こ、このっ!毛玉!」
「ザー君!?駄目、離しなさい!」
「ぶふふんっ!」
シリアスな雰囲気が一転…兎のザー君の乱入で一気に場の空気が賑やかになってしまった。
アテナは慌ててザー君を引き剝がすと、抱き上げて鼻をツンと押した。
「ザー君、ザード様を噛みついちゃ駄目って言ったでしょ?」
「ぶぅ」
『いじめられてたから守ってやったんだ!』という目でザー君はザードを睨んだ。アテナには命を救われた恩がある。だから今度は自分が守るのだ!と彼も彼なりに考えているのだろう。小さくてもすっかりアテナのナイトなのだ。
「ちっ…やっぱり肉にして食えば良かったぜ…!」
「だ、駄目です!可哀想です!」
「ふん…」
バチバチと兎相手に火花を散らせ、ザードはアテナ達に背を向けた。
機嫌を損ねてしまっただろうか?と恐々と背中を見つめつつ、アテナは声をかけた。
「あの…ザード様」
「ここを抜け出さないならそれでいい」
ザードは顔だけ振り向き、チラリとアテナを見ると歩き出した。
声の調子は先程よりも柔らかく、ほんの少し笑っている。

──やっぱり、笑顔が良い。

アテナはザードの笑顔を見て顔が熱くなった。胸の奥もほんのり温かくなり、同時にチクリと痛んだ。

──この気持ちは、この想いは、自覚してはいけない。

顔の熱と微かに感じる胸の痛みを振り払うように首を振ると、アテナは仕事へと戻って行った。
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