第一話 始まりの一織り

布姫が武の国に来てから数日が過ぎた。
あれから布姫を連れてきた本人、ザードは一度も部屋に来ていない。食事等はわざわざ国王であるレオが持って来てくれている位だ。

「(あの人は一体何が目的で私をここに閉じ込めているのだろう…」

布姫は窓から外の風景を見つめて溜め息をついた。
ザードの名も、彼が王子である事も、あれから彼の父親である武の国王のレオから聞かされた。
そう、ザード本人からは何も言葉を貰っていないのだ。
あちらから一切干渉をしてこない、しかしこの部屋から自由に出ることも禁止されている。
それを見かねてなのか…父であるレオ王は布姫を気にして、食事以外に一日一回は様子を見に来てくれている。
そして、今の状況やこの国の事をポツリポツリと語っていくのだ。
人間とは不思議なもので、そんな日々でも、今の状況に慣れ始めていた。
「(帰りたい気持ちに、変わりはないけれど…)」
風が部屋に流れて、カーテンを揺らした。

──お父様は無事かな
─リンスロット元気かな

国を出た時の、皆の表情が頭に引っ掛かる…
絶望した父。驚愕しこちらに手を伸ばそうとするリンスロット。

自分の存在が禁忌な事は分かっていた。知られてしまったら、皆の平穏な日々が崩れ去ると分かっていた。

「ごめんなさい…」

今頃皆がどうなっているのか考えると、それしか口に出来ない。そうなると涙が溢れて、止まらなくなってしまう。

…ああ、いつからこんなに涙腺が弱くなってしまったんだろう…
どんな扱いをされても、どんなに否定されても我慢出来ていたのに──
拭っても拭っても止まらない涙はもう、邪魔でしかなかった。

──その時、初めて窓の外から自分に向けられた視線に気付いた。
窓の外は石の敷き詰められた野外の剣技場のようで、そこに一人、軽装で剣を手に持つ男が立っている。
男の鋭い目と布姫の目が合った。
「…ザード様?」
ザードは一瞬で布姫から目をそらすと、スタスタと歩いて行ってしまった。
「…見られちゃったかな」
布姫は涙を拭い、窓を閉めるとベッドに腰掛けた。
……見られていたはずはない。ザードのいた場所とこの部屋の距離は離れているのだから。大丈夫。涙も見られてない。



──バンッ!

布姫が溜め息を吐くと同時に、突然部屋の扉が開かれた。
大きな音に驚いた布姫を気にせず、開いた男──ザードは錆色の瞳で睨みつけながらズンズンと歩み寄ってくる。

「え、え?ザード様?」
「やる」

あの短時間でどうやってここまで来たのか…?
そんなツッコミは飲み込んで…ザードの差し出した手には兎が握られていた。
「……え、あっ!」
足に傷を負った兎…布姫には見覚えがあった。
「あの時の…」
ザードと出会った森で、
罠にかかっていた瀕死の兎──
布姫が連れて帰り、手当てする間もなくリンスロットに奪われて、工国の王城への献上品にされてしまったはずだ。
「どうしてザード様が…」
「それはこっちのセリフだ…コイツはてめぇに預けたはずなのに、なんで別の女が持ってたんだ?」
「………ごめんなさい」
正論だ。俯くしかなかった。
「…ふん……今度はちゃんと持ってろ」
ザードは不機嫌そうに言うと、兎を布姫に投げ放った。
慌てて布姫がキャッチすると、本人(本兎?)はきょとんと何事もなかった様に瞬きしている。足の包帯はまだ痛々しいが、命に別状はなく元気になったようだ。
布姫は胸を撫で下ろした。
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