虚との出会い〜松下村塾編
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桜人
松下村塾の近くには桜並木があり、春になると美しい桜のトンネルを作る。畦に咲く蓮華草に祝福された道を抜けると満開の桜が飛び込んでくるのだ。
薄紅色が舞う。ふと立ち止まり掴もうと手を伸ばすけれど、それが難しいことを私は知っている。二度三度と挑戦しても私の手は空を掴むばかりだ。
「……さっきから何してるんだ」
「桜の花びらを掴もうとしてるの」
「不器用か」
「晋助くんは掴めるの?」
この間の身長測定でついに私は三人の子どもたち全員に身長を越されてしまった。隣を見るだけで、小生意気なことを言った晋助くんと目が合った。晋助くんは深緑の瞳を細めたと思ったら、すぐに前を向いた。
「できる……ほら」
晋助くんは私の苦戦が嘘のように宣言通り桜を捕まえてしまった。晋助くんの手のひらの一枚の桜の花びら。瞬く間にそれは風に攫われ、花びらの一団に呑み込まれて再び舞い踊る。
「桜、逃げちゃったね」
「また掴まえられるだろ」
「私には難しいのに晋助くんにとっては本当に簡単なんだ」
年齢、運動神経、動体視力。色々な要因が浮かんでくるけれど、ただ感心することしかできない。しばらく挑戦するも惨敗を喫する私が滑稽だったのか晋助くんは笑い声を漏らし、そして尋ねた。
「なんでそんな熱心なんだよ」
「おまじないを思い出したの。桜の花びらが地面に落ちるまでに掴むことができたら、素敵な恋ができるんだって」
毎年桜の季節になると、恋愛に熱心な友達に手伝わされたのだ。その子理論は、私と彼女は仲良しだからご利益もお互いに与えられるという無茶苦茶なものだった。けれど、いつからだろうか。彼女の頼みごと抜きに私は熱心に桜を捕まえようとしていた。桜を掴まえる、たったそれだけの行為が童心に帰ったようで楽しかったのだ。あの無邪気な笑顔が隣にない今は、私のこの行為が彼女に少しでも効果があればいいという思いもある。
「どうせアンタは先生だろ?」
「……え?」
「……だから桜を捕まえる理由」
向こうにいる友達に思いを馳せていたから、晋助くんの言葉に直ぐに反応が出来なかった。晋助くんの言葉について考えるより先に横腹を小突かれる。思考を巡らせていき、ようやく話に入れるようになった時には晋助くんは面白くなさそうな、それでいて安堵しているような何とも言い難い表情をしていた。
このくらいの年頃は自分の、人の色恋についても不思議なほどに皆が神経を張り巡らせていたのだったっけ。私は晋助くんの期待には応えられそうにないけれど。そんなことを思いながら胸を擽られるような懐かしさに目を細める。
「おまじないに熱心なのは私の友達。その子が素敵な恋をするために私も協力してるの」
「はあ?」
「仲良し二人だから効果もお互いに、その子に毎年そう言われたから。私は恋とかまだ分からないし」
恋はするものではなく落ちるもの。そんな言葉があるけれど、周囲が密やかに内緒話をしていた頃も私にとってそれらは始まっていなかったのだ。それに不思議な世界に身を置いている今、何かが始まることは想像できない。
「そう呑気だといき遅れるだろ。今何歳だよ」
「永遠の十八歳?」
「痛い」
「そんなこと言って本当に私が不老だったらどうするの」
ほんの小さな真実も晋助くんにとっては私を笑う材料にしかならないようだった。晋助くんは小生意気に鼻で笑う。
「元々童顔なだけだろ。これだから女ってやつは」
「……私を痛いって言った晋助くんだって、別の痛さを纏う日がくるかもしれないのに」
「なんだそれ」
「世界で自分一人だけが孤独だと思ったり、右目に謎の力を秘めたり」
私の過去を思い出した(友達にそのタイプの子がいた)起死回生の一撃も晋助くんは白けた目で流してしまう。晋助くんじゃないにしろ、銀時くん、小太郎くん、三人もいたら一人くらい発病してもおかしくはないのに。世間ではその病気のことを中二病と言うらしい。
「ただのアホじゃねえか」
「これが意外と皆が発症する怖い病気なの。十四歳くらいを覚悟しておくといいよ」
「そんなアホが蔓延したら本当の意味で日本は終わりだ」
気の抜けた空気が私と晋助くんの間に漂う。何となしに晋助くんを小突いたら仕返しとばかりに小突かれる。何度かそれが続くとどちらともなしに馬鹿らしくなって止めるのだ。
「二人とも早く来ないか。せっかくの花見も銀時を放置していたらあっという間に菓子が食べられてしまうぞ」
晋助くんと戯れ合っていたら、腕組みをした小太郎くんが傍まで来ていた。花見の場所も決まったのにお前らが中々来ないから始められない、そう言う小太郎くんに素直に謝って私は続けた。
「ついつい晋助くんと遊んじゃって。すぐに行こうか」
「俺は遊んでやってただけだ」
「一緒に遊んでいたのなら同罪だ」
いつの春からか花見が毎年恒例の行事になった。桜の咲いている間は何度かご飯やお菓子を桜の下で食べる。いつもと違う食卓が良いのか、三人の子ども達もそれなりに楽しんでくれているようだ。ただ、銀時くんは花見の時に必ず作る桜餅目当ての節があるけれど。花より団子だと松陽さんは笑った。
小太郎くんに連れられて私達は松下村塾にほど近い小川に着いた。小川の傍には松陽さんと銀時くんがいて、敷物を広げてくれていた。皆で円になって座り、各々好きなものを食べて、桜を見る。
近くの桜の木から花びらが落ちて川に流れていく。川下にもそうして春が届くのだろう。春爛漫の言葉がぴったりの日だ。天国というものがあるのならきっとこんな光景なのだろう、そう思えるほどにこの世界は穏やかで眩しいもので溢れている。
「銀時くん、桜餅ばかりじゃなくて何か食べたら?」
桜餅で頬を膨らませる隣の銀時くんにそう声を掛ければ、銀時くんはものの数秒で飲み込んで言った。
「じゃあなんか選んで」
「唐揚げは?」
「ん、食べる」
口をパカリと開けて静止する銀時くん。笑いながらその口に唐揚げを突っ込むと、かなり大きなものを選んだつもりなのに器用に咀嚼してみせた。
「美味しい?」
「ああ」
「ならよかった」
正面からじとりとした視線を感じて、銀時くんに後は自分で食べるように言う。晋助くんは私の銀時くんへの甘やかしを常から過度だと言って警戒しているのだ。
「晋助くんも美味しい?」
「まあ、」
「なまえさん。高杉はこれでもなまえさんの作るご飯を好んでいるのだ。たとえ苦手なおかずであろうと誰にも譲ろうとしないのだからな」
私の問いかけに晋助くんが曖昧に答えたところ、すぐに隣から小太郎くんの注釈が飛んでくる。それに対してすかさず銀時くんが囃し立て、晋助くんは二人に突っかかる。この三人はいつまでもこんな関係性のまま続いていくのだろうと思う。微笑ましく思っているのは隣で笑っている松陽さんもきっと同じなのだろう。
「松陽さん。幸せですね」
「本当に」
三人に向けられていた柔和な笑みがこちらに向けられる。女神様のように美しいけれど、この人は男の人なのだ。目を細めた時に上がる頬肉、春の日差しに縁どられた輪郭、風に遊ばれる亜麻色。神様が丹精込めて作った他者を慈しむことのできる優しい人。ふと、この人の人間性がとても好きだと思った。美しい容れ物にはそのまま美しい魂が宿っている。
「来年も皆で来れるでしょうか」
「あなたが願うかぎり来れますよ。あなたの願いを何だって私達は叶えたいのですから」
最後のはどういう意味だろう。そう思うも松陽さんに小指を差し出され、その疑問は頭の端に追いやられる。松下村塾では約束事をする時にこうして指切りをした。そうこうしていると私達が小指を絡めることに気が付いた三人の子ども達が、何だ何だ、と言うようにこちらを見てきた。私と松陽さんは笑ってお互いが繋いでない方の小指を隣に差し出す。意図を把握した子ども達によってすぐに指切りは輪に広がった。
「来年も皆で来ましょうね」
私がそう言うと全員の約束の合図が重なった。春の日差しが柔らかい、ある日のことだった。
松下村塾の近くには桜並木があり、春になると美しい桜のトンネルを作る。畦に咲く蓮華草に祝福された道を抜けると満開の桜が飛び込んでくるのだ。
薄紅色が舞う。ふと立ち止まり掴もうと手を伸ばすけれど、それが難しいことを私は知っている。二度三度と挑戦しても私の手は空を掴むばかりだ。
「……さっきから何してるんだ」
「桜の花びらを掴もうとしてるの」
「不器用か」
「晋助くんは掴めるの?」
この間の身長測定でついに私は三人の子どもたち全員に身長を越されてしまった。隣を見るだけで、小生意気なことを言った晋助くんと目が合った。晋助くんは深緑の瞳を細めたと思ったら、すぐに前を向いた。
「できる……ほら」
晋助くんは私の苦戦が嘘のように宣言通り桜を捕まえてしまった。晋助くんの手のひらの一枚の桜の花びら。瞬く間にそれは風に攫われ、花びらの一団に呑み込まれて再び舞い踊る。
「桜、逃げちゃったね」
「また掴まえられるだろ」
「私には難しいのに晋助くんにとっては本当に簡単なんだ」
年齢、運動神経、動体視力。色々な要因が浮かんでくるけれど、ただ感心することしかできない。しばらく挑戦するも惨敗を喫する私が滑稽だったのか晋助くんは笑い声を漏らし、そして尋ねた。
「なんでそんな熱心なんだよ」
「おまじないを思い出したの。桜の花びらが地面に落ちるまでに掴むことができたら、素敵な恋ができるんだって」
毎年桜の季節になると、恋愛に熱心な友達に手伝わされたのだ。その子理論は、私と彼女は仲良しだからご利益もお互いに与えられるという無茶苦茶なものだった。けれど、いつからだろうか。彼女の頼みごと抜きに私は熱心に桜を捕まえようとしていた。桜を掴まえる、たったそれだけの行為が童心に帰ったようで楽しかったのだ。あの無邪気な笑顔が隣にない今は、私のこの行為が彼女に少しでも効果があればいいという思いもある。
「どうせアンタは先生だろ?」
「……え?」
「……だから桜を捕まえる理由」
向こうにいる友達に思いを馳せていたから、晋助くんの言葉に直ぐに反応が出来なかった。晋助くんの言葉について考えるより先に横腹を小突かれる。思考を巡らせていき、ようやく話に入れるようになった時には晋助くんは面白くなさそうな、それでいて安堵しているような何とも言い難い表情をしていた。
このくらいの年頃は自分の、人の色恋についても不思議なほどに皆が神経を張り巡らせていたのだったっけ。私は晋助くんの期待には応えられそうにないけれど。そんなことを思いながら胸を擽られるような懐かしさに目を細める。
「おまじないに熱心なのは私の友達。その子が素敵な恋をするために私も協力してるの」
「はあ?」
「仲良し二人だから効果もお互いに、その子に毎年そう言われたから。私は恋とかまだ分からないし」
恋はするものではなく落ちるもの。そんな言葉があるけれど、周囲が密やかに内緒話をしていた頃も私にとってそれらは始まっていなかったのだ。それに不思議な世界に身を置いている今、何かが始まることは想像できない。
「そう呑気だといき遅れるだろ。今何歳だよ」
「永遠の十八歳?」
「痛い」
「そんなこと言って本当に私が不老だったらどうするの」
ほんの小さな真実も晋助くんにとっては私を笑う材料にしかならないようだった。晋助くんは小生意気に鼻で笑う。
「元々童顔なだけだろ。これだから女ってやつは」
「……私を痛いって言った晋助くんだって、別の痛さを纏う日がくるかもしれないのに」
「なんだそれ」
「世界で自分一人だけが孤独だと思ったり、右目に謎の力を秘めたり」
私の過去を思い出した(友達にそのタイプの子がいた)起死回生の一撃も晋助くんは白けた目で流してしまう。晋助くんじゃないにしろ、銀時くん、小太郎くん、三人もいたら一人くらい発病してもおかしくはないのに。世間ではその病気のことを中二病と言うらしい。
「ただのアホじゃねえか」
「これが意外と皆が発症する怖い病気なの。十四歳くらいを覚悟しておくといいよ」
「そんなアホが蔓延したら本当の意味で日本は終わりだ」
気の抜けた空気が私と晋助くんの間に漂う。何となしに晋助くんを小突いたら仕返しとばかりに小突かれる。何度かそれが続くとどちらともなしに馬鹿らしくなって止めるのだ。
「二人とも早く来ないか。せっかくの花見も銀時を放置していたらあっという間に菓子が食べられてしまうぞ」
晋助くんと戯れ合っていたら、腕組みをした小太郎くんが傍まで来ていた。花見の場所も決まったのにお前らが中々来ないから始められない、そう言う小太郎くんに素直に謝って私は続けた。
「ついつい晋助くんと遊んじゃって。すぐに行こうか」
「俺は遊んでやってただけだ」
「一緒に遊んでいたのなら同罪だ」
いつの春からか花見が毎年恒例の行事になった。桜の咲いている間は何度かご飯やお菓子を桜の下で食べる。いつもと違う食卓が良いのか、三人の子ども達もそれなりに楽しんでくれているようだ。ただ、銀時くんは花見の時に必ず作る桜餅目当ての節があるけれど。花より団子だと松陽さんは笑った。
小太郎くんに連れられて私達は松下村塾にほど近い小川に着いた。小川の傍には松陽さんと銀時くんがいて、敷物を広げてくれていた。皆で円になって座り、各々好きなものを食べて、桜を見る。
近くの桜の木から花びらが落ちて川に流れていく。川下にもそうして春が届くのだろう。春爛漫の言葉がぴったりの日だ。天国というものがあるのならきっとこんな光景なのだろう、そう思えるほどにこの世界は穏やかで眩しいもので溢れている。
「銀時くん、桜餅ばかりじゃなくて何か食べたら?」
桜餅で頬を膨らませる隣の銀時くんにそう声を掛ければ、銀時くんはものの数秒で飲み込んで言った。
「じゃあなんか選んで」
「唐揚げは?」
「ん、食べる」
口をパカリと開けて静止する銀時くん。笑いながらその口に唐揚げを突っ込むと、かなり大きなものを選んだつもりなのに器用に咀嚼してみせた。
「美味しい?」
「ああ」
「ならよかった」
正面からじとりとした視線を感じて、銀時くんに後は自分で食べるように言う。晋助くんは私の銀時くんへの甘やかしを常から過度だと言って警戒しているのだ。
「晋助くんも美味しい?」
「まあ、」
「なまえさん。高杉はこれでもなまえさんの作るご飯を好んでいるのだ。たとえ苦手なおかずであろうと誰にも譲ろうとしないのだからな」
私の問いかけに晋助くんが曖昧に答えたところ、すぐに隣から小太郎くんの注釈が飛んでくる。それに対してすかさず銀時くんが囃し立て、晋助くんは二人に突っかかる。この三人はいつまでもこんな関係性のまま続いていくのだろうと思う。微笑ましく思っているのは隣で笑っている松陽さんもきっと同じなのだろう。
「松陽さん。幸せですね」
「本当に」
三人に向けられていた柔和な笑みがこちらに向けられる。女神様のように美しいけれど、この人は男の人なのだ。目を細めた時に上がる頬肉、春の日差しに縁どられた輪郭、風に遊ばれる亜麻色。神様が丹精込めて作った他者を慈しむことのできる優しい人。ふと、この人の人間性がとても好きだと思った。美しい容れ物にはそのまま美しい魂が宿っている。
「来年も皆で来れるでしょうか」
「あなたが願うかぎり来れますよ。あなたの願いを何だって私達は叶えたいのですから」
最後のはどういう意味だろう。そう思うも松陽さんに小指を差し出され、その疑問は頭の端に追いやられる。松下村塾では約束事をする時にこうして指切りをした。そうこうしていると私達が小指を絡めることに気が付いた三人の子ども達が、何だ何だ、と言うようにこちらを見てきた。私と松陽さんは笑ってお互いが繋いでない方の小指を隣に差し出す。意図を把握した子ども達によってすぐに指切りは輪に広がった。
「来年も皆で来ましょうね」
私がそう言うと全員の約束の合図が重なった。春の日差しが柔らかい、ある日のことだった。