虚との出会い〜松下村塾編
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鏡花
太陽の光で目覚めたら手早く着物に着替え、松陽さんからもらった簪で髪を纏めるところから私の一日は始まる。いつも朝の支度の最後は鏡の中の自分と見つめ合う時間。きゅっと引き結ばれた口を指でなぞる。目を瞑り深呼吸を一つ。開かれた世界には真っ直ぐな瞳をした私自身が映っている。この世界で私は少し大人になった気がした。
こちらでも一日を積み重ねることで季節は巡り、少しずつ周囲に変化が訪れる。木々は温かな色を纏い、蝉の鳴き声はもう少しでもしたら鈴虫の鳴き声に変わるだろう。秋の足音はもう傍まで迫っている。そして、季節という大きなものが動いているとき、子どもの成長にはもっと目を見張るものがあるのだ。
「皆、背が伸びたんじゃない?」
朝食の席でそう言うと、三対の目が一斉に私に向けられる。銀、黒紫、黒。三人の子どもは目を丸くしてこちらを見ている。兄弟のようだ。松陽さんはそんな三人を見つめ穏やかに頷いている。三人の中で最初に口を開いたのは銀時くんだった。
「イチゴ牛乳を飲んでる奴は身長も伸びんだよ。カルシウム摂ってるからな。ってことでなまえ 、イチゴ牛乳は最低ストック五で」
「いや、違うぞ銀時。時代は蕎麦だ。蕎麦がカルシウムなんだ。だからなまえ さん、一日一食蕎麦はどうだろうか。いや、こちらとしては三食でも構わんが」
「黙れ馬鹿二人」
銀時くんと小太郎くんの根拠のない言い分に鋭く切り返す晋助くん。晋助くんの言葉は正しくも刃のようなところがあるからか、主に銀時くんが食って掛かるのだ。
「お前が黙れ低杉」
「あ?」
「やめろ二人とも!喧嘩なんぞしたらせっかくの朝食が不味くなる!」
「うるせえ!」
お約束となった喧嘩を程々に見守りながら、私は三人の身長測定をどうやってしようかと考えていた。出来れば一目で分かるようにしたら後々見返した時に面白いだろう。
「どうかされましたか?」
私が何かを考えていることを察した松陽さんに、素直に打ち明ける。
「今の三人の身長を目に見えて分かる形で残して、来年も再来年も同じようにしたら一目で三人の成長が見られるのに……って思ったんです。方法は考え中ですけど」
「ああ、それならここの柱にでも軽く目印程度の傷を付けたらいいんじゃないでしょうか」
茶の間の柱。松陽さんが言ったのは入り口のところのものだろう。家に傷を付けても大丈夫なのか、そう尋ねる私に松陽さんは頷いた。
「小さな傷くらいならこの子達が既に沢山作っていますから」
「なら、傷を目印にそれぞれの色の端切れを糊でくっつけましょう」
「それはいいですね」
「銀時くんが白、晋助くんが紫、小太郎くんは黒。松陽さんの色、亜麻色の端切れも丁度あるので三人と一緒に測りましょうか」
遊びたい盛りの子ども達はすぐに着物をどこかに引っ掛けて破って帰ってきてしまう。そのせいで端切れは沢山あるのだ。繕い物をすることが多い私は珍しい亜麻色の端切れのことも私は憶えていた。
「なら、なまえ さんは」
「桜色」
松陽さんが言う前に、子ども達三人の声が重なった。おや、と思いそちらを見ると髪も着物も乱れた三人が顔だけは何事もなかったように座っていた。いつの間に朝食は完食したらしい。
「一喧嘩、無事に終わったの?」
「一仕事終わらせたみたいに訊くな。低杉くんが自分を低杉と認めたことで……」
「認めてねえよ」
「まあ、そういうことだ。 なまえ さん」
晋助くんに毒を吐いてその仕返しに思いきり頬を引っ張られている銀時くん。小太郎くんの言葉をそのまま受け取るのなら、喧嘩はまだ終わっていないらしい。
「えっと、桜色?だっけ」
話を戻すと小太郎くんは頷いた。私と松陽さんの話を三人が聞いていたのなら、身長測定に使う端切れの色のことだ。桜色、私には可愛らしすぎるような気もしなくはないけれど。
「なまえ さんは桜色が似合う、そう思って言ったのだが二人も一緒だったらしい」
「いいえ、それならもう一人います。なまえ さんは桜色を、そう言おうとしたら子ども達に先を越されてしまいましたが」
松陽さんが言いかけていたことも同じだったらしい。そこでようやく喧嘩の絶えない二人もお互いに手を出すのを止めて座りなおした。
「毎日その簪を飽かずに見せられたらそうなるだろ」
「そういうこった」
今も私の髪を束ねている簪に触れる。桜色の玉が輝くこの簪はこちらに来て、少し経った頃に松陽さんに貰ったものだ。この時代では名前以外、自分のものを何一つ持っていなかった私に初めて与えられたもの。私個人にされた贈り物だ。あの日は桜が舞っていた。春の優しい匂いを思い出す。四人にとっては大したことではないのかもしれない。それでも、四人に桜色が私の色として認識されたことは、あの日に感じた嬉しさと同じものを私に齎した。
「……後で、皆で身長を測りに行こうか」
自然とほころぶ顔を止めることはない。鏡に映った強張った顔よりきっとこちらの方が何倍もいい。
***
季節は巡り、こちらに来て数回目の冬が訪れた。こちらに来て始めた日記は三冊目になろうとしている。この時代について感じたことを残しておこう、そう思い始めた日記は今では日々の事柄、明日の予定、行く宛てのない手紙、とどちらかと言えば雑記に近い様相を呈している。
高校生、大学生、子ども、大人。自分の肩書きは曖昧なまま、身体の変化すら一切ないまま時が過ぎた。私はこの不思議な世界に存在することは許されても、住民にはなれないらしい。そのことを当然と捉えながらも、少し寂しがっている私もいる。
白い息を吐きながら、茶の間の柱にある斑を指でなぞる。私と松陽さんは少しも変わらないというのに、子ども達だけはその成長に終わりを見せないでいる。白も紫も黒も誰かが抜かせばまた誰かが、というような具合で柱にその跡を残していた。
「なまえ さん。こんな所にいたら身体が冷えるぞ。何をしているんだ?」
柱を前に物思いに耽っていると、小太郎くんに声を掛けられた。柱の印と見比べる。初対面の時と比べて随分と目線が近くなった。もうあと一二年で抜かされるだろう。こちらに来てからはあっという間に感じられた期間も、その実、きちんと積み重なっているのだ。
「皆の成長の確認。前回は銀時くんが少しだけ高かったかな」
私が柱を指させば、小太郎くんは得心がいったように頷いた。そして、なまえ さんはこの場所が好きだな、と言われ私も頷く。ついこの間は晋助くんとここで出会った。またここにいる、晋助くんにはそんな顔をされたっけ。
「しかし銀時のこの結果は不正ギリギリだ。アイツは髪が俺や高杉に比べてふわふわしている」
「大丈夫。そこは銀時くんの要望に応えないで、ちゃんと抑えて測ってるから」
「アイツはそんなに小賢しいことを……武士の風上にも置けんな」
眉を寄せる小太郎くんに苦笑する。銀時くんは毎年恒例になった身長測定の前日にはいつもよりイチゴ牛乳の消費が早くなる。イチゴ牛乳で身長は伸びないと思うけれどその努力は年頃の男の子らしい。
「小太郎くん。それは?」
私は小太郎くんが手にしているマフラーを指して言った。小太郎くんは彼の黄色のマフラーをしているし、その白いマフラーは銀時くんのものだ。
「授業の合間に雪合戦が始まったが、高杉はともかく銀時はいつもの薄着ではしゃいでいてな。馬鹿は風邪をひかないと言うが念のため取りに来たのだ」
「昨日から雪が降っていたもんね。小太郎くんもこれから混ざるの?」
「ああ。既に胴に一発、招待状が届いている」
きっと他の子達も三人と同じようにはしゃいでいるのだろう。有名な童謡を思い出して微笑む。子ども達にとって雪は歌詞にある犬と同じくらい喜ばしいものなのだ。
長州は南の方であるけれど、雪が降らないわけではない。日本海が近いからなのだと思う。
「怪我だけはしないようにね。皆が帰ってきたら温かい飲み物を用意するから。小太郎くん、なにがいい?」
「俺が決めていいのか?」
「勿論。最初に私に会えた人の特権」
銀時くんや晋助くんと比べて小太郎くんは遠慮がちな性質がある。真剣に悩むその姿は微笑ましい。小太郎くんは偶にでも両手で物を強請る時があったっていいくらいなのだ。
「ならば生姜湯、生姜湯がいい」
「はちみつも入れてもいい?」
「銀時のものに入れすぎなければ。なまえ さんは銀時に甘いからな」
小太郎くんの口から零れた言葉に目を瞬かせる。晋助くんにも言われたけれど、私は銀時くんにいっとう甘く見られているらしい。私は小太郎くんの頬を両手で包み込む。一瞬びくりとした小太郎くんだけれど、私の手が温かかったからか小さく息を吐いた。
「温かいでしょ」
「……ああ、でもこれは」
戸惑っている様子の小太郎くんが可愛くて、そのまま頬を摘まんだり離したり。銀時くんと晋助くんはやり過ぎた、と思ったら手を払われることもあるけれど、小太郎くんはただただどうすればいいか戸惑うのだ。満足した私は手を離して口を開いた。
「今日の夕ご飯は温そばです。明日の朝ごはんはヨーグルトを出します……買い物に行ったら皆の好物を買うようにしています、勿論、イチゴ牛乳もね。松陽さんにお菓子を貰った時に銀時くんにお裾分けすることが多いのは、三人の中で最初に出会った子にあげようと決めているからです」
小太郎くんの身体を回転させその背中を押して玄関に向かわせる。私は子ども達に甘いけれど、その中でも一緒に暮らしている三人は特別なのだ。三人以外の子には時折ズルいと言われていることをきっと三人は知らない。
「なまえ さん、ありがとう」
柔らかな声色で紡がれたお礼に私は小太郎くんが見えないことを知りながら首を横に振る。
「話に付き合ってくれてこちらこそありがとう。早く行ってあげて。小太郎くんがいないと、あの二人は暴走しちゃうから」
そうだな、そう言って小太郎くんは駆けだした。これから私は台所に行って、小太郎くんご所望の生姜湯が人数分作れるか確認に行かなくてはいけない。今日は松下村塾の皆の分を作るから、今から生姜を擂り始めてもいいだろう。
太陽の光で目覚めたら手早く着物に着替え、松陽さんからもらった簪で髪を纏めるところから私の一日は始まる。いつも朝の支度の最後は鏡の中の自分と見つめ合う時間。きゅっと引き結ばれた口を指でなぞる。目を瞑り深呼吸を一つ。開かれた世界には真っ直ぐな瞳をした私自身が映っている。この世界で私は少し大人になった気がした。
こちらでも一日を積み重ねることで季節は巡り、少しずつ周囲に変化が訪れる。木々は温かな色を纏い、蝉の鳴き声はもう少しでもしたら鈴虫の鳴き声に変わるだろう。秋の足音はもう傍まで迫っている。そして、季節という大きなものが動いているとき、子どもの成長にはもっと目を見張るものがあるのだ。
「皆、背が伸びたんじゃない?」
朝食の席でそう言うと、三対の目が一斉に私に向けられる。銀、黒紫、黒。三人の子どもは目を丸くしてこちらを見ている。兄弟のようだ。松陽さんはそんな三人を見つめ穏やかに頷いている。三人の中で最初に口を開いたのは銀時くんだった。
「イチゴ牛乳を飲んでる奴は身長も伸びんだよ。カルシウム摂ってるからな。ってことでなまえ 、イチゴ牛乳は最低ストック五で」
「いや、違うぞ銀時。時代は蕎麦だ。蕎麦がカルシウムなんだ。だからなまえ さん、一日一食蕎麦はどうだろうか。いや、こちらとしては三食でも構わんが」
「黙れ馬鹿二人」
銀時くんと小太郎くんの根拠のない言い分に鋭く切り返す晋助くん。晋助くんの言葉は正しくも刃のようなところがあるからか、主に銀時くんが食って掛かるのだ。
「お前が黙れ低杉」
「あ?」
「やめろ二人とも!喧嘩なんぞしたらせっかくの朝食が不味くなる!」
「うるせえ!」
お約束となった喧嘩を程々に見守りながら、私は三人の身長測定をどうやってしようかと考えていた。出来れば一目で分かるようにしたら後々見返した時に面白いだろう。
「どうかされましたか?」
私が何かを考えていることを察した松陽さんに、素直に打ち明ける。
「今の三人の身長を目に見えて分かる形で残して、来年も再来年も同じようにしたら一目で三人の成長が見られるのに……って思ったんです。方法は考え中ですけど」
「ああ、それならここの柱にでも軽く目印程度の傷を付けたらいいんじゃないでしょうか」
茶の間の柱。松陽さんが言ったのは入り口のところのものだろう。家に傷を付けても大丈夫なのか、そう尋ねる私に松陽さんは頷いた。
「小さな傷くらいならこの子達が既に沢山作っていますから」
「なら、傷を目印にそれぞれの色の端切れを糊でくっつけましょう」
「それはいいですね」
「銀時くんが白、晋助くんが紫、小太郎くんは黒。松陽さんの色、亜麻色の端切れも丁度あるので三人と一緒に測りましょうか」
遊びたい盛りの子ども達はすぐに着物をどこかに引っ掛けて破って帰ってきてしまう。そのせいで端切れは沢山あるのだ。繕い物をすることが多い私は珍しい亜麻色の端切れのことも私は憶えていた。
「なら、なまえ さんは」
「桜色」
松陽さんが言う前に、子ども達三人の声が重なった。おや、と思いそちらを見ると髪も着物も乱れた三人が顔だけは何事もなかったように座っていた。いつの間に朝食は完食したらしい。
「一喧嘩、無事に終わったの?」
「一仕事終わらせたみたいに訊くな。低杉くんが自分を低杉と認めたことで……」
「認めてねえよ」
「まあ、そういうことだ。 なまえ さん」
晋助くんに毒を吐いてその仕返しに思いきり頬を引っ張られている銀時くん。小太郎くんの言葉をそのまま受け取るのなら、喧嘩はまだ終わっていないらしい。
「えっと、桜色?だっけ」
話を戻すと小太郎くんは頷いた。私と松陽さんの話を三人が聞いていたのなら、身長測定に使う端切れの色のことだ。桜色、私には可愛らしすぎるような気もしなくはないけれど。
「なまえ さんは桜色が似合う、そう思って言ったのだが二人も一緒だったらしい」
「いいえ、それならもう一人います。なまえ さんは桜色を、そう言おうとしたら子ども達に先を越されてしまいましたが」
松陽さんが言いかけていたことも同じだったらしい。そこでようやく喧嘩の絶えない二人もお互いに手を出すのを止めて座りなおした。
「毎日その簪を飽かずに見せられたらそうなるだろ」
「そういうこった」
今も私の髪を束ねている簪に触れる。桜色の玉が輝くこの簪はこちらに来て、少し経った頃に松陽さんに貰ったものだ。この時代では名前以外、自分のものを何一つ持っていなかった私に初めて与えられたもの。私個人にされた贈り物だ。あの日は桜が舞っていた。春の優しい匂いを思い出す。四人にとっては大したことではないのかもしれない。それでも、四人に桜色が私の色として認識されたことは、あの日に感じた嬉しさと同じものを私に齎した。
「……後で、皆で身長を測りに行こうか」
自然とほころぶ顔を止めることはない。鏡に映った強張った顔よりきっとこちらの方が何倍もいい。
***
季節は巡り、こちらに来て数回目の冬が訪れた。こちらに来て始めた日記は三冊目になろうとしている。この時代について感じたことを残しておこう、そう思い始めた日記は今では日々の事柄、明日の予定、行く宛てのない手紙、とどちらかと言えば雑記に近い様相を呈している。
高校生、大学生、子ども、大人。自分の肩書きは曖昧なまま、身体の変化すら一切ないまま時が過ぎた。私はこの不思議な世界に存在することは許されても、住民にはなれないらしい。そのことを当然と捉えながらも、少し寂しがっている私もいる。
白い息を吐きながら、茶の間の柱にある斑を指でなぞる。私と松陽さんは少しも変わらないというのに、子ども達だけはその成長に終わりを見せないでいる。白も紫も黒も誰かが抜かせばまた誰かが、というような具合で柱にその跡を残していた。
「なまえ さん。こんな所にいたら身体が冷えるぞ。何をしているんだ?」
柱を前に物思いに耽っていると、小太郎くんに声を掛けられた。柱の印と見比べる。初対面の時と比べて随分と目線が近くなった。もうあと一二年で抜かされるだろう。こちらに来てからはあっという間に感じられた期間も、その実、きちんと積み重なっているのだ。
「皆の成長の確認。前回は銀時くんが少しだけ高かったかな」
私が柱を指させば、小太郎くんは得心がいったように頷いた。そして、なまえ さんはこの場所が好きだな、と言われ私も頷く。ついこの間は晋助くんとここで出会った。またここにいる、晋助くんにはそんな顔をされたっけ。
「しかし銀時のこの結果は不正ギリギリだ。アイツは髪が俺や高杉に比べてふわふわしている」
「大丈夫。そこは銀時くんの要望に応えないで、ちゃんと抑えて測ってるから」
「アイツはそんなに小賢しいことを……武士の風上にも置けんな」
眉を寄せる小太郎くんに苦笑する。銀時くんは毎年恒例になった身長測定の前日にはいつもよりイチゴ牛乳の消費が早くなる。イチゴ牛乳で身長は伸びないと思うけれどその努力は年頃の男の子らしい。
「小太郎くん。それは?」
私は小太郎くんが手にしているマフラーを指して言った。小太郎くんは彼の黄色のマフラーをしているし、その白いマフラーは銀時くんのものだ。
「授業の合間に雪合戦が始まったが、高杉はともかく銀時はいつもの薄着ではしゃいでいてな。馬鹿は風邪をひかないと言うが念のため取りに来たのだ」
「昨日から雪が降っていたもんね。小太郎くんもこれから混ざるの?」
「ああ。既に胴に一発、招待状が届いている」
きっと他の子達も三人と同じようにはしゃいでいるのだろう。有名な童謡を思い出して微笑む。子ども達にとって雪は歌詞にある犬と同じくらい喜ばしいものなのだ。
長州は南の方であるけれど、雪が降らないわけではない。日本海が近いからなのだと思う。
「怪我だけはしないようにね。皆が帰ってきたら温かい飲み物を用意するから。小太郎くん、なにがいい?」
「俺が決めていいのか?」
「勿論。最初に私に会えた人の特権」
銀時くんや晋助くんと比べて小太郎くんは遠慮がちな性質がある。真剣に悩むその姿は微笑ましい。小太郎くんは偶にでも両手で物を強請る時があったっていいくらいなのだ。
「ならば生姜湯、生姜湯がいい」
「はちみつも入れてもいい?」
「銀時のものに入れすぎなければ。なまえ さんは銀時に甘いからな」
小太郎くんの口から零れた言葉に目を瞬かせる。晋助くんにも言われたけれど、私は銀時くんにいっとう甘く見られているらしい。私は小太郎くんの頬を両手で包み込む。一瞬びくりとした小太郎くんだけれど、私の手が温かかったからか小さく息を吐いた。
「温かいでしょ」
「……ああ、でもこれは」
戸惑っている様子の小太郎くんが可愛くて、そのまま頬を摘まんだり離したり。銀時くんと晋助くんはやり過ぎた、と思ったら手を払われることもあるけれど、小太郎くんはただただどうすればいいか戸惑うのだ。満足した私は手を離して口を開いた。
「今日の夕ご飯は温そばです。明日の朝ごはんはヨーグルトを出します……買い物に行ったら皆の好物を買うようにしています、勿論、イチゴ牛乳もね。松陽さんにお菓子を貰った時に銀時くんにお裾分けすることが多いのは、三人の中で最初に出会った子にあげようと決めているからです」
小太郎くんの身体を回転させその背中を押して玄関に向かわせる。私は子ども達に甘いけれど、その中でも一緒に暮らしている三人は特別なのだ。三人以外の子には時折ズルいと言われていることをきっと三人は知らない。
「なまえ さん、ありがとう」
柔らかな声色で紡がれたお礼に私は小太郎くんが見えないことを知りながら首を横に振る。
「話に付き合ってくれてこちらこそありがとう。早く行ってあげて。小太郎くんがいないと、あの二人は暴走しちゃうから」
そうだな、そう言って小太郎くんは駆けだした。これから私は台所に行って、小太郎くんご所望の生姜湯が人数分作れるか確認に行かなくてはいけない。今日は松下村塾の皆の分を作るから、今から生姜を擂り始めてもいいだろう。