原作編
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揺籃
銀時くんから松下村塾の行方を聞いた次の日。注文を聞き逃してしまったり、無意識のうちに手を止めてしまっていたり。いつもの通りにお店に立ったのはいいものの、些細な失敗を繰り返しているものだからお客さんを心配させてしまった。決定打はお昼に訪れた総悟さんだった。総悟さんは私の不調を見破るやいなや、独断でお店を閉めてしまった。お店にいたご近所のお爺さんお婆さんも総悟くんに従いお喋りを切り上げて帰るのだから、これではどちらがお店を任されているのか分からない。
「じゃ、俺達も行きやしょう」
「行く……どこに?」
「毎日爺婆を相手にして引きこもってるからダメなんでさァ。今まで適当に金を落させたんだから、今日くらいその辺をぶらついたり何か買ったり……気晴らしすればいい」
総悟さんは少しの毒を零すけれど、それ以上に確かな気遣いを行動に滲ませる。昨日から思考全体が、歯車が外れてしまったように上手く回っていなかった。胸を締め付ける悲痛と呑み込むには大きすぎる苦衷。そして何より私は幸せだけを抱いて大切な人達の傍を離れたこと。銀時くん達が歯を食いしばって現実と向き合っていた時、その景色も感情を分かち合うところにいることが出来なかった自分への怒りが静かに燃えていた。
お客さんや総悟さんの目に浮かぶ心配の色は私の剥き出しの感情を包んでくれているようで、少しだけ肩の力が抜けたような気がした。
「常連さんに対するコメントには何も言えないです……でも、ありがとうございます」
「じゃ、早く仕度」
「あの、」
「四十秒以内で。遅れたら罰ゲーム」
それだけを言って総悟さんは外に出ていってしまった。急に指令を与えられたおかげで意識がそちらに割かれる。待たせてしまうわけにもいかず、エプロンを脱いだ私はすぐに部屋に戻った。手近にあった巾着を手に取って、財布とお店の鍵だけ入れる。保湿も兼ねたリップを塗り直して、最後に全身鏡で襟元や帯にさらりと目を通した。長州の頃から合わせると私が着物を着始めて随分と長い。もう現代で言うところの着付けのプロと腕前は変わらないだろう。
できるだけ時間を取らずに仕度を終えたつもりだけれど、店先で待っていた総悟さんは意地悪気に口端を持ち上げたのだった。
「二分きっかり。罰ゲームでなまえ さんには始末書に登場してもらって俺を助けてもらうことにしやす」
「四十秒なんて難しいですよ……始末書って?」
「今日の俺はサボりなんてしていない、市民の相談に乗っていた善良なお巡りさんってことを用紙につらつらと。真選組には脳も血液もマヨで構成されたどうしようもないマヨ野郎がいて、始末書はそのマヨ野郎がいたいけな隊士に強制させてるんでさァ」
「とりあえず血液もマヨネーズは普通に死んじゃうと思います」
「むしろソイツは近いうちに俺が殺すんで心配なく」
総悟さんは物騒なことも真顔で言ってのけるから、冗談か本気かどちらで捉えてよいのか分からない時がある。総悟さんは淡々とマヨネーズの人への殺意を口にしてそのまま歩き始める。話題を掘り返す勇気もなくて、何も言わずに隣に並ぶ。昼下がりの空には雲が少なく太陽が我が物顔で浮かんでいる。日差しのおかげで少し暑く感じるくらいだった。
「なまえ さんは長州からこっちに来て、観光の一つや二つ済ませた……いや、そんな素振りねェか。爺婆の御機嫌取りに忙しいし」
確かに常連さんには梅さんとも付き合いの長いお爺さんとお婆さんが多いけれど、昼休憩に来る会社員の人や子ども連れのお母さんもいるというのに。総悟さんはその人達を無視して勝手に一人で納得している。
「意外とお店の客層は広いですよ」
「知らね。重要なのはなまえ さんが普段出歩いてないことでさァ」
「確かに普段の生活は喫茶店にいるかスーパーの往復くらいですけど……あ、でもこの間はかぶき町に行きました。梅さんの知り合いのところに珈琲豆を届けに」
「かぶき町に来るなら屯所に来たら良かったのに。結構近いし、お茶くらいなら出させやす」
自分で出すと言わないところが総悟さんらしい。思わず頬を緩めた私は総悟さんと目が合った。総悟さんは目を細めたと思ったら顔を逸らす。総悟さんは時折柔らかい微笑を見せてくれるけれど、それも一瞬のことでまじまじとは見せてくれない。
「一応真選組一番隊隊長、未来の副長ですから。お茶汲みは平隊士の役目のうちってことで」
心を読んだように総悟さんは言葉を続ける。私が警察に自分から行くことはないだろうけれど、総悟さんの屯所での様子は見てみたいと思った。私は総悟さんの平和な側面……サボりを咎められているところしか見たことがないのだ。書類に向かっている様子や部下の指導している様子は素直に気になる。
「副長……もし昇格が決まったらお祝いしないとですね」
「その時は盛大に。出来ればマヨをぶちまけた料理でお願いしやす」
「……? 分かりました」
周囲の景色を眺めながらゆっくりと歩く私に総悟さんは歩調を合わせてくれている。大通りに出たり狭い道に入ったり、その先で目の前に現れた急な石段を上ったり。気のままに進むのは子ども達と寄り道をした松下村塾への帰り道を思い出す。近道を発見した時なんてその話題で持ちきりだった……それも今となっては十年以上の前のことなのだ。
「ちょっと座りやしょう」
「階段の真ん中で?」
「はい」
石段の途中で少し息が切れてきたと思ったら、総悟さんは立ち止まって私に休憩を持ちかけてくれた。私はまだ歩ける、そう言って力瘤を作って見せるけど微妙な目で首を横に振られた。総悟さん曰く引きこもりの私には体力面の信用がないのかもしれない。一応毎日一日中動いてはいるのだけれど。
「今の微妙な時間にここを通ろうとする奴なんて野良猫や雀くらい。この先は神社に繋がってるって言っても、参拝客の殆どが別の入り口を使うんで」
「詳しいですね」
「お巡り舐めんな」
「尊敬してますよ」
「どーだか」
石段は人が三四人並んだらそれで一杯になるくらいの狭さだ。左右が林になっているおかげで全体が陰になっていて、正直なところ休憩場所としては魅力的に見える。総悟さんが躊躇なく座るから、誰かが来たら退こうと決めて、つられて私も腰を下ろした。するとすぐに総悟さんの言う通り、猫が寄ってきた。
「コイツは近所の甘ちゃんたちの愛玩で生きる野良猫で、名前はクロって言いやす。名前の由来はそのまま、身体全体が黒いから」
クロは警戒心なんて微塵も感じさせない様子で総悟さんに擦り寄る。総悟さんは手慣れた様子で、手で受け止めて掻き撫でた。されるがままになっているクロは、気持ちが良さそうに目を細めて欠伸をした。
「総悟さんのことをまるで親か恋人だと思っているみたいですね」
「コイツは人間様に尻尾を振ることを覚えたずる賢い奴ですよ」
「穿った見方だなぁ……」
「今日はやれるものなんてねーぞ。オラ、行った行った」
束の間の逢瀬。総悟さんがそう言って撫でるのを止めると、言葉を理解しているようにクロは一度だけミャオンと鳴いて林の中に消えていった。振り返りもしないのは、総悟さんがまた訪れることを分かっているからのように思えた。
「しっかりパトロールしてるんですね。地域の人達ともちゃんと交流があって、猫の……クロも総悟さんとまた会えることが分かっているみたいでした」
「だからお巡り舐めんなってこと」
「本当に尊敬していますよ」
「でも?」
「不良お巡りさんだと思っている時もありました」
喫茶店の中でも総悟さんは常連さんと仲が良かった。きっと総悟さんには総悟さんの人の、町の守り方があるのだろう。不良お巡りさんのイメージは冗談半分。総悟さんを涙目で迎えに来る隊士の人達を知っているからだ。総悟さんは自分で言わせておいて私の手を抓った。元より痛みは感じないけれど、赤くなっていないからそんなに力を入れなかったのだろう。
「俺がなまえ さんの上司なら隊長権限で始末書百枚書かせるか切腹でさァ」
「ハラキリ、フジヤマ、ゲイシャ……」
「なんだそれ。無駄に片言だし」
「海の向こう側に住む人から見た、この時代の日本の三大文化……みたいな感じですかね? そう思うと切腹は日本特有の文化なのかもしれません」
「変なところに注目しやすね」
「変でしたか」
「なまえ さんは出会ってから今まで大概変な女ですぜ」
「なるほど……?」
二人の間を薫風が抜ける。木々の騒めき、葉陰が揺らめいた。一枚の葉が落ちてきたのを手で受け止める。きっと瑞々しい緑をしているのだろう。
今日は総悟さんが普段の空気のまま会話を繋げてくれた。整理しきれていなくて、放っておいたら際限なく沈んでいってしまう思考に私が足を向けないように、それとなく引っ張ってくれていることに私は気が付いていた。
「総悟さん。今日はありがとうございます」
人の優しさに触れる度に、日常にあった本当に大切だったものを思い出す。全てを塗りつぶそうとする悲しみに抗うように、逆らうように。銀時くんが真実を伝えてくれた日、私は銀時くんが生きていること、そのことがなによりも得難いものであることを知った。
守りたいもの、守るべきもの、守りたかったもの。私達はそれがたとえ罅割れたとしても、
壊れてしまっても、その欠片を抱えて生きていかなければならない。
痛みはきっとあり続ける。それでも。
「市民の相談に乗るのも仕事なんで。サボり見逃しで手を打ちやす。」
「やっぱり不良お巡りさんでしたね」
「言ってろ」
今でも私は夜に目覚めると、いつも不思議と同じ時間に起きてくる松陽さんを探してしまう。甘いものを誰かに貰うと銀時くんにあげたくなる。負けん気の強い子を見ると、毎日秘密の特訓をしている晋助くんを思い出す。帰り道に小太郎くんと二人で調子はずれな合唱をしたこと。私にとって松下村塾で過ごした日々は昔の話ではない。昔の話にはこれから先もならないのかもしれないとさえ思う。宝物のような時間だ。
私は銀時くんが伝えてくれた真実を少しずつでもいいから呑み込まなくてはならない。それが銀時くん、そして晋助くんや小太郎くんへの誠意なのだと思う。私はいずれその全てを受け入れられる日が来るのだろうか。
もしその時が来たら、私は、何をしているのだろう。
銀時くんから松下村塾の行方を聞いた次の日。注文を聞き逃してしまったり、無意識のうちに手を止めてしまっていたり。いつもの通りにお店に立ったのはいいものの、些細な失敗を繰り返しているものだからお客さんを心配させてしまった。決定打はお昼に訪れた総悟さんだった。総悟さんは私の不調を見破るやいなや、独断でお店を閉めてしまった。お店にいたご近所のお爺さんお婆さんも総悟くんに従いお喋りを切り上げて帰るのだから、これではどちらがお店を任されているのか分からない。
「じゃ、俺達も行きやしょう」
「行く……どこに?」
「毎日爺婆を相手にして引きこもってるからダメなんでさァ。今まで適当に金を落させたんだから、今日くらいその辺をぶらついたり何か買ったり……気晴らしすればいい」
総悟さんは少しの毒を零すけれど、それ以上に確かな気遣いを行動に滲ませる。昨日から思考全体が、歯車が外れてしまったように上手く回っていなかった。胸を締め付ける悲痛と呑み込むには大きすぎる苦衷。そして何より私は幸せだけを抱いて大切な人達の傍を離れたこと。銀時くん達が歯を食いしばって現実と向き合っていた時、その景色も感情を分かち合うところにいることが出来なかった自分への怒りが静かに燃えていた。
お客さんや総悟さんの目に浮かぶ心配の色は私の剥き出しの感情を包んでくれているようで、少しだけ肩の力が抜けたような気がした。
「常連さんに対するコメントには何も言えないです……でも、ありがとうございます」
「じゃ、早く仕度」
「あの、」
「四十秒以内で。遅れたら罰ゲーム」
それだけを言って総悟さんは外に出ていってしまった。急に指令を与えられたおかげで意識がそちらに割かれる。待たせてしまうわけにもいかず、エプロンを脱いだ私はすぐに部屋に戻った。手近にあった巾着を手に取って、財布とお店の鍵だけ入れる。保湿も兼ねたリップを塗り直して、最後に全身鏡で襟元や帯にさらりと目を通した。長州の頃から合わせると私が着物を着始めて随分と長い。もう現代で言うところの着付けのプロと腕前は変わらないだろう。
できるだけ時間を取らずに仕度を終えたつもりだけれど、店先で待っていた総悟さんは意地悪気に口端を持ち上げたのだった。
「二分きっかり。罰ゲームでなまえ さんには始末書に登場してもらって俺を助けてもらうことにしやす」
「四十秒なんて難しいですよ……始末書って?」
「今日の俺はサボりなんてしていない、市民の相談に乗っていた善良なお巡りさんってことを用紙につらつらと。真選組には脳も血液もマヨで構成されたどうしようもないマヨ野郎がいて、始末書はそのマヨ野郎がいたいけな隊士に強制させてるんでさァ」
「とりあえず血液もマヨネーズは普通に死んじゃうと思います」
「むしろソイツは近いうちに俺が殺すんで心配なく」
総悟さんは物騒なことも真顔で言ってのけるから、冗談か本気かどちらで捉えてよいのか分からない時がある。総悟さんは淡々とマヨネーズの人への殺意を口にしてそのまま歩き始める。話題を掘り返す勇気もなくて、何も言わずに隣に並ぶ。昼下がりの空には雲が少なく太陽が我が物顔で浮かんでいる。日差しのおかげで少し暑く感じるくらいだった。
「なまえ さんは長州からこっちに来て、観光の一つや二つ済ませた……いや、そんな素振りねェか。爺婆の御機嫌取りに忙しいし」
確かに常連さんには梅さんとも付き合いの長いお爺さんとお婆さんが多いけれど、昼休憩に来る会社員の人や子ども連れのお母さんもいるというのに。総悟さんはその人達を無視して勝手に一人で納得している。
「意外とお店の客層は広いですよ」
「知らね。重要なのはなまえ さんが普段出歩いてないことでさァ」
「確かに普段の生活は喫茶店にいるかスーパーの往復くらいですけど……あ、でもこの間はかぶき町に行きました。梅さんの知り合いのところに珈琲豆を届けに」
「かぶき町に来るなら屯所に来たら良かったのに。結構近いし、お茶くらいなら出させやす」
自分で出すと言わないところが総悟さんらしい。思わず頬を緩めた私は総悟さんと目が合った。総悟さんは目を細めたと思ったら顔を逸らす。総悟さんは時折柔らかい微笑を見せてくれるけれど、それも一瞬のことでまじまじとは見せてくれない。
「一応真選組一番隊隊長、未来の副長ですから。お茶汲みは平隊士の役目のうちってことで」
心を読んだように総悟さんは言葉を続ける。私が警察に自分から行くことはないだろうけれど、総悟さんの屯所での様子は見てみたいと思った。私は総悟さんの平和な側面……サボりを咎められているところしか見たことがないのだ。書類に向かっている様子や部下の指導している様子は素直に気になる。
「副長……もし昇格が決まったらお祝いしないとですね」
「その時は盛大に。出来ればマヨをぶちまけた料理でお願いしやす」
「……? 分かりました」
周囲の景色を眺めながらゆっくりと歩く私に総悟さんは歩調を合わせてくれている。大通りに出たり狭い道に入ったり、その先で目の前に現れた急な石段を上ったり。気のままに進むのは子ども達と寄り道をした松下村塾への帰り道を思い出す。近道を発見した時なんてその話題で持ちきりだった……それも今となっては十年以上の前のことなのだ。
「ちょっと座りやしょう」
「階段の真ん中で?」
「はい」
石段の途中で少し息が切れてきたと思ったら、総悟さんは立ち止まって私に休憩を持ちかけてくれた。私はまだ歩ける、そう言って力瘤を作って見せるけど微妙な目で首を横に振られた。総悟さん曰く引きこもりの私には体力面の信用がないのかもしれない。一応毎日一日中動いてはいるのだけれど。
「今の微妙な時間にここを通ろうとする奴なんて野良猫や雀くらい。この先は神社に繋がってるって言っても、参拝客の殆どが別の入り口を使うんで」
「詳しいですね」
「お巡り舐めんな」
「尊敬してますよ」
「どーだか」
石段は人が三四人並んだらそれで一杯になるくらいの狭さだ。左右が林になっているおかげで全体が陰になっていて、正直なところ休憩場所としては魅力的に見える。総悟さんが躊躇なく座るから、誰かが来たら退こうと決めて、つられて私も腰を下ろした。するとすぐに総悟さんの言う通り、猫が寄ってきた。
「コイツは近所の甘ちゃんたちの愛玩で生きる野良猫で、名前はクロって言いやす。名前の由来はそのまま、身体全体が黒いから」
クロは警戒心なんて微塵も感じさせない様子で総悟さんに擦り寄る。総悟さんは手慣れた様子で、手で受け止めて掻き撫でた。されるがままになっているクロは、気持ちが良さそうに目を細めて欠伸をした。
「総悟さんのことをまるで親か恋人だと思っているみたいですね」
「コイツは人間様に尻尾を振ることを覚えたずる賢い奴ですよ」
「穿った見方だなぁ……」
「今日はやれるものなんてねーぞ。オラ、行った行った」
束の間の逢瀬。総悟さんがそう言って撫でるのを止めると、言葉を理解しているようにクロは一度だけミャオンと鳴いて林の中に消えていった。振り返りもしないのは、総悟さんがまた訪れることを分かっているからのように思えた。
「しっかりパトロールしてるんですね。地域の人達ともちゃんと交流があって、猫の……クロも総悟さんとまた会えることが分かっているみたいでした」
「だからお巡り舐めんなってこと」
「本当に尊敬していますよ」
「でも?」
「不良お巡りさんだと思っている時もありました」
喫茶店の中でも総悟さんは常連さんと仲が良かった。きっと総悟さんには総悟さんの人の、町の守り方があるのだろう。不良お巡りさんのイメージは冗談半分。総悟さんを涙目で迎えに来る隊士の人達を知っているからだ。総悟さんは自分で言わせておいて私の手を抓った。元より痛みは感じないけれど、赤くなっていないからそんなに力を入れなかったのだろう。
「俺がなまえ さんの上司なら隊長権限で始末書百枚書かせるか切腹でさァ」
「ハラキリ、フジヤマ、ゲイシャ……」
「なんだそれ。無駄に片言だし」
「海の向こう側に住む人から見た、この時代の日本の三大文化……みたいな感じですかね? そう思うと切腹は日本特有の文化なのかもしれません」
「変なところに注目しやすね」
「変でしたか」
「なまえ さんは出会ってから今まで大概変な女ですぜ」
「なるほど……?」
二人の間を薫風が抜ける。木々の騒めき、葉陰が揺らめいた。一枚の葉が落ちてきたのを手で受け止める。きっと瑞々しい緑をしているのだろう。
今日は総悟さんが普段の空気のまま会話を繋げてくれた。整理しきれていなくて、放っておいたら際限なく沈んでいってしまう思考に私が足を向けないように、それとなく引っ張ってくれていることに私は気が付いていた。
「総悟さん。今日はありがとうございます」
人の優しさに触れる度に、日常にあった本当に大切だったものを思い出す。全てを塗りつぶそうとする悲しみに抗うように、逆らうように。銀時くんが真実を伝えてくれた日、私は銀時くんが生きていること、そのことがなによりも得難いものであることを知った。
守りたいもの、守るべきもの、守りたかったもの。私達はそれがたとえ罅割れたとしても、
壊れてしまっても、その欠片を抱えて生きていかなければならない。
痛みはきっとあり続ける。それでも。
「市民の相談に乗るのも仕事なんで。サボり見逃しで手を打ちやす。」
「やっぱり不良お巡りさんでしたね」
「言ってろ」
今でも私は夜に目覚めると、いつも不思議と同じ時間に起きてくる松陽さんを探してしまう。甘いものを誰かに貰うと銀時くんにあげたくなる。負けん気の強い子を見ると、毎日秘密の特訓をしている晋助くんを思い出す。帰り道に小太郎くんと二人で調子はずれな合唱をしたこと。私にとって松下村塾で過ごした日々は昔の話ではない。昔の話にはこれから先もならないのかもしれないとさえ思う。宝物のような時間だ。
私は銀時くんが伝えてくれた真実を少しずつでもいいから呑み込まなくてはならない。それが銀時くん、そして晋助くんや小太郎くんへの誠意なのだと思う。私はいずれその全てを受け入れられる日が来るのだろうか。
もしその時が来たら、私は、何をしているのだろう。