暗殺一家の養女になりました。
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おかあさんが死んだ。
病気で眠るように死んだ。
五歳の時に感じた二度目の絶望を私はこれからもずっと忘れることができないだろう。
***
かつて私はどこにでもいるような大学生だった。受験戦争を首の皮一枚で生き抜いた先にあったのは、程々に力を抜いた勉強とバイトに精を出す毎日。昔想像していたよりも大学生活はずっとシビアなもので(特に親からの仕送り額が)明日まで食つなぐことが何よりの使命。私には十ほど年の離れた兄が居て、華やかに見えた大学生活も裏ではこんなに大変だったのかと騙された気分で最初は愚痴しか出なかった。毎月口座を確認してはきっちり振り込まれた二千円にふざけていると憤慨するのがお決まりのパターンだった。
なんの変哲もない日になるはずだったあの日もバイトでくたくたの体を引きずりながらの帰宅。いつものように新聞受けを確認して、鍵を開けようとしたところで何やら違和感があって首を傾げた。
そんな違和感も疲れた目の錯覚だろう、と。ろくに働いていない思考で結論付けた私は、無意識に話題のドラマの主題歌を口ずさむくらいにはご機嫌だった。右手に持つレジ袋を見てニンマリと笑ってみせた。給料日も近かったこともあり少しお高めのスイーツを帰宅途中にあるコンビニで買った。甘いものが何よりも好きな私としては最高のご褒美だったのだ。
リビングでスイーツを食べる数秒後の自分を想像して愉快な気持ちになる。そんな当たり前を享受できることを幸せなのだと今の私には断言できる。
鍵を鍵穴に挿して一回転。鍵が掛かったことに心臓が一度だけ大きくドクリと跳ねた。何かに動かされるように身体は動作を継続する。もう一度鍵を鍵穴に挿して一回転。鍵の開く音がした。
これまでに鍵の閉め忘れをしたことは数回あった。しかし数ヶ月前に様子を見にやってきた母に怒られてからは懲りて一切なくなったのだ。
母の忠告が警報のように脳を揺さぶった。
そこにあるはずのない黒い影に心臓が冷えたのをはっきりと覚えている。
ドアノブを回したところにいたのはまさかの知らない男だった。どっと噴き出る汗、浅い息、チカチカと明滅する視界。危険を察知した身体は明らかな異常を訴えていた。
一瞬のうちに喉が乾き、呂律が回らなかった。
「…ちょっ…ちょっと、あ」
きらめく刃に目が眩んだ。
現実味のない出来事に出てきた言葉はなんともしまらないもので。抵抗も何もあったものではない。
強盗に刺されて享年二十歳。あっけなく私は死んだ。
***
強盗の凶刃により命を落とし、再び人間として生を受け五年。唯一の家族である母を無くして、途方に暮れたままの私を時間も周囲も待つことはなかった。
村の大人達の手によって葬式は速やかに執り行われた。別れを言う時間すら僅かなものだった。私ばかりどうして、存在するのかも定かではない神への抗議と恨みを込めて空を睨んだのもしょうがないことではないかと思う。
私は二周目の人生になっても奪われ続けることに自棄になっていた。
今世の母の死は形式的に悲しまれるだけだった。義務だからしているみたいな周りの人達の態度に唇を噛んだ。お前達はきっと三日も経てば母の死を過去のものにするのだろう、と。そんなことを勝手に思っては勝手に傷ついた。前世、社会人になる前に死んだ私は中途半端に大人になれずにいたのだろう。子どもにもなりきれないのに、幼い身体に精神は感化されているのか、意思とは反対にボロボロと涙をこぼす。ごしごしと拭っても止めどなく溢れる涙に私は自分が今の母をどれだけ好きだったのか分かった気がした。滲む視界はいくら涙を拭ってもきりがない。そんな時だった。ふと、顔を上げた私の目には衝撃を与えるものが入り込んできた。涙を落とすだけの装置に成り果てていた瞳を目一杯に見開く。視界の暴力、だとはさすがに声には出さなかったけれど。
「まぁまぁまぁ! なんて可哀想なのかしら! 大丈夫よ! お姉様の子は私の子ですからね! 私に任せてちょうだい! 」
目の前に立っていたのはドレスを着て、ゴーグルに頭をすっぽりと包まれた女の人。葬儀場であることを無視した独特のファッションに動揺が一周回って、映画を観ているかのように頭は冷静だった。
「…………あの、」
「大丈夫よ! 大丈夫! あなたは何も心配しなくていいの! 」
意思の疎通を図る私にその人は一方的に喋り、そして抱きしめた。ドレスが床に付くことも厭わずしゃがんで、強く、強く。異様な風貌をした自称、私の母の妹。知らない人からの突然の抱擁は私を驚かせると同時に警戒させるはずだった。しかし私は抱きしめられたままの状態で抵抗の一つもしなかった……出来なかった。私を抱きしめるその身体が震えていることがすぐに分かったからだった。
「……おかあさんが亡くなりました」
「、そうね」
「おかあさんのことを悲しんでくれて、ありがとうございます」
言葉を返すように抱擁がきつくなる。先程まで感じていた行き場のない恨みや憤りが、予想外に浴びせられた慈しみによって雪がれていくようだった。再び溢れてきた涙が視界を滲ませる。
「ねえ、これを使いなよ」
泣き続ける私に降ってきた幼いけれどしっかりとした声。瞬きを何度か繰り返した後、私は女性の肩口から顔を出した。そこには吸い込まれそうな真っ黒な瞳をした男の子がいた。肩より少し短い瞳と同じ黒い髪は、烏の濡羽色というのがしっくりくる。人形のように整った顔立ちをしていた。
男の子は私にハンカチを差し出してくれていた。真っ白なそれを受け取ることが私には出来なかった。私の両手は女の人の抱擁で塞がれていたままだった。どうしよう、と思っていると男の子が、ああ、と声を出した。
「……目、瞑って」
「え、」
「いいから」
「……うん」
言われるがままに目を瞑ると柔らかい布の感触が目蓋にあった。男の子が私の涙を拭いてくれたのだ。その度に新しく溢れてしまう涙も飽くことなく丁寧に拭ってくれた。それだけで何か大切なものが救われたような気がした。
「……ありがとう」
「うん」
男の子が離れたてしばらくしてから、女の人は抱擁を解いた。そして私の肩に手を置いた。細くて美しい指。ゴーグルで顔が分からないけれど、きっとその素顔は綺麗なのだろう。
「私達と一緒に帰りましょう。お姉様の分まで私があなたを愛し、育てます」
穏やかに真っ直ぐに伝えられた言葉は母を思い起こさせた。前世と今世のどちらだろう。もしかするとそのどちらもなのかもしれないと思った。無償の慈しみを受け取り、私は頷いた。
「私はキキョウ。あなたのお母様の妹です。この子はイルミ。あなたのお兄様になる子よ」
母の妹のキキョウ、そしてその息子のイルミ。二人の名前を頭の中で反芻する。キキョウという名前の響きが懐かしくて、遠くの故郷を思い出した。キキョウさんが私とイルミくんの間を取り持つように握手をさせる。イルミくんは大きな瞳で静かに私を見ていた。
葬式終了後、キキョウさんの後ろをイルミくんに手を引かれ辿り着いたのは恐ろしく大きな御屋敷。目を見開いて御屋敷と対峙する私は、出された夕食が原因で三日三晩生死の境を彷徨うことを知らなかった。
病気で眠るように死んだ。
五歳の時に感じた二度目の絶望を私はこれからもずっと忘れることができないだろう。
***
かつて私はどこにでもいるような大学生だった。受験戦争を首の皮一枚で生き抜いた先にあったのは、程々に力を抜いた勉強とバイトに精を出す毎日。昔想像していたよりも大学生活はずっとシビアなもので(特に親からの仕送り額が)明日まで食つなぐことが何よりの使命。私には十ほど年の離れた兄が居て、華やかに見えた大学生活も裏ではこんなに大変だったのかと騙された気分で最初は愚痴しか出なかった。毎月口座を確認してはきっちり振り込まれた二千円にふざけていると憤慨するのがお決まりのパターンだった。
なんの変哲もない日になるはずだったあの日もバイトでくたくたの体を引きずりながらの帰宅。いつものように新聞受けを確認して、鍵を開けようとしたところで何やら違和感があって首を傾げた。
そんな違和感も疲れた目の錯覚だろう、と。ろくに働いていない思考で結論付けた私は、無意識に話題のドラマの主題歌を口ずさむくらいにはご機嫌だった。右手に持つレジ袋を見てニンマリと笑ってみせた。給料日も近かったこともあり少しお高めのスイーツを帰宅途中にあるコンビニで買った。甘いものが何よりも好きな私としては最高のご褒美だったのだ。
リビングでスイーツを食べる数秒後の自分を想像して愉快な気持ちになる。そんな当たり前を享受できることを幸せなのだと今の私には断言できる。
鍵を鍵穴に挿して一回転。鍵が掛かったことに心臓が一度だけ大きくドクリと跳ねた。何かに動かされるように身体は動作を継続する。もう一度鍵を鍵穴に挿して一回転。鍵の開く音がした。
これまでに鍵の閉め忘れをしたことは数回あった。しかし数ヶ月前に様子を見にやってきた母に怒られてからは懲りて一切なくなったのだ。
母の忠告が警報のように脳を揺さぶった。
そこにあるはずのない黒い影に心臓が冷えたのをはっきりと覚えている。
ドアノブを回したところにいたのはまさかの知らない男だった。どっと噴き出る汗、浅い息、チカチカと明滅する視界。危険を察知した身体は明らかな異常を訴えていた。
一瞬のうちに喉が乾き、呂律が回らなかった。
「…ちょっ…ちょっと、あ」
きらめく刃に目が眩んだ。
現実味のない出来事に出てきた言葉はなんともしまらないもので。抵抗も何もあったものではない。
強盗に刺されて享年二十歳。あっけなく私は死んだ。
***
強盗の凶刃により命を落とし、再び人間として生を受け五年。唯一の家族である母を無くして、途方に暮れたままの私を時間も周囲も待つことはなかった。
村の大人達の手によって葬式は速やかに執り行われた。別れを言う時間すら僅かなものだった。私ばかりどうして、存在するのかも定かではない神への抗議と恨みを込めて空を睨んだのもしょうがないことではないかと思う。
私は二周目の人生になっても奪われ続けることに自棄になっていた。
今世の母の死は形式的に悲しまれるだけだった。義務だからしているみたいな周りの人達の態度に唇を噛んだ。お前達はきっと三日も経てば母の死を過去のものにするのだろう、と。そんなことを勝手に思っては勝手に傷ついた。前世、社会人になる前に死んだ私は中途半端に大人になれずにいたのだろう。子どもにもなりきれないのに、幼い身体に精神は感化されているのか、意思とは反対にボロボロと涙をこぼす。ごしごしと拭っても止めどなく溢れる涙に私は自分が今の母をどれだけ好きだったのか分かった気がした。滲む視界はいくら涙を拭ってもきりがない。そんな時だった。ふと、顔を上げた私の目には衝撃を与えるものが入り込んできた。涙を落とすだけの装置に成り果てていた瞳を目一杯に見開く。視界の暴力、だとはさすがに声には出さなかったけれど。
「まぁまぁまぁ! なんて可哀想なのかしら! 大丈夫よ! お姉様の子は私の子ですからね! 私に任せてちょうだい! 」
目の前に立っていたのはドレスを着て、ゴーグルに頭をすっぽりと包まれた女の人。葬儀場であることを無視した独特のファッションに動揺が一周回って、映画を観ているかのように頭は冷静だった。
「…………あの、」
「大丈夫よ! 大丈夫! あなたは何も心配しなくていいの! 」
意思の疎通を図る私にその人は一方的に喋り、そして抱きしめた。ドレスが床に付くことも厭わずしゃがんで、強く、強く。異様な風貌をした自称、私の母の妹。知らない人からの突然の抱擁は私を驚かせると同時に警戒させるはずだった。しかし私は抱きしめられたままの状態で抵抗の一つもしなかった……出来なかった。私を抱きしめるその身体が震えていることがすぐに分かったからだった。
「……おかあさんが亡くなりました」
「、そうね」
「おかあさんのことを悲しんでくれて、ありがとうございます」
言葉を返すように抱擁がきつくなる。先程まで感じていた行き場のない恨みや憤りが、予想外に浴びせられた慈しみによって雪がれていくようだった。再び溢れてきた涙が視界を滲ませる。
「ねえ、これを使いなよ」
泣き続ける私に降ってきた幼いけれどしっかりとした声。瞬きを何度か繰り返した後、私は女性の肩口から顔を出した。そこには吸い込まれそうな真っ黒な瞳をした男の子がいた。肩より少し短い瞳と同じ黒い髪は、烏の濡羽色というのがしっくりくる。人形のように整った顔立ちをしていた。
男の子は私にハンカチを差し出してくれていた。真っ白なそれを受け取ることが私には出来なかった。私の両手は女の人の抱擁で塞がれていたままだった。どうしよう、と思っていると男の子が、ああ、と声を出した。
「……目、瞑って」
「え、」
「いいから」
「……うん」
言われるがままに目を瞑ると柔らかい布の感触が目蓋にあった。男の子が私の涙を拭いてくれたのだ。その度に新しく溢れてしまう涙も飽くことなく丁寧に拭ってくれた。それだけで何か大切なものが救われたような気がした。
「……ありがとう」
「うん」
男の子が離れたてしばらくしてから、女の人は抱擁を解いた。そして私の肩に手を置いた。細くて美しい指。ゴーグルで顔が分からないけれど、きっとその素顔は綺麗なのだろう。
「私達と一緒に帰りましょう。お姉様の分まで私があなたを愛し、育てます」
穏やかに真っ直ぐに伝えられた言葉は母を思い起こさせた。前世と今世のどちらだろう。もしかするとそのどちらもなのかもしれないと思った。無償の慈しみを受け取り、私は頷いた。
「私はキキョウ。あなたのお母様の妹です。この子はイルミ。あなたのお兄様になる子よ」
母の妹のキキョウ、そしてその息子のイルミ。二人の名前を頭の中で反芻する。キキョウという名前の響きが懐かしくて、遠くの故郷を思い出した。キキョウさんが私とイルミくんの間を取り持つように握手をさせる。イルミくんは大きな瞳で静かに私を見ていた。
葬式終了後、キキョウさんの後ろをイルミくんに手を引かれ辿り着いたのは恐ろしく大きな御屋敷。目を見開いて御屋敷と対峙する私は、出された夕食が原因で三日三晩生死の境を彷徨うことを知らなかった。
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