突然始まったJK生活と隣の席の四十物くん
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『全てが嫌で嫌で嫌で、私は逃げ出したかったのです。現状を否定して自分を押し込める行為は、緩やかな自殺と何も変わりはありませんでした』
episode 1
「____このエピソードから分かるように、当時も在原業平はプレイボーイと名高かった。それはもう先生と同じように……苦笑いしか返ってこないとはどういうことだ」
人工的な明かりが私の意識をここへ引っ張り出した。しばらくぼんやりと見るもの聞くものを受け取って、なんだ夢か、と奇妙な現状を結論付けた。その根拠は私は社会人であること。そして社会の歯車役をバリバリ毎日全うしていることにある。間違っても中高生の先生にありがちな-四点のジョークを聞き流す日々ではない。
目の前で授業をしている先生に残念ながら見覚えはないけれど、その類型に当てはまるのは学生時代に何人も見てきた。くだらない冗談を言って場がしらけるのがお決まりのパターン化してるやつ。もう何年にも前になるけど皆元気かな。元気なんだろうなあ。
生徒に視線を移すと居眠りする子、真剣に話を聞く子、ノートに落書きをする子。後ろの席だからよく見える。自分はとりあえずノートだけは取るタイプだったことを思い出し、なんだか懐かしいような気持ちになった。そこにあるのはありふれた典型的とも言える授業風景だった。本来社会人であるはずの私が学生であることを除けば、本当にリアルな夢の世界だ。それにしても今更こんな夢を見るなんて一体どういうことだろう。最近仕事が忙しかったから、現実逃避に学生時代回帰願望を持ってしまったのだろうか?大学じゃなくて高校っぽいのが余計とそれっぽい、なんて。
ふと見た私の手元には…………何も無い。筆箱、ノート、教科書の三点セットは授業に必須だろう。夢の中の私は随分と不真面目らしい。何だかきまりが悪いような気になって、机の中を探ってみるも何もなし。それならば、と机横にかかっているスクールバッグを開けるもそこに入っていたのは財布と定期とスマホに鍵、あとは化粧ポーチのみだった。これはひどい。
「……ねえ、ルーズリーフとシャーペン。あったら貸してくれない?」
夢の中の自分の尖りように落胆した私は、どうせならとことん学生になりきってやろう、そう思って隣の席の男の子に声をかけた。角の席だった私がその子に声を掛けたのは必然であり偶然だった。
「…………え」
何気ない声掛けのつもりだった。しかし私のそんな思いとは裏腹に、その子は酷く驚いたように固まってしまった。そこで感じたのは僅かな違和感。それにどうしたものかと思っていると、何故か教室中の視線が私達に集まっていた。その子は身体を震えさせる。それに対して口を開こうと思った瞬間だった。
「そんな奴から借りるとナルシストが移っちゃうよー?」
悪意のある声はよく通る。誰が発したのかは分からないけれど、その瞬間教室に笑いの渦が巻き起こった。気持ち悪い、そんな声も聞こえた。私はようやく違和感の正体を理解した。
隣の子は可哀想なくらい顔面蒼白になって、見ているこっちが心を痛めるような有様だった。私が声を掛けたせいで。罪悪感に思考が沈んでいく。
そんな私の意識を引き戻したのは前の席の女の子だった。
「アンタがアイツに声を掛けるなんてね……アンタは影響力あるんだから、他の奴が必要以上に悪ノリするでしょ?今まで通り干渉しないのがアンタの最適解」
言われたことの意味が分からなくて当惑する。私の無理解も無いものとして、その子は私にシャーペンとルーズリーフを私に渡してくれようとした。その子は隣の子に対して明確な悪意を示していないことだけは何となく分かった。それでも。受け取る前に視界に入ったのは、依然として震える隣の子の身体。私は衝動的に差し出されたそれら拒絶していた。
「私は、君に、借りたいの」
再び私は隣の子に声を掛ける。その瞬間教室は静まり返った。数秒後に先生が気まずそうに授業を再開した。目を見開いたその子の美しい紫がかった青色の瞳が印象的だった。
***
話によると夢の中の私は勘解由小路という物々しい苗字を与えられていて、家柄が良く、容姿端麗、特定の誰かと絡むこともない、絵に描いたような高嶺の花だということだった。現実の自分とのあまりの乖離にチベスナ顔になってしまったのは致し方ないだろう。鏡を見ると確かに顔が変わっていた。女優顔、モデル顔とでも言おうか。さすが何でもありの夢の世界だ。
そして隣の席の子、四十物十四くん(勘解由小路まではいかないものの変わった名前だ)は思った通り虐めにあっていた。授業以来あまりその様子がないのは、今まで無関心だった私が虐めに反対とも見える立場を示したからだということ。昼休みの時間を使ってそれらを教えてくれたのは、前の席の有沙ちゃんだった。有沙ちゃんは虐めに反対することを表立ってしていなかったものの、辟易していたらしい。
「にしても、今日のアンタはどうしたのよ、ポヤポヤしちゃって。いつも何にも興味ないって顔してツンと澄ましてたじゃない」
「えっと……あはは」
「天下の勘解由小路サンはあははなんて言わないわよ……はあ、何があったか分からないけど、困ったことがあったら言いなさい。今のアンタ見てると心配でこっちの調子が狂っちゃうから」
じとりとこちらを見てくる有紗ちゃんに誤魔化せていないことを悟るも、有紗ちゃんはそれ以上突っ込んでくることはなかった。パックジュースを力強くすする動作は有紗ちゃんの消化不良をそのまま表しているようで私は苦笑いする。私にこの身体……勘解由小路さんの設定がイマイチ馴染んでないのだからしょうがない。ご迷惑をおかけします。
それから有紗ちゃんと他愛のない話を続けていたら(そんなのも現状把握には大いに役立った)席を空けていた四十物くんがいくつかのパンを抱えて戻ってきた。購買に行っていたらしい。私が有紗ちゃんと行った時には見かけなかったから、おそらく行き違いになったのだろう。
「四十物くん、さっきはいろいろ借りちゃってごめんね。ありがとう、助かったよ」
昼休みは教室にいない生徒や特有のざわつきがあって、先程みたいに視線が集まってこないことに胸をなで下ろした。授業後はゆっくりお礼を言える雰囲気ではなかったから、丁度よかった。
「……」
ただ、四十物くんは言葉を返してこない。どうしたんだろうと思い、視線を上げると四十物くんとバッチリ目が合った。零れんばかりに見開かれているキャンディのような瞳。しかしその後すぐに目は逸らされた。
「我に救世主の如き働きをしたつもりはない。当然のことをしたまで」
「それでもありがとう。あ、さっき購買でマカダミアチョコ買ったから、お礼に一つどうぞ」
箱を開けて、取り出したチョコを四十物くんの手のひらに乗せた。半ば強制のようになってしまったけれど、受け取ってくれるようだった。
「……有難く、頂戴する」
「うん」
四十物くんがチョコを食べている姿が小動物じみていて可愛い(四十物くんはきっと母性が何かを擽る機能を搭載しているに違いない)、そう思いながら眺めていると額に鈍い衝撃が走った。
「痛い、有紗ちゃん」
突然のチョップに抗議の眼差しを送ると、そんなに痛くしてないわよ、なんて当然のことをしたように返された。確かに今の痛いはどちらかというと反射的なものだったけれど。有紗ちゃんの中では先程の説明にあった勘解由小路の名前はあってないようなものらしい。
「そんなことより。何アンタは四十物の不思議言語と会話できてんのよ」
思わず四十物くんと顔を見合わせた。しかし
またすぐに逸らされてしまった。ただ、有紗ちゃんの疑問に対する答えは簡単だった。
「知り合い(会社の同僚)が四十物くんと同じ言語を使ってるから」
彼は毎日ガイアの囁きと共に出社して、ハデスの導きと共に退社する。始めは驚かれたものの今では社内名物の地位を確立した。隣のデスクだから彼とはよく喋る。この間はデーモンと闘っていたのだとか。閣下?と聞いたら怒られたのは余談である。
「……はあ、今日一日でアンタがより分からなくなったわ」
「右目が…!疼く……!」
「四十物言語を真似しないの」
「……ソナタも我と同じ月からの使者…?」
おずおずと四十物くんも入ってきた。ちょっと遠慮が見えるのが可愛い。四十物くんは背がかなり大きいこともあって、可愛いと言うのは間違いかもしれないけれど可愛い。この数時間で四十物くんは私の中で絶対的な地位を確立しつつある。初めの放っておけない印象のせいだろうか。
「ほら、乗っかるから」
「ムーンライト伝説」
「収集つかないから!」
ムーンライト伝説は某月の戦士のものだったのだけれど、有紗ちゃんの世代ではないらしい。歳をとったことを間接的に感じてしまい、少しだけ傷ついたのは秘密である。
***
夢というのは体感時間が当てにならない。だからこちらの意識が長いことあるように思えても、目覚めた時には大したことなかったりする。今回もそのパターンだろう。そもそも目覚めた時には何があったのか一欠片だって思い出せないかもしれないのだ。
久しぶりの学生生活を思いの外満喫しているうちに放課後になった。早々に設定上の家に帰る気も起きず、有紗ちゃんの誘いを申し訳ないけれど断って、教室に残ることにした。夕焼けに染まった教室は何故だか私を感傷的にさせる。学生時代というのは現実では帰ることが出来ない、完全なる過去だからだろうか。
教室には私一人だけだった。だから扉が開く音に反応したのは反射で、そこには四十物くんがいた。
四十物くんは身体を一瞬強ばらせたけれど、私と認識したからか少し肩の力を抜いたように見えた。四十物くんは動作こそ小動物じみているけれど、その顔は彫刻のように端正で美しい。
「四十物くんも帰ってなかったんだね。教室には用事?」
四十物くんは戸惑いが見える調子で私に近付き、ある程度距離がある位置で止まった。
「…………あの、」
今までの口調と違うことを感じた私は首を傾げる。そしてできるだけ柔らかい声を意識して続きを促した。四十物くんは迷っていたようだったけれど、口を開くことを選んだ。
「……どうして、今日……自分に話し掛けたんっすか。だって……勘解由小路さんは、勘解由小路さんは、」
「……うん」
「……今まで自分にも、というか、全部に興味がないっていうか……つまり、全部がどうでもいいっていうか、無関心で」
勘解由小路さんのイメージは本当に、有紗ちゃんが教えてくれた通りらしい。心の動きが少ないというか、冷たい……?いや、それとはまた別に人間としての欠陥、罅があるような。夢の中の設定であるはずなのに、なぜだかそれが悲しいことのように思えた。
「……四十物くんは、今日の私の行動は迷惑だった?」
多くのように大人になって処世術がある程度身についた私。それでも人の心の機微が全て分かるわけではなかった。だからこそ、私の行動は四十物くんにとってお節介で、要らないもので、厄介でしかない可能性が怖かった。
ただ、気を遣ったのかもしれない、それでも四十物くんは首を横に振ってくれた。たったそれだけの動作が私の心を軽くしたのは事実だった。
「迷惑なんかじゃないっす……ただ、勘解由小路さんと話したい人は沢山いて、それでも近寄れなくて……なんで自分なんかに話し掛けてくれたのか、分からなくて、勘解由小路さんからしたらただの気紛れなのかもしれないっすけど……」
「……確かに、今までと正反対の態度を取られたら気味が悪いというか、意味が分からないよね」
「気持ち悪いなんて……!そんな、ことはないっす」
必死とも言える形相で否定してくれる四十物くんは根が優しい子なのだろう。今のは言葉の綾というか、その程度のものだったというのに。
「ありがとう……でも、四十物くんに声を掛けたのは、特に大層な理由がある訳じゃないよ」
「……そうなん、すか」
「でも、四十物くんと話せて良かったのは本当。楽しかったし……四十物くんって見た目はかっこいいのに、中身が可愛いから……なんて、男子高生に可愛いは嬉しくないかな」
年の離れた弟がいたらこんな感じなのだろうか、そんなことを思いながらごめんね、そう謝った。四十物くんは呆然としている。本当にごめん、夢の中だからおばちゃんはっちゃけちゃったの。
「……かっこいい……それで、可愛い?」
「正直に言えば、四十物くんって小動物みたいなところがあるから」
「…………なんすかそれ……なんすかぁ…………」
私はギョッとした。四十物くんの声が涙を帯びているように思った矢先のことだった。耐えきれないとでと言うように四十物くんの目から大粒の涙が零れ出したのだ。
「えっ……ごめんね、私のせい……?ごめんね…!」
「……うぅ……ううー……ん、う」
混乱してごめんねを繰り返す私と、唇を噛み喃語のような発音の四十物くん。カオスがここに。
「……あっ、ほら、ハンカチ…!」
わたわたとする中でポケットを探ると、運良くハンカチがあった。そのすべらかさに金額を予想してしまう下世話な私が顔を出しかけるも、搔き消し、立ち上がって、ハンカチで四十物くんの涙を拭った。
「うう、んん……う」
四十物くんが落ち着きかけたのをきっかけにハンカチを四十物くんに渡す。ハンカチを握りながら鼻を啜る四十物くんの目は依然として潤んだままだ。
「……それで、どうして泣いちゃったの?何か私がしてしまったなら、ごめんなさい。今度から気を付けるから、原因を教えてくれたら嬉しいんだけど……」
化粧ポーチの中に入っていたティッシュも四十物くんに渡して、どれくらい経っただろうか。四十物くんは目は赤いけれど、何とかまた話せる状態になった。
「…………勘解由小路さんは、自分に、優しくて……気持ち悪いって、言わなかった、か、ら…………」
四十物くんの言ったことを脳内で復唱する。それはつまり。私が四十物くんに酷いことをしてしまったのではなく。
「……嬉し泣き?」
「…………そう、っす」
明かされたのは予想だにしない、気の抜けてしまう事実で。身構えた分、私は思わず笑ってしまった。
「…………ふふ、」
「かでの、こう、じさん?」
「本当に四十物くんは予想外というか、可愛いなあって」
こんな子が近くにいたらねこっかわいがりするのに、なんて。虐めている人達は四十物くんの何を見てきたのだろう。節穴すぎる。私なんか四十物くんを前にしたら、思わず可愛いって単語が口からポロポロ零れてしまうのに。
「……可愛いより、かっこいいの方が、嬉しいっす」
「かっこいい、かっこいい」
「小動物、を見る目じゃないっすかぁ」
「ソンナコトナイヨー」
「ほら!声が嘘っぽい!」
どうやら、四十物くんは早くも私の心を正確に読み取る能力を得てしまったらしい。私は追求を逃れるため、話題を変えることにした。
「そう言えば、四十物くんが教室に戻ってきたのって何の用事だったの?」
その途端四十物くんは先程までの勢いをなくして、どこかしょぼくれた雰囲気をまとってしまった。心に焦りが波紋のように広がっていくと同時に、悪い予感が胸を掠める。そしてそれは当たっていた。
「……靴が、」
「靴?」
「帰ろうと思ったら、下駄箱になくて……探しに来たっ、す」
四十物くんに対する虐め、それを直接見ることになって息を飲んだ。どこまでも幼稚で下らない行為。それがどれだけ人の心を傷付けるのか、少し想像すれば分かるはずなのに。
「…………一緒に、探してもいい?」
「……勘解由小路さんに、得なんてないっす、けど」
四十物くんを卑屈にさせてしまったのは、彼と同い年のクラスメイト達だ。四十物くんが最初は変わった喋り方をしていたのは、素を見せないことの自己防衛のためだったのかもしれない、ふと、そう思った。
「得だったら、充分過ぎるほどあるよ」
「……え、」
「探してる間に、四十物くんのことを私に教えて欲しいな」
四十物くんは何か言う代わりに首を縦に振ることで返事をしてくれた。
靴が無事見つかって別れる前、四十物くんが明日も話していいか、そんなことを問うものだから私は当たり前だと言って頷いたのだった。
episode 1
「____このエピソードから分かるように、当時も在原業平はプレイボーイと名高かった。それはもう先生と同じように……苦笑いしか返ってこないとはどういうことだ」
人工的な明かりが私の意識をここへ引っ張り出した。しばらくぼんやりと見るもの聞くものを受け取って、なんだ夢か、と奇妙な現状を結論付けた。その根拠は私は社会人であること。そして社会の歯車役をバリバリ毎日全うしていることにある。間違っても中高生の先生にありがちな-四点のジョークを聞き流す日々ではない。
目の前で授業をしている先生に残念ながら見覚えはないけれど、その類型に当てはまるのは学生時代に何人も見てきた。くだらない冗談を言って場がしらけるのがお決まりのパターン化してるやつ。もう何年にも前になるけど皆元気かな。元気なんだろうなあ。
生徒に視線を移すと居眠りする子、真剣に話を聞く子、ノートに落書きをする子。後ろの席だからよく見える。自分はとりあえずノートだけは取るタイプだったことを思い出し、なんだか懐かしいような気持ちになった。そこにあるのはありふれた典型的とも言える授業風景だった。本来社会人であるはずの私が学生であることを除けば、本当にリアルな夢の世界だ。それにしても今更こんな夢を見るなんて一体どういうことだろう。最近仕事が忙しかったから、現実逃避に学生時代回帰願望を持ってしまったのだろうか?大学じゃなくて高校っぽいのが余計とそれっぽい、なんて。
ふと見た私の手元には…………何も無い。筆箱、ノート、教科書の三点セットは授業に必須だろう。夢の中の私は随分と不真面目らしい。何だかきまりが悪いような気になって、机の中を探ってみるも何もなし。それならば、と机横にかかっているスクールバッグを開けるもそこに入っていたのは財布と定期とスマホに鍵、あとは化粧ポーチのみだった。これはひどい。
「……ねえ、ルーズリーフとシャーペン。あったら貸してくれない?」
夢の中の自分の尖りように落胆した私は、どうせならとことん学生になりきってやろう、そう思って隣の席の男の子に声をかけた。角の席だった私がその子に声を掛けたのは必然であり偶然だった。
「…………え」
何気ない声掛けのつもりだった。しかし私のそんな思いとは裏腹に、その子は酷く驚いたように固まってしまった。そこで感じたのは僅かな違和感。それにどうしたものかと思っていると、何故か教室中の視線が私達に集まっていた。その子は身体を震えさせる。それに対して口を開こうと思った瞬間だった。
「そんな奴から借りるとナルシストが移っちゃうよー?」
悪意のある声はよく通る。誰が発したのかは分からないけれど、その瞬間教室に笑いの渦が巻き起こった。気持ち悪い、そんな声も聞こえた。私はようやく違和感の正体を理解した。
隣の子は可哀想なくらい顔面蒼白になって、見ているこっちが心を痛めるような有様だった。私が声を掛けたせいで。罪悪感に思考が沈んでいく。
そんな私の意識を引き戻したのは前の席の女の子だった。
「アンタがアイツに声を掛けるなんてね……アンタは影響力あるんだから、他の奴が必要以上に悪ノリするでしょ?今まで通り干渉しないのがアンタの最適解」
言われたことの意味が分からなくて当惑する。私の無理解も無いものとして、その子は私にシャーペンとルーズリーフを私に渡してくれようとした。その子は隣の子に対して明確な悪意を示していないことだけは何となく分かった。それでも。受け取る前に視界に入ったのは、依然として震える隣の子の身体。私は衝動的に差し出されたそれら拒絶していた。
「私は、君に、借りたいの」
再び私は隣の子に声を掛ける。その瞬間教室は静まり返った。数秒後に先生が気まずそうに授業を再開した。目を見開いたその子の美しい紫がかった青色の瞳が印象的だった。
***
話によると夢の中の私は勘解由小路という物々しい苗字を与えられていて、家柄が良く、容姿端麗、特定の誰かと絡むこともない、絵に描いたような高嶺の花だということだった。現実の自分とのあまりの乖離にチベスナ顔になってしまったのは致し方ないだろう。鏡を見ると確かに顔が変わっていた。女優顔、モデル顔とでも言おうか。さすが何でもありの夢の世界だ。
そして隣の席の子、四十物十四くん(勘解由小路まではいかないものの変わった名前だ)は思った通り虐めにあっていた。授業以来あまりその様子がないのは、今まで無関心だった私が虐めに反対とも見える立場を示したからだということ。昼休みの時間を使ってそれらを教えてくれたのは、前の席の有沙ちゃんだった。有沙ちゃんは虐めに反対することを表立ってしていなかったものの、辟易していたらしい。
「にしても、今日のアンタはどうしたのよ、ポヤポヤしちゃって。いつも何にも興味ないって顔してツンと澄ましてたじゃない」
「えっと……あはは」
「天下の勘解由小路サンはあははなんて言わないわよ……はあ、何があったか分からないけど、困ったことがあったら言いなさい。今のアンタ見てると心配でこっちの調子が狂っちゃうから」
じとりとこちらを見てくる有紗ちゃんに誤魔化せていないことを悟るも、有紗ちゃんはそれ以上突っ込んでくることはなかった。パックジュースを力強くすする動作は有紗ちゃんの消化不良をそのまま表しているようで私は苦笑いする。私にこの身体……勘解由小路さんの設定がイマイチ馴染んでないのだからしょうがない。ご迷惑をおかけします。
それから有紗ちゃんと他愛のない話を続けていたら(そんなのも現状把握には大いに役立った)席を空けていた四十物くんがいくつかのパンを抱えて戻ってきた。購買に行っていたらしい。私が有紗ちゃんと行った時には見かけなかったから、おそらく行き違いになったのだろう。
「四十物くん、さっきはいろいろ借りちゃってごめんね。ありがとう、助かったよ」
昼休みは教室にいない生徒や特有のざわつきがあって、先程みたいに視線が集まってこないことに胸をなで下ろした。授業後はゆっくりお礼を言える雰囲気ではなかったから、丁度よかった。
「……」
ただ、四十物くんは言葉を返してこない。どうしたんだろうと思い、視線を上げると四十物くんとバッチリ目が合った。零れんばかりに見開かれているキャンディのような瞳。しかしその後すぐに目は逸らされた。
「我に救世主の如き働きをしたつもりはない。当然のことをしたまで」
「それでもありがとう。あ、さっき購買でマカダミアチョコ買ったから、お礼に一つどうぞ」
箱を開けて、取り出したチョコを四十物くんの手のひらに乗せた。半ば強制のようになってしまったけれど、受け取ってくれるようだった。
「……有難く、頂戴する」
「うん」
四十物くんがチョコを食べている姿が小動物じみていて可愛い(四十物くんはきっと母性が何かを擽る機能を搭載しているに違いない)、そう思いながら眺めていると額に鈍い衝撃が走った。
「痛い、有紗ちゃん」
突然のチョップに抗議の眼差しを送ると、そんなに痛くしてないわよ、なんて当然のことをしたように返された。確かに今の痛いはどちらかというと反射的なものだったけれど。有紗ちゃんの中では先程の説明にあった勘解由小路の名前はあってないようなものらしい。
「そんなことより。何アンタは四十物の不思議言語と会話できてんのよ」
思わず四十物くんと顔を見合わせた。しかし
またすぐに逸らされてしまった。ただ、有紗ちゃんの疑問に対する答えは簡単だった。
「知り合い(会社の同僚)が四十物くんと同じ言語を使ってるから」
彼は毎日ガイアの囁きと共に出社して、ハデスの導きと共に退社する。始めは驚かれたものの今では社内名物の地位を確立した。隣のデスクだから彼とはよく喋る。この間はデーモンと闘っていたのだとか。閣下?と聞いたら怒られたのは余談である。
「……はあ、今日一日でアンタがより分からなくなったわ」
「右目が…!疼く……!」
「四十物言語を真似しないの」
「……ソナタも我と同じ月からの使者…?」
おずおずと四十物くんも入ってきた。ちょっと遠慮が見えるのが可愛い。四十物くんは背がかなり大きいこともあって、可愛いと言うのは間違いかもしれないけれど可愛い。この数時間で四十物くんは私の中で絶対的な地位を確立しつつある。初めの放っておけない印象のせいだろうか。
「ほら、乗っかるから」
「ムーンライト伝説」
「収集つかないから!」
ムーンライト伝説は某月の戦士のものだったのだけれど、有紗ちゃんの世代ではないらしい。歳をとったことを間接的に感じてしまい、少しだけ傷ついたのは秘密である。
***
夢というのは体感時間が当てにならない。だからこちらの意識が長いことあるように思えても、目覚めた時には大したことなかったりする。今回もそのパターンだろう。そもそも目覚めた時には何があったのか一欠片だって思い出せないかもしれないのだ。
久しぶりの学生生活を思いの外満喫しているうちに放課後になった。早々に設定上の家に帰る気も起きず、有紗ちゃんの誘いを申し訳ないけれど断って、教室に残ることにした。夕焼けに染まった教室は何故だか私を感傷的にさせる。学生時代というのは現実では帰ることが出来ない、完全なる過去だからだろうか。
教室には私一人だけだった。だから扉が開く音に反応したのは反射で、そこには四十物くんがいた。
四十物くんは身体を一瞬強ばらせたけれど、私と認識したからか少し肩の力を抜いたように見えた。四十物くんは動作こそ小動物じみているけれど、その顔は彫刻のように端正で美しい。
「四十物くんも帰ってなかったんだね。教室には用事?」
四十物くんは戸惑いが見える調子で私に近付き、ある程度距離がある位置で止まった。
「…………あの、」
今までの口調と違うことを感じた私は首を傾げる。そしてできるだけ柔らかい声を意識して続きを促した。四十物くんは迷っていたようだったけれど、口を開くことを選んだ。
「……どうして、今日……自分に話し掛けたんっすか。だって……勘解由小路さんは、勘解由小路さんは、」
「……うん」
「……今まで自分にも、というか、全部に興味がないっていうか……つまり、全部がどうでもいいっていうか、無関心で」
勘解由小路さんのイメージは本当に、有紗ちゃんが教えてくれた通りらしい。心の動きが少ないというか、冷たい……?いや、それとはまた別に人間としての欠陥、罅があるような。夢の中の設定であるはずなのに、なぜだかそれが悲しいことのように思えた。
「……四十物くんは、今日の私の行動は迷惑だった?」
多くのように大人になって処世術がある程度身についた私。それでも人の心の機微が全て分かるわけではなかった。だからこそ、私の行動は四十物くんにとってお節介で、要らないもので、厄介でしかない可能性が怖かった。
ただ、気を遣ったのかもしれない、それでも四十物くんは首を横に振ってくれた。たったそれだけの動作が私の心を軽くしたのは事実だった。
「迷惑なんかじゃないっす……ただ、勘解由小路さんと話したい人は沢山いて、それでも近寄れなくて……なんで自分なんかに話し掛けてくれたのか、分からなくて、勘解由小路さんからしたらただの気紛れなのかもしれないっすけど……」
「……確かに、今までと正反対の態度を取られたら気味が悪いというか、意味が分からないよね」
「気持ち悪いなんて……!そんな、ことはないっす」
必死とも言える形相で否定してくれる四十物くんは根が優しい子なのだろう。今のは言葉の綾というか、その程度のものだったというのに。
「ありがとう……でも、四十物くんに声を掛けたのは、特に大層な理由がある訳じゃないよ」
「……そうなん、すか」
「でも、四十物くんと話せて良かったのは本当。楽しかったし……四十物くんって見た目はかっこいいのに、中身が可愛いから……なんて、男子高生に可愛いは嬉しくないかな」
年の離れた弟がいたらこんな感じなのだろうか、そんなことを思いながらごめんね、そう謝った。四十物くんは呆然としている。本当にごめん、夢の中だからおばちゃんはっちゃけちゃったの。
「……かっこいい……それで、可愛い?」
「正直に言えば、四十物くんって小動物みたいなところがあるから」
「…………なんすかそれ……なんすかぁ…………」
私はギョッとした。四十物くんの声が涙を帯びているように思った矢先のことだった。耐えきれないとでと言うように四十物くんの目から大粒の涙が零れ出したのだ。
「えっ……ごめんね、私のせい……?ごめんね…!」
「……うぅ……ううー……ん、う」
混乱してごめんねを繰り返す私と、唇を噛み喃語のような発音の四十物くん。カオスがここに。
「……あっ、ほら、ハンカチ…!」
わたわたとする中でポケットを探ると、運良くハンカチがあった。そのすべらかさに金額を予想してしまう下世話な私が顔を出しかけるも、搔き消し、立ち上がって、ハンカチで四十物くんの涙を拭った。
「うう、んん……う」
四十物くんが落ち着きかけたのをきっかけにハンカチを四十物くんに渡す。ハンカチを握りながら鼻を啜る四十物くんの目は依然として潤んだままだ。
「……それで、どうして泣いちゃったの?何か私がしてしまったなら、ごめんなさい。今度から気を付けるから、原因を教えてくれたら嬉しいんだけど……」
化粧ポーチの中に入っていたティッシュも四十物くんに渡して、どれくらい経っただろうか。四十物くんは目は赤いけれど、何とかまた話せる状態になった。
「…………勘解由小路さんは、自分に、優しくて……気持ち悪いって、言わなかった、か、ら…………」
四十物くんの言ったことを脳内で復唱する。それはつまり。私が四十物くんに酷いことをしてしまったのではなく。
「……嬉し泣き?」
「…………そう、っす」
明かされたのは予想だにしない、気の抜けてしまう事実で。身構えた分、私は思わず笑ってしまった。
「…………ふふ、」
「かでの、こう、じさん?」
「本当に四十物くんは予想外というか、可愛いなあって」
こんな子が近くにいたらねこっかわいがりするのに、なんて。虐めている人達は四十物くんの何を見てきたのだろう。節穴すぎる。私なんか四十物くんを前にしたら、思わず可愛いって単語が口からポロポロ零れてしまうのに。
「……可愛いより、かっこいいの方が、嬉しいっす」
「かっこいい、かっこいい」
「小動物、を見る目じゃないっすかぁ」
「ソンナコトナイヨー」
「ほら!声が嘘っぽい!」
どうやら、四十物くんは早くも私の心を正確に読み取る能力を得てしまったらしい。私は追求を逃れるため、話題を変えることにした。
「そう言えば、四十物くんが教室に戻ってきたのって何の用事だったの?」
その途端四十物くんは先程までの勢いをなくして、どこかしょぼくれた雰囲気をまとってしまった。心に焦りが波紋のように広がっていくと同時に、悪い予感が胸を掠める。そしてそれは当たっていた。
「……靴が、」
「靴?」
「帰ろうと思ったら、下駄箱になくて……探しに来たっ、す」
四十物くんに対する虐め、それを直接見ることになって息を飲んだ。どこまでも幼稚で下らない行為。それがどれだけ人の心を傷付けるのか、少し想像すれば分かるはずなのに。
「…………一緒に、探してもいい?」
「……勘解由小路さんに、得なんてないっす、けど」
四十物くんを卑屈にさせてしまったのは、彼と同い年のクラスメイト達だ。四十物くんが最初は変わった喋り方をしていたのは、素を見せないことの自己防衛のためだったのかもしれない、ふと、そう思った。
「得だったら、充分過ぎるほどあるよ」
「……え、」
「探してる間に、四十物くんのことを私に教えて欲しいな」
四十物くんは何か言う代わりに首を縦に振ることで返事をしてくれた。
靴が無事見つかって別れる前、四十物くんが明日も話していいか、そんなことを問うものだから私は当たり前だと言って頷いたのだった。
2/2ページ