ついた嘘はたった一つだけ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
季節は一つ二つと巡り、春が訪れた。図書館への道は満開に咲く桜の小道があり、眺めていたらいつもより来るのが遅くなってしまった。足を止めてでも見ていたい、抗い難い魅力が桜にはある。桜に惹かれるのは日本人のDNAにきっと刻まれているからなのだろう。日本人は桜を愛している。
既にいつもの席には影があった。少年だと答えを弾き出すまでにそう時間はかからない。柔らかい髪色や髪質、華奢だけれどどこか力強い体格は少年のものだった。しかし見慣れた学生服ではない少年に私は目を丸くしたのだった。
「こんにちは」
傍に行って挨拶をすれば、少年は手元の本に落としていた視線を上げた。人が本を読んでいるのを遮断してしまうのは忍びないことだと思ったけれど、月にたった一度の集いなのだから許してほしい。
「こんにちは……その様子だと、あなたは桜に長いこと目を奪われていましたね」
クスリ、と少年の上品な笑いは全てを見透かしていた。いつもと違う格好_____まるで時代小説やなんかに出てくる書生のような。その格好はただでさえ大人びた少年の笑みを、より大人びたものにしていた。
桜に確かに目を奪われていた自覚があり、目を瞬かせる私の方が精神的には大人だというのに。少年の前では大人の矜恃も形無し、何とかしたいものの半ば諦めているのが現状だ。観念したように口を開く選択肢しか、私には与えられていない。
「どうして分かったんですか」
「髪に、花びらがいくつか」
「えっ」
「ここらの桜は綺麗ですから。時間を忘れてしまうのも分かります」
少年の指摘に慌てて髪の毛に触れるも、どこに付いているのかなんて分かるはずがない。軽く頭を振ってみるも、花びらは落ちてこない。どうしようと心の中で唸ったその時だった。
「ほら、ちょっと屈んで」
「あ、もしかして取ろうとしてくれます?」
「逆に貴女は小生が何の目的も無しに人に屈めと言う、不可思議な人種だとでも?」
そんなことないです、と言うもすぐにどうだか、と肩を竦められる。これ以上引き伸ばすのもどうかと思い、素直に少し屈む。すっと髪を梳く少年の手は、白くて綺麗だった。梳いたあと、また私の髪に触れたのは気の所為だったか。
「取れましたよ」
ほら、と見せられたのは確かに桜の花びらだ。花びらを気付かずにつけたままにしておいて許されるのは、二通りのパターンしかない。何も知らない純真無垢な幼子か、青春物語の登場人物くらいだ。現実に起こるには余りにもベタすぎる……もっとも私自身に起こってしまったからああだこうだ言う権利、私にはないのだけれど。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「それで、その格好はどうしたんですか?」
「気になりますか?」
「とっても」
この際だから、少年の特殊な格好についても聞くことした。いつもなら少年は制服のはずだった。夏服、冬服なんかの違いがあったり、寒い季節はコートやなんかを着ていたけれど。今のような私服にしては些かパンチが強い気もする古き良き着物ではなかった。
「実は私の家は華道の家元でして、午前中に展覧会に行くにあたってこの格好を」
「はえ〜すっごい」
「まあ、嘘ですけど」
「嘘なんかい」
「なかなかのツッコミの反応速度ですね」
「生粋の大阪っ子なので」
「嘘乙」
「その口からネットスラングが飛び出すなんて知りたくなかった……!」
「小生は作家を目指す身ですから、あの手この手で語彙を増やすのですよ」
「それも嘘?」
「さあ、どうでしょう」
テンポの良い会話はなかなかに心地好い。それでも、大体の切り上げ時はわかるというものだ。結局、何が本当で何が嘘かわからないけれど、少年とは割と短いようで長い時間を共にしているつもりだ。いい加減慣れている。
ようやく少年と対面になるいつもの席に座ると、少年はこちらを見ていた。その目線が本に移っていないところを見るに、何か別のことがあるらしい。しかし少年が話し出すまでにはまだ時間がありそうだった。
待つことに決めた私は少年がポロッと言った小説家になりたいという発言を、じっくり考えていた。素直に驚いたものの中々に楽しみだと思う。私自身の一番はそれは夢野幻太郎さんになるのだけれど、あの文集の一番最初にぶっ飛んだ物語を田中太郎といういかにも平凡な名前でかました少年の書く物語は正直気になるのだ。
少年から貰った文集を読み返しても、やはり少年の妖精のような容姿とパワフル全振りの文章はどうにも結び付かない。何度考えても不思議だと思う。
私が一考を終えるのと、少年が何やら行動を起こすのはほとんど同時だった。
おもむろにがさごそと鞄から何やら取り出した少年は、何かを握ったまま私に手を突き出した。
「これ、あげます」
私は言われるがまま反射的に手を差し出し、少年が落としたものを受け取った。
「私の目がおかしくなければ、これは学ランのボタンでは?」
間違いがなければ、少年が以前まで着ていた制服のものと全く同じものだ。少年の意図を探る前に、少しの珍しさからしげしげと眺める私に爆弾が投下される。
「そうです。俗に言う第二ボタンです」
「だいにぼたん?」
「そんな日本語がわからないという顔をしなくても。一般的な第二ボタンですよ。卒業時にあーだこーだされる奴です」
「ほー」
「……人語の理解は」
「できています……けど、どうして私に?というか太郎くんほどの美しい顔の造形をしている方の、第二ボタンを私が持っていることで、著しい損害が私にあるのでは」
「損害?」
眉をぐっと寄せて全面的に理解不能という顔をする少年に言葉を間違えたな、と少しの自己嫌悪に陥る。さっきの私の言葉では、少年を遠ざけるような言い回しに聞こえなくもない。少年のいきなり第二ボタンを渡すという謎行動は、悲しいかな。前世恋愛のれの時も無い寂しい社畜には動揺しか生まなかったのだ。少年の突飛な言動行動に割と慣れたつもりが、まだまだだったらしい。
ただの勘だけれど、次の言葉をちょっとでも間違えたら何か拗れるような気がした。少年と出会ってそこそこ良い友人関係を築けていると勝手に自負する身として、積み上げてきた好感度を崩してしまうのはどうしても避けたい。
というか本当に何故少年は第二ボタンを私に渡したの?何故?何故?
何か言えと訴える少年の目はさながら裁判官で、私は被告人だろうか。何か言うしかないのだ。ここで変な嘘はまずいことはわかる。
まとまっていない頭で勝負に出る私の心の、なんと不安なことか。
「だって、きっとあなたの、太郎くんの第二ボタンを貰いたい人は沢山いるから。私はそれは太郎くんの友だちとして、隣に置いてもらってますけれど。それでも、太郎くんのファンに刺される心配があってですね」
「ファン、刺される」
「……太郎くんはこの世の奇跡とばかりに整った顔をして、言動はこちらを惑わせながらも飽きさせず、憎まれ口を時折叩くものの一緒にいる時間が長ければそれも魅力になるというものです」
「なに、を」
「何が嘘で何が本当かをこちらに悟らせてはくれませんが、性根が優しいことはわかります……現に私は今まで友だちが一人もいなくてつまらない人間なのに、太郎くんは付き合ってくれますから……」
「、」
「つまり何を言いたいかと言いますと、こんなにも素敵な太郎くんは他の大多数から好意の目を向けられているのは明白です。そんな太郎くんから第二ボタンという青春の代名詞を貰う私というのは、その人たちにとって憎悪の対象になります。よって私が太郎くんの第二ボタンを持つことで、私が見知らぬ人に刺される可能性が上がる、と考えたわけです」
つらつらつらつらと、随分と長かったような気がする。焦りと比例するように口が回った。必死で何を言ったかふわふわとしか思い出せないけれど、本当に言いたいことは伝わったと信じたい。これだけ言って伝わってなかったらむしろ泣く。こっちは美形の第二ボタンに動揺しただけなんだ。第二ボタンを神聖化してしまうくらい恋愛偏差値が低いだけなんだ。
ふう、と息をついて少年を見れば何故か撃沈していた。おーい、と言っても顔を上げる気配がない。
「……れませんよ」
「はい?」
「刺されませんし、まず僕にファンはいませんからそのボタンはあなたが持っておいてください」
少年は突っ伏したまま、結局のところボタンの持ち主は少年から私へと移ることになった。何が何だかよくわからないけれど、今更少年にボタンを返しても受け取って貰えないだろうからどうしようもない。
「あと、あなたは」
「どうしたんですか?」
「誰相手にもさっきみたいなこと言うんでしょうが、やめた方がいい。というか止めろ」
「ええ……そうは言っても私の友だちは言ったようにあなただけなので、あなた以外に言うに言えないといいますか……」
「全然わかってない……!そしてそうやってすぐ人を弄び物にする……」
「弄び物って人聞きの悪い……」
「事実だ……!」
「だから、違いますって……!」
どちらも手を引かない攻防から少し経った後、顔を上げた少年の目元はほんのりと赤くて、少しだけ幼く見えた。顰められた表情は、何か言いたいことをぐっと抑えているようにも思えた。
手元でいじっていたボタンを失くさないように、とりあえず筆箱の中に入れた。一般的には第二ボタンは男女の好きの代名詞だけれど、私たちの関係は友人だ。少年から恋愛のあれそれを一切聞いたことのない私は、今回のことを少年からの友情の証として結論づけた。友チョコがあれば友ボタンもあるのだろう。きっと。
とそこで、私は一つ大事なことに思い至ったのだった。
「……ん?第二ボタンということは、もうあなたは高校を卒業したんですか?」
「はい、この春に」
そこそこ衝撃の事実。少年は私の二歳年上だったらしい。精神年齢的に考えると、今までとそこまで変わることはないのだけれど。まだ高校生活が二年残されている私より、なかなかに早い卒業だ。今までどちらも言及してこなかった分、遅れてやってきた驚き。そもそもお互い本名(田中太郎が本名だと正直疑わしい)も年齢も知らないのに、本当によくここまで気を許せたものだ。
「花子さん、あなたは」
「あっ、新高校二年生です。どうもどうも」
「年下……?」
「私もなんの確証もなしに同い年だと思っていたので、びっくりしました。月一で必ず会うのに、本名も年齢すらも知らないってなかなかすごいですよね」
「ん?今のは山田花子は本名じゃないという自供ですか?」
「エッアノーソノー」
「ふふ、いいですよ。僕だって本名じゃありませんから」
「えっ本当に?」
「さあ、どうでしょう」
すっかりいつもの調子を取り戻した少年に、やっぱり落ち着くなあと微笑む。少年は小生意気で大人びているくらいが丁度いい、なんて毒されているのだろうか。
「ところで、花子さん」
「はい?」
「いくつかあるボタンの中で、何故第二ボタンが特別なのかわかりますか?」
家に帰って、筆箱からボタンを取り出した時に少年に言われたことを思い出した。結局教えてくれなかったから、気になってスマホで検索してみた。
そこにあったのは______________________。
既にいつもの席には影があった。少年だと答えを弾き出すまでにそう時間はかからない。柔らかい髪色や髪質、華奢だけれどどこか力強い体格は少年のものだった。しかし見慣れた学生服ではない少年に私は目を丸くしたのだった。
「こんにちは」
傍に行って挨拶をすれば、少年は手元の本に落としていた視線を上げた。人が本を読んでいるのを遮断してしまうのは忍びないことだと思ったけれど、月にたった一度の集いなのだから許してほしい。
「こんにちは……その様子だと、あなたは桜に長いこと目を奪われていましたね」
クスリ、と少年の上品な笑いは全てを見透かしていた。いつもと違う格好_____まるで時代小説やなんかに出てくる書生のような。その格好はただでさえ大人びた少年の笑みを、より大人びたものにしていた。
桜に確かに目を奪われていた自覚があり、目を瞬かせる私の方が精神的には大人だというのに。少年の前では大人の矜恃も形無し、何とかしたいものの半ば諦めているのが現状だ。観念したように口を開く選択肢しか、私には与えられていない。
「どうして分かったんですか」
「髪に、花びらがいくつか」
「えっ」
「ここらの桜は綺麗ですから。時間を忘れてしまうのも分かります」
少年の指摘に慌てて髪の毛に触れるも、どこに付いているのかなんて分かるはずがない。軽く頭を振ってみるも、花びらは落ちてこない。どうしようと心の中で唸ったその時だった。
「ほら、ちょっと屈んで」
「あ、もしかして取ろうとしてくれます?」
「逆に貴女は小生が何の目的も無しに人に屈めと言う、不可思議な人種だとでも?」
そんなことないです、と言うもすぐにどうだか、と肩を竦められる。これ以上引き伸ばすのもどうかと思い、素直に少し屈む。すっと髪を梳く少年の手は、白くて綺麗だった。梳いたあと、また私の髪に触れたのは気の所為だったか。
「取れましたよ」
ほら、と見せられたのは確かに桜の花びらだ。花びらを気付かずにつけたままにしておいて許されるのは、二通りのパターンしかない。何も知らない純真無垢な幼子か、青春物語の登場人物くらいだ。現実に起こるには余りにもベタすぎる……もっとも私自身に起こってしまったからああだこうだ言う権利、私にはないのだけれど。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「それで、その格好はどうしたんですか?」
「気になりますか?」
「とっても」
この際だから、少年の特殊な格好についても聞くことした。いつもなら少年は制服のはずだった。夏服、冬服なんかの違いがあったり、寒い季節はコートやなんかを着ていたけれど。今のような私服にしては些かパンチが強い気もする古き良き着物ではなかった。
「実は私の家は華道の家元でして、午前中に展覧会に行くにあたってこの格好を」
「はえ〜すっごい」
「まあ、嘘ですけど」
「嘘なんかい」
「なかなかのツッコミの反応速度ですね」
「生粋の大阪っ子なので」
「嘘乙」
「その口からネットスラングが飛び出すなんて知りたくなかった……!」
「小生は作家を目指す身ですから、あの手この手で語彙を増やすのですよ」
「それも嘘?」
「さあ、どうでしょう」
テンポの良い会話はなかなかに心地好い。それでも、大体の切り上げ時はわかるというものだ。結局、何が本当で何が嘘かわからないけれど、少年とは割と短いようで長い時間を共にしているつもりだ。いい加減慣れている。
ようやく少年と対面になるいつもの席に座ると、少年はこちらを見ていた。その目線が本に移っていないところを見るに、何か別のことがあるらしい。しかし少年が話し出すまでにはまだ時間がありそうだった。
待つことに決めた私は少年がポロッと言った小説家になりたいという発言を、じっくり考えていた。素直に驚いたものの中々に楽しみだと思う。私自身の一番はそれは夢野幻太郎さんになるのだけれど、あの文集の一番最初にぶっ飛んだ物語を田中太郎といういかにも平凡な名前でかました少年の書く物語は正直気になるのだ。
少年から貰った文集を読み返しても、やはり少年の妖精のような容姿とパワフル全振りの文章はどうにも結び付かない。何度考えても不思議だと思う。
私が一考を終えるのと、少年が何やら行動を起こすのはほとんど同時だった。
おもむろにがさごそと鞄から何やら取り出した少年は、何かを握ったまま私に手を突き出した。
「これ、あげます」
私は言われるがまま反射的に手を差し出し、少年が落としたものを受け取った。
「私の目がおかしくなければ、これは学ランのボタンでは?」
間違いがなければ、少年が以前まで着ていた制服のものと全く同じものだ。少年の意図を探る前に、少しの珍しさからしげしげと眺める私に爆弾が投下される。
「そうです。俗に言う第二ボタンです」
「だいにぼたん?」
「そんな日本語がわからないという顔をしなくても。一般的な第二ボタンですよ。卒業時にあーだこーだされる奴です」
「ほー」
「……人語の理解は」
「できています……けど、どうして私に?というか太郎くんほどの美しい顔の造形をしている方の、第二ボタンを私が持っていることで、著しい損害が私にあるのでは」
「損害?」
眉をぐっと寄せて全面的に理解不能という顔をする少年に言葉を間違えたな、と少しの自己嫌悪に陥る。さっきの私の言葉では、少年を遠ざけるような言い回しに聞こえなくもない。少年のいきなり第二ボタンを渡すという謎行動は、悲しいかな。前世恋愛のれの時も無い寂しい社畜には動揺しか生まなかったのだ。少年の突飛な言動行動に割と慣れたつもりが、まだまだだったらしい。
ただの勘だけれど、次の言葉をちょっとでも間違えたら何か拗れるような気がした。少年と出会ってそこそこ良い友人関係を築けていると勝手に自負する身として、積み上げてきた好感度を崩してしまうのはどうしても避けたい。
というか本当に何故少年は第二ボタンを私に渡したの?何故?何故?
何か言えと訴える少年の目はさながら裁判官で、私は被告人だろうか。何か言うしかないのだ。ここで変な嘘はまずいことはわかる。
まとまっていない頭で勝負に出る私の心の、なんと不安なことか。
「だって、きっとあなたの、太郎くんの第二ボタンを貰いたい人は沢山いるから。私はそれは太郎くんの友だちとして、隣に置いてもらってますけれど。それでも、太郎くんのファンに刺される心配があってですね」
「ファン、刺される」
「……太郎くんはこの世の奇跡とばかりに整った顔をして、言動はこちらを惑わせながらも飽きさせず、憎まれ口を時折叩くものの一緒にいる時間が長ければそれも魅力になるというものです」
「なに、を」
「何が嘘で何が本当かをこちらに悟らせてはくれませんが、性根が優しいことはわかります……現に私は今まで友だちが一人もいなくてつまらない人間なのに、太郎くんは付き合ってくれますから……」
「、」
「つまり何を言いたいかと言いますと、こんなにも素敵な太郎くんは他の大多数から好意の目を向けられているのは明白です。そんな太郎くんから第二ボタンという青春の代名詞を貰う私というのは、その人たちにとって憎悪の対象になります。よって私が太郎くんの第二ボタンを持つことで、私が見知らぬ人に刺される可能性が上がる、と考えたわけです」
つらつらつらつらと、随分と長かったような気がする。焦りと比例するように口が回った。必死で何を言ったかふわふわとしか思い出せないけれど、本当に言いたいことは伝わったと信じたい。これだけ言って伝わってなかったらむしろ泣く。こっちは美形の第二ボタンに動揺しただけなんだ。第二ボタンを神聖化してしまうくらい恋愛偏差値が低いだけなんだ。
ふう、と息をついて少年を見れば何故か撃沈していた。おーい、と言っても顔を上げる気配がない。
「……れませんよ」
「はい?」
「刺されませんし、まず僕にファンはいませんからそのボタンはあなたが持っておいてください」
少年は突っ伏したまま、結局のところボタンの持ち主は少年から私へと移ることになった。何が何だかよくわからないけれど、今更少年にボタンを返しても受け取って貰えないだろうからどうしようもない。
「あと、あなたは」
「どうしたんですか?」
「誰相手にもさっきみたいなこと言うんでしょうが、やめた方がいい。というか止めろ」
「ええ……そうは言っても私の友だちは言ったようにあなただけなので、あなた以外に言うに言えないといいますか……」
「全然わかってない……!そしてそうやってすぐ人を弄び物にする……」
「弄び物って人聞きの悪い……」
「事実だ……!」
「だから、違いますって……!」
どちらも手を引かない攻防から少し経った後、顔を上げた少年の目元はほんのりと赤くて、少しだけ幼く見えた。顰められた表情は、何か言いたいことをぐっと抑えているようにも思えた。
手元でいじっていたボタンを失くさないように、とりあえず筆箱の中に入れた。一般的には第二ボタンは男女の好きの代名詞だけれど、私たちの関係は友人だ。少年から恋愛のあれそれを一切聞いたことのない私は、今回のことを少年からの友情の証として結論づけた。友チョコがあれば友ボタンもあるのだろう。きっと。
とそこで、私は一つ大事なことに思い至ったのだった。
「……ん?第二ボタンということは、もうあなたは高校を卒業したんですか?」
「はい、この春に」
そこそこ衝撃の事実。少年は私の二歳年上だったらしい。精神年齢的に考えると、今までとそこまで変わることはないのだけれど。まだ高校生活が二年残されている私より、なかなかに早い卒業だ。今までどちらも言及してこなかった分、遅れてやってきた驚き。そもそもお互い本名(田中太郎が本名だと正直疑わしい)も年齢も知らないのに、本当によくここまで気を許せたものだ。
「花子さん、あなたは」
「あっ、新高校二年生です。どうもどうも」
「年下……?」
「私もなんの確証もなしに同い年だと思っていたので、びっくりしました。月一で必ず会うのに、本名も年齢すらも知らないってなかなかすごいですよね」
「ん?今のは山田花子は本名じゃないという自供ですか?」
「エッアノーソノー」
「ふふ、いいですよ。僕だって本名じゃありませんから」
「えっ本当に?」
「さあ、どうでしょう」
すっかりいつもの調子を取り戻した少年に、やっぱり落ち着くなあと微笑む。少年は小生意気で大人びているくらいが丁度いい、なんて毒されているのだろうか。
「ところで、花子さん」
「はい?」
「いくつかあるボタンの中で、何故第二ボタンが特別なのかわかりますか?」
家に帰って、筆箱からボタンを取り出した時に少年に言われたことを思い出した。結局教えてくれなかったから、気になってスマホで検索してみた。
そこにあったのは______________________。