ついた嘘はたった一つだけ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
時間軸は本編後
静かな図書館に幻太郎くんの小さな「あ」の音が零れた。いつもの街外れの図書館は休日の夕方という微妙な時間帯のためか私達以外に利用者が見えない。私達はお互いに本を持ち奥まった窓際の席に隣り合って座っている。今日の昼間は晴天だったから皆が外へ出ていた。私達もその中にいたはずなのに最後にはこの図書館に足が向いているのだから、ここまでの足取りが染み付いているのだろうと思う。
来て三十分ほどした頃だろうか。幻太郎くんの様子が僅かに揺らいだ。幻太郎くんがふとした時に零すどこか気の抜けた音は美しい響きをしている。神様のように整った横顔を眺める。私が見つめていることに気が付いた幻太郎くんは、眉をグッと寄せて手で払う仕草をした。不機嫌そうに見える表情を幻太郎くんがしている時、そのほとんどが照れているだけなのだと私は知っている。頬を緩めていると、幻太郎くんは隣に座る私の頬を掴み、声を潜めて言った。
「ここにどうも掴みたくなる頬がありますね」
「……いはい」
「しっかりと喋らないと相手に伝わりませんよ。お馬鹿さん」
私の頬を散々いじくり回して満足したのか幻太郎くんの手は離れたものの、頬は熱を持っている。いつものこととは言え幻太郎くんは美しい顔に見合わずやることは容赦ない。幻太郎くんを前にしたら私の表情はゆるゆるになってしまう為、この反撃を甘んじるしかないのだ。痛いのだと主張するように不機嫌そうに作った顔。それもすぐに元通りにした私は幻太郎くんに尋ねた。
「それで、何を見つけたんですか?」
「……僕が何かを見つけたとは限りませんよ」
「でも、さっき幻太郎くんはあ、って言いました」
「空耳かも?」
「私が幻太郎くんの声を聞き逃すと思ってるんですか?」
「……恥ずかし気もなくそういうことを言えてしまうのがあなただと言うことを失念していました……ほら、これですよ」
何かもにゃもにゃと言っていた幻太郎くんだけれど、素直に読んでいた雑誌の一ページを見せてくれた。今度は私が小さく音を零す。幻太郎くんが読んでいた雑誌には私の絵が掲載されていた。その文芸雑誌は私が少し前にお仕事を受けたところだった。ここ数日別の用事で立て込んでいて忘れていたけれど、発売日が来ていたらしい。書き下ろしの作家の短篇小説に画家が一枚の絵を描くというこの企画は、日本の芸術界隈を賑わせるという目的で始まったのだとか。だから積極的に若い作家と若い画家に依頼しているのだと編集部の担当の人に聞いた。私に声が掛かったのは忘れもしないあの展覧会で担当の人が私の絵を見たからなのだという。
「何だかこうして実際、自分の絵が載っているのを見ると変な感じがしますね。有難いことではあるんですけど」
「間違いなくあなたの絵は素晴らしいです。それを一番理解しているのは僕ですが」
幻太郎くんはいつだって私の絵を肯定してくれる。笑みを浮かべた幻太郎くんを前にあの日の展覧会を思い出す。幻太郎くんに向けてしまった私の臆病な部分、溢れた世界への不信感。あの展覧会を思い出すと今でも少し胸がざわつく。それでも間違いなく私にとって転機だった。
絶たれかけた一本の糸を必死に守り続けてくれた幻太郎くん。そんな人だから幸せにしたい、一緒に幸せになりたいといつも私は願っている。
胸を満たす幻太郎くんが与えてくれた光の思い出。私がしみじみと思っている中、幻太郎くんの頭の中では雑誌のことがとんでもない問題に発展していたのだと数秒後の私は知ることとなる。
「あなたは僕に内緒で知らない男に絵を描いていたんですね」
おもむろに口を開いた幻太郎くんがとんでもないことを言うものだから、夢でも見ているのかと一瞬本気で思ったくらいだった。どこか声も冷たく浮気を疑っているような雰囲気を幻太郎くんは醸し出している。やましいことはしていないはずなのに雰囲気にあてられたのか、次に私の口から零れる言葉は焦っていた。これでは本当にやましいことをした人みたいだ。
「えっと、あの、ですね」
「なんですか?」
「……その言い方だと語弊がある、と思います」
「事実です。あなたが僕に何も言わず他の男に現を抜かしているなんて信じたくありませんが」
「確かに作家さんのペンネームは男の人ですけど……もしかしたら実は女の人……なんてことがあるかもしれないじゃないですか」
「おや、ここで話を捏ねますか? この雑誌のインタビューを見るとどうもその可能性はゼロですけど」
「負けました」
「よろしい」
こうして幻太郎くんとの会話は私にとって全くよろしくない方に着地してしまった。幻太郎くんは無表情で私を見つめている。そんな幻太郎くんにもしかして彼の浮気ラインに抵触してしまったのかもしれない、と、そう私が思い始めたのもしょうがないことだろう。人間関係は事柄によって個人で判断する基準が大きく異なることも珍しくない。本気で焦り始めた私は何も言えずに視線を落とす。そんな私に顔を上げさせたのは耐え切れない、といった様子の幻太郎くんの笑い声だった。
「素直すぎるのも考えものですね」
「今のは意地悪ですか?」
「そうですね。意地の悪い僕の八つ当たりです」
「八つ当たり?」
「はい。僕も最近気が付いたのですが、僕はあなたに相当な独占欲を抱いているようで。あなたの絵に関しても同様です」
独占欲。その言葉をさらりと言う幻太郎くんだけれど、その耳が赤くなっていることはきっと本人はこれからも知らないままなのだろう。幻太郎くんが恥ずかしがって思いを口に出してくれなくなる、なんてそんな勿体ないことを許せるはずがないのだ。それに何より可愛らしいこの癖を隣で見ていたい。幻太郎くんは時折こうして可愛らしい一面をのぞかせる。その度に私は少しの意地悪くらい甘んじて受け入れようという気になってしまうのだ。
「幻太郎くんの小説の挿絵もいつか描きたいです」
「本当でおじゃるか?」
「本当ですよ」
「なら小生もしがない物書きとしてまだまだ頑張らないといけませんね」
「新作楽しみにしています。作家先生」
「私もあなたの新作を楽しみにしています。画家先生」
「一人称の交代が激しいですね」
「はてさて」
静かな図書館に幻太郎くんの小さな「あ」の音が零れた。いつもの街外れの図書館は休日の夕方という微妙な時間帯のためか私達以外に利用者が見えない。私達はお互いに本を持ち奥まった窓際の席に隣り合って座っている。今日の昼間は晴天だったから皆が外へ出ていた。私達もその中にいたはずなのに最後にはこの図書館に足が向いているのだから、ここまでの足取りが染み付いているのだろうと思う。
来て三十分ほどした頃だろうか。幻太郎くんの様子が僅かに揺らいだ。幻太郎くんがふとした時に零すどこか気の抜けた音は美しい響きをしている。神様のように整った横顔を眺める。私が見つめていることに気が付いた幻太郎くんは、眉をグッと寄せて手で払う仕草をした。不機嫌そうに見える表情を幻太郎くんがしている時、そのほとんどが照れているだけなのだと私は知っている。頬を緩めていると、幻太郎くんは隣に座る私の頬を掴み、声を潜めて言った。
「ここにどうも掴みたくなる頬がありますね」
「……いはい」
「しっかりと喋らないと相手に伝わりませんよ。お馬鹿さん」
私の頬を散々いじくり回して満足したのか幻太郎くんの手は離れたものの、頬は熱を持っている。いつものこととは言え幻太郎くんは美しい顔に見合わずやることは容赦ない。幻太郎くんを前にしたら私の表情はゆるゆるになってしまう為、この反撃を甘んじるしかないのだ。痛いのだと主張するように不機嫌そうに作った顔。それもすぐに元通りにした私は幻太郎くんに尋ねた。
「それで、何を見つけたんですか?」
「……僕が何かを見つけたとは限りませんよ」
「でも、さっき幻太郎くんはあ、って言いました」
「空耳かも?」
「私が幻太郎くんの声を聞き逃すと思ってるんですか?」
「……恥ずかし気もなくそういうことを言えてしまうのがあなただと言うことを失念していました……ほら、これですよ」
何かもにゃもにゃと言っていた幻太郎くんだけれど、素直に読んでいた雑誌の一ページを見せてくれた。今度は私が小さく音を零す。幻太郎くんが読んでいた雑誌には私の絵が掲載されていた。その文芸雑誌は私が少し前にお仕事を受けたところだった。ここ数日別の用事で立て込んでいて忘れていたけれど、発売日が来ていたらしい。書き下ろしの作家の短篇小説に画家が一枚の絵を描くというこの企画は、日本の芸術界隈を賑わせるという目的で始まったのだとか。だから積極的に若い作家と若い画家に依頼しているのだと編集部の担当の人に聞いた。私に声が掛かったのは忘れもしないあの展覧会で担当の人が私の絵を見たからなのだという。
「何だかこうして実際、自分の絵が載っているのを見ると変な感じがしますね。有難いことではあるんですけど」
「間違いなくあなたの絵は素晴らしいです。それを一番理解しているのは僕ですが」
幻太郎くんはいつだって私の絵を肯定してくれる。笑みを浮かべた幻太郎くんを前にあの日の展覧会を思い出す。幻太郎くんに向けてしまった私の臆病な部分、溢れた世界への不信感。あの展覧会を思い出すと今でも少し胸がざわつく。それでも間違いなく私にとって転機だった。
絶たれかけた一本の糸を必死に守り続けてくれた幻太郎くん。そんな人だから幸せにしたい、一緒に幸せになりたいといつも私は願っている。
胸を満たす幻太郎くんが与えてくれた光の思い出。私がしみじみと思っている中、幻太郎くんの頭の中では雑誌のことがとんでもない問題に発展していたのだと数秒後の私は知ることとなる。
「あなたは僕に内緒で知らない男に絵を描いていたんですね」
おもむろに口を開いた幻太郎くんがとんでもないことを言うものだから、夢でも見ているのかと一瞬本気で思ったくらいだった。どこか声も冷たく浮気を疑っているような雰囲気を幻太郎くんは醸し出している。やましいことはしていないはずなのに雰囲気にあてられたのか、次に私の口から零れる言葉は焦っていた。これでは本当にやましいことをした人みたいだ。
「えっと、あの、ですね」
「なんですか?」
「……その言い方だと語弊がある、と思います」
「事実です。あなたが僕に何も言わず他の男に現を抜かしているなんて信じたくありませんが」
「確かに作家さんのペンネームは男の人ですけど……もしかしたら実は女の人……なんてことがあるかもしれないじゃないですか」
「おや、ここで話を捏ねますか? この雑誌のインタビューを見るとどうもその可能性はゼロですけど」
「負けました」
「よろしい」
こうして幻太郎くんとの会話は私にとって全くよろしくない方に着地してしまった。幻太郎くんは無表情で私を見つめている。そんな幻太郎くんにもしかして彼の浮気ラインに抵触してしまったのかもしれない、と、そう私が思い始めたのもしょうがないことだろう。人間関係は事柄によって個人で判断する基準が大きく異なることも珍しくない。本気で焦り始めた私は何も言えずに視線を落とす。そんな私に顔を上げさせたのは耐え切れない、といった様子の幻太郎くんの笑い声だった。
「素直すぎるのも考えものですね」
「今のは意地悪ですか?」
「そうですね。意地の悪い僕の八つ当たりです」
「八つ当たり?」
「はい。僕も最近気が付いたのですが、僕はあなたに相当な独占欲を抱いているようで。あなたの絵に関しても同様です」
独占欲。その言葉をさらりと言う幻太郎くんだけれど、その耳が赤くなっていることはきっと本人はこれからも知らないままなのだろう。幻太郎くんが恥ずかしがって思いを口に出してくれなくなる、なんてそんな勿体ないことを許せるはずがないのだ。それに何より可愛らしいこの癖を隣で見ていたい。幻太郎くんは時折こうして可愛らしい一面をのぞかせる。その度に私は少しの意地悪くらい甘んじて受け入れようという気になってしまうのだ。
「幻太郎くんの小説の挿絵もいつか描きたいです」
「本当でおじゃるか?」
「本当ですよ」
「なら小生もしがない物書きとしてまだまだ頑張らないといけませんね」
「新作楽しみにしています。作家先生」
「私もあなたの新作を楽しみにしています。画家先生」
「一人称の交代が激しいですね」
「はてさて」
12/12ページ