「彼女」が「彼」になった理由
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「…………訊くの忘れてた…」
朝の登校時間より早めの時間。昨日借りたままのタオルはことはに洗濯してもらって、ちゃんと乾かした。折り畳んで小さめの紙袋に入れて片手に下げる。
ちゃんと返しに行きたいんだけど…結局、猫のリサちゃんちが何処なのか分かんなくて商店街を彷徨っている私…。
でも、誰に訊けば…って、きっと二年の梶さん達なら知ってるんだろうな…とは思うけど、わざわざ学校行って二年生の教室に行くのもな…っていうのも勇気が要る気がして…。
「……どうしようか…な」
彷徨っていた足は自然に止まって立ち止まる。
「万里ちゃん、そんな所でどうした?」
不意に掛けられた声に顔を上げれば、私は大きい人達に囲まれていた。真ん中の登馬君が不思議そうに見降ろしている。
「あ、登馬君…おはよう…。陽大君と慈円君もおはようございます」
登馬君とその両脇に立つ多聞衆次席の二人、松本 陽大君と柳田 慈円君にも声を掛けた。登馬君ほどでもないけど、一兄ぃや登馬君たちと一緒に居る事が多いと、登馬君と一緒に居る事が多いこの二人とも勿論顔見知り。
「よぅ、如月ちゃん!ってか、本当に風鈴に入学してたんだなっ!」
そういつもの笑顔で楽しそうに笑いながら肩をポンと叩かれる。
「………おはよう。本当に風鈴に入って大丈夫か…?」
ぼそぼそと話す慈円君の声には随分慣れた。
陽大君はどこまでも陽気なお兄ちゃんで、慈円君は物静かだけど優しいお兄ちゃんみたいな人達だ。
「うん。ちゃんと入学したよ。大丈夫だって…あ、でも皆の前では女だって内緒だからね?」
そう言って念を押すと、「分かってるって」と陽大君は笑って、慈円君はこくりと頷いた。
「で?何してたんだ?ってか、昨日梶と一緒に川に飛び込んだって報告を受けたが…大丈夫だったか?」
「あはは…あれ、やっぱり登馬君達にも伝わってたんだ…?うん大丈夫だったよー」
うわ、もうそれは黒歴史…と思いながら笑って誤魔化す。
「そうそう、登馬君達は猫のリサちゃんの家知ってる?知ってたら教えて欲しいんだ。昨日川で濡れた時タオル借りたままになってて…ちゃんとお礼言って返したいんだけど…?」
登馬君達ならこの街にも詳しいし、知ってるかふも…と訊いてみる。
「あー…詳しくは分からんな」
そう言って考え込む登馬君に「そっか、ごめんね」と返事をして返す。
「じゃ、梶にでも訊けば良いんじゃねぇの?」
そう言って当然のように提案してくる陽大君に、「…でも」迷惑だよ…と言いかけるも、既にスマホ片手に何処かに電話をかけていた。その相手は予想通り梶さんだったみたいで…五分後には梶さんが現れた。
「よ、梶。いきなり呼び出して悪い。意外と早かったな」
私達を見つけると足早に駆け寄ってきた梶さんに、陽大君が軽くを振り声をかける。
「……近くに居たんで」
そう答える梶さんは、三人に囲まれている私にちらりと視線を向ける。その視線に気付いてそっと会釈を返した。
「で、朝から悪いが、猫のばぁちゃんちに如月を案内してやってくれねぇか?」
そう説明する登馬君の言葉に「…いいけど」と一言だけ返す梶さん。
「いや、悪いなー。俺らじゃ家詳しく分からねぇからさ。じゃ、如月ちゃんの事たのむな!」
そう言って背中をバシッと叩く陽大君に、少し眉間に皺をよせながら梶さんは頷いた。
「じゃ、行くぞ」そう短く言って歩き出す梶さんに、慌てて三人に向き直って頭を下げる。
「登馬君、陽大君、慈円君、ありがとう。じゃ、行ってきます!」
口早にお礼を言うと、三人共軽く手を振ってくれたので手を振り返しながら踵を返し、先に向かう梶さんに遅れないように駆け足で追いかける。何とか追いついてからも梶さんは歩くのが早くて、私は何とか早足で付いていく。
「あっ、あのっ!昨日借りたままのタオルをちゃんとお礼を言って返したくて…朝から、ご迷惑おかけしてすみませんっ…」
無言で歩く梶さんのどうにか隣をキープしながら声を掛ける。その声に少し足を緩めると、飴を咥えたまま此方に顔を向ける梶さん。
「……別に迷惑じゃない」
予想外の反応が返ってきて、少しだけ嬉しくなると笑みを返す。
「あ、あと…昨日はリサちゃん助けてくれてありがとうございました!そのついでに僕にまで気遣って貰って…ありがとうございます。昨日、ちゃんとお礼言えなかったので…」
そう言って昨日のお礼を続ければ「別にお前の為にやった訳じゃないから、気にしなくていい」ちらっと視線を向けるとそう言ってまた前を向く梶さん。ぶっきらぼうだけど、ちゃんと答えを返してくれる。
「先輩が後輩を助けるのは当然…らしいから、礼なんていい」
「そ、それはダメです!!迷惑掛けたと思ったら『ごめんなさい』助けて貰ったら『ありがとう』を言うのは当然の事ですよ!」
隣を歩く梶さんの袖を掴むと言い返す。その行動と声に少しだけ目を見開いて此方を見る梶さんと、不意にばっちり目が合ってハッとする。慌ててつかんだ袖を離して「ごめんなさい…」と謝った。
「別に……あぁ、分かったから、気にするな」
そう言ってまた前を見る梶さんに、やっぱり優しいなぁと口許が緩むのを感じながら、梶さんの隣を歩いた。
商店街から少し離れた閑静な住宅街に入ると「ここだ」と一軒の家の前で梶さんが立ち止まる。玄関へ行くとインターフォンを鳴らした。
少しすると「はーい、どなた?」とインターフォンから声がしたので朝の挨拶と風鈴高校の者です、と言えば、ドアの向こうからゆっくりしたスリッパ特有の足音と「ちょっと、待ってね」の声と共に玄関の扉が開く。
中から顔を出したのは白髪の優しそうなおばあちゃん。おばあちゃんはまず私の少し後ろに立つ梶さんを見て嬉しそうに笑った。
「あら、梶くん。昨日はリサちゃんを助けてくれてありがとうね。あなたは?」
その後私にも同じ笑顔を向けて、首を傾げる。
「あ、僕は如月っていいます。昨日はタオル貸して頂いたのに、お礼も言えずすみませんでした。あと、タオルありがとうございました。返すのが遅くなってすみません」
頭を下げながら自己紹介し、持ってきた紙袋を差し出した。
「あら、ちゃんとお洗濯までしてくれたのね。それに、あなたね?リサちゃんの為に梶くんと一緒に川に飛び込んでくれたのは…昨日梶くん達から聞いたわ。ありがとう」
優し気な声に顔を上げると真っ直ぐに見つめられて、何となくバツが悪くなる。
「……僕は…結局何も出来なくて…リサちゃんを助けたのも梶さんだし…」
そう自嘲すれば紙袋を持った手が優しく包まれる。
「そんなことないわ。リサちゃんを助けようとしてくれたのよね?その気持ちと行動がすごく嬉しかったのよ。だからありがとうっていうの。ね?ケガはなかった?」
おばあちゃんの笑顔に釣られて、私も笑みを返す。
「…はい、大丈夫です。心配して頂いてありがとうございます」
「そう…良かったわ」
その時おばあちゃんの後ろからニャーと声がして、今日は真っ赤なリボンを結んだリサちゃんが足元に身体を摺り寄せる。
「リサちゃん!……よかった、元気そう」
思わずその場へしゃがみ込むと足元のリサちゃんの白いフワフワした毛に指を絡ませる。そして、そっと毛並みに沿って撫でれば、リサちゃんも気持ちよさそうに目を閉じて今度は撫でる手にスリスリしてきた。
か…可愛いよー…
毛並みの感触と滑らかさについつい両手で撫でまわす。
「リサちゃんも、あなたの事が大好きなのねー」と夢中でリサちゃんを堪能している私の上から声が聞こえてハッと我に返る。
「ご…ごめんなさいっ…つい夢中で…」
そう言いながら名残惜しくリサちゃんから手を離すと、立ち上がる。撫でられるのが止むと同時にリサちゃんは廊下の向こうへ消えた。
「いいのよー。またいつでもリサちゃんに会いに来てね」
「い、良いんですか…?はい、ぜひ!!」
それから少し会話をした後、もう一度お礼を言ってリサちゃん家を後にした。リサちゃんも触れたし、おばあちゃんも元気そうだったし、うん、良かった。
そのままの流れで梶さんと並んで学校へ向かっている…んだけど…会話がない…。このまま無言で歩き続けるのも気まずくて、歩きながら横の梶さんに声を掛けた。
「あ、あの…朝から案内して貰って、本当にありがとうございました。あ…忙しいなら学校先に行って貰って大丈夫ですよ?」
「礼はさっきも言われた。別に忙しくないし…同じ場所行くのに何で先に行くんだ?」
「それは…そうですね」
至極真っ当な答えを受けて、納得するしかない。そして、そのまま無言になってまた歩き続ける。
うん…だからこの沈黙が気まずいんだってば…そう思いながら、後は早く学校へ着くことを祈って少しだけ早足で梶さんに付いていく私。
「………なぁ、お前、何で風鈴に居るんだ?」
「…へ?」
突然投げかけられた言葉に最初理解が追い付かず、間抜けな声を出す。
「昔からよく柊さんや梅宮さん達と一緒に居て見かけた事ある…ヴァイオリンケース抱えた女子…お前だろ?」
「……っ」
予想外の言葉に驚きすぎて息を飲む。自然と足は止まってしまい、此方を見る梶さんも一緒に足を止めて向かい合う形になった。
「……な、何の事…」
「何で、風鈴に入って来たんだ?」
疑問ではあるものの、梶さんは確信している感じで…下手な誤魔化しは効かないのが分かる。
「……えっと……ずっと風鈴入りたかったんで…どうしても入りたくて」
上手く説明も出来なくて、それだけ言うと取り敢えず笑って誤魔化した。
「そうか…」
じっと見つめていた梶さんはポケットから新しい飴を取り出すと口に咥えて再び歩き出した。
「あ…あの、周りの皆には黙ってて貰えませんか?僕が女だって…」
咄嗟に追いかけて腕を掴む。少し驚いたように振り返る梶さんはもう片方の手で飴を取り出すと「別に言いふらすつもりもない」とだけ言ってまた前を向く。
「あ、ありがとうございますっ!」
そう御礼を述べれば「分かったから、離せ」と掴んだ腕をちらりと見やる。
「ご、ごめんなさいっ…」慌てて腕を離す私。
「…取り敢えず、昨日みたいな無茶はするな。困った事があるなら言え、多少なら助けてやる」
「……え?」今日一番の予想外の言葉に、ポカンとして思わず梶さんをガン見してしまう。そんな私の顔を見て、フッと少しだけ笑った梶さんにまた二度目のビックリで…。
「ほら、行くぞ」
「は、はいっ」
その言葉に正気に戻ると、足を早める梶さんと少しだけ開いてしまった距離を急いで追いかけた。
か、梶さんが笑ったトコ、初めて見た……!!
余りにも衝撃だったのと、その優しい言葉についつい頬が緩んでしまう。あぁ、ホント、風鈴の皆は優しいなぁ…そうつくづく思う。
学校に着くと、改めて梶さんにお礼を言って別れ、教室ではなくそのまま音楽室へ来た。
今日の放課後は、杏西君と長門君探しだし、昼休みは昨日目立っちゃったし、まだ時間にも余裕があったから何となくピアノを弾いて気分を落ち着けたかった。
音楽室へ入ると相変わらず窓は全開にする。
今日も小春日和の良い天気で、爽やかな風が吹き抜ける。
ピアノの前へ座ると、何となく静かな曲を弾き始める。
ヨハン・パッハルベルの『カノン』。綺麗で優しい戦慄。カノンはヴァイオリン曲でもあって、ヴァイオリンでもよく弾く曲。
曲も中盤に差し掛かった所で、
「おーい!一・二年の級長、副級長は屋上に集まれーい!!」
突然の大声の放送にビクリと指を止める。一兄ぃ………いきなりの放送は心臓に悪いって……同じようなに考えている登馬君が怒っている声も直ぐに聴こえてくる。
そのやり取りに苦笑いをして、曲の続きを演奏し始める。
級長達を集めるってことは幹部達の顔合わせでもするのかな…?それならまだ朝は余裕がありそうだ。そう思うと、次は何を弾くか考えながら嬉しくなる。
カノンを弾き終えると、次はテクラ・バダジェフスカの『乙女の祈り』。電車の開閉曲とか色々な場面で使われていて親しみやすい、皆何処かできっと耳にした事のある曲。サラッと弾ける曲で、私も好きな曲。
そんな曲を弾き終わると丁度音楽室の入口の扉を開く音がした。入口に目を向ければ三輝君が軽く手を振りながら此方に近付いてくる。
「万里ちゃん、おはよー。昨日はあれから大丈夫だった?風邪とかひいてない?」
笑顔で私の横に立つと、すっと額に心配そうな彼の手が触れた。
「お、おはよ。三輝君。うん、大丈夫。元気だよー」
相変わらず距離が近い…とは思うけど、昨日から心配してくれていたし…笑顔で挨拶をする。
「そっか、良かった」
安心したように微笑む三輝君は、やっぱり王子様みたいだと思う。「どうして此処に?」と訊ねれば、「桜ちゃん達呼ばれちゃったからねー、そしたらピアノ聴こえたから」と隣に椅子を持ってきて座りながら答える。
「あぁ、さっき一兄ぃの放送で呼び出してたね…」
そう言って三輝君の方を見れば、椅子に座り此方をじっと見つめていた。
何だろう…?
「……今朝、万里ちゃん、二年の梶さんと一緒に登校してたよねー?」
「え?」
「丁度、廊下の窓から外見てたから…」
「そうなんだ…うん、今朝成り行きで梶さんに昨日の猫のリサちゃんの家まで案内して貰ったんだ。昨日借りたタオル返したくて…あ、梶さんて結構怖いかと思ってたら、やっぱり優しい人だったよ。何か後輩の事気に掛けてくれるし、何か困った事があったら多少は助けてくれるって…」
そうあったままを説明すれば三輝君はにっこり笑って納得してくれた。
「そーなんだねー。でも、良かった。梶さんはまだ名前じゃないんだね…」
「…え?何…?」
ぼそりと言われた言葉が聞き取れずに首を傾げるも、「何でもないよ」とそれ以上説明してくれなさそうな三輝君の意図が分からず「そっか」と笑みを返す。
何となくシンとなる空気に咄嗟に声を出した。
「あー…三輝君は昔からゲーム好きだった?TVゲームとかやってた?」
突然の脈絡のない質問に一瞬驚いたようだけど、すぐに答えてくれる三輝君。
「んー、TVゲームも一通りやったかなー」
「じゃ、スーパー●リオとか…?」
「あー、よくやったよー」
それを聞くと私は今話題になったゲームのBGMを弾き始める。最初は一番耳にする最初の旋律。
次は地下に入った時の、海の中、空を飛んだ時、星を獲得して無敵状態…ボス戦、後は勝利のステージクリア時のメロディー。
弾き終わると、隣で感心したように拍手をくれる三輝君。
「すごいねー、全部分かったよー」
「これを弾くとね、弟や妹達が喜ぶんだよねー」
えへへと話すと今度は三輝君が不思議そうに首を傾げる。
「弟や妹達…?万里ちゃん、そんなに兄弟居るの?」
「あ、本当の兄弟じゃないんだけど…私、途中から一兄ぃやことはと一緒の施設で育ったから…。だから施設にいる小さい子達は皆弟や妹だと思ってるよ…」
「…そうなんだ。あ、だから梅宮サンの事も『一兄ぃ』なんだねー」
納得した三輝君の言葉に「そそ」と軽く頷いた。
「私が本当に辛かった時…それを救ってくれたのは一兄ぃだったから…」
そう言うと三輝君にそろそろ教室戻ろうか…と立ち上がり音楽室の窓を閉めた。
「そう言えば…三輝君はキールっていうチームの事知ってる?」
「キール?」
「うん、あんまり良い噂がないチームとだけ聴いたんだけど……」
「ごめん、あんまり知らないかなー。で、何でそのチームの事が知りたいの?」
不思議そうに訊いてくる三輝君に「あ……最近街中で見かけたから…」とだけ言って誤魔化す。
うーん……中々キールの情報を掴むのは難しいかも…そう思いながら教室へ向かう。
教室に戻るとまだ桜君や隼飛君達は戻ってきていないみたいで、教室はいつもの様に各々グループに別れて雑談をしていた。
窓際の席へ腰掛けると教室内を見回して、杏西君の姿を捉えた。
昨日の事なんて何もなかったかのように、友達を笑っている姿に少しだけホッとする。
うーん…本当は今日の放課後一緒に長門君を探すの手伝うよって言いたいんだけど…どうやら今話しかけるのは難しそうだ。放課後までに話す機会あれば良いけどなぁ…
そう思っていたら杏西君と目が合った…瞬間、直ぐに逸らされたけど…。
えー…と、何だろう…やっぱり私信用されてないっぽい…
軽く溜息を吐くと、窓の外へ視線を向ける。何か…前途多難みたいだ…。
どうしたらいいか…と考えていればいつの間にかかなり時間が経っていたみたいで、教室の入り口が開いて桜君と隼飛君と楡井君が戻ってきた。
クラスの皆が興味津々に三人の話を聴く。
思った通り幹部の顔合わせだったらしい。興奮して感動を伝える楡井君の説明に皆が聞き入っていた。
「あれ?なぁなぁ、杏西は?」
不意に聞こえた声の方を振り返れば、いつも杏西君と話してる三人が杏西君の事を話している。
そこにいつもの彼の姿はない。咄嗟に教室内を見渡すもその姿はなくて…
やられた!!もう、長門君を探しにいったんだ!
そう認識できた時には机の隣に引っ掛けていた鞄を手に取って走り出す。
「え?如月ちゃん…?」
「如月くん、どうし…」
三輝君と隼飛君が同時に声を掛けられたけど、説明なんてしている暇もない。
「ごめん、ちょっと今日はもう早退するっ!」
それだけ聞こえるように言うと教室を飛び出した。
安西君、何処に居るんだろう…?
勢いでが教室を飛び出したものの、杏西君は見つからず。長門君の手掛かりになるものなんて分からないし…取り合えず、昨日引ったくりした現場へ来てみたもののやっぱり見つからず…途方に暮れつつも、店が並ぶ通りより奥の細い通りへと入って行く。
「行くぞ、長門!早くしろ!」
突然聞こえた声に足を速める。路地の奥、丁度線路前のフェンスの所に白いジャケットを着たキールと杏西君の姿があった。
声と共に杏西君が差し出した手を、長門君がパシッと叩く。その行動が余程予想外だったのか、杏西君はその場で立ち尽くす。
その周りを少し遠巻きに見ていた数人のキールが囲もうとする。手にはそれぞれバッドや角材を持っているのが見えた。
一番最初に杏西君へ襲いか掛かる長門君に動かない杏西君。
私はそのまま走り出したけど、間に合わなくて安西君はキールに囲まれてしまっている。何発か殴られて流血しているのが分かる。そのまま囲みの手薄な所へ走り寄ると、体当たりや足を引っ掛けたりして数人の態勢を崩していく。
突然の後から不意を突かれた形になって、数人を転ばせる事に成功すると、他のキール達が一瞬状況把握するのに動きが止まる。その間に私は片膝を附いている杏西君の腕を引っ張る。
「安西君、早くこっち!!」
私の声に一瞬驚いた顔を見せるも、直ぐに立ち上がると私に腕を引かれるまま走り出す杏西君。
その光景にハッと気付いて、キール達も私達の後を追ってくる。
取り合えず裏路地から出てしまえば、人の目もあるし追手も和らぐかもしれないという期待から、必死に杏西君の手を握って走る。
「痛いだろうけど、もう少し頑張って!」
流血の酷さからケガが軽いものではないと分かるけど、このまま足を緩めれば追いつかれる。追いつかれたら、二度目を逃げ出すのはかなり難しいだろう。それを杏西君も分かってくれているようで「あぁ…悪い」と小さく言うと必死に足を動かした。
何とか大きめの通りへ入ると、少しだけ足を緩める。後ろを振り返ると、私の思惑通り人の目を気にしてかリーダー的な存在の一人が周りに人数を分けて指示しているようだった。
まだ、追ってくるみたいだ。油断は出来ないな…。
「ねぇ、杏西君。このまま大きい通りを通って商店街まで入るよ」
「あぁ」
私達は後ろや周りを気にしながら、少しだけ足を速めていく。商店街まで行ければおそらく風鈴の見回りの時間だし、キールも諦めると思ったから。その私の言葉に頷く杏西君。
通りを歩く人達の視線は流血している杏西君に向けられるけど、気にしている余裕はなかった。
もうすぐ商店街の入り口…という所で、横の路地から「見つけたぞ」と声がする。目を向ければ、キールが三人。
……三人位なら相手出来る。
「杏西君、先に商店街入ってて。アイツらの相手は僕がするから」
「…え、お前一人じゃ…」
私の言葉に明らかに無理だろうという意味合いで、杏西君が此方を見る。
うーん…信用ないなぁ…
そう思うも、ぐずぐずしてたら直ぐに追いつかれそうだ。
「大丈夫、入学式の時言っただろ?僕、弱くないって」
安心させようと笑顔を向けるけど、依然納得していない様子の杏西君に少しだけ睨むように視線を送ってしまう。
「だからー…今のボロボロの杏西君じゃ足手まといだって言ってるんだよ、分かるだろ?」
少しだけ低く話せば、一瞬目を見開いた杏西君は俯いて「…分かった」とだけ言った。
「じゃ、早く」
そう促すと商店街へ向かう杏西君とは別方向へ向かい走りだす。キールへ自ら近付くと、当然のように角材を振り上げる手首を掴み、斜めへ捻る。角材を落とした隙にその腕を逆に返して相手を残り二人の方へ投げ飛ばした。
店の裏側に当たる路地の為、各店舗のゴミ箱などがあり、勢いよくぶつかると転がるキール達。私が投げ飛ばした仲間を避けた一人はバッドを振り翳して近付いて来たけど、さっきのキールの手から転がった角材を拾って
バッドめがけて振り回す。
角材でバッドを弾き飛ばすと、その角材の先端で相手の喉元を指して睨み付けた。
「ねぇ、まだやる?」
そう言うと少しだけ怯み、チッと舌打ちをすると「行くぞ」とその場から離れて行った。その背中が見えなくなるまで見送ると少しだけ息を吐いて、手に持った角材を放り投げた。
「……さて、杏西君は…」
踵を返して、杏西君が向かった商店街の方へ視線を向ける。かなり怪我して、結構血も出てたし、見つけて手当しないと…そう思いながら商店街へと走る。
きっとあの怪我だし、そんな遠くまで行けないだろう…………って、思ったんだけど…私はその認識の甘さを少しだけ後悔している。
そうだよね、商店街って結構広いよね…その上、まだキールに追いかけられてるって思ってたら隠れるだろうし…
大きく息を吐くと、再び辺りを見回す。あれから直ぐに商店街へ入ったけど、杏西君が見当たらない。店と店の間の路地にも視線を遣るけど、見つける事が出来なかった。
でも、あの怪我で堂々と真ん中歩いている訳もないし…何処居るんだろう…?
商店街の先へ視線を向ければ、道の真ん中を白いジャケットを着た三人組が歩いているのが見える。
キール…!
私はそのまま路地の壁へ身を寄せて彼らが通り過ぎるのを待った。商店街の中まで堂々と入って来るなんて…予想が外れて焦るものの、彼らがまだ杏西君を探している様子で、ホッとする。
杏西君はまだ見つかっていない。よかった、逃げれたんだ…
「なにか探しものか?だったら手伝うぜ?」
キールが私の隠れていた路地を通り過ぎた直後に聴こえた声に、瞬間的に路地から少しだけ顔を出して見ればキールと対面していた桜君達がいた。
隼飛君や三輝君も居る。
「くひひ…あーいやいやよかったー…。ちょーど探してたんだ、『あんたら』を…でも…君らの…どれでもないなー」
私からは後ろ姿しか見えないキールの言葉に、少しだけゾクリと背中が粟立った。
「じゃあね」
そう言って踵を返し此方を向いた彼らから隠れるようにそのまま路地の壁に背中を預けるとその場へ座り込んだ。
私に気付くことなくそのまま去っていくキールに軽く息を吐く。そうこんな事していられない。杏西君探さなきゃ…。
そう思って立ち上がり、通りへと出ようとした時悲鳴が響いた。
「ちょ、ちょっとあんた、大丈夫かい!?お父ちゃん、お父ちゃん、大変!!」
その声のすぐ後に、「あ…杏西さん!?」と楡井君の声が聞こえる。
その名前を聞いて反射的にその場へ駆け寄った。其処に居たのは、店横の路地に気を失って座り込む杏西君。
「杏西君!大丈夫?」
囲む隼飛君達の間をすり抜けて膝をつくと、軽く肩を揺らす。
大丈夫か?と必死で声を掛けるおばさんの声に反応して、ビクッと身体を揺らして気付いた杏西君に少しだけ安堵する私。
「……良かった…ちゃんと商店街まで戻ってこれて…」
ホッと小さく言葉に出てしまう。
「とりあえずうちで休んでいきな!」
有無を言わせないおばさんと、クラスメイトに囲まれた状況に頭が付いていかない様子の杏西君。
「だ、だ、大丈夫ですか?杏西さん!…それに如月さんも…」
「……あ」
名前を呼ばれて、ハッとする。そう言えば隼飛君達が居たんだっけ…?
「あれ?如月くんは早退したはずじゃなかったっけ?どうしたの?」
「如月ちゃん、何してたの?」
隼飛君と三輝君の質問に、どう答えていいモノか分からずゆっくり振り返ると、笑って誤魔化す。
「あー…ちょっと、色々あって…そ、それより杏西君の手当が先!!」
そう言うと杏西君を支える手に力を入れて、おばさんの誘導で隣の店内へと入る。その後すぐ、おばさんが裏から救急箱を持ってきてくれたので、濡らしたタオルで血を拭き取ると、手慣れた手つきで手当てをしていく。
それを見ていたおばさんに、「あんた、手慣れてるねぇー」と感心されたけど、まぁ、手当に離れてるのは本当だしなー、と思いながら笑ってみる。
最後の絆創膏を貼り終える、黙ってされるままの杏西君の手を握る。
「でも、ホント良かったよ。ちゃんと見つけれて…」
それだけ小さく言うと、杏西君はその場でぎゅっと手に平を握る。そして私から僅かに目を逸らしながらポツリと言った。
「如月…悪い、ありがとな…」
手当が終わるとお茶を出してくれたおばちゃん。手当を遠巻きに見ていた楡井君達からの質問攻めにあう杏西君。
「いや~それがよー、犬に追いかけられちゃってさー…」と明らかな嘘に「はぁ?」と怪訝な声を上げる五人。
まぁ、それが普通の反応だよね…明らかにケンカのケガだしさ…。
私は座敷に座る皆から離れてテーブルに腰掛けた桜君の向かい側に座り出されたお茶を啜りながら皆のやり取りを見守る。
明らかにバレている嘘なのに、更に大袈裟に嘘の追い打ちをかける杏西君に桜君ですら呆れている。
「いやいや!本当になんでもないんだ!俺、この後用があるから行くわ!おばちゃん、もんじゃは今度食べにくる」
そう言って早々に席を立ち、靴を履く杏西君を引き留めるおばちゃん。
そのまま立ち去ろうとする背中へ、隼飛君が声を掛ける。
「杏西君、キールとなにかあったの?」
その一言に固まる杏西君。
流石、隼飛君。的確に確信をついてくる。
「な…なな、何のことだよ!」
そう言って超不自然に振り返る杏西君の行動は、隼飛君の言葉を肯定するしかなくて…。
それでも必死に取り繕った杏西君はおばちゃんに挨拶をすると「お前らもまたな!」って、店を出て行ってしまった。
あ、そうか…土屋さんと約束してたもんね…きっと公園に行ったんだ…
私も席を立とうか迷っていると、柘浦君が隼飛君に質問する。
「なぁ、蘇枋。なんで杏西君とキールが関係あるってわかったんや?」
「100%わかっていた訳じゃないけど…さっき街で会ったキールの物言いと、杏西君の様子からもしかしてと思って言ってみただけ…でも、まぁどうやら当たりみたいだ」
その言葉は皆を納得させるだけの確信を得たもので、皆黙り込んだ。
その沈黙の中、楡井君が桜君へ声を掛ける。杏西君を助ける為に…と、でも桜君はすぐにそうだとは言い切れないと返す。
杏西君が何も言わないってことは、杏西君なりの考えがあるんだろう、と言う。それでも納得いかない口調の楡井君。
「誰にだって…聞かれたくねーことの一つや二つあんだろ」
その言葉に桜君に視線を向ける皆。その何処か実感のこもった言葉。私も思わず目の前の桜君を見つめる。
…あー、桜君にも色々あったんだろうな……そうだね、私も言えない事も言いたくない事も沢山ある…
そう思って両手で握る湯呑の中で微かに揺れるお茶を眺めた。
そんな中楡井君がそれでもと桜君に食い下がる。
その言葉に軽く舌打ちすると、大きく息を吐く桜君。
「はー…オレ帰る」
そう言って立ち上がるとおばちゃんからお土産を貰って、店を出ていく桜君。
黙って見送る楡井君に聴こえるように、三輝君が話し出す。
「桜ちゃんてさ、素直じゃないとこあるよね」
「基本的に、全体的にね」
「もんじゃうまいのになー」
隼飛君と柘浦君の言葉にも、不思議そうな顔をする楡井君に、隼飛君が笑って言う。
「にれ君…大丈夫だよ」
そうだね、桜君は優しいからきっと杏西君の後を追ったんだと思う。
たった数日間でも、皆ちゃんとクラスメイトの事分かっているみたいだ…。
桜君が杏西君の所行ったって事は、私は行かない方が良いのかも…
うーん、とこれからの行動に下を向いて考え込んでいると、不意に近くで隼飛君の声がした。
「それに、事情を知っている人が此処にもいるじゃないか。ね?如月くん」
ポンと肩を叩かれて、初めて隼飛君が目の前の席に移動してきたのだと知る。反射的に顔を上げれば、にっこりと口許だけ笑って座る隼飛君の目が何故か笑ってないように見える…のは気のせいだと思いたい。
「……え…と?」
「杏西君を見つけた時に、『商店街まで戻ってこれてよかった』って言ってたよね?で、何処で杏西君はケガをしてきたんだい?如月くんは知っているんだろ?」
「そうなんですか?如月さん!!」
「何や、事情知っとるんなら話してくれればええやんな」
「如月ちゃん、早退した後どこ行ってたの?」
言葉に詰まった私に追い打ちをかける質問攻め…。
確かに事情は知っているけど、皆はクラスメイトだけど…でも、杏西君は内緒にって言ってた…。
それを私が勝手に言っていい話ではないと思う…。
でも、私が事情を話すまでは皆も納得しなさそうで……。
あー……仕方ない…けど…
そう覚悟を決めた私は、此方を見る四人に真っ直ぐ向き直る。
「うん、確かに事情は知ってる。昨日たまたま現場に居合わせたから。だから、何で杏西君があんな怪我をしたのかも……でも、説明は出来ない。何より、杏西君に秘密にしてくれって頼まれて、僕はそれに対して分かったって言ったから。僕から勝手に秘密をバラしたら杏西君を裏切る事になってしまうし…」
そう言うと無言になる皆の視線に耐えれず少し俯く。
これで納得してくれなくても、やっぱりこれ以上は私から話せないよ…。
「あー、せやな。如月クンが正しいわ。約束破るのは、俺の美学にも反するしな」
柘浦君がそう言ってくれて、「そうですね」と楡井君が頷く。隼飛君も三輝君も仕方ないと言うようにそれ以上の追求はやめてくれた。
そんな彼等の態度が嬉しくて、自然と笑みが零れた。
「ありがとう。………あ、でも…もし、杏西君が皆に全てを話して助けを求めてきたら、どうか力になってあげて欲しい。恐らく、杏西君一人じゃ手に負えないと思うから…お願いします」
そう言って頭を下げると、頭の上にポンッと暖かい感触。
「大丈夫だよ。クラスメイトに力を貸すのは当然の事だから」
そう言って優しい笑みを浮かべる隼飛君。
「当然ですよ!」と両手でガッツポーズをする楡井君。
「任せとき!大船に乗ったつもりでなっ」とニカッと笑う柘浦君。
「如月ちゃんは、心配しなくて大丈夫だよー。取り敢えずは桜ちゃんが何か情報聞いて来るだろうしねー」と目を細める三輝君。
「……うん、ありがとう…」
「ほらほら、それよりもんじゃ焼けるよー。美味しいうちに食べちゃおう」
その声に改めて座敷テーブル席に着くと、皆でもんじゃをつついた。
どうか、全てが上手く行きますように……そう願うしかないのだけど……。
朝の登校時間より早めの時間。昨日借りたままのタオルはことはに洗濯してもらって、ちゃんと乾かした。折り畳んで小さめの紙袋に入れて片手に下げる。
ちゃんと返しに行きたいんだけど…結局、猫のリサちゃんちが何処なのか分かんなくて商店街を彷徨っている私…。
でも、誰に訊けば…って、きっと二年の梶さん達なら知ってるんだろうな…とは思うけど、わざわざ学校行って二年生の教室に行くのもな…っていうのも勇気が要る気がして…。
「……どうしようか…な」
彷徨っていた足は自然に止まって立ち止まる。
「万里ちゃん、そんな所でどうした?」
不意に掛けられた声に顔を上げれば、私は大きい人達に囲まれていた。真ん中の登馬君が不思議そうに見降ろしている。
「あ、登馬君…おはよう…。陽大君と慈円君もおはようございます」
登馬君とその両脇に立つ多聞衆次席の二人、松本 陽大君と柳田 慈円君にも声を掛けた。登馬君ほどでもないけど、一兄ぃや登馬君たちと一緒に居る事が多いと、登馬君と一緒に居る事が多いこの二人とも勿論顔見知り。
「よぅ、如月ちゃん!ってか、本当に風鈴に入学してたんだなっ!」
そういつもの笑顔で楽しそうに笑いながら肩をポンと叩かれる。
「………おはよう。本当に風鈴に入って大丈夫か…?」
ぼそぼそと話す慈円君の声には随分慣れた。
陽大君はどこまでも陽気なお兄ちゃんで、慈円君は物静かだけど優しいお兄ちゃんみたいな人達だ。
「うん。ちゃんと入学したよ。大丈夫だって…あ、でも皆の前では女だって内緒だからね?」
そう言って念を押すと、「分かってるって」と陽大君は笑って、慈円君はこくりと頷いた。
「で?何してたんだ?ってか、昨日梶と一緒に川に飛び込んだって報告を受けたが…大丈夫だったか?」
「あはは…あれ、やっぱり登馬君達にも伝わってたんだ…?うん大丈夫だったよー」
うわ、もうそれは黒歴史…と思いながら笑って誤魔化す。
「そうそう、登馬君達は猫のリサちゃんの家知ってる?知ってたら教えて欲しいんだ。昨日川で濡れた時タオル借りたままになってて…ちゃんとお礼言って返したいんだけど…?」
登馬君達ならこの街にも詳しいし、知ってるかふも…と訊いてみる。
「あー…詳しくは分からんな」
そう言って考え込む登馬君に「そっか、ごめんね」と返事をして返す。
「じゃ、梶にでも訊けば良いんじゃねぇの?」
そう言って当然のように提案してくる陽大君に、「…でも」迷惑だよ…と言いかけるも、既にスマホ片手に何処かに電話をかけていた。その相手は予想通り梶さんだったみたいで…五分後には梶さんが現れた。
「よ、梶。いきなり呼び出して悪い。意外と早かったな」
私達を見つけると足早に駆け寄ってきた梶さんに、陽大君が軽くを振り声をかける。
「……近くに居たんで」
そう答える梶さんは、三人に囲まれている私にちらりと視線を向ける。その視線に気付いてそっと会釈を返した。
「で、朝から悪いが、猫のばぁちゃんちに如月を案内してやってくれねぇか?」
そう説明する登馬君の言葉に「…いいけど」と一言だけ返す梶さん。
「いや、悪いなー。俺らじゃ家詳しく分からねぇからさ。じゃ、如月ちゃんの事たのむな!」
そう言って背中をバシッと叩く陽大君に、少し眉間に皺をよせながら梶さんは頷いた。
「じゃ、行くぞ」そう短く言って歩き出す梶さんに、慌てて三人に向き直って頭を下げる。
「登馬君、陽大君、慈円君、ありがとう。じゃ、行ってきます!」
口早にお礼を言うと、三人共軽く手を振ってくれたので手を振り返しながら踵を返し、先に向かう梶さんに遅れないように駆け足で追いかける。何とか追いついてからも梶さんは歩くのが早くて、私は何とか早足で付いていく。
「あっ、あのっ!昨日借りたままのタオルをちゃんとお礼を言って返したくて…朝から、ご迷惑おかけしてすみませんっ…」
無言で歩く梶さんのどうにか隣をキープしながら声を掛ける。その声に少し足を緩めると、飴を咥えたまま此方に顔を向ける梶さん。
「……別に迷惑じゃない」
予想外の反応が返ってきて、少しだけ嬉しくなると笑みを返す。
「あ、あと…昨日はリサちゃん助けてくれてありがとうございました!そのついでに僕にまで気遣って貰って…ありがとうございます。昨日、ちゃんとお礼言えなかったので…」
そう言って昨日のお礼を続ければ「別にお前の為にやった訳じゃないから、気にしなくていい」ちらっと視線を向けるとそう言ってまた前を向く梶さん。ぶっきらぼうだけど、ちゃんと答えを返してくれる。
「先輩が後輩を助けるのは当然…らしいから、礼なんていい」
「そ、それはダメです!!迷惑掛けたと思ったら『ごめんなさい』助けて貰ったら『ありがとう』を言うのは当然の事ですよ!」
隣を歩く梶さんの袖を掴むと言い返す。その行動と声に少しだけ目を見開いて此方を見る梶さんと、不意にばっちり目が合ってハッとする。慌ててつかんだ袖を離して「ごめんなさい…」と謝った。
「別に……あぁ、分かったから、気にするな」
そう言ってまた前を見る梶さんに、やっぱり優しいなぁと口許が緩むのを感じながら、梶さんの隣を歩いた。
商店街から少し離れた閑静な住宅街に入ると「ここだ」と一軒の家の前で梶さんが立ち止まる。玄関へ行くとインターフォンを鳴らした。
少しすると「はーい、どなた?」とインターフォンから声がしたので朝の挨拶と風鈴高校の者です、と言えば、ドアの向こうからゆっくりしたスリッパ特有の足音と「ちょっと、待ってね」の声と共に玄関の扉が開く。
中から顔を出したのは白髪の優しそうなおばあちゃん。おばあちゃんはまず私の少し後ろに立つ梶さんを見て嬉しそうに笑った。
「あら、梶くん。昨日はリサちゃんを助けてくれてありがとうね。あなたは?」
その後私にも同じ笑顔を向けて、首を傾げる。
「あ、僕は如月っていいます。昨日はタオル貸して頂いたのに、お礼も言えずすみませんでした。あと、タオルありがとうございました。返すのが遅くなってすみません」
頭を下げながら自己紹介し、持ってきた紙袋を差し出した。
「あら、ちゃんとお洗濯までしてくれたのね。それに、あなたね?リサちゃんの為に梶くんと一緒に川に飛び込んでくれたのは…昨日梶くん達から聞いたわ。ありがとう」
優し気な声に顔を上げると真っ直ぐに見つめられて、何となくバツが悪くなる。
「……僕は…結局何も出来なくて…リサちゃんを助けたのも梶さんだし…」
そう自嘲すれば紙袋を持った手が優しく包まれる。
「そんなことないわ。リサちゃんを助けようとしてくれたのよね?その気持ちと行動がすごく嬉しかったのよ。だからありがとうっていうの。ね?ケガはなかった?」
おばあちゃんの笑顔に釣られて、私も笑みを返す。
「…はい、大丈夫です。心配して頂いてありがとうございます」
「そう…良かったわ」
その時おばあちゃんの後ろからニャーと声がして、今日は真っ赤なリボンを結んだリサちゃんが足元に身体を摺り寄せる。
「リサちゃん!……よかった、元気そう」
思わずその場へしゃがみ込むと足元のリサちゃんの白いフワフワした毛に指を絡ませる。そして、そっと毛並みに沿って撫でれば、リサちゃんも気持ちよさそうに目を閉じて今度は撫でる手にスリスリしてきた。
か…可愛いよー…
毛並みの感触と滑らかさについつい両手で撫でまわす。
「リサちゃんも、あなたの事が大好きなのねー」と夢中でリサちゃんを堪能している私の上から声が聞こえてハッと我に返る。
「ご…ごめんなさいっ…つい夢中で…」
そう言いながら名残惜しくリサちゃんから手を離すと、立ち上がる。撫でられるのが止むと同時にリサちゃんは廊下の向こうへ消えた。
「いいのよー。またいつでもリサちゃんに会いに来てね」
「い、良いんですか…?はい、ぜひ!!」
それから少し会話をした後、もう一度お礼を言ってリサちゃん家を後にした。リサちゃんも触れたし、おばあちゃんも元気そうだったし、うん、良かった。
そのままの流れで梶さんと並んで学校へ向かっている…んだけど…会話がない…。このまま無言で歩き続けるのも気まずくて、歩きながら横の梶さんに声を掛けた。
「あ、あの…朝から案内して貰って、本当にありがとうございました。あ…忙しいなら学校先に行って貰って大丈夫ですよ?」
「礼はさっきも言われた。別に忙しくないし…同じ場所行くのに何で先に行くんだ?」
「それは…そうですね」
至極真っ当な答えを受けて、納得するしかない。そして、そのまま無言になってまた歩き続ける。
うん…だからこの沈黙が気まずいんだってば…そう思いながら、後は早く学校へ着くことを祈って少しだけ早足で梶さんに付いていく私。
「………なぁ、お前、何で風鈴に居るんだ?」
「…へ?」
突然投げかけられた言葉に最初理解が追い付かず、間抜けな声を出す。
「昔からよく柊さんや梅宮さん達と一緒に居て見かけた事ある…ヴァイオリンケース抱えた女子…お前だろ?」
「……っ」
予想外の言葉に驚きすぎて息を飲む。自然と足は止まってしまい、此方を見る梶さんも一緒に足を止めて向かい合う形になった。
「……な、何の事…」
「何で、風鈴に入って来たんだ?」
疑問ではあるものの、梶さんは確信している感じで…下手な誤魔化しは効かないのが分かる。
「……えっと……ずっと風鈴入りたかったんで…どうしても入りたくて」
上手く説明も出来なくて、それだけ言うと取り敢えず笑って誤魔化した。
「そうか…」
じっと見つめていた梶さんはポケットから新しい飴を取り出すと口に咥えて再び歩き出した。
「あ…あの、周りの皆には黙ってて貰えませんか?僕が女だって…」
咄嗟に追いかけて腕を掴む。少し驚いたように振り返る梶さんはもう片方の手で飴を取り出すと「別に言いふらすつもりもない」とだけ言ってまた前を向く。
「あ、ありがとうございますっ!」
そう御礼を述べれば「分かったから、離せ」と掴んだ腕をちらりと見やる。
「ご、ごめんなさいっ…」慌てて腕を離す私。
「…取り敢えず、昨日みたいな無茶はするな。困った事があるなら言え、多少なら助けてやる」
「……え?」今日一番の予想外の言葉に、ポカンとして思わず梶さんをガン見してしまう。そんな私の顔を見て、フッと少しだけ笑った梶さんにまた二度目のビックリで…。
「ほら、行くぞ」
「は、はいっ」
その言葉に正気に戻ると、足を早める梶さんと少しだけ開いてしまった距離を急いで追いかけた。
か、梶さんが笑ったトコ、初めて見た……!!
余りにも衝撃だったのと、その優しい言葉についつい頬が緩んでしまう。あぁ、ホント、風鈴の皆は優しいなぁ…そうつくづく思う。
学校に着くと、改めて梶さんにお礼を言って別れ、教室ではなくそのまま音楽室へ来た。
今日の放課後は、杏西君と長門君探しだし、昼休みは昨日目立っちゃったし、まだ時間にも余裕があったから何となくピアノを弾いて気分を落ち着けたかった。
音楽室へ入ると相変わらず窓は全開にする。
今日も小春日和の良い天気で、爽やかな風が吹き抜ける。
ピアノの前へ座ると、何となく静かな曲を弾き始める。
ヨハン・パッハルベルの『カノン』。綺麗で優しい戦慄。カノンはヴァイオリン曲でもあって、ヴァイオリンでもよく弾く曲。
曲も中盤に差し掛かった所で、
「おーい!一・二年の級長、副級長は屋上に集まれーい!!」
突然の大声の放送にビクリと指を止める。一兄ぃ………いきなりの放送は心臓に悪いって……同じようなに考えている登馬君が怒っている声も直ぐに聴こえてくる。
そのやり取りに苦笑いをして、曲の続きを演奏し始める。
級長達を集めるってことは幹部達の顔合わせでもするのかな…?それならまだ朝は余裕がありそうだ。そう思うと、次は何を弾くか考えながら嬉しくなる。
カノンを弾き終えると、次はテクラ・バダジェフスカの『乙女の祈り』。電車の開閉曲とか色々な場面で使われていて親しみやすい、皆何処かできっと耳にした事のある曲。サラッと弾ける曲で、私も好きな曲。
そんな曲を弾き終わると丁度音楽室の入口の扉を開く音がした。入口に目を向ければ三輝君が軽く手を振りながら此方に近付いてくる。
「万里ちゃん、おはよー。昨日はあれから大丈夫だった?風邪とかひいてない?」
笑顔で私の横に立つと、すっと額に心配そうな彼の手が触れた。
「お、おはよ。三輝君。うん、大丈夫。元気だよー」
相変わらず距離が近い…とは思うけど、昨日から心配してくれていたし…笑顔で挨拶をする。
「そっか、良かった」
安心したように微笑む三輝君は、やっぱり王子様みたいだと思う。「どうして此処に?」と訊ねれば、「桜ちゃん達呼ばれちゃったからねー、そしたらピアノ聴こえたから」と隣に椅子を持ってきて座りながら答える。
「あぁ、さっき一兄ぃの放送で呼び出してたね…」
そう言って三輝君の方を見れば、椅子に座り此方をじっと見つめていた。
何だろう…?
「……今朝、万里ちゃん、二年の梶さんと一緒に登校してたよねー?」
「え?」
「丁度、廊下の窓から外見てたから…」
「そうなんだ…うん、今朝成り行きで梶さんに昨日の猫のリサちゃんの家まで案内して貰ったんだ。昨日借りたタオル返したくて…あ、梶さんて結構怖いかと思ってたら、やっぱり優しい人だったよ。何か後輩の事気に掛けてくれるし、何か困った事があったら多少は助けてくれるって…」
そうあったままを説明すれば三輝君はにっこり笑って納得してくれた。
「そーなんだねー。でも、良かった。梶さんはまだ名前じゃないんだね…」
「…え?何…?」
ぼそりと言われた言葉が聞き取れずに首を傾げるも、「何でもないよ」とそれ以上説明してくれなさそうな三輝君の意図が分からず「そっか」と笑みを返す。
何となくシンとなる空気に咄嗟に声を出した。
「あー…三輝君は昔からゲーム好きだった?TVゲームとかやってた?」
突然の脈絡のない質問に一瞬驚いたようだけど、すぐに答えてくれる三輝君。
「んー、TVゲームも一通りやったかなー」
「じゃ、スーパー●リオとか…?」
「あー、よくやったよー」
それを聞くと私は今話題になったゲームのBGMを弾き始める。最初は一番耳にする最初の旋律。
次は地下に入った時の、海の中、空を飛んだ時、星を獲得して無敵状態…ボス戦、後は勝利のステージクリア時のメロディー。
弾き終わると、隣で感心したように拍手をくれる三輝君。
「すごいねー、全部分かったよー」
「これを弾くとね、弟や妹達が喜ぶんだよねー」
えへへと話すと今度は三輝君が不思議そうに首を傾げる。
「弟や妹達…?万里ちゃん、そんなに兄弟居るの?」
「あ、本当の兄弟じゃないんだけど…私、途中から一兄ぃやことはと一緒の施設で育ったから…。だから施設にいる小さい子達は皆弟や妹だと思ってるよ…」
「…そうなんだ。あ、だから梅宮サンの事も『一兄ぃ』なんだねー」
納得した三輝君の言葉に「そそ」と軽く頷いた。
「私が本当に辛かった時…それを救ってくれたのは一兄ぃだったから…」
そう言うと三輝君にそろそろ教室戻ろうか…と立ち上がり音楽室の窓を閉めた。
「そう言えば…三輝君はキールっていうチームの事知ってる?」
「キール?」
「うん、あんまり良い噂がないチームとだけ聴いたんだけど……」
「ごめん、あんまり知らないかなー。で、何でそのチームの事が知りたいの?」
不思議そうに訊いてくる三輝君に「あ……最近街中で見かけたから…」とだけ言って誤魔化す。
うーん……中々キールの情報を掴むのは難しいかも…そう思いながら教室へ向かう。
教室に戻るとまだ桜君や隼飛君達は戻ってきていないみたいで、教室はいつもの様に各々グループに別れて雑談をしていた。
窓際の席へ腰掛けると教室内を見回して、杏西君の姿を捉えた。
昨日の事なんて何もなかったかのように、友達を笑っている姿に少しだけホッとする。
うーん…本当は今日の放課後一緒に長門君を探すの手伝うよって言いたいんだけど…どうやら今話しかけるのは難しそうだ。放課後までに話す機会あれば良いけどなぁ…
そう思っていたら杏西君と目が合った…瞬間、直ぐに逸らされたけど…。
えー…と、何だろう…やっぱり私信用されてないっぽい…
軽く溜息を吐くと、窓の外へ視線を向ける。何か…前途多難みたいだ…。
どうしたらいいか…と考えていればいつの間にかかなり時間が経っていたみたいで、教室の入り口が開いて桜君と隼飛君と楡井君が戻ってきた。
クラスの皆が興味津々に三人の話を聴く。
思った通り幹部の顔合わせだったらしい。興奮して感動を伝える楡井君の説明に皆が聞き入っていた。
「あれ?なぁなぁ、杏西は?」
不意に聞こえた声の方を振り返れば、いつも杏西君と話してる三人が杏西君の事を話している。
そこにいつもの彼の姿はない。咄嗟に教室内を見渡すもその姿はなくて…
やられた!!もう、長門君を探しにいったんだ!
そう認識できた時には机の隣に引っ掛けていた鞄を手に取って走り出す。
「え?如月ちゃん…?」
「如月くん、どうし…」
三輝君と隼飛君が同時に声を掛けられたけど、説明なんてしている暇もない。
「ごめん、ちょっと今日はもう早退するっ!」
それだけ聞こえるように言うと教室を飛び出した。
安西君、何処に居るんだろう…?
勢いでが教室を飛び出したものの、杏西君は見つからず。長門君の手掛かりになるものなんて分からないし…取り合えず、昨日引ったくりした現場へ来てみたもののやっぱり見つからず…途方に暮れつつも、店が並ぶ通りより奥の細い通りへと入って行く。
「行くぞ、長門!早くしろ!」
突然聞こえた声に足を速める。路地の奥、丁度線路前のフェンスの所に白いジャケットを着たキールと杏西君の姿があった。
声と共に杏西君が差し出した手を、長門君がパシッと叩く。その行動が余程予想外だったのか、杏西君はその場で立ち尽くす。
その周りを少し遠巻きに見ていた数人のキールが囲もうとする。手にはそれぞれバッドや角材を持っているのが見えた。
一番最初に杏西君へ襲いか掛かる長門君に動かない杏西君。
私はそのまま走り出したけど、間に合わなくて安西君はキールに囲まれてしまっている。何発か殴られて流血しているのが分かる。そのまま囲みの手薄な所へ走り寄ると、体当たりや足を引っ掛けたりして数人の態勢を崩していく。
突然の後から不意を突かれた形になって、数人を転ばせる事に成功すると、他のキール達が一瞬状況把握するのに動きが止まる。その間に私は片膝を附いている杏西君の腕を引っ張る。
「安西君、早くこっち!!」
私の声に一瞬驚いた顔を見せるも、直ぐに立ち上がると私に腕を引かれるまま走り出す杏西君。
その光景にハッと気付いて、キール達も私達の後を追ってくる。
取り合えず裏路地から出てしまえば、人の目もあるし追手も和らぐかもしれないという期待から、必死に杏西君の手を握って走る。
「痛いだろうけど、もう少し頑張って!」
流血の酷さからケガが軽いものではないと分かるけど、このまま足を緩めれば追いつかれる。追いつかれたら、二度目を逃げ出すのはかなり難しいだろう。それを杏西君も分かってくれているようで「あぁ…悪い」と小さく言うと必死に足を動かした。
何とか大きめの通りへ入ると、少しだけ足を緩める。後ろを振り返ると、私の思惑通り人の目を気にしてかリーダー的な存在の一人が周りに人数を分けて指示しているようだった。
まだ、追ってくるみたいだ。油断は出来ないな…。
「ねぇ、杏西君。このまま大きい通りを通って商店街まで入るよ」
「あぁ」
私達は後ろや周りを気にしながら、少しだけ足を速めていく。商店街まで行ければおそらく風鈴の見回りの時間だし、キールも諦めると思ったから。その私の言葉に頷く杏西君。
通りを歩く人達の視線は流血している杏西君に向けられるけど、気にしている余裕はなかった。
もうすぐ商店街の入り口…という所で、横の路地から「見つけたぞ」と声がする。目を向ければ、キールが三人。
……三人位なら相手出来る。
「杏西君、先に商店街入ってて。アイツらの相手は僕がするから」
「…え、お前一人じゃ…」
私の言葉に明らかに無理だろうという意味合いで、杏西君が此方を見る。
うーん…信用ないなぁ…
そう思うも、ぐずぐずしてたら直ぐに追いつかれそうだ。
「大丈夫、入学式の時言っただろ?僕、弱くないって」
安心させようと笑顔を向けるけど、依然納得していない様子の杏西君に少しだけ睨むように視線を送ってしまう。
「だからー…今のボロボロの杏西君じゃ足手まといだって言ってるんだよ、分かるだろ?」
少しだけ低く話せば、一瞬目を見開いた杏西君は俯いて「…分かった」とだけ言った。
「じゃ、早く」
そう促すと商店街へ向かう杏西君とは別方向へ向かい走りだす。キールへ自ら近付くと、当然のように角材を振り上げる手首を掴み、斜めへ捻る。角材を落とした隙にその腕を逆に返して相手を残り二人の方へ投げ飛ばした。
店の裏側に当たる路地の為、各店舗のゴミ箱などがあり、勢いよくぶつかると転がるキール達。私が投げ飛ばした仲間を避けた一人はバッドを振り翳して近付いて来たけど、さっきのキールの手から転がった角材を拾って
バッドめがけて振り回す。
角材でバッドを弾き飛ばすと、その角材の先端で相手の喉元を指して睨み付けた。
「ねぇ、まだやる?」
そう言うと少しだけ怯み、チッと舌打ちをすると「行くぞ」とその場から離れて行った。その背中が見えなくなるまで見送ると少しだけ息を吐いて、手に持った角材を放り投げた。
「……さて、杏西君は…」
踵を返して、杏西君が向かった商店街の方へ視線を向ける。かなり怪我して、結構血も出てたし、見つけて手当しないと…そう思いながら商店街へと走る。
きっとあの怪我だし、そんな遠くまで行けないだろう…………って、思ったんだけど…私はその認識の甘さを少しだけ後悔している。
そうだよね、商店街って結構広いよね…その上、まだキールに追いかけられてるって思ってたら隠れるだろうし…
大きく息を吐くと、再び辺りを見回す。あれから直ぐに商店街へ入ったけど、杏西君が見当たらない。店と店の間の路地にも視線を遣るけど、見つける事が出来なかった。
でも、あの怪我で堂々と真ん中歩いている訳もないし…何処居るんだろう…?
商店街の先へ視線を向ければ、道の真ん中を白いジャケットを着た三人組が歩いているのが見える。
キール…!
私はそのまま路地の壁へ身を寄せて彼らが通り過ぎるのを待った。商店街の中まで堂々と入って来るなんて…予想が外れて焦るものの、彼らがまだ杏西君を探している様子で、ホッとする。
杏西君はまだ見つかっていない。よかった、逃げれたんだ…
「なにか探しものか?だったら手伝うぜ?」
キールが私の隠れていた路地を通り過ぎた直後に聴こえた声に、瞬間的に路地から少しだけ顔を出して見ればキールと対面していた桜君達がいた。
隼飛君や三輝君も居る。
「くひひ…あーいやいやよかったー…。ちょーど探してたんだ、『あんたら』を…でも…君らの…どれでもないなー」
私からは後ろ姿しか見えないキールの言葉に、少しだけゾクリと背中が粟立った。
「じゃあね」
そう言って踵を返し此方を向いた彼らから隠れるようにそのまま路地の壁に背中を預けるとその場へ座り込んだ。
私に気付くことなくそのまま去っていくキールに軽く息を吐く。そうこんな事していられない。杏西君探さなきゃ…。
そう思って立ち上がり、通りへと出ようとした時悲鳴が響いた。
「ちょ、ちょっとあんた、大丈夫かい!?お父ちゃん、お父ちゃん、大変!!」
その声のすぐ後に、「あ…杏西さん!?」と楡井君の声が聞こえる。
その名前を聞いて反射的にその場へ駆け寄った。其処に居たのは、店横の路地に気を失って座り込む杏西君。
「杏西君!大丈夫?」
囲む隼飛君達の間をすり抜けて膝をつくと、軽く肩を揺らす。
大丈夫か?と必死で声を掛けるおばさんの声に反応して、ビクッと身体を揺らして気付いた杏西君に少しだけ安堵する私。
「……良かった…ちゃんと商店街まで戻ってこれて…」
ホッと小さく言葉に出てしまう。
「とりあえずうちで休んでいきな!」
有無を言わせないおばさんと、クラスメイトに囲まれた状況に頭が付いていかない様子の杏西君。
「だ、だ、大丈夫ですか?杏西さん!…それに如月さんも…」
「……あ」
名前を呼ばれて、ハッとする。そう言えば隼飛君達が居たんだっけ…?
「あれ?如月くんは早退したはずじゃなかったっけ?どうしたの?」
「如月ちゃん、何してたの?」
隼飛君と三輝君の質問に、どう答えていいモノか分からずゆっくり振り返ると、笑って誤魔化す。
「あー…ちょっと、色々あって…そ、それより杏西君の手当が先!!」
そう言うと杏西君を支える手に力を入れて、おばさんの誘導で隣の店内へと入る。その後すぐ、おばさんが裏から救急箱を持ってきてくれたので、濡らしたタオルで血を拭き取ると、手慣れた手つきで手当てをしていく。
それを見ていたおばさんに、「あんた、手慣れてるねぇー」と感心されたけど、まぁ、手当に離れてるのは本当だしなー、と思いながら笑ってみる。
最後の絆創膏を貼り終える、黙ってされるままの杏西君の手を握る。
「でも、ホント良かったよ。ちゃんと見つけれて…」
それだけ小さく言うと、杏西君はその場でぎゅっと手に平を握る。そして私から僅かに目を逸らしながらポツリと言った。
「如月…悪い、ありがとな…」
手当が終わるとお茶を出してくれたおばちゃん。手当を遠巻きに見ていた楡井君達からの質問攻めにあう杏西君。
「いや~それがよー、犬に追いかけられちゃってさー…」と明らかな嘘に「はぁ?」と怪訝な声を上げる五人。
まぁ、それが普通の反応だよね…明らかにケンカのケガだしさ…。
私は座敷に座る皆から離れてテーブルに腰掛けた桜君の向かい側に座り出されたお茶を啜りながら皆のやり取りを見守る。
明らかにバレている嘘なのに、更に大袈裟に嘘の追い打ちをかける杏西君に桜君ですら呆れている。
「いやいや!本当になんでもないんだ!俺、この後用があるから行くわ!おばちゃん、もんじゃは今度食べにくる」
そう言って早々に席を立ち、靴を履く杏西君を引き留めるおばちゃん。
そのまま立ち去ろうとする背中へ、隼飛君が声を掛ける。
「杏西君、キールとなにかあったの?」
その一言に固まる杏西君。
流石、隼飛君。的確に確信をついてくる。
「な…なな、何のことだよ!」
そう言って超不自然に振り返る杏西君の行動は、隼飛君の言葉を肯定するしかなくて…。
それでも必死に取り繕った杏西君はおばちゃんに挨拶をすると「お前らもまたな!」って、店を出て行ってしまった。
あ、そうか…土屋さんと約束してたもんね…きっと公園に行ったんだ…
私も席を立とうか迷っていると、柘浦君が隼飛君に質問する。
「なぁ、蘇枋。なんで杏西君とキールが関係あるってわかったんや?」
「100%わかっていた訳じゃないけど…さっき街で会ったキールの物言いと、杏西君の様子からもしかしてと思って言ってみただけ…でも、まぁどうやら当たりみたいだ」
その言葉は皆を納得させるだけの確信を得たもので、皆黙り込んだ。
その沈黙の中、楡井君が桜君へ声を掛ける。杏西君を助ける為に…と、でも桜君はすぐにそうだとは言い切れないと返す。
杏西君が何も言わないってことは、杏西君なりの考えがあるんだろう、と言う。それでも納得いかない口調の楡井君。
「誰にだって…聞かれたくねーことの一つや二つあんだろ」
その言葉に桜君に視線を向ける皆。その何処か実感のこもった言葉。私も思わず目の前の桜君を見つめる。
…あー、桜君にも色々あったんだろうな……そうだね、私も言えない事も言いたくない事も沢山ある…
そう思って両手で握る湯呑の中で微かに揺れるお茶を眺めた。
そんな中楡井君がそれでもと桜君に食い下がる。
その言葉に軽く舌打ちすると、大きく息を吐く桜君。
「はー…オレ帰る」
そう言って立ち上がるとおばちゃんからお土産を貰って、店を出ていく桜君。
黙って見送る楡井君に聴こえるように、三輝君が話し出す。
「桜ちゃんてさ、素直じゃないとこあるよね」
「基本的に、全体的にね」
「もんじゃうまいのになー」
隼飛君と柘浦君の言葉にも、不思議そうな顔をする楡井君に、隼飛君が笑って言う。
「にれ君…大丈夫だよ」
そうだね、桜君は優しいからきっと杏西君の後を追ったんだと思う。
たった数日間でも、皆ちゃんとクラスメイトの事分かっているみたいだ…。
桜君が杏西君の所行ったって事は、私は行かない方が良いのかも…
うーん、とこれからの行動に下を向いて考え込んでいると、不意に近くで隼飛君の声がした。
「それに、事情を知っている人が此処にもいるじゃないか。ね?如月くん」
ポンと肩を叩かれて、初めて隼飛君が目の前の席に移動してきたのだと知る。反射的に顔を上げれば、にっこりと口許だけ笑って座る隼飛君の目が何故か笑ってないように見える…のは気のせいだと思いたい。
「……え…と?」
「杏西君を見つけた時に、『商店街まで戻ってこれてよかった』って言ってたよね?で、何処で杏西君はケガをしてきたんだい?如月くんは知っているんだろ?」
「そうなんですか?如月さん!!」
「何や、事情知っとるんなら話してくれればええやんな」
「如月ちゃん、早退した後どこ行ってたの?」
言葉に詰まった私に追い打ちをかける質問攻め…。
確かに事情は知っているけど、皆はクラスメイトだけど…でも、杏西君は内緒にって言ってた…。
それを私が勝手に言っていい話ではないと思う…。
でも、私が事情を話すまでは皆も納得しなさそうで……。
あー……仕方ない…けど…
そう覚悟を決めた私は、此方を見る四人に真っ直ぐ向き直る。
「うん、確かに事情は知ってる。昨日たまたま現場に居合わせたから。だから、何で杏西君があんな怪我をしたのかも……でも、説明は出来ない。何より、杏西君に秘密にしてくれって頼まれて、僕はそれに対して分かったって言ったから。僕から勝手に秘密をバラしたら杏西君を裏切る事になってしまうし…」
そう言うと無言になる皆の視線に耐えれず少し俯く。
これで納得してくれなくても、やっぱりこれ以上は私から話せないよ…。
「あー、せやな。如月クンが正しいわ。約束破るのは、俺の美学にも反するしな」
柘浦君がそう言ってくれて、「そうですね」と楡井君が頷く。隼飛君も三輝君も仕方ないと言うようにそれ以上の追求はやめてくれた。
そんな彼等の態度が嬉しくて、自然と笑みが零れた。
「ありがとう。………あ、でも…もし、杏西君が皆に全てを話して助けを求めてきたら、どうか力になってあげて欲しい。恐らく、杏西君一人じゃ手に負えないと思うから…お願いします」
そう言って頭を下げると、頭の上にポンッと暖かい感触。
「大丈夫だよ。クラスメイトに力を貸すのは当然の事だから」
そう言って優しい笑みを浮かべる隼飛君。
「当然ですよ!」と両手でガッツポーズをする楡井君。
「任せとき!大船に乗ったつもりでなっ」とニカッと笑う柘浦君。
「如月ちゃんは、心配しなくて大丈夫だよー。取り敢えずは桜ちゃんが何か情報聞いて来るだろうしねー」と目を細める三輝君。
「……うん、ありがとう…」
「ほらほら、それよりもんじゃ焼けるよー。美味しいうちに食べちゃおう」
その声に改めて座敷テーブル席に着くと、皆でもんじゃをつついた。
どうか、全てが上手く行きますように……そう願うしかないのだけど……。
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