「彼女」が「彼」になった理由
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「ことはー…服貸してー…」
やっとの事でポトスに辿り着いた私は、未だに雫が滴る制服のままポトスのドアを開けると声を掛ける。
「…はぁ?!ちょっと、どうしたのっ!!」
「万里?ど…どうしたっ!?」
「ちょっ!!万里、あんた、びしょ濡れじゃないっ!!」
店内へ顔を出した瞬間、一斉に声が掛かる。
ことははカウンター内の棚から何枚かタオルを取り出して、咄嗟に私へ駆け寄る一兄ぃと、椿ちゃんへカウンター越しに投げる。
それを受け取った二人は各々私を濡らしている水分をふき取って行く。ちょっとだけ力強くて痛いときもあるけど、二人の表情が私を心配してくれてるのが分かるから、不思議と心地よくて、嬉しかった。そんな気持ちがすぐに顔に出たのかついつい緩む口許に気づいた椿ちゃんが「何笑ってるの?ったく…」って少しだけ怒ったように…でもタオル越しに触れる手は優しくて…やっぱり笑ってしまう。
「ちょっと…猫ちゃんを追いかけてたら一緒に川へ飛び込んじゃった…水も滴るイイ女でしょ?」
タオルを持った手は休めずに、心配そうに何があったのか問う視線に、えへへと笑いながら説明する。
「川…?ちょ、大丈夫だった?ケガは?」
「あ、うん。大丈夫。猫ちゃん、ちゃんと元気だし、ケガはなかったよー」
「猫じゃなくて…!」
「……でも、結局猫ちゃん助けてくれたのは梶さんで、川飛び込んだくせに私は全く役立たずだったけど…ね」
「梶が…?」
私の言葉にいつの間にか手を止める二人。
「万里、取り敢えずそのままお風呂場行きなさい!話しは後よ」
店の二階から着替えを持ったまま声を掛けることはに、改めてぶるっと身体を震わせた私は素直に従った。
熱いシャワーを頭から浴びて、冷え切った身体を温める。
その温かさに、人心地ついた私はぽつりと呟いた。
「…結局役に立たないとか…何やってんだろ…」
ことはが用意してくれた着替えは、太ももまで隠れるブカっとしたパーカーに、スキニーのジーンズ。髪をドライヤーで乾かすと店へ降りる。
「ことは…ありがと」
「ちゃんと、温まった?寒気とかない?」
カウンターの中から心配そうに此方を覗くことはに、「大丈夫」と笑って返した。
いつものカウンターへ座ると、両脇に一兄ぃと、椿ちゃんが腰を下ろす。
「で…お前はケガないんだな?」
一兄ぃが頭にポンと手を乗せて心配そうに訊いてくる。
「うん、ホントに大丈夫。寧ろ、川に落ちた後も梶さんが手掴んで川岸まで引き寄せてくれて、その後引っ張り上げてくれたりとかして…楠見さんも榎本さんも心配してくれたし…ホント、風鈴の先輩達は優しいね」
そう言って笑えば「そうか」と一瞬だけ複雑な表情を見せた一兄ぃと、「へぇ…梶がねぇ…」と愉し気に笑う椿ちゃん。
その微妙な態度に軽く首を傾げる私。
「はい、ココア。温まるわよ」
そう言って目の前に置かれたココアは、ホイップクリームが載せられて、チョコスプレーがトッピングされていた。
「ありがとー、ことは。ココア久しぶりだ」
そう言って一緒に出されたスプーンで軽くクリームをココアに溶かすと、マグカップを両手に持ってふーッと息を吹きかけて冷ますと一口含む。
ココアとホイップクリームの甘さが口内に広がって、ホッと一息つく。
「うん、甘くて美味しい…」
自然と口許が綻ぶ。
「そう言えばちゃんと音楽室見つけたみたいね」
椿ちゃんからの話題に「うん」と頷いた。
「それにね、グランドピアノが置いてあったんだよ!それも、凄く綺麗な状態で。音も全然狂ってなかったし…誰かがちゃんとメンテナンスしてるみたいだった…凄く大事にされてたよー。嬉しくてついつい窓全開で弾いちゃったら、目立っちゃったけど…」
えへへと笑うと、椿ちゃんはカウンターに頬杖をついて身を細めた。
「知ってる…っていうか、お昼休みちゃんと聴こえてきたわ。すぐに万里が弾いてるって分かったけどね」
「まぁ、俺らが入学してからピアノが鳴るなんて事なかったから、皆驚いただけだろ」
一兄ぃはことはのコーヒーを口にしながら、
「グランドピアノなんて弾いたの久しぶりだったから、嬉しかったなー。これからも学校行くの余計に楽しみだよ」
「へー?そんなに違うものなの?」
「そりゃそうだよ!何より音が全然違うし、鍵盤を弾いた時の重さとか…懐かしかった…」
そう軽く瞳を閉じれば鮮明に蘇る記憶―――――――
温かい日差しを和らげる白いレースのカーテン。
室内に置かれたグランドピアノに座るパパと、その隣でヴァイオリンを奏でるママ…
演奏しながら時々交わす視線はとても温かくて…
私はそんな二人が奏でる音が大好きだった……
「……万里…?」
椿ちゃんに名前を呼ばれてはっと我に返る。
「ご、ごめん…色々思い出しちゃってた…」
笑顔を作ると、手の中にあるココアを一気に飲み干す。
「ことは、ごちそう様。温まったよ、ありがと」
そう言ってカップを片付けようと席を立とうとすれば、目の前のカップをことはが下げる。「あ…」とことはを見ると「大丈夫」と目を細めて笑ってくれた。
「それより、万里。本当に体調大丈夫?あんた、昔からすぐに風邪ひくんだから…」
「…だ、大丈夫だよー…最近、元気だし。風邪ひかないもん」
「なら良いけど…でも、何かあったら直ぐに連絡するのよ?今は一人暮らしなんだから…」
「…分かってるよ…ありがと、ことは」
何だかんだと心配してくれることは、その優しさにやっぱり私はついつい口許を緩めてしまう。
本当、心配してくれる人が居るって幸せだな…
「さて…そろそろ帰らなきゃ…ことは、何か大きい袋貸して。制服とか持って帰るから。洗って乾かさないと…」
カウンターから立ち上がると目の前にドンと大きな袋が置かれる。ことはを見ると、溜息をつきながら二っと笑った。
「あんたがシャワー浴びてる間に洗濯だけはしといたよ。後は干すだけ」
「あ、ありがと!ことは、大好き」
にっこり笑って御礼を言う。
「じゃ、送ってく…」
そう言って当然のように一緒に立ち上がった一兄ぃの腕を掴むとギュッと引っ張ってもう一度席へと座らせる。
「ダメダメダメ!今日は多聞衆が見回りだし、私こんな恰好だから…!一兄ぃと一緒に居る所とかクラスの子に見られたら、絶対変に思われちゃう!」
「あ?そんな事誰も気にしないだろ」
「するの!だから、今日は大丈夫!ちゃんと一人で帰れるよ、ね?」
必死に説得するも、未だについて来ようとする一兄ぃを一生懸命押さえつける。
「じゃ、私が送るわよ」
「椿ちゃんもダメ!もう、ホント二人は目立つんだから!!」
反対側から立ち上がる椿ちゃんにも強く言ってお願いする。
「ね。ホント大丈夫だから!ちゃんと真っ直ぐ帰るし!」
必死に説得する私に、カウンター向こうからことはが助け舟を出してくれる。
「ちょっと、2人とも……過保護過ぎるでしょ。子供じゃないんだから、まだ明るいんだし…」
呆れたようにいうことはの言葉に、2人は渋々頷いた。
「2人共心配してくれてありがとう。…じゃ、帰るね」
そう言って袋を肩に掛けると、ことはに「ありがと」と笑いかける。「気を付けて帰るのよ」とことはは軽く手を振った。
外はもう暗くなり始めて、商店街にも明かりが灯っている。流石にもうみんなの見回りは終わってるだろうだけど…そう思いながらも念の為少しだけ回り道して帰ろうと商店街は通らずに普段は使わない広めの通りに面した道を使った。
目の前の店から一人の中年のおばさんが出てきた。その時、私の横を誰かが足早に通り過ぎた。
前を見ていないのか、ぶつかりそうなギリギリを通り過ぎてく相手に足を止める。
その瞬間目の前のおばさんが「きゃっ!」と驚いたような声を上げた。
先程通り過ぎた白フードを被ったままの人物がそのままの勢いで走り去ろうとする。おばさんからショルダーバッグを奪い取って…。
「ちょっ…!!待てっ…!!」
手に持った袋を地面に放ると、咄嗟に逃げた相手を追いかける。
数十メートル先で、待ち構えていた風鈴生に捕まえられた。その手でフードを掴むとひったくり犯の顔が露わになる。その顔を見て瞬間的に動きが止まった風鈴生に、ひったくり犯は捕まえた相手を一発殴るとショルダーバッグを投げ捨てて逃げて行く。
その背中を追いかけようとしたけど、もう引ったくり犯との距離は追いつけない距離だと悟り、放り投げられたバッグを拾うとおばさんへと渡した。
丁寧に私と風鈴生にお礼を言って去っていくおばさんに軽く手を振った。さっきから一歩も動かずそのまま座り込む風鈴生に駆け寄ると声を掛けた。
「大丈夫?」
「…………如月?」
ハッとしたように此方を見た生徒から不意に名前を呼ばれて、私もマジマジと相手の顔を見た。
「…………えっと……同じクラスの…?」
…確かクラスで見た顔だ…でも…名前が…出てこない…
そう焦って一生懸命名前を思い出そうとしても、よくよく考えればクラスで話した事あるのなんてあの5人位で…そんな私を見てクスっと口許を緩めた彼は簡単に自己紹介をしてくれた。
「俺、同じクラスの杏西。杏西 雅紀だよ」
「……ごめん、まだほとんどクラスの皆の名前覚えてなくて…杏西君、大丈夫?」
「…あぁ…」
杏西君の赤くなった頬へ手を添えるとそっと撫でる。
うわ、何か痛そう…そう思いながら、さっきから気になっている事を訊いてみた。
「その…さっきのひったくりした子…知り合い…とか?」
私の言葉にピクリと肩を揺らす杏西君。そしてそのまま俯いてしまう。
あ…まずった?と、取り敢えず…
「…ほら、杏西君、立って!頬冷やそう」
そう言うと杏西君の腕を引っ張って立つよう促す。そのままヨロヨロと立ち上がった杏西君の腕を掴んだまま通りを抜けて少し入った裏路地へと入って行った。
確か、もう少し行くと小さい公園があったような…公園なら水道もあるだろう、と朧げな記憶を頼りに歩く。その間もずっと無言で考え込みながら、私に引っ張られるままに足を動かす杏西君。
公園に着くと杏西君の腕を離して「適当に座ってて」と私は水道の所へ行く。着替えを入れた袋を地面に置くと、ワンショルダーバッグからハンカチを取り出し軽く水で濡らして絞る。公園内を見渡せばブランコへ座り込む杏西君を見つけて駆け寄った。
傍に寄っても相変わらず俯いて地面を見つめる杏西君の頬に、濡らしたハンカチをそっと押し当てた。
「……ちょっと腫れてるね。ほら、自分で持って、ちゃんと冷やした方が良いよ」
そう言うと「…あぁ、悪い」とだけ言ってハンカチへ手を添える杏西君を確認して、ブランコ前の柵へ軽く腰を下ろした。
「で…話しは戻るけど…さっきの引ったくりした子、知り合い?」
私の言葉に「……あぁ」とだけ言うと頬のハンカチを外すと手でギュッと握り締める杏西君。
「俺の幼馴染だ…」
そうポツリと話す杏西君の言葉を黙って聞く。
「あれー、杏西じゃん。久しぶり、って卒業してまだそんなに経ってないけどね!」
その時明るく声が響いて、声の方へ振り返ると近付いて来た一人の女の子。その子は杏西君の腫れた頬に気付くと呆れたように言った。
「あー…あんた、その顔…またケンカしたんでしょー?相変わらずねー、長門も呆れるよー、またかーって。ふふっ、長門にも会いたくなってきたなー…」
その言葉に杏西君が軽く歯を噛み締めたのが分かった。
そこまで言って目の前に来た女の子はやっと私に気付いたようで…慌てて謝罪してきた。
「…あっ、ごめん!え…と、あなたは杏西の…彼女?」
その言葉に吃驚して、思わず柵から腰を上げると自己紹介をした。
「いやいや、違う。僕は如月。杏西君のクラスメイトだよ。こんな成りだけど、風鈴生なんだ」
「え?ご、ごめんっ!私てっきり女の子かと…私は土屋。杏西とは幼馴染なんだー」
「うん、よく言われる。そっか、幼馴染なんだね」
目の前で両手を合わせてまたも謝罪するその子に、目の前で手を横に振って「大丈夫」と笑った。
「たまたま、杏西君が引ったくり犯に殴られる所見かけたから、取り敢えず頬冷やそうと思って此処に…」
そう説明すると、土屋さんは「大丈夫なの?」と心配そうに杏西君に訊く。
幼馴染…あれ、さっきの引ったくり犯の子も幼馴染だって…さっき言ったよね…
そう思って、二人のやり取りを黙って見守る。
「………この傷、キールってチームのヤツにやられたんだ」
「キール?」
静かに話し始めた杏西君の言葉にさっきの引ったくり犯が着ていたジャケッを思い出す。
白地に青の竜骨…そっか、確か前に一兄ぃ達が話してたような…
「いい噂なんて聞かない、きな臭いチームだ…。今日…そいつらの一人が引ったくりしてんの見つけて、捕まえようとしたんだ。腕掴んで…顔隠してたフード取って…そしたらさ…誰だったと思う?」
そこまでゆっくり話すと、杏西君は数回呼吸を深く繰り返した。
「長門…だったんだよ」
杏西君の言葉に驚きを隠せない土屋さん。私は杏西君のさっきまでの態度がストンと腑に落ちた。
「え…?長門はそんな事する子じゃ…!」
「俺もそう思うよ!でも、あれは絶対長門だった!!」
そう言って再び訪れた沈黙。二人とも大事な幼馴染がそんな事をする訳ないって思って、でも現実を突きつけられて黙り込む。
「…でも、長門は…」
そう言って泣きそうになる土屋さんを見て、杏西君がブランコから立ち上がる。
「大丈夫、もう一度明日長門を探して、此処連れてくる。その時に詳しい話を訊けばいい」
「え…うん…」
先程迄とは違う明るい表情を作って、土屋さんを安心させようとする杏西君。納得いかないまでも、頷くしかない土屋さん。
「…杏西君、一人で大丈夫?僕も明日一緒に行こうか?」
つい心配になって声を掛けると、私の方を向いて真っ直ぐ見つめられる。
「大丈夫だ、如月…ただ…この事クラスの皆には黙っててくれないか?」
「…え?何で」
「これはあくまで俺達の問題だ。風鈴は街を守るチームだ、俺達個人の問題に皆を巻き込めない。だから…頼む、黙っててくれ」
そう言って頭まで下げる杏西君に、私は何も言えず頷くしかなかった。
私が頷いたのを見て、「ありがとう」とホッとした表情を浮かべると、土屋さんの肩をポンと叩いて二っと笑う。
「そんな顔するなって…土屋。明日長門を連れてきたら、二人で思いっきり説教してやろうぜ!じゃ、お前ら気を付けて帰れよ!」
そう言って踵を返して公園を出ていく杏西君を見送った。
「…無理しちゃって…」
そう隣で心配そうにポツリと呟く土屋さん。
「大丈夫だよ、土屋さん。ああ言われたけど、明日は僕も『長門君』探すの手伝うし…」
「…え、でも如月…大丈夫なの?」
「ん…?何が…あぁ、大丈夫。僕意外と強いんだよ?」
『大丈夫』の意味をすぐに理解すると、土屋さんへ笑みを返した。そんな私の言葉にやっと軽く笑みを浮かべる土屋さんと公園の出口へ向かう。
「じゃ…また明日ね?」
「うん、土屋さんも気を付けて帰ってね」
そう言って公園の出口で別れた。
「キール…か」
商店街の道へ戻りながら、そう呟くと星空を見上げる。
何事もないと良いけど…そう思いながら、私は家路を急いだ。
部屋へ着くと早速制服を取り出して、皺を伸ばすとハンガーに掛けて浴室へ持っていく。浴室乾燥機をセットして一息つく。
「何か…今日も色んな事あったなぁ…」
風鈴に入学してから、毎日色んな事が起こる。
普通に平穏な日々がないというか…それでも、それはそれで楽しくて、楽しめてる自分がいる。
明日、無事長門君見つけれると良いけど…あ、朝ならタオル返しに行く時間あるかな?ついでにリサちゃん触らせて貰えないかな…
そんな事をベッドの上で思いながら、眠りについた。
やっとの事でポトスに辿り着いた私は、未だに雫が滴る制服のままポトスのドアを開けると声を掛ける。
「…はぁ?!ちょっと、どうしたのっ!!」
「万里?ど…どうしたっ!?」
「ちょっ!!万里、あんた、びしょ濡れじゃないっ!!」
店内へ顔を出した瞬間、一斉に声が掛かる。
ことははカウンター内の棚から何枚かタオルを取り出して、咄嗟に私へ駆け寄る一兄ぃと、椿ちゃんへカウンター越しに投げる。
それを受け取った二人は各々私を濡らしている水分をふき取って行く。ちょっとだけ力強くて痛いときもあるけど、二人の表情が私を心配してくれてるのが分かるから、不思議と心地よくて、嬉しかった。そんな気持ちがすぐに顔に出たのかついつい緩む口許に気づいた椿ちゃんが「何笑ってるの?ったく…」って少しだけ怒ったように…でもタオル越しに触れる手は優しくて…やっぱり笑ってしまう。
「ちょっと…猫ちゃんを追いかけてたら一緒に川へ飛び込んじゃった…水も滴るイイ女でしょ?」
タオルを持った手は休めずに、心配そうに何があったのか問う視線に、えへへと笑いながら説明する。
「川…?ちょ、大丈夫だった?ケガは?」
「あ、うん。大丈夫。猫ちゃん、ちゃんと元気だし、ケガはなかったよー」
「猫じゃなくて…!」
「……でも、結局猫ちゃん助けてくれたのは梶さんで、川飛び込んだくせに私は全く役立たずだったけど…ね」
「梶が…?」
私の言葉にいつの間にか手を止める二人。
「万里、取り敢えずそのままお風呂場行きなさい!話しは後よ」
店の二階から着替えを持ったまま声を掛けることはに、改めてぶるっと身体を震わせた私は素直に従った。
熱いシャワーを頭から浴びて、冷え切った身体を温める。
その温かさに、人心地ついた私はぽつりと呟いた。
「…結局役に立たないとか…何やってんだろ…」
ことはが用意してくれた着替えは、太ももまで隠れるブカっとしたパーカーに、スキニーのジーンズ。髪をドライヤーで乾かすと店へ降りる。
「ことは…ありがと」
「ちゃんと、温まった?寒気とかない?」
カウンターの中から心配そうに此方を覗くことはに、「大丈夫」と笑って返した。
いつものカウンターへ座ると、両脇に一兄ぃと、椿ちゃんが腰を下ろす。
「で…お前はケガないんだな?」
一兄ぃが頭にポンと手を乗せて心配そうに訊いてくる。
「うん、ホントに大丈夫。寧ろ、川に落ちた後も梶さんが手掴んで川岸まで引き寄せてくれて、その後引っ張り上げてくれたりとかして…楠見さんも榎本さんも心配してくれたし…ホント、風鈴の先輩達は優しいね」
そう言って笑えば「そうか」と一瞬だけ複雑な表情を見せた一兄ぃと、「へぇ…梶がねぇ…」と愉し気に笑う椿ちゃん。
その微妙な態度に軽く首を傾げる私。
「はい、ココア。温まるわよ」
そう言って目の前に置かれたココアは、ホイップクリームが載せられて、チョコスプレーがトッピングされていた。
「ありがとー、ことは。ココア久しぶりだ」
そう言って一緒に出されたスプーンで軽くクリームをココアに溶かすと、マグカップを両手に持ってふーッと息を吹きかけて冷ますと一口含む。
ココアとホイップクリームの甘さが口内に広がって、ホッと一息つく。
「うん、甘くて美味しい…」
自然と口許が綻ぶ。
「そう言えばちゃんと音楽室見つけたみたいね」
椿ちゃんからの話題に「うん」と頷いた。
「それにね、グランドピアノが置いてあったんだよ!それも、凄く綺麗な状態で。音も全然狂ってなかったし…誰かがちゃんとメンテナンスしてるみたいだった…凄く大事にされてたよー。嬉しくてついつい窓全開で弾いちゃったら、目立っちゃったけど…」
えへへと笑うと、椿ちゃんはカウンターに頬杖をついて身を細めた。
「知ってる…っていうか、お昼休みちゃんと聴こえてきたわ。すぐに万里が弾いてるって分かったけどね」
「まぁ、俺らが入学してからピアノが鳴るなんて事なかったから、皆驚いただけだろ」
一兄ぃはことはのコーヒーを口にしながら、
「グランドピアノなんて弾いたの久しぶりだったから、嬉しかったなー。これからも学校行くの余計に楽しみだよ」
「へー?そんなに違うものなの?」
「そりゃそうだよ!何より音が全然違うし、鍵盤を弾いた時の重さとか…懐かしかった…」
そう軽く瞳を閉じれば鮮明に蘇る記憶―――――――
温かい日差しを和らげる白いレースのカーテン。
室内に置かれたグランドピアノに座るパパと、その隣でヴァイオリンを奏でるママ…
演奏しながら時々交わす視線はとても温かくて…
私はそんな二人が奏でる音が大好きだった……
「……万里…?」
椿ちゃんに名前を呼ばれてはっと我に返る。
「ご、ごめん…色々思い出しちゃってた…」
笑顔を作ると、手の中にあるココアを一気に飲み干す。
「ことは、ごちそう様。温まったよ、ありがと」
そう言ってカップを片付けようと席を立とうとすれば、目の前のカップをことはが下げる。「あ…」とことはを見ると「大丈夫」と目を細めて笑ってくれた。
「それより、万里。本当に体調大丈夫?あんた、昔からすぐに風邪ひくんだから…」
「…だ、大丈夫だよー…最近、元気だし。風邪ひかないもん」
「なら良いけど…でも、何かあったら直ぐに連絡するのよ?今は一人暮らしなんだから…」
「…分かってるよ…ありがと、ことは」
何だかんだと心配してくれることは、その優しさにやっぱり私はついつい口許を緩めてしまう。
本当、心配してくれる人が居るって幸せだな…
「さて…そろそろ帰らなきゃ…ことは、何か大きい袋貸して。制服とか持って帰るから。洗って乾かさないと…」
カウンターから立ち上がると目の前にドンと大きな袋が置かれる。ことはを見ると、溜息をつきながら二っと笑った。
「あんたがシャワー浴びてる間に洗濯だけはしといたよ。後は干すだけ」
「あ、ありがと!ことは、大好き」
にっこり笑って御礼を言う。
「じゃ、送ってく…」
そう言って当然のように一緒に立ち上がった一兄ぃの腕を掴むとギュッと引っ張ってもう一度席へと座らせる。
「ダメダメダメ!今日は多聞衆が見回りだし、私こんな恰好だから…!一兄ぃと一緒に居る所とかクラスの子に見られたら、絶対変に思われちゃう!」
「あ?そんな事誰も気にしないだろ」
「するの!だから、今日は大丈夫!ちゃんと一人で帰れるよ、ね?」
必死に説得するも、未だについて来ようとする一兄ぃを一生懸命押さえつける。
「じゃ、私が送るわよ」
「椿ちゃんもダメ!もう、ホント二人は目立つんだから!!」
反対側から立ち上がる椿ちゃんにも強く言ってお願いする。
「ね。ホント大丈夫だから!ちゃんと真っ直ぐ帰るし!」
必死に説得する私に、カウンター向こうからことはが助け舟を出してくれる。
「ちょっと、2人とも……過保護過ぎるでしょ。子供じゃないんだから、まだ明るいんだし…」
呆れたようにいうことはの言葉に、2人は渋々頷いた。
「2人共心配してくれてありがとう。…じゃ、帰るね」
そう言って袋を肩に掛けると、ことはに「ありがと」と笑いかける。「気を付けて帰るのよ」とことはは軽く手を振った。
外はもう暗くなり始めて、商店街にも明かりが灯っている。流石にもうみんなの見回りは終わってるだろうだけど…そう思いながらも念の為少しだけ回り道して帰ろうと商店街は通らずに普段は使わない広めの通りに面した道を使った。
目の前の店から一人の中年のおばさんが出てきた。その時、私の横を誰かが足早に通り過ぎた。
前を見ていないのか、ぶつかりそうなギリギリを通り過ぎてく相手に足を止める。
その瞬間目の前のおばさんが「きゃっ!」と驚いたような声を上げた。
先程通り過ぎた白フードを被ったままの人物がそのままの勢いで走り去ろうとする。おばさんからショルダーバッグを奪い取って…。
「ちょっ…!!待てっ…!!」
手に持った袋を地面に放ると、咄嗟に逃げた相手を追いかける。
数十メートル先で、待ち構えていた風鈴生に捕まえられた。その手でフードを掴むとひったくり犯の顔が露わになる。その顔を見て瞬間的に動きが止まった風鈴生に、ひったくり犯は捕まえた相手を一発殴るとショルダーバッグを投げ捨てて逃げて行く。
その背中を追いかけようとしたけど、もう引ったくり犯との距離は追いつけない距離だと悟り、放り投げられたバッグを拾うとおばさんへと渡した。
丁寧に私と風鈴生にお礼を言って去っていくおばさんに軽く手を振った。さっきから一歩も動かずそのまま座り込む風鈴生に駆け寄ると声を掛けた。
「大丈夫?」
「…………如月?」
ハッとしたように此方を見た生徒から不意に名前を呼ばれて、私もマジマジと相手の顔を見た。
「…………えっと……同じクラスの…?」
…確かクラスで見た顔だ…でも…名前が…出てこない…
そう焦って一生懸命名前を思い出そうとしても、よくよく考えればクラスで話した事あるのなんてあの5人位で…そんな私を見てクスっと口許を緩めた彼は簡単に自己紹介をしてくれた。
「俺、同じクラスの杏西。杏西 雅紀だよ」
「……ごめん、まだほとんどクラスの皆の名前覚えてなくて…杏西君、大丈夫?」
「…あぁ…」
杏西君の赤くなった頬へ手を添えるとそっと撫でる。
うわ、何か痛そう…そう思いながら、さっきから気になっている事を訊いてみた。
「その…さっきのひったくりした子…知り合い…とか?」
私の言葉にピクリと肩を揺らす杏西君。そしてそのまま俯いてしまう。
あ…まずった?と、取り敢えず…
「…ほら、杏西君、立って!頬冷やそう」
そう言うと杏西君の腕を引っ張って立つよう促す。そのままヨロヨロと立ち上がった杏西君の腕を掴んだまま通りを抜けて少し入った裏路地へと入って行った。
確か、もう少し行くと小さい公園があったような…公園なら水道もあるだろう、と朧げな記憶を頼りに歩く。その間もずっと無言で考え込みながら、私に引っ張られるままに足を動かす杏西君。
公園に着くと杏西君の腕を離して「適当に座ってて」と私は水道の所へ行く。着替えを入れた袋を地面に置くと、ワンショルダーバッグからハンカチを取り出し軽く水で濡らして絞る。公園内を見渡せばブランコへ座り込む杏西君を見つけて駆け寄った。
傍に寄っても相変わらず俯いて地面を見つめる杏西君の頬に、濡らしたハンカチをそっと押し当てた。
「……ちょっと腫れてるね。ほら、自分で持って、ちゃんと冷やした方が良いよ」
そう言うと「…あぁ、悪い」とだけ言ってハンカチへ手を添える杏西君を確認して、ブランコ前の柵へ軽く腰を下ろした。
「で…話しは戻るけど…さっきの引ったくりした子、知り合い?」
私の言葉に「……あぁ」とだけ言うと頬のハンカチを外すと手でギュッと握り締める杏西君。
「俺の幼馴染だ…」
そうポツリと話す杏西君の言葉を黙って聞く。
「あれー、杏西じゃん。久しぶり、って卒業してまだそんなに経ってないけどね!」
その時明るく声が響いて、声の方へ振り返ると近付いて来た一人の女の子。その子は杏西君の腫れた頬に気付くと呆れたように言った。
「あー…あんた、その顔…またケンカしたんでしょー?相変わらずねー、長門も呆れるよー、またかーって。ふふっ、長門にも会いたくなってきたなー…」
その言葉に杏西君が軽く歯を噛み締めたのが分かった。
そこまで言って目の前に来た女の子はやっと私に気付いたようで…慌てて謝罪してきた。
「…あっ、ごめん!え…と、あなたは杏西の…彼女?」
その言葉に吃驚して、思わず柵から腰を上げると自己紹介をした。
「いやいや、違う。僕は如月。杏西君のクラスメイトだよ。こんな成りだけど、風鈴生なんだ」
「え?ご、ごめんっ!私てっきり女の子かと…私は土屋。杏西とは幼馴染なんだー」
「うん、よく言われる。そっか、幼馴染なんだね」
目の前で両手を合わせてまたも謝罪するその子に、目の前で手を横に振って「大丈夫」と笑った。
「たまたま、杏西君が引ったくり犯に殴られる所見かけたから、取り敢えず頬冷やそうと思って此処に…」
そう説明すると、土屋さんは「大丈夫なの?」と心配そうに杏西君に訊く。
幼馴染…あれ、さっきの引ったくり犯の子も幼馴染だって…さっき言ったよね…
そう思って、二人のやり取りを黙って見守る。
「………この傷、キールってチームのヤツにやられたんだ」
「キール?」
静かに話し始めた杏西君の言葉にさっきの引ったくり犯が着ていたジャケッを思い出す。
白地に青の竜骨…そっか、確か前に一兄ぃ達が話してたような…
「いい噂なんて聞かない、きな臭いチームだ…。今日…そいつらの一人が引ったくりしてんの見つけて、捕まえようとしたんだ。腕掴んで…顔隠してたフード取って…そしたらさ…誰だったと思う?」
そこまでゆっくり話すと、杏西君は数回呼吸を深く繰り返した。
「長門…だったんだよ」
杏西君の言葉に驚きを隠せない土屋さん。私は杏西君のさっきまでの態度がストンと腑に落ちた。
「え…?長門はそんな事する子じゃ…!」
「俺もそう思うよ!でも、あれは絶対長門だった!!」
そう言って再び訪れた沈黙。二人とも大事な幼馴染がそんな事をする訳ないって思って、でも現実を突きつけられて黙り込む。
「…でも、長門は…」
そう言って泣きそうになる土屋さんを見て、杏西君がブランコから立ち上がる。
「大丈夫、もう一度明日長門を探して、此処連れてくる。その時に詳しい話を訊けばいい」
「え…うん…」
先程迄とは違う明るい表情を作って、土屋さんを安心させようとする杏西君。納得いかないまでも、頷くしかない土屋さん。
「…杏西君、一人で大丈夫?僕も明日一緒に行こうか?」
つい心配になって声を掛けると、私の方を向いて真っ直ぐ見つめられる。
「大丈夫だ、如月…ただ…この事クラスの皆には黙っててくれないか?」
「…え?何で」
「これはあくまで俺達の問題だ。風鈴は街を守るチームだ、俺達個人の問題に皆を巻き込めない。だから…頼む、黙っててくれ」
そう言って頭まで下げる杏西君に、私は何も言えず頷くしかなかった。
私が頷いたのを見て、「ありがとう」とホッとした表情を浮かべると、土屋さんの肩をポンと叩いて二っと笑う。
「そんな顔するなって…土屋。明日長門を連れてきたら、二人で思いっきり説教してやろうぜ!じゃ、お前ら気を付けて帰れよ!」
そう言って踵を返して公園を出ていく杏西君を見送った。
「…無理しちゃって…」
そう隣で心配そうにポツリと呟く土屋さん。
「大丈夫だよ、土屋さん。ああ言われたけど、明日は僕も『長門君』探すの手伝うし…」
「…え、でも如月…大丈夫なの?」
「ん…?何が…あぁ、大丈夫。僕意外と強いんだよ?」
『大丈夫』の意味をすぐに理解すると、土屋さんへ笑みを返した。そんな私の言葉にやっと軽く笑みを浮かべる土屋さんと公園の出口へ向かう。
「じゃ…また明日ね?」
「うん、土屋さんも気を付けて帰ってね」
そう言って公園の出口で別れた。
「キール…か」
商店街の道へ戻りながら、そう呟くと星空を見上げる。
何事もないと良いけど…そう思いながら、私は家路を急いだ。
部屋へ着くと早速制服を取り出して、皺を伸ばすとハンガーに掛けて浴室へ持っていく。浴室乾燥機をセットして一息つく。
「何か…今日も色んな事あったなぁ…」
風鈴に入学してから、毎日色んな事が起こる。
普通に平穏な日々がないというか…それでも、それはそれで楽しくて、楽しめてる自分がいる。
明日、無事長門君見つけれると良いけど…あ、朝ならタオル返しに行く時間あるかな?ついでにリサちゃん触らせて貰えないかな…
そんな事をベッドの上で思いながら、眠りについた。