「彼女」が「彼」になった理由

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「……はぁ」

昨日と同様の溜息を吐き出しながら、昨日とは違ってちゃんと前も気にしながら歩く。
昨日みたいに誰かを怒らせたとかじゃないから気は楽な気もするけど…別に気が重いとかじゃなくて…


…恥ずかしい………これが一番の理由。


はっきり言って、昨日一日であった事が多すぎる。

皆距離感が壊れてるんじゃないかって位、近すぎると思うんだけど…?


はっきり言って、こういう事に全くと言って良い程免疫がないのだ、私には。



………一体何のつもりであんな事をしてくるのかな…?


多分、喧嘩を売られている訳ではないし、嫌われてもいないとは思う。

私だって人並みには恋愛とかにも興味はあるけど…そういう行為はまずは想いを伝えて、お付き合いしてからするものだと思う。

私は二人から何一つ『好き』だの『付き合って』だのも言われた覚えがない。
寧ろ、今の私は『男』であって、彼らのクラスメイトで、まともに話したのは数日前…。


……この距離の近さは何だろう…?


それとも、男装して学校へ通う私に言外に意地悪でもしているんだろうか…?とまで考えてしまう。


そんな事をぐるぐる考えていたら、明け方だった。
中々寝れず、眠たい目を擦る。

視界の隅に何か白い毛玉が入る、不思議に思いちゃんと視線を向けると真っ白でピンクのリボンを結んだ猫が一匹。

道端に生えた草が揺れて、それに一生懸命じゃれている。夢中になって転がってもまた揺れる草へと手を伸ばす猫ちゃん。

「…飼い猫だよね…リボン付けてるし…」

そっと近付いてしゃがみ込んでもまだ猫ちゃんは草でじゃれている。風に揺れる雑草も猫ちゃんにとっては立派なおもちゃみたいだ。
楽しそうにじゃれる姿に自然と笑みが零れる。

「ふふっ…可愛いな…」

その声に反応するように此方に顔を向けると、ジーっと見つめてくる。数秒そのままで見つめ合うとサッと逃げて行った。

猫に置き去りにされると仕方なく立ち上がる。

「…あ、そっか…」

その時不意に思いついた。

私の反応が面白いから、隼飛君も三輝君も遊んでるんじゃない?

……丁度良いおもちゃ見つけたとか思われてるんじゃ…?

そう思えば、このモヤモヤした心にも一応の答えを与えられる気がした。


そうだよ、向こうは揶揄うかんじで遊んでるんだ…それに一々真面目に反応しちゃってるのはダメだよね。うん、気を付けよう。


「…よしっ」

って気合を居れて両手を握り締めた。


「…何が『よし』なの?」

「へ?」

突然後ろから声を掛けられ肩が揺れた。振り向くと不思議そうに首を傾げる三輝君。

「おはよー、万里ちゃん。何してんの?」

いつもの笑顔は今日も綺麗で、つられて笑みを返した。

「おはよ、三輝君。……猫ちゃんが居たから見てたんだ」

「猫?」

「うん、首にリボン巻いてたから、多分飼い猫ちゃんだと思うんだけど…近寄ったら逃げられちゃった」

「そうなんだー」

そんな会話をしながら三輝君の方へ身体を向けると、「行こうか」と促されてそのまま隣を歩く。


隣を歩く三輝君の顔をチラッと見ても、三輝君の態度はいつも通りで。昨日の事なんか全く気にしてない様子に、やっぱり昨日の事は揶揄ってたんだなー、と納得した。

まぁ、揶揄ってキスしてくるのはちょっとやり過ぎな気もしないでもないけど、隼飛君だって、同じように首筋にキスマーク残してくれたし…

男同志だったら、それ位ノリでしてしまうモノなのかもしれない…うん、きっとそうだよ。


万里ちゃん?どうかした?」

一人考え込んでいた私の顔を不思議そうに覗き込んでくる三輝君に、「何でもないよ」と誤魔化して笑顔で答えた。

「そう言えば…そろそろ級長決めだね。誰になるのかなー?」

「そっか、級長……三輝君はやらないの?」

昨日も言ってた話題だったな、と思い、三輝君に訊いてみる。

「えー、俺はないかな。面倒そうだしねー」

「そっか」

にっこり笑う三輝君に、なるほどと思う。

「級長一人と副級長二人だよね、誰か立候補とかするのかな?」

「どうだろうねー?」


そう言いながらスマホを弄る三輝君。その度に私のポケットに入れたままのスマホが振動する。チラリと三輝君の手元を覗くといつものゲーム画面ではなくてメッセージアプリだった。

昨日作ったグループでチャットのやり取りをしている。


あぁ、だからさっきから私のスマホも通知が来てるんだ…。そう思って、ポケットらスマホを取り出すとアプリを開く。

隼飛君と楡井君、柘浦君も参加してどんどんメッセージが流れていく。

私もおはようのスタンプを押して参加する。次々に追加される話題に口許を綻ばせながら、参加できそうな話題を拾っていく。

その時、既読はちゃんと『5』って付くのに、一人全く会話に参加してこないのに気付く。

あー…桜君かぁ。そういえば昨日初めてアプリ入れたばかりだったなー…と思い出す。

何となくスマホも余り使いこなせてなさそうだし…友達登録、天気だけだったもんね…昨日の光景についつい笑みが零れてしまう。


「何笑ってるのー?楽しい話題あった?」

スマホから視線を上げれば目を細めて此方を見ていた。

「ううん…ちゃんと既読はしてるのに、桜君はチャット入ってこないなーって思って」

「あー…確かに。桜ちゃんにはちょーっとレベル高かったかもね」

そう言って笑う三輝君に「そうだね」と言って笑う。そんなやり取りをしながら学校へと向かった。


教室へ入ると教壇の前辺りで隼飛君と楡井君と柘浦君が椅子を並べていた。「おはよう」挨拶をするとそれぞれが返してくれる。
三輝君も今まで通り後ろのロッカーへは行かず近くの椅子を持ってきてその中へ腰掛ける。私は何となく中に入りづらくて少し後ろの窓際にあった机と椅子の揃っている席へ鞄を置いた。

如月くんは此方に来ないの?」

目聡い隼飛君が声を掛けてくれたけど、「うん…荷物あるし」と曖昧に笑って席へと座った。…やっぱり昨日の今日じゃまだ恥ずかしいって…そんな言い訳をしながら机に肘を付くと窓の外へ目をやる。開け放たれた窓からは心地良い風。少しだけ強く吹き抜けた風に乗って桜の花びらが一枚ひらひらと机へ舞い落ちた。


その小さな花びらを指で摘まむとまた窓の外へ返す。再び風に乗って離れていくそれは直ぐに見えなくなった。



ガラッと勢い良く開けられたドアの音。ズカズカと入ってくる足音に視線を遣れば桜君が息巻いて4人の前に立つ。

「級長ってのはなんだ!!」

そう怒鳴ると、「そもそもなんでここで話せばいいことを、わざわざメッセージでよこすんだよ!」と続けて怒鳴る。

うん、余程朝会話について来れなかったのが堪えたらしい。桜くんらしいな…と少し微笑ましくその遣り取りを眺めていた。

「大丈夫だよ、桜くん。今からその話するから」

そう言った隼飛君の言葉に続けて「おるぁ、注もーく」と3人の上級生が教室へ入ってきた。
初日に見回りで一緒になった梶さんも居た。


楡井君の説明で、他の二人が副級長だと知る。前髪で目が隠れているのが楠見さんで、巻き舌でこの場を仕切っているのが榎本さん。

それを横目に私の座る席の前の椅子へ来た早々にドカッと座りスマホを弄る梶さんを眺める。
ヘッドフォンからはほんの少しだけ漏れた激しめの音楽が耳に届いた。この距離でヘッドフォンから音漏れするって事は、かなりな音量だ。

そんな事を考えながら、何気にじっと見ていたみたいで、私の視線に気づいた梶さんがチラッと此方へ視線を向ける。


あ……見過ぎた…しまったと思うも、ばっちり合った視線を咄嗟に外すことも失礼かと愛想笑いを浮かべる。
そんな私を他所に梶さんはスッと視線を外してまたスマホへと戻した。


うん、華麗にスルーされたな…そう肩を竦めると教壇へと視線を向ける。


「自薦、他薦は問わねぇ、ちゃっちゃっと決めろぉ」


どうやら本格的に級長を決めるらしい。誰か立候補でもするのかな?そんな事思いながらクラスを見渡す。

「はい」そう声が響いて視線を向ければ蘇枋君が手を挙げている。

何となく意外だった。こういうの進んでやらなさそうなのに…同じ事を思った人は何人か居たようで皆が隼飛君に注目していた。


「桜くんがいいと思います」

続いた言葉に一番驚いていたのは桜君で…。でも続いて賛成の声を上げる柘浦君、三輝君、楡井君。


「うん、僕も桜君がいいと思うよ」


続くように自然と手を挙げて私も声をだした。

確かに、真っ直ぐで、素直で人の為に熱くなれる桜君は級長合ってるって思う。

それでも…と渋る桜君にクラスの皆から文句はないと声が掛かる。

「もし君がやってくれるならオレが副をやるよ。もう一人は、そうだな…にれ君やる?」

そう言って桜君へ言葉を向ける隼飛君。

逆に困惑して立ち尽くす桜君。その表情はどうしたらいいのか分からないという感じ。


「なにちんたらしてやがるんだよ!!」

突然響いた怒声に目の前で立ち上がって怒っている梶さんを見る。


び…びっくりした…


思った以上の大声にまだ心臓が跳ねる。

それを察した副級長の二人が仕方ないという目で見遣ると、楠見さんが近付いて梶さんのヘッドフォンを取った。

途端に通常音声に戻った梶さんに、周りの皆も梶さんがいかに大音量で音楽を流していたのか察したようだった。

うん、確かに鼓膜が心配になるレベルだよね…ホント大丈夫なんだろうか…?


そんなみんなの視線も気にもせず、梶さんは桜君を指差して言った。

「おい、お前。お前がやれ。はい、決まり」

「は…はぁ?何勝手に」

反論しようとする桜君に、「誰もハナから100点なんて期待してねーよ。それでも使えなきゃ他のヤツがやりゃあいい」と再びヘッドフォンを耳へ装着する。

「以上!終わり!」

再び上がった終わりを告げる大声にまた耳がビリビリと痛い。2年生の級長は短気のようだ。

桜君は、何だかんだとクラスの皆から説得されて、認められて、納得はなかなか出来なくても取り敢えず級長を受け入れたみたいだった。

何か初日はあんなに尖ってた桜君がどんどんクラスに溶け込んで行くのが分かって、何となく見守る側に居る私も素直に嬉しいなって思う。

何ていうか、その微笑ましいというか…。

楡井君が「多聞衆1年のチャットグループ作っても良いでしょうか?」と言えば、皆待ってましたと言うように声を上げてアカウントを招待していく。

直ぐに私のスマホも通知音が流れてきて、アプリを開けば招待されていた。『参加』を押してヨロシクのスタンプを押してスマホをまた閉まった。


その後、少しだけ榎本さんと話してた桜君に、「今日の放課後の見回りは多聞衆だ。お前ぇるぁ新米幹部は梶につけぇ」と言っていた。


そっか…放課後は見回りかぁ…じゃ、放課後は音楽室行けないなぁ…


少し残念に思いながら、再び窓の外へ視線を向けた。







午前授業とは言えない時間を過ごした昼休み。皆集まって各々軽い昼食を取る中、持ってきたゼリー飲料を口に咥えてカバンを肩に掛けて教室を出ようと立ち上がる。


「あれ?如月くん、どっか行くのかい?」

如月ちゃん?」


またしても隼飛君と三輝君に声を掛けられて立ち止まる。


「…う、うん。ちょっと行きたいトコあって」


音楽室と言うのも憚られて、言葉を濁してポリっと頬をかいた。


「行きたい所?」

「んー…ひょっとして昨日の放課後寄りたい所って言ってた場所?」


不思議そうに問う蘇枋君と、やっぱり勘の良い三輝君。図星を突かれると誤魔化すように笑って「ん、そんなトコ」と返した。

「じゃぁ、オレも付いてってイイ?」

「へ?」

え、来るの?

「オレも如月ちゃんが行きたがってた所、興味あるしー」

「じゃ、オレも付いていこうかな」

笑顔の三輝君と隼飛君。

「え、本気…?」

「えー!じゃぁ、オレも一緒に行って良いですか?如月さん!」その言葉と共に楡井君まで参戦してきた。そして、「桜さんも一緒に行きましょう」と隣に居た桜君も誘っていた。


「…え…皆来るの?別にそんな大した所行くわけじゃ…」

必死に皆落ち着けと両手を振るも、にっこり笑った隼飛君が

「大した所じゃないなら、ついて行っても問題ないじゃないか」

と言うから、それ以上反論も出来なかった。


「……まぁ、良いけど。別に楽しい所じゃないと思うよ?」

仕方ないと溜息を吐くと、私は教室を出た。私を先頭に4人が付いてくる。歩いているうちにゼリーを飲み干せばゴミを鞄へと戻した。

階段を下りて、どんどん人気のない方へ進んでいく。

「へー、こんな所あるんですね」と周りを見ながら楡井君が呟いた。

「うん、何か此処の方は人少ないよね。比例して落書きも少なくなってるし」

そう言いながら端っこの教室の前で足を止める。


「此処だよ」

そう言って扉を開けると教室内へ入った。昨日掃除しただけあって埃っぽさはなくなっている。窓際まで進むと窓を全開に開け放つ。

「音楽室…ですね」

「うん、昨日見つけたんだ。そしたら、グランドピアノがあってビックリした」

そう言いながら、グランドピアノの後ろの蓋を開けて固定し、鍵盤の蓋を開けて椅子へと座る。

如月ちゃん、ピアノ弾けるんだ?」

「うん、人並に。あ、でも楽器なら大抵弾けると思う…」

三輝君が周りにあった椅子を近くまで持ってきて背もたれを前にして座った。

「ヴァイオリンも上手だったしね」

隼飛君は三輝君と反対側に椅子を持ってきて腰を下す。

楡井君も桜君も各々自分の好きな所へ椅子を移動させて座った。


「んー…何弾こう。何か聴きたい曲あったりする?」

一応聴衆が居るので皆を見て訊いてみる。

「うーん……そう言われると…ピアノの曲ってなかなか…」思い浮かばないと考え込む楡井君。

「あー…別にJ-POPでも何でも大丈夫…」言いかけた所で、はっきりと言葉が聞こえる。

「じゃぁ、超絶技巧曲のどれかを一曲」

隼飛君がにっこり笑って言い切った。


「え……超絶技巧…?」

んー……何が良いかな?と考える私。黙ってしまった私に勘違いをしたのか、隼飛君が謝ってくる。

「あー、ごめんね。難しいなら如月くんの好きな曲で…」


「じゃ、リストの『ラ・カンパネラ』で」


そう言うと、一つ深呼吸をして鍵盤に手を置く。そして、最初はゆっくりと音を奏でていく。

『ラ・カンパネラ』はフランツ・リストのピアノ曲。ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章のロンドの主題を編曲して書かれた、超絶技巧曲としても有名な曲。16分音符で2オクターブの音域を行き来して音を出して、題名の意味である『鐘』を表現する。

結構…いや、はっきり言って、かなり指を酷使するけど…私は大好きな曲の一つだ。私は手が大きい訳じゃなく、どちらかと言うと小さいほう。ただ、1オクターブは届く位指は開く。だからその分、指を早く動かすしかない。

後半に入るまではほぼ高い音域での演奏。指が大変でも、聴いている方には綺麗に繋がって聴こえるように弾き続ける。

途中音階を下げてこれば通常域での演奏は終盤に入る。最後は力強く重音抑えてゆっくりと鍵盤から指を離した。

良かった、特に間違ったミスはなかったと思う。久しぶりに弾くとやっぱり指辛いなぁ…と手を握ったり閉じたりする。


「すごーいねー」

「本当に、とても綺麗な曲だったよ」

「素晴らしいですっ!如月さんっ!」

「…!」

そんな事をやっていたら突然あげられた声と共にパチパチと拍手をくれる皆。

「ありがとう」

讃辞に笑顔で応える。黙ったままの桜君と目が合うと、「…何だ、鐘が鳴ってた…」それだけ呟くのが聞こえた。


「え?分かった?そう、鐘。カンパネラって、イタリア語で鐘って意味なんだよ!」

絶対に曲も曲の意味さえも知らないだろう桜君から聞けた言葉に思わず、立ち上がって両手で手を握る。

「僕の演奏でそれを感じ取ってくれたなら、凄く嬉しい!ありがとう、桜君」


自分で演奏した曲が、イメージとしてそう伝わったのなら本当に嬉しくて、笑顔で夢中で手を握った。

如月くん、桜くんが困ってるから手を放そうか?」

そう言って肩をポンと叩かれてハッとする。目の前には耳まで赤くなった桜君。

「ご、ごめん。嬉しくて…つい」

そう言いながら手を放してまた椅子に座り直した。


「じゃ、じゃぁ、他に何か聴きたい曲とか…?桜君ある…?」


「……曲とか…きらきら星とか位しか…知らねぇし」


きらきら星…


「桜さん…それは…」少し笑いながら言う楡井君。「…あ?だから知らねぇって…」って照れたように言う桜君。


「いいねー、きらきら星。僕も好きだよ」


「え?」と意外そうな顔で此方を向く楡井君を他所に誰もが知っているであろう旋律を軽いタッチで弾き始める。

右手と左手を同時に一音ずつで弾いて主旋律完了。


すぐに変奏して、第一変奏へと移る。第一変奏は右手が音階で主旋律をなぞりながら流れるような旋律に変わる。


第二変奏は逆に左手が音階で伴奏になる。


『きらきら星変奏曲』はモーツァルト作曲。誰もが知っているきらきら星を全十二の変奏で作曲した曲。「音色」「リズム」「速度」「旋律」「テクスチュア」「強弱」「形式」「構成」の要素を其々変えて作られている。

全く違う曲に聴こえそうだけど、ちゃんと主旋律は同じだと分かる。まるで音遊びをしてるみたいで、私はこの曲が好き。

第十二変奏まで弾き終わると「どう?」と皆に訊く。


「どんなに変わっても、よく聞けばきらきら星って分かるよね?」


「おー、おもしろーい」

「きらきら星変奏曲っていうのかな?」


三輝君が手を叩きながら感心する。隼飛君は曲名を言い当てたので、「そうだよ」って答えた。


じゃ、最後は…多分誰もが知ってると思う、男性ボーカリストのJ-POPの名曲を弾く。


これには楡井君も反応。弾き終わると、「Lemon…ですね」「うん、この曲好きなんだよねー」と盛り上がる。

じゃぁ、今度は引いてほしい曲考えときますっていう楡井君に、うんと笑みを返した。

スマホを確認すれば、そろそろ昼休みも終わる時間になっていた。

「そろそろ時間だね、教室戻ろうか?」

そう言うと、隼飛君が窓を閉めてくれていた。私はグランドピアノの蓋を両方閉めて「ありがとう」とお礼を言う。

教室を出ようと扉を開ければ、二十人位の人だかりが出来ていて、吃驚する。

「あ…あの…?」

ざっと見渡す限り上級生ばかりで…おそらく、多分だけど今まで鳴った事のないピアノに興味本位で集まった感じかな…?まぁ、窓全開で弾いてたしなぁ…。

「お前が弾いてたのか?」

その中の一人が訊いてきたので、先手必勝とばかりにその場で頭を下げる。

「あ、お騒がせしてごめんなさい。多聞衆一年の如月です。これからちょくちょく弾きに来ると思うので、宜しくお願いしますっ!」

そう笑顔で挨拶をした。何故かシーンと静まり返った場に、少しだけ焦りながら周りを見渡す。


う…やっぱり迷惑だったかな…?それとも勝手に音楽室使ったらヤバかった?



「おう、何集まってんだ?お前ら」


沈黙を破るように響いた声にその場に居た皆の雰囲気が変わったのが分かる。
集まった上級生が道を開けると、それを割るように歩いてくる風鈴のてっぺん。

「誰がって考えるまでもなかったなぁ。久しぶりに聴いたぞ、お前のピアノ」

小さい子を褒めるように頭を撫でられると、一兄ぃを見上げて少し小声で訊いてみた。

「…あ…音楽室勝手に使っちゃダメだったかな…?昨日、椿ちゃんに教えて貰ったから探したんだけど…?」

「いや、別に構わない。どうせ誰も使ってないしな。それにたまには弾いてやらないとピアノも可哀想、だろ?」

そう言って笑う一兄ぃに「うん」と頷く。

『折角楽器があるのなら、弾いてあげないと可哀想』それは、昔からの私の口癖だ。


「まぁ、お前らそういう事だから。騒がせて悪かったな。これからは休み時間賑やかになって良いだろ?宜しく頼むわ」


一兄ぃがそう言い切ってしまえば、各々返事をして集まった上級生達は解散していく。

「ありがと、一兄ぃ。何か…皆シーンとしちゃってたから、助かった」


「まぁ、あいつらもビックリしただけだろ。さて、お前らもさっさと教室戻れよ?」

そう言って最後に頭をポンっとされて去っていく一兄ぃ。楡井君と隼飛君と三輝君は軽く頭を下げていた。

「じゃ、僕らも教室戻ろっか」そう言って少しだけ足早に教室を目指した。





*************************************************************



放課後、多聞衆の見回り。朝の言う通り、級長達、桜君、隼飛君、楡井君は梶さんと楠見さんについての見回りとなった。

私は、三輝君と他のクラスメイトと一緒に榎本さんに着いていく事に。

特に何事もなく歩いていると、視界の端に白い動く毛玉。何気にちゃんと見れば道端に生えた猫じゃらしにじゃれている白猫が居た。それも、ピンクのリボンをして、私が朝見た猫ちゃんだった。

咄嗟に隣を歩く三輝君の袖を掴んで指差す。

「ねぇ、三輝君、あの猫ちゃん…僕が朝見た子だよー。可愛いよね?」

「ん?ホントだねー」

朝は逃げられちゃったけど、今度は驚かせない様にそっと近付いて目の前にしゃがみ込んだ。猫はそのガラス玉みたいな綺麗な目で不思議そうに此方を見るけど逃げていく事はしなかった。

近くの猫じゃらしを摘んで、顔の近くで揺らすと興味を示してじゃれてくる。


「…可愛い」

ついそのしぐさを愛でていれば、猫じゃらしではなくて私の手に直接顔を摺り寄せてくる。

人懐こい子だぁ…やっぱりこの子飼い猫だよねー。可愛すぎっ!

如月ちゃん、懐かれたねー」

「三輝君も触ってみたら?この子人懐こいよー?」

覗き込む様に隣へしゃがみ込む三輝君にそう言えば、三輝君もそっと手を差し出す。その手を軽く匂いを嗅いで同じように身体を摺り寄せていく猫ちゃん。


「ね?可愛いよね?」

「そうだね」

懐いてくれるとやっぱり嬉しい。ついつい笑顔になってしまう。緩んだ顔で撫で続けると、だんだん猫ちゃんも寝転がってお腹まで見せてくれるようになる。え、本当に超可愛いんだけどっ…

夢中で撫でていれば、前を歩いていた榎本さんの声がする。


「お前るぁ、今から迷子探しだぁ」

「迷子?小さい子なんですか?」

『迷子』の言葉に瞬間施設の小さい子達を思い浮かべた。それは実は大変な事なんじゃ…場合によっては警察に連絡も視野に入れないといけない事案だ。


「いやぁ、探すのは『リサちゃん』っていう白猫だぁ!ピンクのリボンしたなぁ」


「へ…?」


私は隣の三輝君と顔を合わせる。

ピンクのリボンを付けた白い飼い猫……。もう一度マジマジと目の前でヘソ天してゴロゴロ仰向けになった猫を見る。


「…この子だよね…?」

「そだねー」


如月!桐生!ソイツ捕まえるぉぉ!!」


捕まえようとした瞬間、私達の足元を見て同時に気づいた榎本さんが叫んだ。その声に驚いた白猫ちゃん…リサちゃんは早業で起き上がると警戒態勢をとる。

「あっ!!」と声を出すと同時に、ダッシュして逃げ出す。

逃げ出したリサちゃんを榎本さんが追いかける。私達もそれに続こうとしたら、振り返った榎本さんが反対側を指差した。

「お前るぁは、反対側から廻るぇえ!」


私と三輝君は咄嗟に踵を返してリサちゃんが逃げた道を想定しながら、反対から回り込める道を探しながら走った。



万里ちゃん、こっち!」


走りながらスマホを弄っていた三輝君が路地を曲がる様に声を掛けてきた。当然ながら、私より体力もあって、足も速い三輝君に着いていくのがやっとな私は返事もソコソコに必死に足を動かす。


そうすると前方に此方に向かってくる桜君。その視線の先にはリサちゃんが逃げている。このまま行けばリサちゃんを挟み撃ち出来そうだ。

リサちゃんまで後数メートル。川に架かる橋に差し掛かった時にリサちゃんは私達に気付いたみたい。真っ直ぐに走って来ていたのに突然橋の欄干へと軌道を修正してしまう。そちら側はには川しかなくて…。


「バカ!そっちは!!」

そう言って慌てる桜君の声が響く。


「ダメっ!!」

リサちゃんが迷いなく川へとダイブ。私も思うより先に欄干を飛び越えた。空中で手を伸ばしてもリサちゃんには届かない。


あっ…ヤバ…っ!!

転ぶ直前のスローモーションに見える状態…あんな感覚。後ろで「如月ちゃん!」っていう三輝君の声も聴こえた気がした。


そのまま川へ落下する。私の真横に並んで淡い茶髪が通り過ぎていく。その瞬間に大きい衝撃と共に水中へ落ちた。

思った以上に深めの川だったので、咄嗟に足がつかない。必死に浮き上がってリサちゃんを探す。

でもその先には暴れるリサちゃんを片手に岸へと向かう梶さんの姿があった。

暴れるリサちゃんを迎えに来た同級生に渡す。

元気そうなリサちゃんを見て、ホッと息を吐いた。

「良かった…」

私も岸に上がろうと泳いでいくと、振り返った梶さんが此方へ手を伸ばしている。ん?何だろ?そう思いながら
近付けば「手っ」と言われる。素直に手を差し出せば手首を掴まれて力強く引っぱられた。そのまま岸へ手を着いたのを確認して梶さんは川から上がると、もう一度振り返りまた手を私へと差し伸べた。

そんなに何回も悪い気がして「大丈夫です」と言うとすると、「早く、手っ!」と機嫌悪そうに言われおずおずと手を差し出した。ほぼ引っ張り上げられる状態で、川岸へと登る。


「……ありがとうございます…」


素直にお礼を言って頭を下げると、「……」何も言わずに背を向ける梶さん。

どうしたら良いか分からず立ち尽くしていた私の肩をポンと軽く叩かれる。振り返れば楠見さんがニコッと笑ってくれた。釣られて笑みを返す。

「コルァ!如月!勝手に飛び込んでんじゃねぇ!」

「す、すみませんっ!!つ…ついっ!」

反対側から榎本さんの怒鳴り声に反射的に謝罪を返して頭を下げる。でも、怒鳴り声は続いてはこず、頭に柔らかい物が触れて強い力でガシガシッっと力任せに拭かれる。

「こういうのは上級生に任せときゃァイイんだよ…まぁ、ケガなくて良かった…」


打って変わって穏やかに紡がれた言葉にタオルを頭に載せたまま顔を上げる。そうすれば軽く溜息を吐きながらもいつもの勢いのある榎本さんとは違って穏やかな笑みを口許に称えて此方を見てくる優しい瞳も胸がほわんと温かくなった。

「あ…ありがとうございます…」

タオルの端を口許へ当てて、でも感謝の気持ちでお礼を言う私の頭をもう一度ガシッと掴むと、またいつも通りの声が響く。

「早く拭けェ!そのままじゃ風邪ひくだろうがぁ!!」

「は、はいっ!!」

思わず大声で返事をすれば、軽く手を上げて去っていく榎本さんと楠見さん。その背中を眺めながら、やっぱりボウフウリンの先輩達は皆カッコイイなぁ…やっぱり皆優しい…としみじみ思った。



如月ちゃん!大丈夫?」

先輩が去るとすぐに声を掛けてきた三輝君に「大丈夫だよ」と返す。三輝君は当然のように頭に乗ったタオルで私の髪を優しく丁寧に水分を取っていく。

「ホント、ビックリしたよー。止める間もなく川飛び込んでくし」

「あはは…危ないって思ったらつい身体が勝手に、ね…。でも、結局梶さんが助けてくれて…全く役立たずっていう…」

三輝君の言葉に結局役に立てなかったと自嘲する。

「そんな事ないよ。如月ちゃんは役立たずなんかじゃない。誰よりちゃんと精一杯頑張ったでしょー?」

少し俯いた私の頬を三輝君の温かい手の平が包む。視線を戻せば目を細めて「ね?」と私に笑いかける三輝君に「…ありがとう」と笑みを返した。


「でも、そのままじゃ本当に風邪ひいちゃいそうだねー」

そう言われて改めて自分を見る三輝君に、私も自分を見下ろす。まぁ当然だけど、制服のみならず、靴のまで見事にびしょ濡れだ。制服だけでも、水分をなくしたい所だけど…制服の下はTシャツ一枚で、勿論濡れてて此処で脱ぐ訳にもいかない…。

温かい日差しがあるとはいえ、まだ4月上旬。普通なら爽やかで暖かいと思える風も、濡れた服へ当たると余計に冷たさを感じて、寒ささえ感じる。

このままだと、皆が言う様に風邪をひくのも時間の問題だと思える。


如月くん、大丈夫かい?」

如月さんっ!!ケガとかないですか?!」


振り返れば心配そうに駆け寄って来る隼飛君と楡井君の姿に「大丈夫だよ、ありがとう」と返した。


「…くしゅんっ!」

二人に向き合うと出たくしゃみに咄嗟に口に手を押し当てる。

「取り敢えず、そのままじゃ風邪ひきそうだし…もう帰った方が良いね」

そういう隼飛君に素直に頷いて「…そうするよ」とだけ返した。


うん、ちょっと…いやかなり寒いし…。


送って行くという、三輝君や隼飛君に「大丈夫、皆は見回りを続けて」と丁重に断って、代わりに先輩達に先に帰ると言伝を頼んだ。
少し納得いかないような顔をする二人と、「分かりました!」と快く承諾してくれた楡井君に軽く手を振ってその場から離れる。


「……くしゅっ…あー……ホント寒っ…」


また出たくしゃみに商店街を挟んで反対方向の家まで帰るのは距離的に辛いと思い、そのまま足はポトスへと向かう。

ことはに服借りよう…ついでにシャワーも…。


そう思い、私はポトスへ向かうのだった。
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