「彼女」が「彼」になった理由
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椿ちゃんとの楽しいお喋りで、随分楽になった心。
来た時とは足も心も軽やかに、教室へ戻った。
もう皆は通常通りにそれぞれのグループで集まり、雑談をしていた。後ろの扉から入って、相変わらずロッカーに座る三輝君を見つけると隣へ駆け寄る。
「おかえりー。長かったね。少しは気分晴れたかなー?」
「ただいま」と言う前に先に声を掛けられて驚いたけど、スマホ画面から視線を此方に向けてくれた三輝君の瞳は優しくて「うん」と私も笑顔で答えた。
「途中で知り合いに逢って、屋上でお喋りしてたんだ」
「そっかー。良かったね」
「うん」
そう返事をすれば、またロッカーの上へ登り三輝君の隣へと腰掛ける。自分のスマホを取り出すと途中で中断したままのチュートリアルを再開させた。
暫くするとチュートリアルも終わりに近づき、一つのメッセージが届いていた。それを開けるとフレンド申請で、『承認ヨロシクー』とメッセージがあった。
「ソレ、俺だからねー」
「うん、すぐに分かったよー」
隣でいつの間にか此方を覗き込んでいた三輝君に笑いながら、『YES』のボタンを押した。
ゲームの内容はRPGに近い物で、パーティーを組んだりも出来るらしい。早速パーティーを組んでくれて、低レベルでも付けれる装備を貸してもらった。初心者の用の狩場でレベル上げをすれば放課後にはレベル20を超える所まで進めれた。
「一人の時はレベルに合わせて、狩りしたら良いし、あとはストーリーのミッションをこなしていけばレベル上がると思うから。後は職業は好きなの選んで良いと思うよ。」
「うん、やってみるねー」
さて帰ろうとなった時に教室の入り口で大きな声が響く。
「よっしゃ、ほんなら行こか?」
「はいっ!ほら、行きましょう!桜さん、蘇枋さん!」
柘浦君の声に楡井君が意気揚々と返事をしている。そしてあまり気乗りをしていなさそうな桜君と蘇枋君に声を掛けると、その腕を両手で組んで連行していった。困ったような顔をする蘇枋君だったけど、大人しく連れて行かれるあたり楡井君には優しいんだなー、と思う。
教室を出る瞬間、此方に視線を向けた気がしたけど、それも一瞬の事でそちらに視線を向けた時には強引に連れ出されていく隼飛君の後ろ姿しか見る事は出来なかった。
「何か、仲良くなってるみたいだねー、皆」
「そだねー。じゃ、俺らも帰ろっか?」
そうロッカーから降りる三輝君に続いて私も降りる。そのまま教室を出ると昇降口まで並んで歩いた。
そのまま帰ろうとしたけど、そこであるものを見て興味が湧く。
「…如月ちゃん?」
立ち止まった私を不思議そうに見る三輝君。
「あー…僕、ちょっと行きたい所あるから、三輝君先に帰ってて。また明日ね?」
そう言って笑顔を向けると、少し納得いかなそうな表情を見せるも一瞬で。すぐに笑顔を返してくれた。
「分かったよー。気を付けて帰ってね」
「うん、ありがとう。大丈夫だよー」
そう言って、昇降口で彼の姿を手を振って見送った。
「さて…と…」
そう言うと壁に掛かっている校内見取り図へ再び視線を移す。そこには沢山の落書きの隙間から『音楽室』の文字がかろうじて読み取れた。
その場所へ向けて階段を登る。専門教室が多くなってくるにつれ、少しづつ落書きの数も減っていく。
一番端にある教室へ辿り着くと、ゆっくりとドアを開けた。
そこは少しの落書きがあるものの、他の教室とは比べ物にならない位ちゃんとした教室で、私が知っている音楽室と大差なかった。
ただ、椅子の並ぶ殺風景な部屋の中央に、カバーを掛けられている大きな存在。
私は室内へ入ると、期待半分でそのカバーの中を覗く。そこには期待通り…いや期待以上のモノに思わず笑みが零れた。
勢いよくカバーを取り払うと、真っ黒で艶のあるソレに思わず声が漏れた。
「うそ、グランドピアノ…」
全く期待してなかった。ただ曲がりなりにも『学校』っていう場所なら…と少しだけ期待はしていた。椿ちゃんにもそれとなく訊いたけど、音楽室あったような気はするけど、入ったことはないって返事だったし…。
ただ、その期待はせめてアップライトピアノがあったらな…という程度だったんだけど…まさかグランドピアノがこんな綺麗な状態で保管されているとは思ってなかった。
誰か楽器が好きな人でも居たのかな?
そう思う位に綺麗な姿に早速蓋を開けると鍵盤を鳴らしてみる。『ドレミファソラシド』を弾くと、ちゃんと調律されているようだった。
でも、教室内の様子からして、頻繁には弾かれてなさそうだし…埃っぽいし…
カバーで覆われてたピアノは綺麗だけど、教室内は掃除はされていないのだろう。年相応の埃がうっすらと溜まっていた。
取り敢えず窓を全開に開け放つと、室内へ風を入れる。そしてピアノの弦が隠れている蓋を開けてつっかえ棒で蓋を開けたまま固定すると中へ風を通した。
楽器に湿気は敵だしね…そう思いながら室内を見回す。隅っこにある掃除用具を入れるロッカーを開けると、ほうきとモップが入っていた。
取り敢えず、大まかな埃だけでもと…ほうきを手に取ると隅の方から埃をかき集めていく。
随分と長い間掃除されてなかった教室は結構な量の綿埃を有していた。でも、だんだんと綺麗になっていく室内に一緒に気分も良くなる。
最後に集まった埃の山をちりとりに取ると、ゴミ箱を探すが見当たらず…どうしたものか…と試案するもバッグの中にあったショッピング袋を思い出しその中へ入れると口を結んでおく。
…仕方ない、持って帰るか…そう思い、教室の隅へ置くと改めてピアノへ向かう。
椅子を自分の高さに合わせて腰掛けると、今度は両手で音階を全て弾いていく。
「ホントに調律してあるみたい…」
狂った音はこれと言って発見出来ず、気分良く私は曲を弾き始める。
ショパンの『夜想曲』。正式にはノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2。ショパンのノクターンの中でも一番有名な曲。ゆったりとした曲調で綺麗な旋律。
最後の音を叩けば、その余韻を楽しみながらそっと指先を鍵盤から離した。
「…んー、やっぱり窓開けて弾くピアノは良いなー…」
最後の音が消えると、窓の外を見て自然と呟いた。自分の部屋は窓を開けると近所迷惑になるので締めっ切っての演奏になるから、解放感あるのは嬉しい。
明日から、出来るだけ此処来るようにしよう…そう思いながら、ピアノの蓋を締めると、窓を閉める。この短時間でも室内の空気は入れ替わったし、部屋も綺麗になった。
ゴミを集めた袋をバッグへと詰め込むと、音楽室の扉を締めて朝来た時とは全く正反対の足取りで学校を後にした。
さぁ、どうしようかな…ことはのトコ行くのも良いけど…何か買い出しして家で作っても良いし…そう思いながら商店街を歩く。
あぁ、確か…今の時間だと八百屋のタイムセールに間に合うかも…
ことはの手伝いで買い出しはよく付いて行く事もあって、そのまま八百屋へ向かう事にした。
タイムセール終了まであと10分を切った時点でやっと八百屋に辿り着く。一通り店頭に並ぶ野菜を見渡すと既に結構空の棚が目立つ…その中にミニトマトを見つけるとその価格が100円引きになっていた。残り2パック!これは絶対買わねば…!そう思って手を伸ばす。
「…居たぞっ!」
そんな声と共に数人のガラの悪い男たちが走って近付いて来た。
「…は?」
伸ばした手をピタリと止めて、声のした方へ振り返る。
勿論、見たことも話した事もない顔に眉を顰める。
「君達…誰?」
一人一人顔を確認するけど、やっぱり面識はない相手。当然の疑問にも答えようとすらせず、数人で私を囲んでくる。
何か人違いっぽいし、誰かと勘違いしてるんだろう…そう思うも、こんな店頭ではお店に迷惑が掛かる。そう思うと泣く泣くミニトマトは諦めて、そこから離れようと囲む男達の間を通り過ぎようとした。
「おいっ、待てよっ!!」
そう言って私の腕を掴んでくる一人にちらりと視線を向けると逆に相手の二の腕を掴んで逆手に取り、引き寄せながらその勢いで投げ飛ばす。
「ねぇ、何か誰かと勘違いしてない?僕は君達の事全然知らないんだけど…?」
まだ周りを囲む数人へと言い放つも、仲間へ攻撃された事で戦闘態勢になった子達には言葉は届いていないようで…今にも襲ってきそうな顔で睨み付けてくる。
「このっ…」
そう言って襲い掛かってくる二人に、溜息を吐くと直前で身を屈めて足を伸ばして二人同時に引っ掛ける。
見事にすっ転ぶ相手。立ち上がって見下ろすともう一度言う。
「だからー、君達誰?僕に喧嘩売る理由教えてくれる?」
何なんだ、とイラっとしながら問いかける。
まだ元気な一人がニヤニヤ笑いながら答えた。
「あぁ?何しらばっくれてるんだよ。俺らのチームのリーダーがお前を探してンだよ。風鈴の制服来たピンクの頭の奴をなぁ…」
「…へ?」
「そういやぁ、女はどうしたんだよ…まぁ、お前だけでも連れてけばイイか」
女…?何の話だろう…?でも、ピンクの髪って…
「ちょっ…だからそれ人違いじゃ…」
そう説明しようにも、全く持って聞く耳持たずな相手が掴み掛ってくる。その手を此方から掴み回転させ相手の脇へ肩口を入れると掴んだ手を引き投げる。
取り敢えずその場を立ち去ろうとした時、向こうの路地から仲間と思しき数人が此方に気付いて走って来る。
あの全部を相手にするのは面倒そう…それにこの場所で乱闘はお店に迷惑掛かっちゃう。
さっきから心配そうに見守るお店のおばさんに『お騒がせしました』と笑うと、踵を返して走りだ出した。
「あっちだ!!…待てっ」
そう後ろで声が聞こえるが、この状況で待てを言われて待つことなんて出来ない。
それに明らかに多勢に無勢…一人で相手するのもしんどそうだし…。それに風鈴でピンクの頭ってそうそう居ないと思うんだけど…
そんな事を思いながら取り敢えず走る。細かい路地へ入ると今度は横から別の男たちが走って来るのを見つけて反対へと走った。
携帯で仲間と連絡を取り合っている彼らはどんどん集まってきて…そっから逃れるように少し広めの路地へ出ると目の前にまた集団。
…うわっ…挟まれた…
そう思った時にはもう遅くて、飲食店の前で囲まれる。
最初から私を追ってきた子達が追いついて、「見つけましたよ、風鈴の…」と言ってきたが、リーダーと思しき人物は一瞥して追いついた子を睨み付けた。
「あ?誰がこんな奴探して来いって言った?」
「…え?でも…風鈴の制服にピンクの頭って…」
予想外の言葉に慌てて釈明する。釈明を聞く事もせず苛立っているリーダー君はその子を殴り倒した。
「だから言ったんだ…人違いだって…」
良かった…このままいけば誤解も解けそうだ…そう思って口にするも逆に睨まれる…何でよ…。
「じゃ、人違いって事で、僕はこれで…」
そう言いながらその場を離れようとしたけど、囲んで居る連中はそうさせてはくれない。また数人相手にして逃げるしかないかなぁ…?「はぁ…」大きな溜息を吐くと相変わらず睨んでくる相手を見る。
その時お店からお客さんが入り口から出てきた。
お客さんにも迷惑だよね、と思っていると「およ?如月ちゃん?」と声を掛けられる。反射的に振り返ると三輝君が居た。
「…へ?三輝君?」
その隣には手を繋いだ制服姿の女の子。彼女かな?そんな事を思いながらもほんの少しだけ嫌な気持ちになった…ような気がする。「どうしたの?」そう訊かれてどう答えようか迷っている間にリーダーらしき人が叫んだ。
「見つけたぞ!オラァ!囲め、囲め!」
その言葉と共に、周りの連中も再び私達を取り囲むように動き出す。
「あらー、まったくしつこいねー」
そう落ち着いた声で反応する三輝君に余計に苛立つリーダー君。
「さっきはよくもやってくれやがったなぁ…」
その声にまた集まってくる仲間達。
そのやり取りで、やっぱり私は人違いで、連中が探してたのは三輝君だったんだと確信する。
「よくもやってくれたって…やってたのはそっちでしょーよ。この子ずーっと怖がっちゃって…どーしてくれんの?」
少しだけ言葉に違和感を感じながら、戦闘態勢のまま見守る。その時また店の入り口から出てきた人影が「なんやなんや」と声を出す。再び見知ったその顔ぶれに「あれ?」と気の抜けた声が出る。
すぐに私に気付いた隼飛君。目が合うと気まずい私は咄嗟に視線を逸らした。
その間にも柘浦君から事情を聞かれた三輝君は、偶々絡まれていた彼女を助ける際、一発かまして逃げてる所だと語る。
「彼女さんではなかったようですね」「そうだね」そんな会話をする楡井君と隼飛君に、同じように彼女じゃなかったって分かると心の中で少しホッとする自分に気付いたけど、それが何を意味してるかまでは深く考えてなかった。
そんな三輝君を褒め称える柘浦君。相手を無視して褒め続ける柘浦君に、とうとうリーダー君が「なめやがって!」とキレて殴り掛かる。
「危なっ……!」危ないって言おうとした瞬間、吹き飛んだのはリーダー君の方。桜君が蹴り飛ばしていた。そのまま啖呵を切る桜君に柘浦君と三輝君が賞賛含む言葉を送る。
私も桜君の言葉に同意する。
「そうだね。それに女の子怖がらせる奴って僕も許せないな」
そう言って周りを囲む連中を見る。その中から何故かずっと私を睨み付けるヤツが一人。私に三輝君と間違えて声を掛け、最初に投げ飛ばした人…かな?
「何?」
「何じゃねぇ、仲間が居るからって調子にのるなよ?お前のせいでっ!」
私の対応が気に入らなかったのか、そうイラッと声を荒らげると殴り掛かって来た。
私、何かしたんだろうか?私のせい?追ってる人間違えてリーダー君に殴られたのは私のせいじゃないし……それって完全に逆恨みだし…軽く溜息を吐き出すと、掴みかかってきた手を先に捕まえると自分の頭上へ逆手に持ち、その下を潜って身体を反転しつつ肩上から投げ飛ばす。四方投げがきっちり決まった。
彼は自身の勢いのまま、くるりと回転し背中から地面に叩きつけられる。うん、痛そう……。
その衝撃で中々立ち上がれない相手にゆっくり2、3歩近付く。
「あのさ、さっきの言葉そのまま返すよ。いくら仲間が沢山増えても、君自身がいきなり強くなる訳じゃないから。もう既に1回投げ飛ばされてるんだから、学習しなよ」
そう見下ろしながら言う。
「ヒュー、如月ちゃん、やるぅー」
「如月くん!そんな成りで心配しとったけど、やる時はやる男なんやなぁ、君は」
「す、凄いです、如月さん!」
そんな言葉を掛けられて軽く笑みを返した。そのやり取りで一瞬止まっていた場の空気が動き出す。
桜君を真ん中に、柘浦君、そして三輝君が矢面に立って迎え撃つ。隼飛君は楡井君と女の子を連れて少し下がってた。
最初の一発は相手からもらう主義の柘浦君は、見事なジャーマンスープレックスを披露して、桜君は持ち前の身軽さで次々と殴る蹴るでなぎ倒す。
そして三輝君は相手を引き寄せると、掌を当てて吹き飛ばす。
うそ、掌底?すごーい…武道を習うと大体掌底の技ってあるけど、こんなに使いこなしてる人って初めて見た…。
私も、昔やってみたくて挑戦した事はあったけど……結局出来なかったんだよね。
楡井君や隼飛君もそんな三輝君の戦い方に驚きながらも、「あの体格差でふっとばすか…」って感心してた。
そして掌底を当てると、桜君達の方へ吹き飛ばしている。それに桜君も気付いて「なんでこっちに飛ばすんだよ!!」って怒ってたけど…。
「そっち流した方が早く片付くかなと思って」
って悪びれもなく言う三輝君。
私もいつでも攻撃を受けても良い様に構えてはいるけど、誰も襲っては来なくて、少々手持ち無沙汰だった。
「桐生君、そんなに後ろに気を遣わなくて大丈夫だよ。オレがいるから」
そう三輝君へ声を掛ける隼飛君。
その声へちらりと視線を移して「はーい」と笑顔で応える三輝君。
そのやり取りで、やっと何故私にも敵が向かって来ないのか理解した。三輝君にとったら、私も守られる対象の一人だったらしい。
彼の立ち位置は私の斜め前で、後ろに控えた女の子達や私へ敵が向かわないように守ってくれていた。
この乱闘に近い中で、そこまで気遣えるなんて、ホント王子だよね、うん。
そう感心していると、後ろから声を掛けられる。
「如月くん、君もこっちに来たら?桐生君の負担が減ると思うよ?」
隼飛君の声に少し気まずさはまだ感じるけど、確かに守る対象を分散させて三輝君の負担になりたくないし…何よりこの3人でこの場は十分対処出来そうで、私の出る幕はなさそうだった。
「…うん、そうだね」
その言葉に素直に従って、隼飛君達の方へ近付く。
そんな中私が隼飛君達の元へ行くより早く突っ込んで行く人影。「なに余裕くれてつっ立ってんだよ!」そう怒鳴りながら殴りかかろうとする相手。
「しょうがないじゃないか。余裕があるんだもの」
タッセルピアスを軽く揺らしながらにっこり笑う隼飛君は、相手の攻撃を受け流すと、円を描くような流れる動きで相手を倒した。
うわ…やっぱり強いなぁ…。あんな無駄のない動きなのに…そう感心しながら、そう言えば初めて逢った時も彼の動きに見惚れたんだと思い出す。
「おー、すおちゃんすごーい!噂通りだ!」
三輝君もそう言って絶賛していた。こっちを振り返っている三輝君を襲う二人を桜君が蹴り飛ばす。「上等だ、全部lこっちまわせ」そう言って三輝君へ敵をまわせと言う。「桐生君、ワシにもワシにも!!」そうやり取りしながら数十人いた敵は、大した時間も掛からず倒された。
「いや…なんと…いいますか…圧巻ですね」
楡井君の言葉通り、死屍累々と倒された連中。
ホント、皆の戦いぶりは圧倒的で…此方側にはケガ一つない…。いや、最初の一発をわざと貰った柘浦君だけ。
「ホント…強いなぁ…皆」
私の口からも自然とそんな言葉が漏れた。
その中ボウフウリンの口上を桜君へと促す柘浦君。だけど「桜さんは町の外から来たので知らないと思いますよ」と楡井君の言葉にそうかと納得すると、柘浦君自身が声を張り上げる。
「人を傷つける者、物を壊す者、悪意を持ち込む者、何人も例外なくボウフウリンが粛清する!!」
大声に咄嗟に耳を塞ぐ私達を他所に、とっても気持ち良さげな柘浦君。そうだよね、風鈴に入ったからには一度は言いたいよね、その口上。その気持ちは分かる。
周りで遠巻きに見ていた人達からも、歓声が上がった。
リーダー君へ近付いた三輝君は、「まぁ、そういうことだからさ…力があるなら今度からはいいことに使おうね」と念を押すように言い聞かせた。
素直に頷くだけのリーダー君は仲間を引き連れて帰って行った。
そして女の子にももう大丈夫と言う。女の子も何度もお礼を言って帰って行く。
女の子を手を振って見送ると、三輝君が桜君の連絡先を訊く。
今朝まではあまり他の子に見向きしなかった三輝君。この一件で皆随分と仲良くなったみたいだ。
皆で笑い合って楽しそうな光景に、少し離れた所から見守る。
いいなー、男の子って直ぐに仲良くなれて…
ほんわかするの半分、羨ましいの半分で。
私も本当に男に産まれてたら、あの中に入れてたのかな…なんてそんな事を思った。
あ、そう言えばミニトマト結局買えなかったな……買い物自体出来なかったし、もう今日は買い物する気力もないや…。
ことはんトコ……あー、コンビニでもいっか…。
そんな事思いながらスマホで時間を確認した。そろそろ帰ろっかな。一応、声だけ掛けて帰ろう……
「あ…皆お疲れ様ー。僕はそろそろ帰……」
「あ、如月さんも連絡先教えて下さいよ!」
帰るねって言う前に楡井君に声を掛けられた。
「…え?僕も?」つい声に出して訊いてしまう。
「…あ?…ダメですか?」
「あ、……そうじゃなくて。いいの?」私もその仲間に入れて貰えるんだろうか?そんな意味で訊き直してしまう。
私は確かにクラスメイトではあるけれど、それは嘘の姿で…本来なら風鈴には居ないハズの人間だから…。
個人的には仲良くしてくれる子は三輝君や、隼飛君みたいに居ても、何だか仲間としては申し訳ない気がする。
「いいって何がです?如月さんも折角クラスメイトになったんです!仲良くしましょう」
「そうやで、長い付き合いになるやろしな」
多分根から良い子なんだろうな、って思える楡井君と柘浦君の言葉に軽く笑みを返すと皆の所に歩み寄る。
「ありがとう」
そう言うと「何のお礼ですか?」と不思議そうに首を傾げる。「…何でもない」そう言うとスマホを差し出した。電話番号とメッセージアプリのグループ参加をする。
「それはそうと如月くんはどうして此処に?」
隼飛君に訊かれると、皆に視線を向けられた。
「あー…何か三輝君と間違われたみたい…」
「へ?俺と?」
「うん、あの人達人探しをしてて、『風鈴の制服を着たピンクの髪』を探してたみたいで…買い物してた時に居たぞ!って声を掛けられて追っかけられてる間に此処へ着いたんだ…人違いだって言っても聞く耳持ってくれなかったしねー」
そう笑いながら言うと皆納得したようだった。
「そら、えらいとばっちり食ったなぁ…でも、如月くん、そんなちっちゃい身体でちゃんと戦えるんやな、感心したでぇ?」
「そうですよっ!あんな軽々と投げ飛ばすなんて…あれは合気道でしょうかっ?」
柘浦君と楡井君に褒められて、少し照れながら答える。
「あー…うん、合気道は昔から習ってて…これでも一応段持ちなんだよ。それに、僕なんかより皆強いじゃない。桜君や隼飛君が強いのは知ってたけど…柘浦君も三輝君もすっごく強いんだねー」
この感想は本物だ。噂には聞いた事ある子達はやっぱり相応の強さなんだなって改めて思った。
「そういやぁ、これから桜君達とご飯でもって所やったんや。折角やし、桐生君と如月君も一緒にどうや?」
そう柘浦君が誘ってくれたけど…一瞬ちらりと隼飛君を伺うも、いつもと同じ笑顔…でも…うん、何かまだ隼飛君と一緒に居るのは恥ずかしい気がして、丁重にお断りした。
「ごめん…ただ僕買い物途中だったから、また店に戻らないと…また次機会があれば誘って」そう顔の前で両手を合わせて申し訳なさそうに謝る。
「そうかー、気にしんでいいよ。ほなら、また明日な」そう素直に受け止めてくれる柘浦君は、外見とは違って素直なイイ子なんじゃないかと思う。
「…俺もー、この後用事あるんだー。ツゲちゃんごめんねー」
そう言うと「じゃ、如月ちゃん途中まで一緒に行こうか?」と促され皆に別れを告げた。
皆と別れて商店街を二人で歩く。
「万里ちゃん、今日は巻きこんじゃってごめんねー」
「え?」
突然掛けられた言葉に隣を歩く三輝君を見る。確かに勘違いはされたけど、別に三輝君が謝る事じゃない…。寧ろ、三輝君だって被害者側だ。
「三輝君のせいじゃないよ?謝らないで。悪いのはあっちだし…三輝君はただ女の子を助けてあげただけでしょ?」
「いやー、そうなんだけどねー…結果的に如月ちゃんが俺と間違われて巻き込まれた事は本当の事だしねー」
本当に申し訳なさそうに謝る三輝君に本当気遣い王子だなー。
「別にケガもしなかったし…それに乱闘中は後ろに居た隼飛君達だけじゃなくて、ずっと僕の方へも敵が来ない様に守っててくれたでしょ?ありがとう」
そう言うと立ち止まり此方を向く。目を細めるとそっと片手で頬を撫でられた。
「そりゃー、女の子を守るのは男として当然でしょーよ」
突然の王子モード発動にドキリとする。ホント、こうやってドキドキさせるのはワザとなんだろうか?と思いながら「そうだ」と頬の手を握ると笑顔でお願いする。
「あー…じゃぁさ、今度僕にも掌底教えてよ!今日、掌底で相手を吹き飛ばしてた三輝君、ホント恰好良かったし」
「え?掌底を…?」
私の提案が意外だったのか、驚いたように目を丸くする三輝君。
「うん…実は僕も昔掌底にチャレンジした時があったんだけど…すぐに手首痛めて…その時は1ケ月位ピアノもヴァイオリンも触らせて貰えなかったンだよね…それ以来諦めてたんだけど。今日の三輝君見て、僕もやりたいって思ったんだー。ね、お願いっ」
ダメかな?と思いながらも三輝君の反応を見るように上目遣いで伺う。軽く息を吐くと仕方ないという風に笑い握っていた手を反対に両手で包まれる。
「―――いいよ。…本当はそんなモノ覚えなくても俺が守ってあげるんだけど…ね」
その言葉が戯れに出た言葉でも、嬉しく笑顔で礼を言う。
「ありがとう」
そう言うとまた二人で他愛もない話をしながら歩き出す。商店街の端まで来てからある事に気づいた。
「あ、ねぇ、三輝君、確か用事あるって…大丈夫なの?」
そうだよ、そうやって柘浦君の誘いを断ってたはず。ひょっとして、用事あるけど私に付き合ってこうして歩いてくれてるんだったら申し訳ない。
「うん、今用事してるとこ。万里ちゃんを家まで送るって用事ねー」
そう笑いながら言う彼に咄嗟に「そんな、三輝君に悪い…」って言おうとしたら、最後の言葉に被せて質問された。
「万里ちゃんこそ、買い物途中じゃなかったー?もう、お店ある所過ぎちゃったけど…?」
「……それは…」
「――――すおちゃんと何かあった?」
「……っ!?」
今までの会話と脈絡もない名前とでも確信をついた言葉に咄嗟に言葉を返せずにいると、察したような三輝君の視線に俯く。
「…何で?」分かったの…?そう訊きたいけど、それしか言えず。
「んー…やたら気にしてるのに、視線を合わせないトコとか…まぁ男の勘ー?」
最後は誤魔化された気もしたけど、やっぱり三輝君、よく見てるし勘も鋭い…んだろうな…。
「後は……此処の痕」
指先を掠めたのは、昼間隼飛君が唇を当てた首筋で、反射的に隠そうと手で押さえた。
痕…?何の…?あの時は熱い唇と舌の感触しか分からなくて、ただ最後に響いたリップ音は耳に残ってて…
思い返すと一気に熱くなる顔。
首筋を抑えた手を掴まれると引き剝がされる。
「そうやって隠されると、余計に暴きたくなるよねー」
そう言いながらマジマジと視線を感じて、余計に顔が上げれなくなる。
そんな私は少し震えていたのかもしれない。
「…ごめんねー、万里ちゃん。怖がらせたい訳じゃなかったんだけど…」
その言葉と一緒にぎゅっと抱きしめられた。突然の事に頭がついていかない…何で抱きしめられているかも分からない…
「…あ、あの…三輝…く…」
「万里ちゃん、すおちゃんと付き合ってたりする?」
「え?…ううん」質問の意図も分からず、取り敢えず素直に違うと首を横に振る。
「そっか…良かったー。じゃぁ、オレにもチャンスはあるねー」
嬉しそうに笑う三輝君に「チャンス?」と首を傾げるも、やはり答えて貰えず。その代わり腕から解放されると、そのまま右手を握られて歩き出す。
「あの…」
所謂恋人繋ぎで、手を引かれ歩く。手を離そうとしても逆に強く握られて離してくれそうにない。でも、強引に振り払う程嫌な訳じゃないから、軽く握り返すとそのまま手を繋いで歩いた。
「大丈夫だよー。もう薄暗いし、誰も見てないし…ね?」
そのままマンションまで手を繋いで歩く。「…ココ」とマンション前まで来ると立ち止まるとようやく離された手。
「送ってくれてありがとう、三輝君」
取り敢えず送ってくれた事にお礼を言って、笑いかける。さっきまでの不可解な行動はきっと三輝君も疲れてるんだろう、と自分の中で結論付けた。
「今日はきっと疲れてるんだよ。色々あったし…僕は気にしてないから、また明日からも…」
ヨロシク…と続けようとした瞬間に塞がれた唇。目の前には睫毛を伏せたままの三輝君の綺麗な顔。
柔らかな感触が三輝君の唇だと理解出来たのはきっちり3秒後で…。
キス…されてる…?
そうやっと思考が追い付きだした頃に、ゆっくりと離れていく唇…。
「俺は、是非気にして欲しいなー」
そう艶やかに笑う三輝君に再び思考はストップ。瞬きすらせず三輝君を見つめる。
そんな私にクスリと笑うと、今度は額にチュッと軽いリップ音を立ててキスされる。
「これはおやすみのキスねー。万里ちゃん、また明日ね」
そう言って去っていく三輝君を見送り、暫くその場で立ち尽くす。
―――――…何?え?…ちょっと…
三輝君の後ろ姿なんてとっくに消えて、エントランスに他の住人が現れた頃、やっと思考が戻って来る。
その場にこれ以上留まる事も出来ず、急いで部屋へと戻った。
部屋へ入ると制服もそのままでベッドへ突っ伏す。今日は1日色んな事がありすぎた。
隼飛君も三輝君もどうしちゃったんだろう。でも何でそんな事をしてくるのか分からず、どうしたら良いのかも分からない。
ぐるぐる考えるも何も答えが出ないまま。
『向こうが距離を近くしてきて、嫌だったらちゃんと拒否して距離を取ればいい。もし嫌じゃなくて、それ以上に仲良くなりたいと思うなら、ちゃんと向き合って、考えて相手に伝えれば良いわ』
不意に昼間屋上での椿ちゃんの言葉を思い出した。
…嫌だった?いや、驚いたけど、嫌じゃなかった…
仲良くなりたい…?それは勿論…折角ここまで仲良くなれたんだから、疎遠にはなりたくない…寧ろ、もっと仲良くなりたい…って思う…
でも……
そんな堂々巡りで答えなんて出ないまま夜が更けていった。
来た時とは足も心も軽やかに、教室へ戻った。
もう皆は通常通りにそれぞれのグループで集まり、雑談をしていた。後ろの扉から入って、相変わらずロッカーに座る三輝君を見つけると隣へ駆け寄る。
「おかえりー。長かったね。少しは気分晴れたかなー?」
「ただいま」と言う前に先に声を掛けられて驚いたけど、スマホ画面から視線を此方に向けてくれた三輝君の瞳は優しくて「うん」と私も笑顔で答えた。
「途中で知り合いに逢って、屋上でお喋りしてたんだ」
「そっかー。良かったね」
「うん」
そう返事をすれば、またロッカーの上へ登り三輝君の隣へと腰掛ける。自分のスマホを取り出すと途中で中断したままのチュートリアルを再開させた。
暫くするとチュートリアルも終わりに近づき、一つのメッセージが届いていた。それを開けるとフレンド申請で、『承認ヨロシクー』とメッセージがあった。
「ソレ、俺だからねー」
「うん、すぐに分かったよー」
隣でいつの間にか此方を覗き込んでいた三輝君に笑いながら、『YES』のボタンを押した。
ゲームの内容はRPGに近い物で、パーティーを組んだりも出来るらしい。早速パーティーを組んでくれて、低レベルでも付けれる装備を貸してもらった。初心者の用の狩場でレベル上げをすれば放課後にはレベル20を超える所まで進めれた。
「一人の時はレベルに合わせて、狩りしたら良いし、あとはストーリーのミッションをこなしていけばレベル上がると思うから。後は職業は好きなの選んで良いと思うよ。」
「うん、やってみるねー」
さて帰ろうとなった時に教室の入り口で大きな声が響く。
「よっしゃ、ほんなら行こか?」
「はいっ!ほら、行きましょう!桜さん、蘇枋さん!」
柘浦君の声に楡井君が意気揚々と返事をしている。そしてあまり気乗りをしていなさそうな桜君と蘇枋君に声を掛けると、その腕を両手で組んで連行していった。困ったような顔をする蘇枋君だったけど、大人しく連れて行かれるあたり楡井君には優しいんだなー、と思う。
教室を出る瞬間、此方に視線を向けた気がしたけど、それも一瞬の事でそちらに視線を向けた時には強引に連れ出されていく隼飛君の後ろ姿しか見る事は出来なかった。
「何か、仲良くなってるみたいだねー、皆」
「そだねー。じゃ、俺らも帰ろっか?」
そうロッカーから降りる三輝君に続いて私も降りる。そのまま教室を出ると昇降口まで並んで歩いた。
そのまま帰ろうとしたけど、そこであるものを見て興味が湧く。
「…如月ちゃん?」
立ち止まった私を不思議そうに見る三輝君。
「あー…僕、ちょっと行きたい所あるから、三輝君先に帰ってて。また明日ね?」
そう言って笑顔を向けると、少し納得いかなそうな表情を見せるも一瞬で。すぐに笑顔を返してくれた。
「分かったよー。気を付けて帰ってね」
「うん、ありがとう。大丈夫だよー」
そう言って、昇降口で彼の姿を手を振って見送った。
「さて…と…」
そう言うと壁に掛かっている校内見取り図へ再び視線を移す。そこには沢山の落書きの隙間から『音楽室』の文字がかろうじて読み取れた。
その場所へ向けて階段を登る。専門教室が多くなってくるにつれ、少しづつ落書きの数も減っていく。
一番端にある教室へ辿り着くと、ゆっくりとドアを開けた。
そこは少しの落書きがあるものの、他の教室とは比べ物にならない位ちゃんとした教室で、私が知っている音楽室と大差なかった。
ただ、椅子の並ぶ殺風景な部屋の中央に、カバーを掛けられている大きな存在。
私は室内へ入ると、期待半分でそのカバーの中を覗く。そこには期待通り…いや期待以上のモノに思わず笑みが零れた。
勢いよくカバーを取り払うと、真っ黒で艶のあるソレに思わず声が漏れた。
「うそ、グランドピアノ…」
全く期待してなかった。ただ曲がりなりにも『学校』っていう場所なら…と少しだけ期待はしていた。椿ちゃんにもそれとなく訊いたけど、音楽室あったような気はするけど、入ったことはないって返事だったし…。
ただ、その期待はせめてアップライトピアノがあったらな…という程度だったんだけど…まさかグランドピアノがこんな綺麗な状態で保管されているとは思ってなかった。
誰か楽器が好きな人でも居たのかな?
そう思う位に綺麗な姿に早速蓋を開けると鍵盤を鳴らしてみる。『ドレミファソラシド』を弾くと、ちゃんと調律されているようだった。
でも、教室内の様子からして、頻繁には弾かれてなさそうだし…埃っぽいし…
カバーで覆われてたピアノは綺麗だけど、教室内は掃除はされていないのだろう。年相応の埃がうっすらと溜まっていた。
取り敢えず窓を全開に開け放つと、室内へ風を入れる。そしてピアノの弦が隠れている蓋を開けてつっかえ棒で蓋を開けたまま固定すると中へ風を通した。
楽器に湿気は敵だしね…そう思いながら室内を見回す。隅っこにある掃除用具を入れるロッカーを開けると、ほうきとモップが入っていた。
取り敢えず、大まかな埃だけでもと…ほうきを手に取ると隅の方から埃をかき集めていく。
随分と長い間掃除されてなかった教室は結構な量の綿埃を有していた。でも、だんだんと綺麗になっていく室内に一緒に気分も良くなる。
最後に集まった埃の山をちりとりに取ると、ゴミ箱を探すが見当たらず…どうしたものか…と試案するもバッグの中にあったショッピング袋を思い出しその中へ入れると口を結んでおく。
…仕方ない、持って帰るか…そう思い、教室の隅へ置くと改めてピアノへ向かう。
椅子を自分の高さに合わせて腰掛けると、今度は両手で音階を全て弾いていく。
「ホントに調律してあるみたい…」
狂った音はこれと言って発見出来ず、気分良く私は曲を弾き始める。
ショパンの『夜想曲』。正式にはノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2。ショパンのノクターンの中でも一番有名な曲。ゆったりとした曲調で綺麗な旋律。
最後の音を叩けば、その余韻を楽しみながらそっと指先を鍵盤から離した。
「…んー、やっぱり窓開けて弾くピアノは良いなー…」
最後の音が消えると、窓の外を見て自然と呟いた。自分の部屋は窓を開けると近所迷惑になるので締めっ切っての演奏になるから、解放感あるのは嬉しい。
明日から、出来るだけ此処来るようにしよう…そう思いながら、ピアノの蓋を締めると、窓を閉める。この短時間でも室内の空気は入れ替わったし、部屋も綺麗になった。
ゴミを集めた袋をバッグへと詰め込むと、音楽室の扉を締めて朝来た時とは全く正反対の足取りで学校を後にした。
さぁ、どうしようかな…ことはのトコ行くのも良いけど…何か買い出しして家で作っても良いし…そう思いながら商店街を歩く。
あぁ、確か…今の時間だと八百屋のタイムセールに間に合うかも…
ことはの手伝いで買い出しはよく付いて行く事もあって、そのまま八百屋へ向かう事にした。
タイムセール終了まであと10分を切った時点でやっと八百屋に辿り着く。一通り店頭に並ぶ野菜を見渡すと既に結構空の棚が目立つ…その中にミニトマトを見つけるとその価格が100円引きになっていた。残り2パック!これは絶対買わねば…!そう思って手を伸ばす。
「…居たぞっ!」
そんな声と共に数人のガラの悪い男たちが走って近付いて来た。
「…は?」
伸ばした手をピタリと止めて、声のした方へ振り返る。
勿論、見たことも話した事もない顔に眉を顰める。
「君達…誰?」
一人一人顔を確認するけど、やっぱり面識はない相手。当然の疑問にも答えようとすらせず、数人で私を囲んでくる。
何か人違いっぽいし、誰かと勘違いしてるんだろう…そう思うも、こんな店頭ではお店に迷惑が掛かる。そう思うと泣く泣くミニトマトは諦めて、そこから離れようと囲む男達の間を通り過ぎようとした。
「おいっ、待てよっ!!」
そう言って私の腕を掴んでくる一人にちらりと視線を向けると逆に相手の二の腕を掴んで逆手に取り、引き寄せながらその勢いで投げ飛ばす。
「ねぇ、何か誰かと勘違いしてない?僕は君達の事全然知らないんだけど…?」
まだ周りを囲む数人へと言い放つも、仲間へ攻撃された事で戦闘態勢になった子達には言葉は届いていないようで…今にも襲ってきそうな顔で睨み付けてくる。
「このっ…」
そう言って襲い掛かってくる二人に、溜息を吐くと直前で身を屈めて足を伸ばして二人同時に引っ掛ける。
見事にすっ転ぶ相手。立ち上がって見下ろすともう一度言う。
「だからー、君達誰?僕に喧嘩売る理由教えてくれる?」
何なんだ、とイラっとしながら問いかける。
まだ元気な一人がニヤニヤ笑いながら答えた。
「あぁ?何しらばっくれてるんだよ。俺らのチームのリーダーがお前を探してンだよ。風鈴の制服来たピンクの頭の奴をなぁ…」
「…へ?」
「そういやぁ、女はどうしたんだよ…まぁ、お前だけでも連れてけばイイか」
女…?何の話だろう…?でも、ピンクの髪って…
「ちょっ…だからそれ人違いじゃ…」
そう説明しようにも、全く持って聞く耳持たずな相手が掴み掛ってくる。その手を此方から掴み回転させ相手の脇へ肩口を入れると掴んだ手を引き投げる。
取り敢えずその場を立ち去ろうとした時、向こうの路地から仲間と思しき数人が此方に気付いて走って来る。
あの全部を相手にするのは面倒そう…それにこの場所で乱闘はお店に迷惑掛かっちゃう。
さっきから心配そうに見守るお店のおばさんに『お騒がせしました』と笑うと、踵を返して走りだ出した。
「あっちだ!!…待てっ」
そう後ろで声が聞こえるが、この状況で待てを言われて待つことなんて出来ない。
それに明らかに多勢に無勢…一人で相手するのもしんどそうだし…。それに風鈴でピンクの頭ってそうそう居ないと思うんだけど…
そんな事を思いながら取り敢えず走る。細かい路地へ入ると今度は横から別の男たちが走って来るのを見つけて反対へと走った。
携帯で仲間と連絡を取り合っている彼らはどんどん集まってきて…そっから逃れるように少し広めの路地へ出ると目の前にまた集団。
…うわっ…挟まれた…
そう思った時にはもう遅くて、飲食店の前で囲まれる。
最初から私を追ってきた子達が追いついて、「見つけましたよ、風鈴の…」と言ってきたが、リーダーと思しき人物は一瞥して追いついた子を睨み付けた。
「あ?誰がこんな奴探して来いって言った?」
「…え?でも…風鈴の制服にピンクの頭って…」
予想外の言葉に慌てて釈明する。釈明を聞く事もせず苛立っているリーダー君はその子を殴り倒した。
「だから言ったんだ…人違いだって…」
良かった…このままいけば誤解も解けそうだ…そう思って口にするも逆に睨まれる…何でよ…。
「じゃ、人違いって事で、僕はこれで…」
そう言いながらその場を離れようとしたけど、囲んで居る連中はそうさせてはくれない。また数人相手にして逃げるしかないかなぁ…?「はぁ…」大きな溜息を吐くと相変わらず睨んでくる相手を見る。
その時お店からお客さんが入り口から出てきた。
お客さんにも迷惑だよね、と思っていると「およ?如月ちゃん?」と声を掛けられる。反射的に振り返ると三輝君が居た。
「…へ?三輝君?」
その隣には手を繋いだ制服姿の女の子。彼女かな?そんな事を思いながらもほんの少しだけ嫌な気持ちになった…ような気がする。「どうしたの?」そう訊かれてどう答えようか迷っている間にリーダーらしき人が叫んだ。
「見つけたぞ!オラァ!囲め、囲め!」
その言葉と共に、周りの連中も再び私達を取り囲むように動き出す。
「あらー、まったくしつこいねー」
そう落ち着いた声で反応する三輝君に余計に苛立つリーダー君。
「さっきはよくもやってくれやがったなぁ…」
その声にまた集まってくる仲間達。
そのやり取りで、やっぱり私は人違いで、連中が探してたのは三輝君だったんだと確信する。
「よくもやってくれたって…やってたのはそっちでしょーよ。この子ずーっと怖がっちゃって…どーしてくれんの?」
少しだけ言葉に違和感を感じながら、戦闘態勢のまま見守る。その時また店の入り口から出てきた人影が「なんやなんや」と声を出す。再び見知ったその顔ぶれに「あれ?」と気の抜けた声が出る。
すぐに私に気付いた隼飛君。目が合うと気まずい私は咄嗟に視線を逸らした。
その間にも柘浦君から事情を聞かれた三輝君は、偶々絡まれていた彼女を助ける際、一発かまして逃げてる所だと語る。
「彼女さんではなかったようですね」「そうだね」そんな会話をする楡井君と隼飛君に、同じように彼女じゃなかったって分かると心の中で少しホッとする自分に気付いたけど、それが何を意味してるかまでは深く考えてなかった。
そんな三輝君を褒め称える柘浦君。相手を無視して褒め続ける柘浦君に、とうとうリーダー君が「なめやがって!」とキレて殴り掛かる。
「危なっ……!」危ないって言おうとした瞬間、吹き飛んだのはリーダー君の方。桜君が蹴り飛ばしていた。そのまま啖呵を切る桜君に柘浦君と三輝君が賞賛含む言葉を送る。
私も桜君の言葉に同意する。
「そうだね。それに女の子怖がらせる奴って僕も許せないな」
そう言って周りを囲む連中を見る。その中から何故かずっと私を睨み付けるヤツが一人。私に三輝君と間違えて声を掛け、最初に投げ飛ばした人…かな?
「何?」
「何じゃねぇ、仲間が居るからって調子にのるなよ?お前のせいでっ!」
私の対応が気に入らなかったのか、そうイラッと声を荒らげると殴り掛かって来た。
私、何かしたんだろうか?私のせい?追ってる人間違えてリーダー君に殴られたのは私のせいじゃないし……それって完全に逆恨みだし…軽く溜息を吐き出すと、掴みかかってきた手を先に捕まえると自分の頭上へ逆手に持ち、その下を潜って身体を反転しつつ肩上から投げ飛ばす。四方投げがきっちり決まった。
彼は自身の勢いのまま、くるりと回転し背中から地面に叩きつけられる。うん、痛そう……。
その衝撃で中々立ち上がれない相手にゆっくり2、3歩近付く。
「あのさ、さっきの言葉そのまま返すよ。いくら仲間が沢山増えても、君自身がいきなり強くなる訳じゃないから。もう既に1回投げ飛ばされてるんだから、学習しなよ」
そう見下ろしながら言う。
「ヒュー、如月ちゃん、やるぅー」
「如月くん!そんな成りで心配しとったけど、やる時はやる男なんやなぁ、君は」
「す、凄いです、如月さん!」
そんな言葉を掛けられて軽く笑みを返した。そのやり取りで一瞬止まっていた場の空気が動き出す。
桜君を真ん中に、柘浦君、そして三輝君が矢面に立って迎え撃つ。隼飛君は楡井君と女の子を連れて少し下がってた。
最初の一発は相手からもらう主義の柘浦君は、見事なジャーマンスープレックスを披露して、桜君は持ち前の身軽さで次々と殴る蹴るでなぎ倒す。
そして三輝君は相手を引き寄せると、掌を当てて吹き飛ばす。
うそ、掌底?すごーい…武道を習うと大体掌底の技ってあるけど、こんなに使いこなしてる人って初めて見た…。
私も、昔やってみたくて挑戦した事はあったけど……結局出来なかったんだよね。
楡井君や隼飛君もそんな三輝君の戦い方に驚きながらも、「あの体格差でふっとばすか…」って感心してた。
そして掌底を当てると、桜君達の方へ吹き飛ばしている。それに桜君も気付いて「なんでこっちに飛ばすんだよ!!」って怒ってたけど…。
「そっち流した方が早く片付くかなと思って」
って悪びれもなく言う三輝君。
私もいつでも攻撃を受けても良い様に構えてはいるけど、誰も襲っては来なくて、少々手持ち無沙汰だった。
「桐生君、そんなに後ろに気を遣わなくて大丈夫だよ。オレがいるから」
そう三輝君へ声を掛ける隼飛君。
その声へちらりと視線を移して「はーい」と笑顔で応える三輝君。
そのやり取りで、やっと何故私にも敵が向かって来ないのか理解した。三輝君にとったら、私も守られる対象の一人だったらしい。
彼の立ち位置は私の斜め前で、後ろに控えた女の子達や私へ敵が向かわないように守ってくれていた。
この乱闘に近い中で、そこまで気遣えるなんて、ホント王子だよね、うん。
そう感心していると、後ろから声を掛けられる。
「如月くん、君もこっちに来たら?桐生君の負担が減ると思うよ?」
隼飛君の声に少し気まずさはまだ感じるけど、確かに守る対象を分散させて三輝君の負担になりたくないし…何よりこの3人でこの場は十分対処出来そうで、私の出る幕はなさそうだった。
「…うん、そうだね」
その言葉に素直に従って、隼飛君達の方へ近付く。
そんな中私が隼飛君達の元へ行くより早く突っ込んで行く人影。「なに余裕くれてつっ立ってんだよ!」そう怒鳴りながら殴りかかろうとする相手。
「しょうがないじゃないか。余裕があるんだもの」
タッセルピアスを軽く揺らしながらにっこり笑う隼飛君は、相手の攻撃を受け流すと、円を描くような流れる動きで相手を倒した。
うわ…やっぱり強いなぁ…。あんな無駄のない動きなのに…そう感心しながら、そう言えば初めて逢った時も彼の動きに見惚れたんだと思い出す。
「おー、すおちゃんすごーい!噂通りだ!」
三輝君もそう言って絶賛していた。こっちを振り返っている三輝君を襲う二人を桜君が蹴り飛ばす。「上等だ、全部lこっちまわせ」そう言って三輝君へ敵をまわせと言う。「桐生君、ワシにもワシにも!!」そうやり取りしながら数十人いた敵は、大した時間も掛からず倒された。
「いや…なんと…いいますか…圧巻ですね」
楡井君の言葉通り、死屍累々と倒された連中。
ホント、皆の戦いぶりは圧倒的で…此方側にはケガ一つない…。いや、最初の一発をわざと貰った柘浦君だけ。
「ホント…強いなぁ…皆」
私の口からも自然とそんな言葉が漏れた。
その中ボウフウリンの口上を桜君へと促す柘浦君。だけど「桜さんは町の外から来たので知らないと思いますよ」と楡井君の言葉にそうかと納得すると、柘浦君自身が声を張り上げる。
「人を傷つける者、物を壊す者、悪意を持ち込む者、何人も例外なくボウフウリンが粛清する!!」
大声に咄嗟に耳を塞ぐ私達を他所に、とっても気持ち良さげな柘浦君。そうだよね、風鈴に入ったからには一度は言いたいよね、その口上。その気持ちは分かる。
周りで遠巻きに見ていた人達からも、歓声が上がった。
リーダー君へ近付いた三輝君は、「まぁ、そういうことだからさ…力があるなら今度からはいいことに使おうね」と念を押すように言い聞かせた。
素直に頷くだけのリーダー君は仲間を引き連れて帰って行った。
そして女の子にももう大丈夫と言う。女の子も何度もお礼を言って帰って行く。
女の子を手を振って見送ると、三輝君が桜君の連絡先を訊く。
今朝まではあまり他の子に見向きしなかった三輝君。この一件で皆随分と仲良くなったみたいだ。
皆で笑い合って楽しそうな光景に、少し離れた所から見守る。
いいなー、男の子って直ぐに仲良くなれて…
ほんわかするの半分、羨ましいの半分で。
私も本当に男に産まれてたら、あの中に入れてたのかな…なんてそんな事を思った。
あ、そう言えばミニトマト結局買えなかったな……買い物自体出来なかったし、もう今日は買い物する気力もないや…。
ことはんトコ……あー、コンビニでもいっか…。
そんな事思いながらスマホで時間を確認した。そろそろ帰ろっかな。一応、声だけ掛けて帰ろう……
「あ…皆お疲れ様ー。僕はそろそろ帰……」
「あ、如月さんも連絡先教えて下さいよ!」
帰るねって言う前に楡井君に声を掛けられた。
「…え?僕も?」つい声に出して訊いてしまう。
「…あ?…ダメですか?」
「あ、……そうじゃなくて。いいの?」私もその仲間に入れて貰えるんだろうか?そんな意味で訊き直してしまう。
私は確かにクラスメイトではあるけれど、それは嘘の姿で…本来なら風鈴には居ないハズの人間だから…。
個人的には仲良くしてくれる子は三輝君や、隼飛君みたいに居ても、何だか仲間としては申し訳ない気がする。
「いいって何がです?如月さんも折角クラスメイトになったんです!仲良くしましょう」
「そうやで、長い付き合いになるやろしな」
多分根から良い子なんだろうな、って思える楡井君と柘浦君の言葉に軽く笑みを返すと皆の所に歩み寄る。
「ありがとう」
そう言うと「何のお礼ですか?」と不思議そうに首を傾げる。「…何でもない」そう言うとスマホを差し出した。電話番号とメッセージアプリのグループ参加をする。
「それはそうと如月くんはどうして此処に?」
隼飛君に訊かれると、皆に視線を向けられた。
「あー…何か三輝君と間違われたみたい…」
「へ?俺と?」
「うん、あの人達人探しをしてて、『風鈴の制服を着たピンクの髪』を探してたみたいで…買い物してた時に居たぞ!って声を掛けられて追っかけられてる間に此処へ着いたんだ…人違いだって言っても聞く耳持ってくれなかったしねー」
そう笑いながら言うと皆納得したようだった。
「そら、えらいとばっちり食ったなぁ…でも、如月くん、そんなちっちゃい身体でちゃんと戦えるんやな、感心したでぇ?」
「そうですよっ!あんな軽々と投げ飛ばすなんて…あれは合気道でしょうかっ?」
柘浦君と楡井君に褒められて、少し照れながら答える。
「あー…うん、合気道は昔から習ってて…これでも一応段持ちなんだよ。それに、僕なんかより皆強いじゃない。桜君や隼飛君が強いのは知ってたけど…柘浦君も三輝君もすっごく強いんだねー」
この感想は本物だ。噂には聞いた事ある子達はやっぱり相応の強さなんだなって改めて思った。
「そういやぁ、これから桜君達とご飯でもって所やったんや。折角やし、桐生君と如月君も一緒にどうや?」
そう柘浦君が誘ってくれたけど…一瞬ちらりと隼飛君を伺うも、いつもと同じ笑顔…でも…うん、何かまだ隼飛君と一緒に居るのは恥ずかしい気がして、丁重にお断りした。
「ごめん…ただ僕買い物途中だったから、また店に戻らないと…また次機会があれば誘って」そう顔の前で両手を合わせて申し訳なさそうに謝る。
「そうかー、気にしんでいいよ。ほなら、また明日な」そう素直に受け止めてくれる柘浦君は、外見とは違って素直なイイ子なんじゃないかと思う。
「…俺もー、この後用事あるんだー。ツゲちゃんごめんねー」
そう言うと「じゃ、如月ちゃん途中まで一緒に行こうか?」と促され皆に別れを告げた。
皆と別れて商店街を二人で歩く。
「万里ちゃん、今日は巻きこんじゃってごめんねー」
「え?」
突然掛けられた言葉に隣を歩く三輝君を見る。確かに勘違いはされたけど、別に三輝君が謝る事じゃない…。寧ろ、三輝君だって被害者側だ。
「三輝君のせいじゃないよ?謝らないで。悪いのはあっちだし…三輝君はただ女の子を助けてあげただけでしょ?」
「いやー、そうなんだけどねー…結果的に如月ちゃんが俺と間違われて巻き込まれた事は本当の事だしねー」
本当に申し訳なさそうに謝る三輝君に本当気遣い王子だなー。
「別にケガもしなかったし…それに乱闘中は後ろに居た隼飛君達だけじゃなくて、ずっと僕の方へも敵が来ない様に守っててくれたでしょ?ありがとう」
そう言うと立ち止まり此方を向く。目を細めるとそっと片手で頬を撫でられた。
「そりゃー、女の子を守るのは男として当然でしょーよ」
突然の王子モード発動にドキリとする。ホント、こうやってドキドキさせるのはワザとなんだろうか?と思いながら「そうだ」と頬の手を握ると笑顔でお願いする。
「あー…じゃぁさ、今度僕にも掌底教えてよ!今日、掌底で相手を吹き飛ばしてた三輝君、ホント恰好良かったし」
「え?掌底を…?」
私の提案が意外だったのか、驚いたように目を丸くする三輝君。
「うん…実は僕も昔掌底にチャレンジした時があったんだけど…すぐに手首痛めて…その時は1ケ月位ピアノもヴァイオリンも触らせて貰えなかったンだよね…それ以来諦めてたんだけど。今日の三輝君見て、僕もやりたいって思ったんだー。ね、お願いっ」
ダメかな?と思いながらも三輝君の反応を見るように上目遣いで伺う。軽く息を吐くと仕方ないという風に笑い握っていた手を反対に両手で包まれる。
「―――いいよ。…本当はそんなモノ覚えなくても俺が守ってあげるんだけど…ね」
その言葉が戯れに出た言葉でも、嬉しく笑顔で礼を言う。
「ありがとう」
そう言うとまた二人で他愛もない話をしながら歩き出す。商店街の端まで来てからある事に気づいた。
「あ、ねぇ、三輝君、確か用事あるって…大丈夫なの?」
そうだよ、そうやって柘浦君の誘いを断ってたはず。ひょっとして、用事あるけど私に付き合ってこうして歩いてくれてるんだったら申し訳ない。
「うん、今用事してるとこ。万里ちゃんを家まで送るって用事ねー」
そう笑いながら言う彼に咄嗟に「そんな、三輝君に悪い…」って言おうとしたら、最後の言葉に被せて質問された。
「万里ちゃんこそ、買い物途中じゃなかったー?もう、お店ある所過ぎちゃったけど…?」
「……それは…」
「――――すおちゃんと何かあった?」
「……っ!?」
今までの会話と脈絡もない名前とでも確信をついた言葉に咄嗟に言葉を返せずにいると、察したような三輝君の視線に俯く。
「…何で?」分かったの…?そう訊きたいけど、それしか言えず。
「んー…やたら気にしてるのに、視線を合わせないトコとか…まぁ男の勘ー?」
最後は誤魔化された気もしたけど、やっぱり三輝君、よく見てるし勘も鋭い…んだろうな…。
「後は……此処の痕」
指先を掠めたのは、昼間隼飛君が唇を当てた首筋で、反射的に隠そうと手で押さえた。
痕…?何の…?あの時は熱い唇と舌の感触しか分からなくて、ただ最後に響いたリップ音は耳に残ってて…
思い返すと一気に熱くなる顔。
首筋を抑えた手を掴まれると引き剝がされる。
「そうやって隠されると、余計に暴きたくなるよねー」
そう言いながらマジマジと視線を感じて、余計に顔が上げれなくなる。
そんな私は少し震えていたのかもしれない。
「…ごめんねー、万里ちゃん。怖がらせたい訳じゃなかったんだけど…」
その言葉と一緒にぎゅっと抱きしめられた。突然の事に頭がついていかない…何で抱きしめられているかも分からない…
「…あ、あの…三輝…く…」
「万里ちゃん、すおちゃんと付き合ってたりする?」
「え?…ううん」質問の意図も分からず、取り敢えず素直に違うと首を横に振る。
「そっか…良かったー。じゃぁ、オレにもチャンスはあるねー」
嬉しそうに笑う三輝君に「チャンス?」と首を傾げるも、やはり答えて貰えず。その代わり腕から解放されると、そのまま右手を握られて歩き出す。
「あの…」
所謂恋人繋ぎで、手を引かれ歩く。手を離そうとしても逆に強く握られて離してくれそうにない。でも、強引に振り払う程嫌な訳じゃないから、軽く握り返すとそのまま手を繋いで歩いた。
「大丈夫だよー。もう薄暗いし、誰も見てないし…ね?」
そのままマンションまで手を繋いで歩く。「…ココ」とマンション前まで来ると立ち止まるとようやく離された手。
「送ってくれてありがとう、三輝君」
取り敢えず送ってくれた事にお礼を言って、笑いかける。さっきまでの不可解な行動はきっと三輝君も疲れてるんだろう、と自分の中で結論付けた。
「今日はきっと疲れてるんだよ。色々あったし…僕は気にしてないから、また明日からも…」
ヨロシク…と続けようとした瞬間に塞がれた唇。目の前には睫毛を伏せたままの三輝君の綺麗な顔。
柔らかな感触が三輝君の唇だと理解出来たのはきっちり3秒後で…。
キス…されてる…?
そうやっと思考が追い付きだした頃に、ゆっくりと離れていく唇…。
「俺は、是非気にして欲しいなー」
そう艶やかに笑う三輝君に再び思考はストップ。瞬きすらせず三輝君を見つめる。
そんな私にクスリと笑うと、今度は額にチュッと軽いリップ音を立ててキスされる。
「これはおやすみのキスねー。万里ちゃん、また明日ね」
そう言って去っていく三輝君を見送り、暫くその場で立ち尽くす。
―――――…何?え?…ちょっと…
三輝君の後ろ姿なんてとっくに消えて、エントランスに他の住人が現れた頃、やっと思考が戻って来る。
その場にこれ以上留まる事も出来ず、急いで部屋へと戻った。
部屋へ入ると制服もそのままでベッドへ突っ伏す。今日は1日色んな事がありすぎた。
隼飛君も三輝君もどうしちゃったんだろう。でも何でそんな事をしてくるのか分からず、どうしたら良いのかも分からない。
ぐるぐる考えるも何も答えが出ないまま。
『向こうが距離を近くしてきて、嫌だったらちゃんと拒否して距離を取ればいい。もし嫌じゃなくて、それ以上に仲良くなりたいと思うなら、ちゃんと向き合って、考えて相手に伝えれば良いわ』
不意に昼間屋上での椿ちゃんの言葉を思い出した。
…嫌だった?いや、驚いたけど、嫌じゃなかった…
仲良くなりたい…?それは勿論…折角ここまで仲良くなれたんだから、疎遠にはなりたくない…寧ろ、もっと仲良くなりたい…って思う…
でも……
そんな堂々巡りで答えなんて出ないまま夜が更けていった。