「彼女」が「彼」になった理由
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「お帰りなさい!」
足早に歩く私達。もうすぐでポトスが見える…そんな距離。
その声と共に、笹城君が駈け寄って来た。落ち着かなかったのだろう、店内ではなく店の外で私達が帰って来るのを今か今かと待ってたみたいだ。
「なんだ、笹城!!ずっと待ってたのか?」
私の言葉に半信半疑でいたのか、一兄ぃが驚いた様子で声を掛ける。だけど、何も言わず問いかけるような視線だけを向ける笹城君。
「あ…あの…」
それに気付いた一兄ぃが何も言わず頭を撫でた。
「任せとけって言ったろ?全部終わったよ」
その言葉に必死に堪えていたであろう涙を見せ、一気に顔をくしゃくしゃにした笹城君を、皆温かく見守っていた。
「本当に…本当に、ありがろうございました」
そんな姿が何ともいじらしくて、ついつい両肩をポンと叩く。
「ね?あなたのお兄ちゃん達は本当に頼りになるだろ?笹城君」
そう笑うと、「はい…信じてました…如月さんも…約束守ってくれてありがとうございました…」そう言って、初めて笑顔見せてくれた笹城君に「うん、信じて待っててくれてありがとう」と笑いかけた。
「たっだいまー。ことはー。帰ったぞーい!」
そう嬉しそうにポトスへと入る一兄ぃを「おかえり」と言いながら彼にスルーして皆の前に立つことは。
「もう手当済んでるじゃん」
そう言いながら皆を様子を見ながら声を掛けていく。最後に桜君に声を掛け「おかえり」と言った。
だけど何も発さない桜君に、シンとする場。突然「帰る」と言って踵を返す桜君に慌てる楡井君の声。そんな桜君を強引に引き留め席へと連行していったのは一兄ぃで。
ことはへ「スペシャルコーヒー」頼むと言うと、奥の席へ強引に桜君を降ろし、『対話記念日』だからと桜君と話したいと笑った。
皆が周りの席に着いて、ことははカウンターへ戻る。「手伝うよ」と私もカウンターへ入った。
サイフォンに火を入れ、コーヒー豆をセットしていくことは。その後ろで人数分のカップを用意する私。
「…あんたにしては頑張ったわね…手当。結構血出てたみたいなのに…」
「うん。ことはの手当の仕方、いつも間近で見てたからねー」
静かに語りかけてくることはに、ことはのおかげだと笑う私。昔から一兄ぃの手当をしていたのは本当だけど、特に酷い出血とかはことはがやってくれていた。多分、昔の私は血が苦手で…それをことはも分かっていたから。
「…そっか」
「あ、ボウフウリンと獅子頭連は『友達』になったんだよ。だから、タイマンをした10人、全員ちゃんと手当してきたんだから…あ、蘇枋君以外は…ね」
そう少しだけ得意気に言うと、ことはが改めて私の方を向く。
「泣かなかったのはえらい、えらい」
そう言って笑いながら、私の頭を撫でた。
「……っ、またことはまで子供扱いする…」
そう言うもことはに撫でられるのも嫌いじゃない。
「だって、昔は梅がケガして帰ってくる度に泣きながら梅にしがみついてたじゃないの」
「……それは、最初の頃だけだし…」
施設に来てしばらくたった頃から一兄ぃはよく喧嘩して帰ってくる事が増えた。ちゃんと勝ってくるんだけど、無傷って事はなかなかなくて…血を流して帰ってくる姿に自分まで痛くなったような気がして、痛くない訳ないのに「大丈夫だ」っていう一兄ぃに、ムカつくのと、心配なのと、無事で良かったって感情がごちゃ混ぜになって、うまく自分の中で処理出来ないまま流した涙。
よく一兄ぃにしがみ付いて泣いていた。泣きながら、ことはの手当の手伝いをしていた。
「…今は大丈夫…だし」
そう言いいながら俯く私に「馬鹿ね…無理しちゃって…」と目を細めることは。
「ほら、コーヒー落ちたよ。淹れるから持ってって」
その言葉に「うん」と頷きながらトレイに載せていく。
「はい、どうぞ」そう言いながら、それぞれへコーヒーを置く。
私はカウンターへ戻ると、自分の為の紅茶を淹れる準備をする。
「ことはは?今日はローズヒップ淹れるけど…?」
ことはに訊くと、今日はコーヒーとサイフォンの残りのコーヒーをカップに注いでいた。
「分かった」と棚から取り出した缶から自分だけの分をローズヒップをティーポットへ淹れ、沸かしておいたお湯を注いだ。
数分後にティーカップへ注げば、赤い綺麗な色と、漂うほのかなバラの香り。それを自分の定位置のカウンターへ置くと、席へと着く。そして、他の皆と同じように一兄ぃの話しに耳を傾けた。
「どうだった?十亀との会話は?」
その問いに「拳から声なんか聞こえなかった」と答える桜君。皆に笑われて赤くなる桜君を見ながら思う。
うん、桜君は本当にいい子だ。その上、素直に人の言葉に耳を傾ける事が出来ている。
一兄ぃは拳で会話出来る条件っていうのは『人と向き合うこと』『人を知りたいと思うこと』受けいる前に必ず向き合わなきゃいけない、って桜君に語った。
実は向き合う事が一番難しい。私もそう思う。
それが最初から出来た桜君はやっぱり凄くて、いい子なんだと思う。
「………いいなぁ」
ポツリと本音を呟いた。それは誰の耳にも届かない程の小さな嫉妬。
桜君の喧嘩中にも思ったけど、私には拳出会話なんて出来ない。
自分から喧嘩なんかしないし、襲ってきた相手を投げ飛ばす事は出来ても、自分から蹴り飛ばしたり、殴り倒したりなんか出来るはずない。
例え相手が間違っていたとしても、精々出来る事なんて言葉で説得する事位で。
拳と拳の会話って、確かに原始的かもしれないけど、言葉とは違って心がダイレクトに繋がるみたいな、深いものに思える。
私には到底出来ないものを、やってのけた桜君。
おそらく『ソレ』が出来るであろう皆…漠然と、羨ましいって気持ちだけが残る。
風鈴には入ったけど…やっぱり私との間には『壁』があるんだろうな…
そう思うと、ちょっと悲しくなって両手で持ったままのティーカップへと口を付けた。心なしかいつもより酸っぱい気がした。
『受け入れて』『向き合って』その人を見て、認めるって事は簡単なようで難しいと思う。
自分を認めない桜君に、『何にでもなれる、てっぺんにだってなれるさ』と断言する一兄ぃ。桜君を見る皆の視線はとても優しいモノだった。
人付き合いが苦手な桜君。ずっと一人でやって来て、それでも人との関わりを諦め切れなくて、此処に来て人の優しさに触れ、少しずつ変わって行きそうになる自分に戸惑いを見せながら真摯に向き合っている。
皆の想いが桜君にちゃんと届いて、桜君自身が受け入れる事が出来るのは、そんなに遠くない未来なんじゃないかと思う。ううん、そうなって欲しいと願うよ。
そう思って眺めていたら、同じようにずーっと我慢して一兄ぃの話を聴いていたであろう京太郎君が我慢の限界を超えたのか突然立ち上がり、桜君へと椅子を振り上げた。それとなく登馬君が止めてるけど、なかなか怒りは収まりそうにない。
「ちょっと、あんた、何やってるのよ!!喧嘩なら店の外でやれぇ!!」
それを見ていたことはも、我慢できず珍しく大声で怒鳴った。
何とか京太郎君をなだめて、席へと再び座らせるとまた6人でわいわい話始める。
私は飲み終わったティーカップを片付けようと再度カウンターへ入ると、洗い物に取り掛かる。
お客さんの来店を告げるドアの鐘の音に、ことはの「いらっしゃい」の声が重なった。
風鈴の皆とは反対側のテーブル席へと着いたらしい親子、お母さんが娘へと話し掛ける。
「ほら、もう機嫌直して。仕方ないでしょう?また今度、ちゃんと直して貰おうね。ほら、何にする?好きな物頼んでいいよ」
どうやら何かご機嫌斜めの娘へ、気分を逸らそうと話し掛けていた。
親子へと水を運ぶことは。
「珍しい、ご機嫌斜めね。どうしたの?」と話し掛ける。どうやら顔見知りの子らしい。まぁ、ポトスに来るお客さんは、常連さんが多いから不思議ではない。
私は洗ったティーカップの水分を拭き取り、棚へと戻しながら背中でその会話を聞く。
「それ、ヴァイオリン?」
「………」
「そうなの。まだ初めて3ヶ月位なんだけど…今日練習で、弦が切れちゃってね。張り替えて貰おうと楽器屋さんに来たんだけどお休みで…私は全くヴァイオリンの事分からないしどうしたらいいかと思って。とりあえず気分転換に甘いものでも、と此処に来たんだけど…」
何も答えない娘に代わり、困ったように溜息混じりにお母さんが答える。
この商店街で楽器屋といえば、トシさんの所しかない。休みなんて珍しいな、と思うもそう言えば4月の初めに遠方の調律の仕事があるから2日間程お店を休むって言ってたのを思い出す。それが今日か…。そう思いながら親子へ視線を向ける。
「……だって弾きたいもん。先生も毎日少しでも良いからヴァイオリン弾こうね、って言ってたもん…」
俯いたまま大きなヴァイオリンケースを抱える娘ちゃんの言葉に困ったように顔を見合わせることは達。
「それは分かるけど…梨沙、仕方ないでしょう?」
お母さんが言い聞かせるように優しく言う。その言葉にさらに唇噛み締めるとぎゅっとケースを抱きしめた。
「私が、変な弾き方したから…弦、切れちゃった…」
そんな今にも泣きだしそうな声に、カウンターから急いで出るとその子の元へ駆け寄る。
「あの、良かったら弦の張替え、僕がしますよ」
そう声を掛けると、少し潤んだ瞳で見上げる女の子。「ヴァイオリン、見せて貰って良い?」そう笑いかけるとコクンと頷いてヴァイオリンケースを渡してくれた。空いている隣のテーブルへ置くとケースからヴァイオリンを取り出した。
取り出したヴァイオリンは一番右側のE線が真ん中で切れて垂れている状態。確認すると泣きそうな女の子に笑顔で説明する。
「E線はね…高い音が出るよね。ヴァイオリンの中で一番細い線だから、ちょっとした事で切れちゃう事がよくあるんだよ。だからあなたの弾き方のせいじゃない、ね?」
「…ホント…?」
「うん。あ、替えの弦は持ってる?」
ケース内を軽く確認すると、それらしきモノは入っていなかったので、親子に確認する。そうすると、首を横に振る女の子。
うーん…困ったな…替えの弦がなければ張り替えられないし…「あっ…」そう思い出したように声に出すと、もう一度ヴァイオリンを確認する。うん、ちゃんと4/4サイズ…と。
「ちょっと待っててね」そう言うと、裏の部屋へ小走りで向かう。自分のヴァイオリンケースを抱えると店内へ戻った。カウンターへ置いてケースを開けると隅に入れてあった替え弦を取り出した。
昨日、トシさんが入れてい置いてくれた弦の中からE線を取り出してテーブルへ持っていく。
「借りるね」そう声を掛けるとヴァイオリンを取り出して、椅子へ腰掛けると膝の上で立てて抱きかかえる。ペグを緩めて上半分の弦を、テールピースから下の弦を取り外した。今度はヴァイオリンをテーブルへ置くと新しい弦のコマをアジャスターから引っ掛けて、ペグの穴へと弦の先を通す。そしてゆっくり弦を巻いていく。
緩みが無くなれば、軽く指で弦を弾きながらある程度調弦していく。
「弓も借りるね」
立ち上がりヴァイオリンを構えると顎を乗せた状態で弓を取った。
まず基本の音をゆっくりと鳴らして、音を確認…ペグで張りを微調整。順番に「ドレミファソラシド」を鳴らしてみる。
ん、こんなものかな…?
「はい、出来たよ」
そう言うとヴァイオリンと弓を女の子に渡した。ぱぁっと顔を輝かせて受け取る。その笑顔にこっちも自然と笑顔になる。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「どういたしまして。ただ、E線は特に細いから、これから2、3日は弦が伸びて緩んだりするんだ。音が狂う事があるから楽器屋さんか、ヴァイオリンの先生に微調整して貰ってね」
「うんっ!」
そう言って、嬉しそうにヴァイオリンをケースに仕舞う女の子。
「ありがとうございます…お礼は…」と言いながらバッグへと手を伸ばして財布を取り出そうとしていたけど、丁重にお断りする。
「お礼何て要らないですよ。替えの弦もたまたま貰ったものだし…それに、この笑顔だけで十分です」
そう言って笑顔で返すと、女の子の頭を撫でた。
「ね?梨沙ちゃん。その代わり、これからも毎日ヴァイオリン弾いてあげてね。弾いた分だけ上手になれるから…」
「…分かった。今日も、ちゃんと弾くよ」
そうにっこりと笑う姿に、あー…、子供の笑顔って可愛いなぁ…ってつくづく思う。施設の弟や妹も皆可愛いもんね。うん、癒されるわ。
二人がことはへコーヒーとデザートの注文を入れるのを横目に、切れた弦を袋へ入れて回収すると自分のヴァイオリンケースの中へ仕舞おうとカウンターへ戻ろうとした所で、さっきまでわいわい話していたはずの一兄ぃ達の視線が集中している事に気付いた。
「…えっ?何??」
注目されてる意味が分からず、どうした?と思いながらもこの場を誤魔化すように笑った。
「す、凄いです、如月さん!」
「…え?楡井君…何が?」
「昨日から思ってましたが、そうやってヴァイオリンを持ち歩いているって事は、如月さんも相当の腕だって事でしょうか?いつから…」
またしても矢継ぎ早に繰り出されそうな質問を遮るように一兄ぃが話す。
「如月はそりゃあ小学生の時から、上手かったぞ。ヴァイオリンもピアノもなー。皆にせがまれて毎日のように弾いてたしな」
「そうなんですねー」と言いながら、相変わらずメモ帳へ何かを書き込む楡井君。本当に何をそんなに書き込む事があるんだろう…一回中を読ませて貰いたい…。
そう思いながらヴァイオリンケースを開けると「これがお兄ちゃんのヴァイオリン?何かちょっとだけ梨沙のと違うね」と梨沙ちゃんが隣で覗き込んで来た。
確かに私の使っているヴァイオリンは年代物。真新しい梨沙ちゃんのモノとは少しだけ作りが違う所もある。
「んー、そうだね。このヴァイオリンは僕のお母さんがずっと大事に使っていたモノなんだ。梨沙ちゃんのモノよりずっと古いけど、すごく綺麗な音が出るんだよ」
そう言うと本体をそっと撫でる。
「そうなの?じゃ、梨沙、お兄ちゃんのヴァイオリン、聴きたい!何か弾いて欲しいっ!」
「…え?」
目を輝かせて言う梨沙ちゃんに、可愛いなぁと思いながらも「でも、此処はお店の中だし…また今度…」そう言って説得しようとする。
「あら、いいじゃない。私も久しぶりに如月のヴァイオリン聴きたいわ」
コーヒーとプリンアラモードをトレイに載せたことはが言う。
「おう、そうだな。俺も聴きたいぞ」
一兄ぃまでそう言うと、さっきまで黙っていた隼飛君も片手を上げて「俺も、如月くんがヴァイオリン弾いている所を見てみたいな」と言う。
「勿論、僕もです!」楡井君も参戦し、「お…俺も」とぼそりと桜君も言った。
う…皆にそう言われると断れない雰囲気。
「それに今日は桜の記念日で歓迎会だ。音楽の一つもあって良いだろ?」
にっと笑う一兄ぃに、軽く肩を竦めて答えるとヴァイオリンを手に取る。顎で支えた状態で学ランの袖を捲った。弓を持つと梨沙ちゃんに訊ねる。
「じゃぁ、何か聴きたい曲ある?」
「うーん。じゃぁ、お兄ちゃんが一番大好きな曲がいい!」
そう答えられると、少し考える。好きな曲…そう言われると小難しいクラシック曲ではなく、一つの曲が思い浮かぶ。施設の子達にもよくせがまれて弾いた曲。私が大好きな曲…ママとの思い出の曲…。
「じゃ…『星に願いを…』で」
そう言うとヴァイオリンを構えて深呼吸。大事に一音目を弾き出す。
きっと皆が知っている曲。優しくて綺麗な旋律。音を伸ばす場所はビブラートを掛けて一音一音大事に奏でる。
もし叶うなら、みんなの願いが叶いますように…星に願いを掛けて。
子供の頃、毎日のように眠る前にママが弾いてくれた曲。私は、その綺麗で、とても優しい音が大好きだった…。
目を閉じるとあの時の温かい気持ちが蘇るようで、懐かしくて…でも泣きそうになる曲。
最後の一音を消え入るまで弾けば弓を離し、目を開ける。
「凄いっ、お兄ちゃん上手!すごく綺麗な音だった」
そう言って、目の前で手を叩いて喜んでくれる梨沙ちゃん。
「綺麗な曲だったね、素晴らしいよ、如月くん」
にっこり笑って拍手をくれる隼飛君。
「す、凄かったです!!如月さん」
感動したと言わんばかりに盛大に手を叩く楡井君。
「綺麗だな」
そう言って優しい目でゆっくり拍手をくれる登馬君。
「…わ、悪くなかった…」
そう言いながら視線を逸らす桜君。
「………」
無言だけど拍手はくれる京太郎君。
「とっても綺麗でしたっ!」
ちょっと顔を赤めて、興奮気味に褒めてくれる笹城君。
「やっぱり私は好きよ。あんたのヴァイオリン」
そう言って目を細めて拍手してくれることは。
「俺もな」
そう言いながら頭を撫でてくる一兄ぃ。
やっぱり皆から拍手を貰えたり、褒めてくれるのは嬉しくて、ヴァイオリンを外すと「聴いてくれてありがとう」とお礼を言って頭を下げた。
「お兄ちゃん、梨沙もお兄ちゃんみたいに上手に弾けるように頑張るね」
そう意気込む梨沙ちゃんに「大丈夫、すぐに梨沙ちゃんも上手に弾けるようになるよ」と返した。
ヴァイオリンをケースへと仕舞い、またカウンターへと座る。
「如月さん、ホントに素晴らしい演奏でした!俺、ヴァイオリンをこんな間近で生で演奏聴いたの初めてで…感動しました」
楡井君の言葉に、あぁ、そうか…と納得する。
「そうだね…確かに縁がないと中々ヴァイオリンて聴くことないかもしれないね」
「そのヴァイオリン、お母様のモノと聴きましが、有名な方だったんでしょうか?」
メモ帳片手に訊いてくる楡井君に「そうだよ」と答える。
「僕の両親ね、プロの演奏家だったんだ。父親はピアニストで、母親がヴァイオリニスト………もう、居ないけどね……」
「…あっ、スミマセンっ!」
言葉の意味に気付いて謝る楡井君に「気にしないで」と笑いかける。
でも、楡井君は気にしたままで、何となく場の雰囲気が静かになってしまった…あー…何かごめんなさい…と心の中で謝罪しながら、今更思い出したように言葉を切り出す。
「あ…そう言えばちょっと用事あったんだ…今日はもう帰るねー。皆、今日は本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい。ことはもありがとう、また来るね」
ちょっとだけワザとらしくなっちゃったかもだけど、私がこの場に居続けると皆に迷惑かかりそうだし…
そう言うと、カバンを肩に掛けて、ヴァイオリンケースを抱えて出口へ向かう。
梨沙ちゃんに「お兄ちゃん、バイバイ。ありがとう!」とお礼を言われ、お母さんからはお辞儀をされた。そんな二人にも手を振りながら、店を出た。
空を見上げればもう、紫から黒へとグラデーションしていて、星が瞬く。
楡井君には悪いことしちゃったな…明日ちゃんと謝ろう…そう溜息を吐くと歩き出す。
「万里ちゃん」
100メートル程歩いた所で後ろから声を掛けられた。反射的に振り返るとそこには予想通りの人物。
「隼飛君…?どうしたの?」
そこにはさっき店に居たはずの隼飛君が居て。
「今日は俺が送っていくよ」
そう笑顔で返されて首を傾げるも、肩に掛けたカバンを私から奪うと自分の肩に掛ける隼飛君。
「重そうだし、持つよ」
「え、そんな…悪いよ」
そう断るも、全く言葉を無視して歩き出す隼飛君に、軽く小走りで追いつく。
「み、みんなは?まだお喋りしてたんじゃないの?」
「うん。どうだろう。でももうすぐ解散みたいだったし、ちゃんと梅宮さん達に断って出てきたら心配ないよ?『如月君を送ってきます』って」
「…え…」
にっこりと言う隼飛君に、「そうなんだ」と納得する事しか出来ず、取り敢えず隣を大人しく歩く事にした。
明らかに身長のせいで歩幅も違うのに、私に合わせて歩いてくれる彼に思わず笑みを零すと素直にお礼を言った。
「ありがとう、隼飛君。相変わらず、優しいね」
「万里ちゃんも、さっきの演奏素晴らしかったよ。」
「…ありがとう」
改めてそう言われると、何だか恥ずかしいけど、嬉しくて…。
「最初に逢った時も、弾いていたね。『星に願いを』好きな曲なんだね」
「………え?」
続いた言葉にビックリして立ち止まる。同じように立ち止まった隼飛君の顔をマジマジと見つめてしまった。
昼間の言葉は私を試す為の言葉じゃなかったのか…それともまたしてもカマを掛けてるだけなのか?その言葉の真意が分からず、疑問を口にした。
「………本当に覚えてる…の?」
「あれ?今日の昼間にも言ったよね?」
「だって、あれは私にカマ掛けてるだけだと…」
「酷いなぁ…俺が忘れる訳ないじゃないか?あれだけ熱烈な抱擁貰ったのに」
そう笑いながら言う隼飛君に、疑問が確信に変わった。一気に顔が熱くなる。あぁ。ダメだ、こんな単純さは桜君並みだ…そう桜君に失礼な事を思いながら。
「そ…なんだ。あ、あれは抱擁じゃないでしょっ!」
そう言って顔を逸らすも、やっぱり気になって隼飛君の顔を伺う様にちらりと視線を向ければ、楽し気に此方を見つめる彼と目がバッチリ合った。
「……っ!ちょ、何見て…」
「いや、可愛いなぁと思って」
「なっ…」
そう笑う彼は、明らかに私を揶揄っているようで。何か悔しくて「揶揄わないで」と歩き出す。
「揶揄ってなんかいないよ。本当にそう思っただけだから」
そう言いながらついてくる隼飛君にムッとし振り返り視線を戻すと、そこには揶揄うようでも、楽し気でもない、優しい瞳があった。
「万里ちゃんも今日は沢山頑張ってたね。お疲れ様」
そう言って左手で右頬をそっと撫でられる。そう自分自身を労われたのは初めてで、ビックリして瞬きするもちょっと嬉しくてお礼を言った。
「ありがとう…」
そう言うと離れていく手を名残惜し気に見つめていたらしい。
「万里ちゃん、そんな顔で見つめられると、勘違いしそうになるから気を付けてね」
そう言われ「何が?」と分からず隼飛君を見返した。
「…うん、本当、万里ちゃんは心配だなー」
そう困ったように笑う隼飛君の言葉の意味が分からないまま、促されるように歩き出す。
「今日は変な空気にしちゃってごめんね…明日、楡井君にも謝らなきゃ…」
「大丈夫。楡井君にもちゃんと伝わってるよ」
「そ、かな?」
そんな他愛ない会話をしながら二人で歩く。
「ご両親は…事故か何か?」
そう静かに聞いてくる隼飛君に、一つ頷くと俯いたまま答えた。
「……うん、交通事故で…。私が殺しちゃったの…」
ポツリと言葉にした瞬間、ハッと気付いて笑顔を作る。
「あ、ごめん。何言ってんだろう。あ、もうこの近くだから大丈夫。荷物持ってくれて…送ってくれてありがとう。隼飛君も気を付けて帰ってね」
そう言うと隼飛君の肩から奪う様にカバンを取り返し、踵を返した。走りだそうとする腕を咄嗟に掴まれて振り返る。
「万里ちゃん、大丈夫?」
「………だ、大丈夫だよ。お、おやすみ」
口許だけはと笑顔を作る。上手く笑えてないのは分かっていたから、そのまま手を振り切ってその場から逃げ出すように走る。
そう言うと振り返ることは出来なくて。
部屋へ戻ると、カバンを降ろして、ヴァイオリンをキャビネットの上へ置く。
そのままベッドへ倒れ込むように息を整えた。
冷静になればなる程、折角家まで好意で送ってくれた隼飛君に悪いことをしてしまったと罪悪感が襲う。
「――――――…うわぁ、どうしよう…」
そう思っても後の祭りで…明日、謝る事が一つ増えた…。
足早に歩く私達。もうすぐでポトスが見える…そんな距離。
その声と共に、笹城君が駈け寄って来た。落ち着かなかったのだろう、店内ではなく店の外で私達が帰って来るのを今か今かと待ってたみたいだ。
「なんだ、笹城!!ずっと待ってたのか?」
私の言葉に半信半疑でいたのか、一兄ぃが驚いた様子で声を掛ける。だけど、何も言わず問いかけるような視線だけを向ける笹城君。
「あ…あの…」
それに気付いた一兄ぃが何も言わず頭を撫でた。
「任せとけって言ったろ?全部終わったよ」
その言葉に必死に堪えていたであろう涙を見せ、一気に顔をくしゃくしゃにした笹城君を、皆温かく見守っていた。
「本当に…本当に、ありがろうございました」
そんな姿が何ともいじらしくて、ついつい両肩をポンと叩く。
「ね?あなたのお兄ちゃん達は本当に頼りになるだろ?笹城君」
そう笑うと、「はい…信じてました…如月さんも…約束守ってくれてありがとうございました…」そう言って、初めて笑顔見せてくれた笹城君に「うん、信じて待っててくれてありがとう」と笑いかけた。
「たっだいまー。ことはー。帰ったぞーい!」
そう嬉しそうにポトスへと入る一兄ぃを「おかえり」と言いながら彼にスルーして皆の前に立つことは。
「もう手当済んでるじゃん」
そう言いながら皆を様子を見ながら声を掛けていく。最後に桜君に声を掛け「おかえり」と言った。
だけど何も発さない桜君に、シンとする場。突然「帰る」と言って踵を返す桜君に慌てる楡井君の声。そんな桜君を強引に引き留め席へと連行していったのは一兄ぃで。
ことはへ「スペシャルコーヒー」頼むと言うと、奥の席へ強引に桜君を降ろし、『対話記念日』だからと桜君と話したいと笑った。
皆が周りの席に着いて、ことははカウンターへ戻る。「手伝うよ」と私もカウンターへ入った。
サイフォンに火を入れ、コーヒー豆をセットしていくことは。その後ろで人数分のカップを用意する私。
「…あんたにしては頑張ったわね…手当。結構血出てたみたいなのに…」
「うん。ことはの手当の仕方、いつも間近で見てたからねー」
静かに語りかけてくることはに、ことはのおかげだと笑う私。昔から一兄ぃの手当をしていたのは本当だけど、特に酷い出血とかはことはがやってくれていた。多分、昔の私は血が苦手で…それをことはも分かっていたから。
「…そっか」
「あ、ボウフウリンと獅子頭連は『友達』になったんだよ。だから、タイマンをした10人、全員ちゃんと手当してきたんだから…あ、蘇枋君以外は…ね」
そう少しだけ得意気に言うと、ことはが改めて私の方を向く。
「泣かなかったのはえらい、えらい」
そう言って笑いながら、私の頭を撫でた。
「……っ、またことはまで子供扱いする…」
そう言うもことはに撫でられるのも嫌いじゃない。
「だって、昔は梅がケガして帰ってくる度に泣きながら梅にしがみついてたじゃないの」
「……それは、最初の頃だけだし…」
施設に来てしばらくたった頃から一兄ぃはよく喧嘩して帰ってくる事が増えた。ちゃんと勝ってくるんだけど、無傷って事はなかなかなくて…血を流して帰ってくる姿に自分まで痛くなったような気がして、痛くない訳ないのに「大丈夫だ」っていう一兄ぃに、ムカつくのと、心配なのと、無事で良かったって感情がごちゃ混ぜになって、うまく自分の中で処理出来ないまま流した涙。
よく一兄ぃにしがみ付いて泣いていた。泣きながら、ことはの手当の手伝いをしていた。
「…今は大丈夫…だし」
そう言いいながら俯く私に「馬鹿ね…無理しちゃって…」と目を細めることは。
「ほら、コーヒー落ちたよ。淹れるから持ってって」
その言葉に「うん」と頷きながらトレイに載せていく。
「はい、どうぞ」そう言いながら、それぞれへコーヒーを置く。
私はカウンターへ戻ると、自分の為の紅茶を淹れる準備をする。
「ことはは?今日はローズヒップ淹れるけど…?」
ことはに訊くと、今日はコーヒーとサイフォンの残りのコーヒーをカップに注いでいた。
「分かった」と棚から取り出した缶から自分だけの分をローズヒップをティーポットへ淹れ、沸かしておいたお湯を注いだ。
数分後にティーカップへ注げば、赤い綺麗な色と、漂うほのかなバラの香り。それを自分の定位置のカウンターへ置くと、席へと着く。そして、他の皆と同じように一兄ぃの話しに耳を傾けた。
「どうだった?十亀との会話は?」
その問いに「拳から声なんか聞こえなかった」と答える桜君。皆に笑われて赤くなる桜君を見ながら思う。
うん、桜君は本当にいい子だ。その上、素直に人の言葉に耳を傾ける事が出来ている。
一兄ぃは拳で会話出来る条件っていうのは『人と向き合うこと』『人を知りたいと思うこと』受けいる前に必ず向き合わなきゃいけない、って桜君に語った。
実は向き合う事が一番難しい。私もそう思う。
それが最初から出来た桜君はやっぱり凄くて、いい子なんだと思う。
「………いいなぁ」
ポツリと本音を呟いた。それは誰の耳にも届かない程の小さな嫉妬。
桜君の喧嘩中にも思ったけど、私には拳出会話なんて出来ない。
自分から喧嘩なんかしないし、襲ってきた相手を投げ飛ばす事は出来ても、自分から蹴り飛ばしたり、殴り倒したりなんか出来るはずない。
例え相手が間違っていたとしても、精々出来る事なんて言葉で説得する事位で。
拳と拳の会話って、確かに原始的かもしれないけど、言葉とは違って心がダイレクトに繋がるみたいな、深いものに思える。
私には到底出来ないものを、やってのけた桜君。
おそらく『ソレ』が出来るであろう皆…漠然と、羨ましいって気持ちだけが残る。
風鈴には入ったけど…やっぱり私との間には『壁』があるんだろうな…
そう思うと、ちょっと悲しくなって両手で持ったままのティーカップへと口を付けた。心なしかいつもより酸っぱい気がした。
『受け入れて』『向き合って』その人を見て、認めるって事は簡単なようで難しいと思う。
自分を認めない桜君に、『何にでもなれる、てっぺんにだってなれるさ』と断言する一兄ぃ。桜君を見る皆の視線はとても優しいモノだった。
人付き合いが苦手な桜君。ずっと一人でやって来て、それでも人との関わりを諦め切れなくて、此処に来て人の優しさに触れ、少しずつ変わって行きそうになる自分に戸惑いを見せながら真摯に向き合っている。
皆の想いが桜君にちゃんと届いて、桜君自身が受け入れる事が出来るのは、そんなに遠くない未来なんじゃないかと思う。ううん、そうなって欲しいと願うよ。
そう思って眺めていたら、同じようにずーっと我慢して一兄ぃの話を聴いていたであろう京太郎君が我慢の限界を超えたのか突然立ち上がり、桜君へと椅子を振り上げた。それとなく登馬君が止めてるけど、なかなか怒りは収まりそうにない。
「ちょっと、あんた、何やってるのよ!!喧嘩なら店の外でやれぇ!!」
それを見ていたことはも、我慢できず珍しく大声で怒鳴った。
何とか京太郎君をなだめて、席へと再び座らせるとまた6人でわいわい話始める。
私は飲み終わったティーカップを片付けようと再度カウンターへ入ると、洗い物に取り掛かる。
お客さんの来店を告げるドアの鐘の音に、ことはの「いらっしゃい」の声が重なった。
風鈴の皆とは反対側のテーブル席へと着いたらしい親子、お母さんが娘へと話し掛ける。
「ほら、もう機嫌直して。仕方ないでしょう?また今度、ちゃんと直して貰おうね。ほら、何にする?好きな物頼んでいいよ」
どうやら何かご機嫌斜めの娘へ、気分を逸らそうと話し掛けていた。
親子へと水を運ぶことは。
「珍しい、ご機嫌斜めね。どうしたの?」と話し掛ける。どうやら顔見知りの子らしい。まぁ、ポトスに来るお客さんは、常連さんが多いから不思議ではない。
私は洗ったティーカップの水分を拭き取り、棚へと戻しながら背中でその会話を聞く。
「それ、ヴァイオリン?」
「………」
「そうなの。まだ初めて3ヶ月位なんだけど…今日練習で、弦が切れちゃってね。張り替えて貰おうと楽器屋さんに来たんだけどお休みで…私は全くヴァイオリンの事分からないしどうしたらいいかと思って。とりあえず気分転換に甘いものでも、と此処に来たんだけど…」
何も答えない娘に代わり、困ったように溜息混じりにお母さんが答える。
この商店街で楽器屋といえば、トシさんの所しかない。休みなんて珍しいな、と思うもそう言えば4月の初めに遠方の調律の仕事があるから2日間程お店を休むって言ってたのを思い出す。それが今日か…。そう思いながら親子へ視線を向ける。
「……だって弾きたいもん。先生も毎日少しでも良いからヴァイオリン弾こうね、って言ってたもん…」
俯いたまま大きなヴァイオリンケースを抱える娘ちゃんの言葉に困ったように顔を見合わせることは達。
「それは分かるけど…梨沙、仕方ないでしょう?」
お母さんが言い聞かせるように優しく言う。その言葉にさらに唇噛み締めるとぎゅっとケースを抱きしめた。
「私が、変な弾き方したから…弦、切れちゃった…」
そんな今にも泣きだしそうな声に、カウンターから急いで出るとその子の元へ駆け寄る。
「あの、良かったら弦の張替え、僕がしますよ」
そう声を掛けると、少し潤んだ瞳で見上げる女の子。「ヴァイオリン、見せて貰って良い?」そう笑いかけるとコクンと頷いてヴァイオリンケースを渡してくれた。空いている隣のテーブルへ置くとケースからヴァイオリンを取り出した。
取り出したヴァイオリンは一番右側のE線が真ん中で切れて垂れている状態。確認すると泣きそうな女の子に笑顔で説明する。
「E線はね…高い音が出るよね。ヴァイオリンの中で一番細い線だから、ちょっとした事で切れちゃう事がよくあるんだよ。だからあなたの弾き方のせいじゃない、ね?」
「…ホント…?」
「うん。あ、替えの弦は持ってる?」
ケース内を軽く確認すると、それらしきモノは入っていなかったので、親子に確認する。そうすると、首を横に振る女の子。
うーん…困ったな…替えの弦がなければ張り替えられないし…「あっ…」そう思い出したように声に出すと、もう一度ヴァイオリンを確認する。うん、ちゃんと4/4サイズ…と。
「ちょっと待っててね」そう言うと、裏の部屋へ小走りで向かう。自分のヴァイオリンケースを抱えると店内へ戻った。カウンターへ置いてケースを開けると隅に入れてあった替え弦を取り出した。
昨日、トシさんが入れてい置いてくれた弦の中からE線を取り出してテーブルへ持っていく。
「借りるね」そう声を掛けるとヴァイオリンを取り出して、椅子へ腰掛けると膝の上で立てて抱きかかえる。ペグを緩めて上半分の弦を、テールピースから下の弦を取り外した。今度はヴァイオリンをテーブルへ置くと新しい弦のコマをアジャスターから引っ掛けて、ペグの穴へと弦の先を通す。そしてゆっくり弦を巻いていく。
緩みが無くなれば、軽く指で弦を弾きながらある程度調弦していく。
「弓も借りるね」
立ち上がりヴァイオリンを構えると顎を乗せた状態で弓を取った。
まず基本の音をゆっくりと鳴らして、音を確認…ペグで張りを微調整。順番に「ドレミファソラシド」を鳴らしてみる。
ん、こんなものかな…?
「はい、出来たよ」
そう言うとヴァイオリンと弓を女の子に渡した。ぱぁっと顔を輝かせて受け取る。その笑顔にこっちも自然と笑顔になる。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「どういたしまして。ただ、E線は特に細いから、これから2、3日は弦が伸びて緩んだりするんだ。音が狂う事があるから楽器屋さんか、ヴァイオリンの先生に微調整して貰ってね」
「うんっ!」
そう言って、嬉しそうにヴァイオリンをケースに仕舞う女の子。
「ありがとうございます…お礼は…」と言いながらバッグへと手を伸ばして財布を取り出そうとしていたけど、丁重にお断りする。
「お礼何て要らないですよ。替えの弦もたまたま貰ったものだし…それに、この笑顔だけで十分です」
そう言って笑顔で返すと、女の子の頭を撫でた。
「ね?梨沙ちゃん。その代わり、これからも毎日ヴァイオリン弾いてあげてね。弾いた分だけ上手になれるから…」
「…分かった。今日も、ちゃんと弾くよ」
そうにっこりと笑う姿に、あー…、子供の笑顔って可愛いなぁ…ってつくづく思う。施設の弟や妹も皆可愛いもんね。うん、癒されるわ。
二人がことはへコーヒーとデザートの注文を入れるのを横目に、切れた弦を袋へ入れて回収すると自分のヴァイオリンケースの中へ仕舞おうとカウンターへ戻ろうとした所で、さっきまでわいわい話していたはずの一兄ぃ達の視線が集中している事に気付いた。
「…えっ?何??」
注目されてる意味が分からず、どうした?と思いながらもこの場を誤魔化すように笑った。
「す、凄いです、如月さん!」
「…え?楡井君…何が?」
「昨日から思ってましたが、そうやってヴァイオリンを持ち歩いているって事は、如月さんも相当の腕だって事でしょうか?いつから…」
またしても矢継ぎ早に繰り出されそうな質問を遮るように一兄ぃが話す。
「如月はそりゃあ小学生の時から、上手かったぞ。ヴァイオリンもピアノもなー。皆にせがまれて毎日のように弾いてたしな」
「そうなんですねー」と言いながら、相変わらずメモ帳へ何かを書き込む楡井君。本当に何をそんなに書き込む事があるんだろう…一回中を読ませて貰いたい…。
そう思いながらヴァイオリンケースを開けると「これがお兄ちゃんのヴァイオリン?何かちょっとだけ梨沙のと違うね」と梨沙ちゃんが隣で覗き込んで来た。
確かに私の使っているヴァイオリンは年代物。真新しい梨沙ちゃんのモノとは少しだけ作りが違う所もある。
「んー、そうだね。このヴァイオリンは僕のお母さんがずっと大事に使っていたモノなんだ。梨沙ちゃんのモノよりずっと古いけど、すごく綺麗な音が出るんだよ」
そう言うと本体をそっと撫でる。
「そうなの?じゃ、梨沙、お兄ちゃんのヴァイオリン、聴きたい!何か弾いて欲しいっ!」
「…え?」
目を輝かせて言う梨沙ちゃんに、可愛いなぁと思いながらも「でも、此処はお店の中だし…また今度…」そう言って説得しようとする。
「あら、いいじゃない。私も久しぶりに如月のヴァイオリン聴きたいわ」
コーヒーとプリンアラモードをトレイに載せたことはが言う。
「おう、そうだな。俺も聴きたいぞ」
一兄ぃまでそう言うと、さっきまで黙っていた隼飛君も片手を上げて「俺も、如月くんがヴァイオリン弾いている所を見てみたいな」と言う。
「勿論、僕もです!」楡井君も参戦し、「お…俺も」とぼそりと桜君も言った。
う…皆にそう言われると断れない雰囲気。
「それに今日は桜の記念日で歓迎会だ。音楽の一つもあって良いだろ?」
にっと笑う一兄ぃに、軽く肩を竦めて答えるとヴァイオリンを手に取る。顎で支えた状態で学ランの袖を捲った。弓を持つと梨沙ちゃんに訊ねる。
「じゃぁ、何か聴きたい曲ある?」
「うーん。じゃぁ、お兄ちゃんが一番大好きな曲がいい!」
そう答えられると、少し考える。好きな曲…そう言われると小難しいクラシック曲ではなく、一つの曲が思い浮かぶ。施設の子達にもよくせがまれて弾いた曲。私が大好きな曲…ママとの思い出の曲…。
「じゃ…『星に願いを…』で」
そう言うとヴァイオリンを構えて深呼吸。大事に一音目を弾き出す。
きっと皆が知っている曲。優しくて綺麗な旋律。音を伸ばす場所はビブラートを掛けて一音一音大事に奏でる。
もし叶うなら、みんなの願いが叶いますように…星に願いを掛けて。
子供の頃、毎日のように眠る前にママが弾いてくれた曲。私は、その綺麗で、とても優しい音が大好きだった…。
目を閉じるとあの時の温かい気持ちが蘇るようで、懐かしくて…でも泣きそうになる曲。
最後の一音を消え入るまで弾けば弓を離し、目を開ける。
「凄いっ、お兄ちゃん上手!すごく綺麗な音だった」
そう言って、目の前で手を叩いて喜んでくれる梨沙ちゃん。
「綺麗な曲だったね、素晴らしいよ、如月くん」
にっこり笑って拍手をくれる隼飛君。
「す、凄かったです!!如月さん」
感動したと言わんばかりに盛大に手を叩く楡井君。
「綺麗だな」
そう言って優しい目でゆっくり拍手をくれる登馬君。
「…わ、悪くなかった…」
そう言いながら視線を逸らす桜君。
「………」
無言だけど拍手はくれる京太郎君。
「とっても綺麗でしたっ!」
ちょっと顔を赤めて、興奮気味に褒めてくれる笹城君。
「やっぱり私は好きよ。あんたのヴァイオリン」
そう言って目を細めて拍手してくれることは。
「俺もな」
そう言いながら頭を撫でてくる一兄ぃ。
やっぱり皆から拍手を貰えたり、褒めてくれるのは嬉しくて、ヴァイオリンを外すと「聴いてくれてありがとう」とお礼を言って頭を下げた。
「お兄ちゃん、梨沙もお兄ちゃんみたいに上手に弾けるように頑張るね」
そう意気込む梨沙ちゃんに「大丈夫、すぐに梨沙ちゃんも上手に弾けるようになるよ」と返した。
ヴァイオリンをケースへと仕舞い、またカウンターへと座る。
「如月さん、ホントに素晴らしい演奏でした!俺、ヴァイオリンをこんな間近で生で演奏聴いたの初めてで…感動しました」
楡井君の言葉に、あぁ、そうか…と納得する。
「そうだね…確かに縁がないと中々ヴァイオリンて聴くことないかもしれないね」
「そのヴァイオリン、お母様のモノと聴きましが、有名な方だったんでしょうか?」
メモ帳片手に訊いてくる楡井君に「そうだよ」と答える。
「僕の両親ね、プロの演奏家だったんだ。父親はピアニストで、母親がヴァイオリニスト………もう、居ないけどね……」
「…あっ、スミマセンっ!」
言葉の意味に気付いて謝る楡井君に「気にしないで」と笑いかける。
でも、楡井君は気にしたままで、何となく場の雰囲気が静かになってしまった…あー…何かごめんなさい…と心の中で謝罪しながら、今更思い出したように言葉を切り出す。
「あ…そう言えばちょっと用事あったんだ…今日はもう帰るねー。皆、今日は本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい。ことはもありがとう、また来るね」
ちょっとだけワザとらしくなっちゃったかもだけど、私がこの場に居続けると皆に迷惑かかりそうだし…
そう言うと、カバンを肩に掛けて、ヴァイオリンケースを抱えて出口へ向かう。
梨沙ちゃんに「お兄ちゃん、バイバイ。ありがとう!」とお礼を言われ、お母さんからはお辞儀をされた。そんな二人にも手を振りながら、店を出た。
空を見上げればもう、紫から黒へとグラデーションしていて、星が瞬く。
楡井君には悪いことしちゃったな…明日ちゃんと謝ろう…そう溜息を吐くと歩き出す。
「万里ちゃん」
100メートル程歩いた所で後ろから声を掛けられた。反射的に振り返るとそこには予想通りの人物。
「隼飛君…?どうしたの?」
そこにはさっき店に居たはずの隼飛君が居て。
「今日は俺が送っていくよ」
そう笑顔で返されて首を傾げるも、肩に掛けたカバンを私から奪うと自分の肩に掛ける隼飛君。
「重そうだし、持つよ」
「え、そんな…悪いよ」
そう断るも、全く言葉を無視して歩き出す隼飛君に、軽く小走りで追いつく。
「み、みんなは?まだお喋りしてたんじゃないの?」
「うん。どうだろう。でももうすぐ解散みたいだったし、ちゃんと梅宮さん達に断って出てきたら心配ないよ?『如月君を送ってきます』って」
「…え…」
にっこりと言う隼飛君に、「そうなんだ」と納得する事しか出来ず、取り敢えず隣を大人しく歩く事にした。
明らかに身長のせいで歩幅も違うのに、私に合わせて歩いてくれる彼に思わず笑みを零すと素直にお礼を言った。
「ありがとう、隼飛君。相変わらず、優しいね」
「万里ちゃんも、さっきの演奏素晴らしかったよ。」
「…ありがとう」
改めてそう言われると、何だか恥ずかしいけど、嬉しくて…。
「最初に逢った時も、弾いていたね。『星に願いを』好きな曲なんだね」
「………え?」
続いた言葉にビックリして立ち止まる。同じように立ち止まった隼飛君の顔をマジマジと見つめてしまった。
昼間の言葉は私を試す為の言葉じゃなかったのか…それともまたしてもカマを掛けてるだけなのか?その言葉の真意が分からず、疑問を口にした。
「………本当に覚えてる…の?」
「あれ?今日の昼間にも言ったよね?」
「だって、あれは私にカマ掛けてるだけだと…」
「酷いなぁ…俺が忘れる訳ないじゃないか?あれだけ熱烈な抱擁貰ったのに」
そう笑いながら言う隼飛君に、疑問が確信に変わった。一気に顔が熱くなる。あぁ。ダメだ、こんな単純さは桜君並みだ…そう桜君に失礼な事を思いながら。
「そ…なんだ。あ、あれは抱擁じゃないでしょっ!」
そう言って顔を逸らすも、やっぱり気になって隼飛君の顔を伺う様にちらりと視線を向ければ、楽し気に此方を見つめる彼と目がバッチリ合った。
「……っ!ちょ、何見て…」
「いや、可愛いなぁと思って」
「なっ…」
そう笑う彼は、明らかに私を揶揄っているようで。何か悔しくて「揶揄わないで」と歩き出す。
「揶揄ってなんかいないよ。本当にそう思っただけだから」
そう言いながらついてくる隼飛君にムッとし振り返り視線を戻すと、そこには揶揄うようでも、楽し気でもない、優しい瞳があった。
「万里ちゃんも今日は沢山頑張ってたね。お疲れ様」
そう言って左手で右頬をそっと撫でられる。そう自分自身を労われたのは初めてで、ビックリして瞬きするもちょっと嬉しくてお礼を言った。
「ありがとう…」
そう言うと離れていく手を名残惜し気に見つめていたらしい。
「万里ちゃん、そんな顔で見つめられると、勘違いしそうになるから気を付けてね」
そう言われ「何が?」と分からず隼飛君を見返した。
「…うん、本当、万里ちゃんは心配だなー」
そう困ったように笑う隼飛君の言葉の意味が分からないまま、促されるように歩き出す。
「今日は変な空気にしちゃってごめんね…明日、楡井君にも謝らなきゃ…」
「大丈夫。楡井君にもちゃんと伝わってるよ」
「そ、かな?」
そんな他愛ない会話をしながら二人で歩く。
「ご両親は…事故か何か?」
そう静かに聞いてくる隼飛君に、一つ頷くと俯いたまま答えた。
「……うん、交通事故で…。私が殺しちゃったの…」
ポツリと言葉にした瞬間、ハッと気付いて笑顔を作る。
「あ、ごめん。何言ってんだろう。あ、もうこの近くだから大丈夫。荷物持ってくれて…送ってくれてありがとう。隼飛君も気を付けて帰ってね」
そう言うと隼飛君の肩から奪う様にカバンを取り返し、踵を返した。走りだそうとする腕を咄嗟に掴まれて振り返る。
「万里ちゃん、大丈夫?」
「………だ、大丈夫だよ。お、おやすみ」
口許だけはと笑顔を作る。上手く笑えてないのは分かっていたから、そのまま手を振り切ってその場から逃げ出すように走る。
そう言うと振り返ることは出来なくて。
部屋へ戻ると、カバンを降ろして、ヴァイオリンをキャビネットの上へ置く。
そのままベッドへ倒れ込むように息を整えた。
冷静になればなる程、折角家まで好意で送ってくれた隼飛君に悪いことをしてしまったと罪悪感が襲う。
「――――――…うわぁ、どうしよう…」
そう思っても後の祭りで…明日、謝る事が一つ増えた…。