ある日の出来事
『今日は健治くんが食べたいって言っていたハンバーグですよ!』
『マジかよ!ありがとな、小春。今日も早く帰るぜ!』
想像していたのはそんな将来、結婚生活。つまり、今。
が、しかし、想像通りの将来になんてならないものだ。
◇◇
「ただいまー」
ガチャリ、と玄関の扉を開けてもお出迎えをしてくれる人物は誰もいない。しかしその代わりに聞こえてくるのはフロ場からの楽しげな声だった。そう、俺の嫁と子供の。
「……ただいま?」
洗面所の扉を開けるとフロ場に向かって控えめに声をかける。すると先程まではキャッキャとはしゃいでいた二人の声が止んで、「パパ!?」「そうだね、パパだね」「おかえり」「おかえりなさい」と聞き慣れた声がしたからなんとなくほっと安心する。だってさっきよりも楽しそうな声だったしな。
「おう、ただいま」と答えはしたもののその場から離れるのは惜しい気がして、楽しげな二人の声をもっと聞いていたい気がして、手を洗ってから洗面所に座り込むとそこからフロ場に向かって再び話しかける。
「今日のメシ何?」
「エヘへ、今日はですね〜なんと!」
「ママ!ダメ!ナイショ!!」
「……あ!そうでしたね!ナイショ」
シーって声が聞こえてくるけど二人でフロん中で何をやってんだか。お互いに顔を見合わせては人差し指を唇に当てている二人の姿を想像すると、……あぁ、くそ、可愛いな。俺の嫁と子供。混ざりてぇ……。
しかしそんな混ざりたいと思っている気持ちがバレるのもなんかヤダから、つーかバレたくはないから、はぁーっと溜息をつく。それから頭をガシガシと掻きながら「まあいいや。俺先に向こう行ってるからちゃんと温まって来いよ」と立ち上がるやいなやフロ場の扉がバーンッ!と勢いよく開いた。と、同時にびしょ濡れの我が子が飛び出してきた。
「パパ!待って!」
「お、おう?」
びしょ濡れの我が子に足にしがみつかれて思わず情けない声を上げる。
「健治くん捕まえてください!」
「……俺が捕まってる」
慌ててフロ場から出てきた嫁と目が合うと、「……よかった」とほっとした様子で今更ひょっこりと隠れやがった。
「ほら、体拭かないと風邪ひくだろ」
子供をバスタオルで包み込むとわしゃわしゃと拭いてやる。擽ったそうに楽しそうに目を細めて騒いでいる様子を見ると、今日一日の疲れもどこかへ飛んでいったような、そんな気がする。
しかし子供を粗方拭き終わってもフロ場から出てくる気配のない嫁は、俺たちの様子を湯気に紛れながら微笑ましそうに見ていた。そんな嫁をじとっとした目で見上げれば、俺からの視線に気付いたからなのかハッとした様子で再び隠れる。
「はぁー、だからお前な……」
「な、なんですか!?」
「……いやなんでもねー。じゃあパジャマ着るか」
自分で着るんだと張り切る子供の成長に感動と少しの寂しさを覚える。フロ場からも多分俺と同じような視線で子供を見守っている嫁がいて、目が合うとやっぱり隠れる。
いやだからお前がそういう反応をするから俺もつられるんだろが!という思いを込めてもう一度溜息をつきながら嫁にバスタオルを投げつけた。
「自分でパジャマ着れるようになったのすごいな」
「パジャマの歌あるから」
「あ~、パジャマでおじゃまってやつか?」
「モジャモジャ?」
「お、じゃ、ま、な!つーかお前も早くパジャマ着ないと風邪ひくだろ」
「……そうなんですけど」
相変わらずフロ場から出てこない嫁の視線は俺の向こうに置かれているパジャマに向けられている。
あー、はいはい、つまり俺がいると出てこられねぇってわけな。なんだよ、別に今更恥ずかしがることでもないだろ。とか、そんなことを考えかけては俺まで嫁がいるからってフロ場が見られなくなる。だからというかなんというか、しゃがみ込むと子供と目線を合わせる。
「もうパパあっち行ってもいいか?」
「いいよ、一緒に行こ」
にっと楽しそうな子供につられて俺も笑顔になる。差し出された手を取り繋ぐと子供と一緒に洗面所を後にしながら、横目でフロ場に向かって投げかける。
「……待たせた。風邪ひく前にパジャマ着ろ」
リビングの扉を開けるともう既にいい匂いがしていて、壁には折り紙で作ったらしい花や手裏剣なんかが飾り付けられていた。
「これって……」
呆然と立ち尽くす俺をよそに、感じるのは嬉しそうな我が子から向けられる視線、それと、
「エヘヘ、びっくりしました?」
後ろから投げかけられた楽しげな声。
「パパのお誕生日会です」
ドスドスと大きな音を立てながらこちらにやって来た嫁はしゃがんで子供と顔を見合わせては、ね~!と笑っている。
「二人でご飯も作ったんですよ」
「パパ早く座って!これあげる」
手を引かれるがまま座らされると、お手製の輪っかで作られた首飾りを首にかけられた。
あちこちニコニコとした笑顔だらけで。俺も嬉しいはずなのに目頭が熱くなる。
「「パパお誕生日おめでとう!」」
「おう、ありがとな」
美味い料理に、笑顔の嫁と子供。子供の頭を撫でながら、改めて俺って幸せモンなんだなと感じた。
「寝かして来たぜ」
「あ、いつもありがとうございます。健治くんも疲れてるのに」
「は?俺とアイツ二人だけのこの時間を、小春だろうと譲るわけねぇだろ」
「……そうですか?変わってますよねぇ、健治くんって」
「しみじみすんな!この間に疲れも取れるんだよ」
「あ!それは分かります」
そんなやり取りの間にソファに座っている嫁の隣に腰掛ける。すると、パンッと手を叩いた嫁が「これ見てください」とそそくさとスマホを取り出した。それから慣れた手つきでアルバムを開くと子供の写真を探し出す。
その間に俺は、高校ん時は頑なにガラケーだったのに慣れたもんだな、とか思いながらソファの背もたれに腕を回す。嫁がいる方に。
「見てください。可愛いんですよ、寝顔が」
「そりゃもちろん知ってる」
フッと笑うと俺もスマホを取り出して写真を探し出す。とは言っても今撮ったばかりだからすぐに見つかるのだけど。
「健治くんの写真も中々ですね」
俺のスマホにじっと視線を向けた嫁は、眉間に皺を寄せながら再び自分のスマホをにらんでいる。
小春に似たデカい体に、俺に似た目つきの悪い顔。
嫁のスマホはそんな可愛い我が子の写真ばかりで埋まっていて、我が子ながら妬けてくる。
「お前子供の写真ばっかりじゃねぇか」
「だって可愛いですもん」
「まあそれはそうだけどな」
「それに健治くんってあんまり写真撮ってくれないような……」
「じゃあ今撮ろうぜ」
嫁の返事も待たずにスマホの内カメラをこちらに構える。それから先程嫁の近くまで這わしていた腕をようやく嫁の肩に回した。
内カメラをじっと見上げて姿勢を正した嫁に視線を向けても、俺に見られていることにも気付いてないらしい。
だから名前を呼んで、キスをした。
「小春、好きだぜ。これまでもこれからも」
シャッター音の後に嫁の叫び声がする。
「起きちまうだろ」
ケケケと笑えば、真っ赤になりながら慌てて口を両手で押さえた様子がおかしくて可愛くて愛おしくて。そんな両手に再びキスをすると縮こまった小春が視線を泳がせてから俺を見た。
「私も健治くんのことが好きですから。あとそれから誕生日、本当におめでとうございます」
「もう何回も聞いた」
「何回だって言いたいんです」
「なんだよそれ」
変な所は頑ななところとか、恥ずかしがってたかと思えば自信満々なところとか、オドオドしていたのに次の瞬間には笑顔になっているところとか。そういう些細なこと一つ一つが、全部が、やっぱり好きで。大好きで。
俺を選んだことを後悔する暇もないくらいに、俺がお前と一緒にいて笑顔にしてやる。
そう口にするのは恥ずかしかったから代わりにもう一度キスしてみたら、小春が幸せそうに笑った。
一番近くで小春の笑顔が見られる。泣いた時にはすぐ側にいられる。一緒に買い物に行ってメシを作れる。小春と俺そっくりな子供もいて、家族になっている。疲れて仕事から帰ってきても二人が幸せそうな顔をして俺を待っていてくれる。
想像していた将来とは違うこともあるけれど、これもこれで悪くない、つーかこれが最高だと今はそう思う。
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