貴方がいて
新選組では豚を何頭か育てている。その豚を育てている主たる人物とは、平助くんだった。
最近知ったことなのだけれども、平助くんは養豚が得意らしい。
❀❀
「平助くん、お昼ご飯だよー」
よく晴れたある日のお昼。何度呼んでも非番のはずの平助くんがご飯を食べに来ないからどうしたのかと心配に思って、近くにいた土方さんに聞いたら「あいつなら養豚場だろ」と教えてくれた。
養豚場?そんな所があったんだ。まあ私は屯所から出られない身なのだから知らない場所があったとしても何も不思議ではないのだけど。そんなことを思いながらも、土方さんを見上げ再び尋ねる。
「でも平助くんのこと、朝から見てませんよ」
「だから、朝から養豚場にいるんだろ」
「……え、朝から、ですか?」
そう呟くと、ふと外を眺める。この季節にしては珍しく、暖かいというよりは暑いとも言うべき今日。太陽からは燦々と光が降り注いでいてとても眩しい。片手を目の上に当てて日除けにしても明るい光に目が眩む。
すると私のそんな様子を見たからなのか、一緒になって外を眺めていた土方さんがはぁ、と息を吐いた。
「ちょうど昼時だし平助に飯でも持って行ってやってくれ」
「私がですか?」
「ああ、頼む。あいつのことだ、どうせ時間も忘れて豚の世話をしているに決まっているからな」
はぁ、と土方さんはもう一度溜息をついた。困ったように眉をひそめながら。
それから土方さんに養豚場の場所を教えてもらうと、おにぎりを作って平助くんがいるだろう養豚場へと向かった。
養豚場には、当たり前だけれども名前の通りに何頭かの豚がいた。辺りを見回すと平助くんが熱心に豚にご飯をあげていた。土方さんの言う通り、きっと時間も忘れて世話をしていたのだろう。汗まみれで泥まみれだ。
「平助くん!お昼ご飯だよー」
少し声を張って平助くんの名を呼ぶ。すると豚たちと共にこちらに気が付いて振り向いた平助くんが「あれ?千鶴じゃん」と笑顔で駆け寄ってきた。
「千鶴こんな所で何してんだ?」
「平助くんがお昼になってもいないからお昼ご飯を持ってきたんだ」
「まさかもう昼時?そりゃ腹も減るはずだよなぁ、オレもこいつらも」
ははっと笑った平助くんは柵を乗り越えると私の手元にあったおにぎりを視界に捕らえた。
「でもオレそんなに食べられるかわかんねぇんだけど」
「あ、これは私のもあって。……土方さんが嫌じゃなけりゃ一緒に食べてこいって言ってくれたから」
「おー、土方さんも気が利くじゃん。嫌じゃなけりゃってとこがなんか引っかかるけど」
すると平助くんがいなくなったからなのか、突然豚たちが騒ぎ出した。驚いて思わず飛び上がってしまうと、その様子を見ていた平助くんが「お前らさ、喧嘩すんなよなー」と再び柵の中へと戻っていく。それから豚たちの所まで行くとしゃがみ込んで「とりあえず今はもうそれだけ食えば十分だろ?次はオレが飯食ってくるからな。喧嘩しないで食べろよ!」なんて豚に話し掛けている。それから仲が良さそうに食べているところを見届てから、急いで走って戻ってきては柵を越えて、手と顔を洗ってから再びこちらに戻ってきた。
「お待たせ!千鶴」
「そんなに急がなくても大丈夫だよ」
「だって千鶴がわざわざ飯持ってきてくれたのに、その上待たせてしまったら悪いしさ」
今まさに汗を落としてきたばかりだというのに平助くんがまた汗をかいているのは暑いからじゃなくて、走ってきてくれたからで。楽しそうに笑いながら木陰に腰掛けた平助くんの隣に座ると「千鶴も腹減ってるだろ?」と当然のように首を傾げられる。確かに私もお腹は空いているけれど、きっと今日のこの太陽の下で朝から動きっぱなしの平助くんに比べたらまだ増しではあるんだろうけれども。
「そうだね、早く食べようか」
ふふ、と笑いかけると平助くんの顔が先程よりも明るくなった。美味しそうにおにぎりを食べてくれるからなんだか私まで嬉しくなって、心がぽかぽかと暖まる。
「やっぱり千鶴のおにぎりは美味いな」
「そんな、普通のおにぎりだよ。お腹が空いているからじゃないかな」
「そんなことねぇと思うんだけどなぁ」
じっ、とおにぎりを見ている平助くんがどこかおかしい。そんな彼の様子を眺めていたら、あたたまった顔を冷やすような風が、さぁぁ、と吹き抜けていった。
私たちを太陽の光から守ってくれている木の葉っぱが揺れる音と共に、平助くんの前髪も風に揺れる。するとふわり、と髪が浮いた平助くんの額にはまだ泥がついていた。
「あ、平助くん。泥ついてるよ」
「げ、まじで?どの辺?」
「ここ」
「ここ?どこ?」
「……えっとね、この額の所……」
そうしておにぎりを持っていた方とは逆の手で平助くんの額に触れる。すると平助くんはぴくり、としてから動きが止まった。じわり、と心做しか平助くんの額には汗が滲んでいて。動かなくなったところを見ると、今更だけど私に触られたくはなかったのかもしれない。
「ごめんね、突然」
ぱっ、と勢いよく手を離す。だけど平助くんに触れていた方とは逆の手を掴まれてしまったから驚いて、目が合うと見つめ合ったまま動けなくなる。私の額にも、じわり、と汗が滲んだような気がした。
「わ、悪い!オレも突然!」
今度は平助くんが、ぱっ、と手を離す。連続してやってきた同じような展開にどちらからともなく力が抜けたように方を震わせて笑い出す。するとひとしきり笑ってから平助くんが口を開いた。
「……千鶴に泥を取ってもらったはいいけど千鶴の手を汚しちゃったからさ、千鶴が手を洗いに行く間はオレがおにぎり持ってようと思ってさ」
前を向いてそう言った平助くんの耳が赤いのは、暑いからなのだろうか。平助くんの横顔に見惚れながらそんなことを考えた。そうして見ていたら、平助くんがこちらに振り向いたからなんとなく慌てて目を逸らす。そんな私に、目を細めた平助くんは一度視線をさ迷わせてから手を差し出す。
「だからさ、ほら。おにぎり」
「……お願い、します」
平助くんにおにぎりを手渡すと指と指とが触れた。平助くんの指が熱くて、私の指も熱かった。平助くんの熱が私にまで伝わってきた気がしたけれど、先程から手も顔も熱かったからもしかしたら私の熱が平助くんに伝わったのかもしれない。
すくっ、と立ち上がると「じゃあ私は手を洗ってくるね!」と歩き出す。「おう」と平助くんから返事が来たのを聞いてから少し駆け出してみたけれど顔の熱は取れなくて。手のついでに顔も洗ってみたけれどそれもあまり意味はなさそうで。
平助くんがいる所に戻る途中に豚たちを見ると、ご飯も終わってごろごろと寝転がってお昼寝をしているからその気ままさに少し羨ましくなる。だって私は平助くんと一緒にご飯を食べるだけで、平助くんの笑顔を見るだけで、心臓の音が早くなって顔が熱くなって余裕がなくなるから。
再び顔を掠めて風が吹き抜けた。いつになったらこの熱は冷めてくれるのだろうか。そうして頭を悩ませる私と同じように、平助くんも難しい顔をしながらおにぎりを持っていた。
「平助くん、おにぎりありがとう」
「いや千鶴こそ泥取ってくれてありがとな」
おにぎりを手渡されるとお互いに「どういたしまして」と笑い合う。先程までよりも笑顔がぎこちなくなってしまった私たちは、先程までよりも赤い顔をしている。私は暑いからではないけれど、平助くんは――?
なんて、いくら自分の中だけで考えても分からないその疑問を平助くんの横顔に投げかけてみたら何故だか分からないけれと緊張した。
養豚の話や好きなおにぎりの具の話。時折会話を途切れさせながらも楽しくおにぎりを食べ終える。そんな私たちが、おにぎりを持っていてもらわなくとも入れてきた器があったことを思い出したのは全部食べ終わってからだった。
「……やっぱり養豚は楽しいな」
食後に、ぽつり、と呟いた平助くんに倣って豚を眺める。私の胸中なんてお構いなしな豚たちは気持ち良さそうに眠っていて。豚たちを見据えてふと緩んだ平助くんの表情に、養豚って奥が深いのだと思った。
またこの場所で平助くんと一緒におにぎりを食べたいと言ったら迷惑になってしまうのだろうか。豚たちに向けられる平助くんの優しい瞳が羨ましくて、そんな我儘を言ってみたくなってしまった。