春を告げる
地区の寄り合いに参加した帰り道、御菓子屋があるのをみつけた。
こんな所に店なんてあったっけ?と首を傾げて横目で店を眺めていたら「お兄さんいらっしゃい」と店の奥から主人が出てきた。そうなると何も見ずにそこを後にするのはなんだか気が引けて、主人に手招きされるがまま店内を覗き込む。
入った瞬間にすぐ分かったのは甘い香りと何やら香ばしい匂い。この店は団子が有名なのか、奥で団子を焼いては蜜を付け、それを箱に並べている。その様子を見るに、これからどこかへ運ぶのだろうか。
串に刺す人と、焼く人。役割分担された団子を作る作業は流れるように行われていく。串に刺して、焼いて、蜜を付けて、並べる。
あまりの手際の良さに見惚れて、団子を目で追う。刺して、焼いて、蜜を付けて、並べる。すると団子の箱の横にも別の箱があるのが目についた。そこには団子とはまた違う、手のひらに乗るくらいの小さな御菓子が並んでいる。
「……おー、美味そう。というか綺麗だな」
きっちりと並んでいたのは桃色や若草色に色付けられた餡で形づけられた上生菓子だった。
桃色の桜に、若草色の鳥。春を感じさせるそれらには、まだ冷たく乾燥した外の空気なんてものは何も関係ないようだ。きっとこれを食べたら暖かい気持ちにもなるのだろう。
──練り切りって言うんだっけ?こういうのって。綺麗だし可愛いし千鶴が好きそうだな。千鶴のお土産に持って帰ったら、あいつ喜んでくれそうだなぁ。
「ははは、お兄さん。その御菓子がいいのかい?」
「……え!?」
突然の主人の豪快な笑い声にオレは思わず姿勢を正す。
じっと覗き込んでいたオレがそれほど物欲しそうな目をしていたのか、それとも声に出ていたのか。主人はにっと笑うと「見る目あるな」と楽しそうだ。
「じゃあ、これ……」指をさして御菓子を指名する。だけどオレの声に被せるようにして、主人も口を開いた。「でも悪いな。それは茶会用なんだ」
「そっか。それじゃあ仕方ないよな」
残念だけど。千鶴に持って帰ってやりたかったけど。
それでもオレだって無理だと言われたものを欲しがるほど子供ではないから店を見渡す。でもあの練り切りと今焼いてる団子以外ねぇのに他のものなんてあんのか?多分あの団子も箱に並べてるってことは茶会用だろうし。忙しい時に来ちゃったのかもな。
「……なんか忙しそうだしまた今度来るよ」
「ちょっと待った!これ、余った餡で作ったから桃色と若草色が混ざった桜で悪いけど持って帰りな」
「でも茶会用じゃねぇの?」
「余りだから大丈夫だ。それよりも食わせたい人がいるんだろ?」
「……あー、はは。うん、まあな」
「余りだからお代はいらないからな」という親切な主人に感謝をしつつ「ありがとう。また来るよ」と告げて、再び帰路につく。
それにしても、食わせたい人がいるんだろってことは声に出てたってことだよなぁ……。まあおかげでこの桜が手に入ったってことでもあるんだけど。主人のおじさん、いい顔してなぁ。そんなことを考えてみては、ふと苦笑いをする。
布に包まれた御菓子の桜は少し力を強めるだけですぐに崩れてしまいそうで、これを渡した時の千鶴の笑顔を想像しながら大切に持ち帰った。
❀❀
今日は平助くんが地区の寄り合いに参加している。
まだ寒い冬。少し奮発したとしても、どうせならば美味しくて温かいものを食べさせてあげたい。
「初物だよー」という声につられて通りを覗くと、そこには魚売りのおじさんがいた。おじさんが持っている桶に入っているお魚、きっとそれが初物なのだろう。
「わぁ、初物!平助くんに食べてほしいな」
「お姉ちゃんどう?鰆だよ。この辺ではあまり知られてない魚だけど、魚に春って書くんだ」
立ち止まったおじさんが桶がよく見えるようにと天秤棒をその場に下ろしてくれたからつられて覗き込む。確かにあまり、というかきっと今までに見たことも食べたこともないお魚で。もしかしたら平助くんだって同じかもしれない。
魚に春と書いて、鰆。まだまだ寒い冬だけれど、きっとこのお魚を食べたら気持ちも暖かくなるんじゃないのかな。それに初物を食べたら寿命が七十五日延びるって言うから平助くんに食べてほしいな。
そんなことを考えながらその鰆を買うと、今日の献立を考えながら帰路についた。まぁ、そうは言っても数軒先なのだけども。
おじさんに教えてもらった焼き鰆、あとはお味噌汁とお漬物と。それから──、
夕餉のおかずは何にしようかなと頭を悩ませていると「千鶴!」と呼ばれた気がした。聞き慣れた声だったから後ろを振り返ってみると「千鶴は買い物に行ってたのか?」とこちらに駆け寄ってきた平助くんが隣に並んだ。
「うん、いいもの買えたよ。平助くんももう寄り合い終わったんだ?」
「おう、オレも終わった。この間おっさんたちが酒盛りはやらねぇって自分たちで言い出したのに、やっぱり酒盛りやるか~って言うんだぜ?だからオレ逃げ出してきちゃった」
頭の後ろで腕を組んだ平助くんは困ったように眉毛をひそめていて。私と同じ速度で歩いてくれているのを知っている。
だから、そんな優しい彼がお酒も飲まずに帰ってきた理由はなんとなく分かっているし、彼にそれだけ想われていることが嬉しい。それなのに、彼の口から正解を聞きたいと思ってしまう私は欲張りなのだろうか。
「平助くんは、一緒に飲んでこなくてよかったの?」
「だって千鶴が飯作って待ってるって言ってたじゃん。あんなおっさんたちと飲む酒も、……まぁ悪くはねぇけど、それよりも千鶴と食う飯の方がいいだろ」
「これから作るところだけどね」
「いいじゃん。オレも手伝うからさ」
ははって目を細めた彼の笑顔は、髪型が変わっても格好が変わってもあの頃と何も変わらない。私が好きになったあの頃の平助くんと同じで、嬉しくて懐かしくて胸が熱くなる。
「ただいまー」
「おかえり、平助くん」
「千鶴もおかえり」
「ふふ、ただいま」
扉を開けると二人揃って家の中に入った。
初めて食べるお魚は、平助くんと一緒に食べる。きっとこれから何度も訪れるだろう平助くんとの初めてがとてもとても嬉しくて、思わず目頭が熱くなった。
❀❀
「そういえば千鶴、今日の飯ってなんなの?いいもの買ったって言ってなかったっけ?」
帰るなり台所で飯の用意を始めた千鶴に倣って、オレも台所を覗き込む。すると桜色みたいな魚?の切り身がそこにはあった。
「千鶴、それなんだ?」
文字通り、首を傾げて千鶴の隣に並ぶ。そういえば、さっきすれ違った魚売りも同じような色をした魚の切り身を持っていたような気がする。てことは魚か。
「これね、鰆って言うんだって。平助くん食べたことある?」
「……うーん、サワラ……?……多分ないや。千鶴は?」
「私もないんだけどね、初物だって聞いたから平助くんに食べてもらいたくて。それにこのお魚、魚に春って書くみたいだからこれからの季節にちょうどいいでしょ」
「へー、魚に春。なんか春を教えてくれてる感じがする魚だな。……あ!じゃなくて千鶴!これお土産」
慌てて胸元から取り出したのは御菓子屋で貰った、あの桜の形をした上生菓子。布に包まれたそれは、オレの体温でほんのり温かくなっているけど、千鶴と会って一緒に帰った前まではちゃんと大切に持っていたから崩れたりはしていないはずだ。……多分。
「え、なんだろう?」と差し出された千鶴の両手に布ごと乗せると、中身が無事であることを祈りつつオレも千鶴と一緒になって覗き込む。
ゆっくりと慎重に布を捲っている様子はどうにも千鶴らしいけど、今はオレの変な緊張が増すだけだから勘弁してほしいとも思ったり。
「……わぁ!」
最後の布の四隅が捲られると千鶴がそう声を上げた。やっぱり崩れてたのか!?と慌てて再び覗き込んだら、ぱっと千鶴が顔を上げた。
「平助くん、これって桜だよね?」
大きな目を丸くさせながら千鶴はオレを見てから御菓子を見る。オレももう一度御菓子をよく見てみたけど崩れたりはしていなかったようでほっと一安心する。
「うん、桜。なんかさ、向こうの通りに御菓子屋が出来てただろ?あそこで貰った」
「平助くんあそこ行ったの?人気で中々手に入らないんだよ」
「そうなのか?今日は客いなかったんだけどな。まぁ代わりに茶会用のは作ってたみたいだけど」
「ほら、大通りに御菓子屋さんがあるでしょう?あのお店が人気だから作る場所が足りなくて、向こうの通りでもお菓子を作ってるみたい。だからあそこでは売ってはないはずなんだけど……」
御菓子の話をする千鶴はとても楽しそうで。こんなに楽しそうに御菓子の話をしてくれるとは思ってなかったけど、喜ぶ千鶴が見られてオレまで嬉しくなる。
「なんか千鶴詳しいな」
「あそこの御菓子好きなんだ」
「そっか、ならちょうどよかった。千鶴食いなよ。飯の前だけどさ」
「平助くんは?」
「ん?オレはいいよ。千鶴のために貰ってきたんだし」
御菓子を指さしてにっと笑うと、千鶴はもう一度御菓子とオレとを交互に見た。
「平助くんも一緒に食べようよ。はい、半分こ」
ふふっと微笑んだ千鶴は、御菓子の桜を綺麗に半分に割るとオレに手渡した。桃色と若草色が半分ずつの、二つで一つの桜。なんとなくオレたちみたいなその御菓子を食べると、甘くて美味くて心がぽかぽかと暖かくなって、一足先に春が来たような気がした。
それに鰆って魚もすっげー美味くて。美味そうに食ってる千鶴を見るとやっぱり心は暖かくなって。春を告げるものはすごいと、きっと的外れなことを思った。
幸せそうな千鶴がやっぱり好きで、そんな千鶴の傍に少しでも長くいたいと思っているのはオレなのに、オレのためにと初物を買ってきてくれる千鶴の優しさが嬉しい。
今度は千鶴にどんな御菓子をお土産に買ってこようか。いや、それよりも千鶴と一緒に買いに行く方がいいな。
自然と零れた笑みに、やっぱり暖かい気持ちになった。
「食い物一つでこれだけ幸せになるもんなんだな」
「食べ物だからだし、平助くんと食べてるからだと思うよ」
「確かに。オレも千鶴とだからだと思うな」
「明日も一緒に美味しいものが食べたいね」
「そうだな。何にすっかなぁ」
「平助くん気が早いよ」
「千鶴が言い出したんだろ」
目を細めて笑う千鶴につられてオレも笑う。
明日は千鶴とどんな美味いもの食べようか。そう考えるだけで幸せな気持ちでいっぱいになった。
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