はんちょぎ
家を買った。
玄関も雨戸も見るからにボロボロで、見放されて随分長く経ったであろう古い家だ。この周りに住む人は、自分のことを、何も知らない。というか、周りに家がない、そんな田舎の家。ピンキリの、キリ、だ。電車も、ましてバスも通らない山の中腹。最悪、眠れる場所とガスが通っていればいいと思い、不動産屋の忠告も半ば無視して一括購入を決めたのである。
20代で持ち家か。
医者を目指して進学したものの、教員と折り合いが悪く、実習で単位を落とし退学。両親は退学した息子に興味をなくしたのか、好きにしろ、と突き放した。
突然敷かれていたレールを失った自分は、何を思ったか公務員を目指した。言われるがまま仕事をこなし、たった数年で昇進すると、今度は年上の上司たちから嫌がらせを受ける。個人情報漏洩の罪を擦り付けられ、気が付けば抑うつで仕事にならない。自宅待機を命じられ、それならばと有給も全部使い果たし、退職届を提出した勢いのまま、今に至る。
そしてこれだ。
The、無職。
ははは、と乾いた笑い声しか出ない。敷かれたレール通りに生きていけば良かっただろうか。生き方に悔いは無いが、思考は"たられば"でいっぱいだ。
特技はあるが趣味は無い。だからか、金銭的にはこの先数年、ぼんやりと生きるに困らないだろう、と思う。
「数年、ね」
明日が人間らしく生きているかさえ、分からないというのに。
「玄関くらいは、片付けようか…」
せめて、靴を脱いで横になるくらいのスペースを作らなければ。入道雲が遠く、山の向こうに見える午後2時。孤独に手を動かしはじめた。
「こんな夏の暑い日に精が出るな」
「……?」
午後3時を回った頃、軽トラが家の前に停る。降りてきたのは軽トラに似合わぬ、銀髪の麗人だった。
「お初にお目にかかる。俺は大般若長光だ。一応、ここの地主をしている」
「ああ、あなたが。…礼もなく済まない。なかなか片付けが終わりそうになくて。…今日から世話になる、山姥切長義だ」
「こちらこそ仕事の最中にすまなかったな。顔くらい見せておかないとと思ったんだ。それに、距離はあるがお隣さんになる。困ったことがあったら連絡をしてくれ」
大般若長光と名乗ったその人は、名刺を1枚差し出した。名前の他には電話番号とメールアドレスしかが書かれていない。
「ああ、ありがとう」
癖で胸ポケットを探り、名刺は捨てたことを思い出す。名刺がなくて、と言えば、彼はそうか、と微笑んだ。
「そのごみは持っていこうか?」
「え?」
そら、と指差されたのは、玄関から居間までに置かれていた古い新聞やら何やらだ。玄関先まで持ってきたはいいものの、そこからどうしようと考えていたのだか。
「ああ…ええと…」
「見たところ車はないようだし、燃しちまうならまとめて焼却場まで持っていこう」
「……ありがとう」
「どういたしまして。ここにある分は載せるから、あんたは中からごみを持ってきてしまってくれ」
長身のその人は、にこりと微笑み、ひょいひょいと軽トラの荷台にごみを載せていく。
「……わかった」
田舎の地主とはこんなものなのだろうか?
土足のまま玄関を上がり、古い新聞やら小さい家具やらを運び出す。
「ゴミ袋ひとつも持ってくるんだったな」
一通り家の中から運び出して、ボソ、と呟く。引っ越すというのに、ゴミ袋ひとつないというのは、甚だ自分の計画性の無さに呆れた。それもそうか、あの時は死んでもいいと思っていたのだったから。
地主の彼は古い椅子を荷台に載せながら話しかけてきた。
「荷物はこれからか」
引っ越すというのだから、これからトラックでも来るのだろうと想像しただろう。残念ながら、考えなしは荷物も少ない。
「いや、あれが全部だ」
軒先の下に乱雑と置いたダンボールを指差すと、彼は驚いたような顔をして二度見した。面白い人だ、美しいのに、どこか親近感が沸く。
「驚いた。…買い物行くにも、ここから車で20分とかかるが、その様子じゃ考えてないな?」
「どうせ急ぐこともないからね、追々かな」
「免許は?」
「5年は運転してないな」
「はは、ゴールドか」
はは、と笑う。何も考えてなかった。自分が何をするのかも、どう生きるのかも。
「じゃ、ついでだ。ごみを燃したら、買い物にでも行こうじゃないか。食べるものくらいないとなあ」
「……何から何まで、すまない」
「どういたしまして、だ。乗ってご覧、乗り心地はまずまずってところさ」
はじめて軽トラに乗る。隣の彼からは、あんなに動いていたというのに汗の匂いひとつしない。清々しい香りをまとわせていて、不思議なこの人に安心した。
この人は変なことを聞いてこなくて、助かる。
「着いたよ」
とんとん、と肩を叩かれ目を覚ます。数分だと言うに、眠ってしまっていた。大丈夫かい、と覗き込まれて、覚醒する。
「すまない!眠ってしまって…!」
「俺は大丈夫さ、さて、買い物してこようか」
急いで降りると、目の前には大きいスーパーが見える。
「えっ、……と」
荷台を見ると、積まれていたごみは空になっている。目の前には、スーパーがある。
「荷台のは焼却場に下ろしてきたが、構わなかったかい?」
「そんな、何から何まで!」
「いいのさ、きっといろいろ乗り継いでこんな田舎まで来て、暑い中片付けなんてしてたら疲れるに決まってるさ」
歩き出しながら考える。どうしよう、何も持ち合わせていない。何かお礼しなければ。
「俺、えっと……買い物は、出させて欲しい」
「きみの引越し祝いさ。じじいは隣人ができて嬉しいんだよ」
「じじいって、そんな歳に見えないが」
「もうすぐ40だぞ? きみくらいの歳ならじじいに見えないか?」
「40?!」
まさか!同い年くらいかと思っていた。地主というのも、地主の息子とか、そういう…!
「年上のあなたに失礼な物言いをしてしまった」
広い駐車場の真ん中でわたふたとする俺を、彼は笑ってなだめる。
「何が欲しいんだい、長義ぼっちゃん」
わざとらしく返した彼に、坊ちゃんじゃない!と吠えた。
結局、食料品と衣類をまとめて彼が出してくれた。買い物を終えるころには、日が暮れ始めている。オレンジ色の空を、軽トラの窓から眺めていた。
「明日も家の片付けってところだろう?今日は一緒に夕食でもどうだい」
「何から何まで…といっても、あなたはうまく誘うのだろう?」
「こうやって話せる友人ができるのは久しぶりだからなあ」
年甲斐もなくはしゃいでるんだよ、と続ける彼に夕日が差している。今日は、何度この人を美しいと思っただろう。
玄関も雨戸も見るからにボロボロで、見放されて随分長く経ったであろう古い家だ。この周りに住む人は、自分のことを、何も知らない。というか、周りに家がない、そんな田舎の家。ピンキリの、キリ、だ。電車も、ましてバスも通らない山の中腹。最悪、眠れる場所とガスが通っていればいいと思い、不動産屋の忠告も半ば無視して一括購入を決めたのである。
20代で持ち家か。
医者を目指して進学したものの、教員と折り合いが悪く、実習で単位を落とし退学。両親は退学した息子に興味をなくしたのか、好きにしろ、と突き放した。
突然敷かれていたレールを失った自分は、何を思ったか公務員を目指した。言われるがまま仕事をこなし、たった数年で昇進すると、今度は年上の上司たちから嫌がらせを受ける。個人情報漏洩の罪を擦り付けられ、気が付けば抑うつで仕事にならない。自宅待機を命じられ、それならばと有給も全部使い果たし、退職届を提出した勢いのまま、今に至る。
そしてこれだ。
The、無職。
ははは、と乾いた笑い声しか出ない。敷かれたレール通りに生きていけば良かっただろうか。生き方に悔いは無いが、思考は"たられば"でいっぱいだ。
特技はあるが趣味は無い。だからか、金銭的にはこの先数年、ぼんやりと生きるに困らないだろう、と思う。
「数年、ね」
明日が人間らしく生きているかさえ、分からないというのに。
「玄関くらいは、片付けようか…」
せめて、靴を脱いで横になるくらいのスペースを作らなければ。入道雲が遠く、山の向こうに見える午後2時。孤独に手を動かしはじめた。
「こんな夏の暑い日に精が出るな」
「……?」
午後3時を回った頃、軽トラが家の前に停る。降りてきたのは軽トラに似合わぬ、銀髪の麗人だった。
「お初にお目にかかる。俺は大般若長光だ。一応、ここの地主をしている」
「ああ、あなたが。…礼もなく済まない。なかなか片付けが終わりそうになくて。…今日から世話になる、山姥切長義だ」
「こちらこそ仕事の最中にすまなかったな。顔くらい見せておかないとと思ったんだ。それに、距離はあるがお隣さんになる。困ったことがあったら連絡をしてくれ」
大般若長光と名乗ったその人は、名刺を1枚差し出した。名前の他には電話番号とメールアドレスしかが書かれていない。
「ああ、ありがとう」
癖で胸ポケットを探り、名刺は捨てたことを思い出す。名刺がなくて、と言えば、彼はそうか、と微笑んだ。
「そのごみは持っていこうか?」
「え?」
そら、と指差されたのは、玄関から居間までに置かれていた古い新聞やら何やらだ。玄関先まで持ってきたはいいものの、そこからどうしようと考えていたのだか。
「ああ…ええと…」
「見たところ車はないようだし、燃しちまうならまとめて焼却場まで持っていこう」
「……ありがとう」
「どういたしまして。ここにある分は載せるから、あんたは中からごみを持ってきてしまってくれ」
長身のその人は、にこりと微笑み、ひょいひょいと軽トラの荷台にごみを載せていく。
「……わかった」
田舎の地主とはこんなものなのだろうか?
土足のまま玄関を上がり、古い新聞やら小さい家具やらを運び出す。
「ゴミ袋ひとつも持ってくるんだったな」
一通り家の中から運び出して、ボソ、と呟く。引っ越すというのに、ゴミ袋ひとつないというのは、甚だ自分の計画性の無さに呆れた。それもそうか、あの時は死んでもいいと思っていたのだったから。
地主の彼は古い椅子を荷台に載せながら話しかけてきた。
「荷物はこれからか」
引っ越すというのだから、これからトラックでも来るのだろうと想像しただろう。残念ながら、考えなしは荷物も少ない。
「いや、あれが全部だ」
軒先の下に乱雑と置いたダンボールを指差すと、彼は驚いたような顔をして二度見した。面白い人だ、美しいのに、どこか親近感が沸く。
「驚いた。…買い物行くにも、ここから車で20分とかかるが、その様子じゃ考えてないな?」
「どうせ急ぐこともないからね、追々かな」
「免許は?」
「5年は運転してないな」
「はは、ゴールドか」
はは、と笑う。何も考えてなかった。自分が何をするのかも、どう生きるのかも。
「じゃ、ついでだ。ごみを燃したら、買い物にでも行こうじゃないか。食べるものくらいないとなあ」
「……何から何まで、すまない」
「どういたしまして、だ。乗ってご覧、乗り心地はまずまずってところさ」
はじめて軽トラに乗る。隣の彼からは、あんなに動いていたというのに汗の匂いひとつしない。清々しい香りをまとわせていて、不思議なこの人に安心した。
この人は変なことを聞いてこなくて、助かる。
「着いたよ」
とんとん、と肩を叩かれ目を覚ます。数分だと言うに、眠ってしまっていた。大丈夫かい、と覗き込まれて、覚醒する。
「すまない!眠ってしまって…!」
「俺は大丈夫さ、さて、買い物してこようか」
急いで降りると、目の前には大きいスーパーが見える。
「えっ、……と」
荷台を見ると、積まれていたごみは空になっている。目の前には、スーパーがある。
「荷台のは焼却場に下ろしてきたが、構わなかったかい?」
「そんな、何から何まで!」
「いいのさ、きっといろいろ乗り継いでこんな田舎まで来て、暑い中片付けなんてしてたら疲れるに決まってるさ」
歩き出しながら考える。どうしよう、何も持ち合わせていない。何かお礼しなければ。
「俺、えっと……買い物は、出させて欲しい」
「きみの引越し祝いさ。じじいは隣人ができて嬉しいんだよ」
「じじいって、そんな歳に見えないが」
「もうすぐ40だぞ? きみくらいの歳ならじじいに見えないか?」
「40?!」
まさか!同い年くらいかと思っていた。地主というのも、地主の息子とか、そういう…!
「年上のあなたに失礼な物言いをしてしまった」
広い駐車場の真ん中でわたふたとする俺を、彼は笑ってなだめる。
「何が欲しいんだい、長義ぼっちゃん」
わざとらしく返した彼に、坊ちゃんじゃない!と吠えた。
結局、食料品と衣類をまとめて彼が出してくれた。買い物を終えるころには、日が暮れ始めている。オレンジ色の空を、軽トラの窓から眺めていた。
「明日も家の片付けってところだろう?今日は一緒に夕食でもどうだい」
「何から何まで…といっても、あなたはうまく誘うのだろう?」
「こうやって話せる友人ができるのは久しぶりだからなあ」
年甲斐もなくはしゃいでるんだよ、と続ける彼に夕日が差している。今日は、何度この人を美しいと思っただろう。
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