くりんば


初めて告白したのは、中学三年の時。

 高校受験の推薦組が学校に提出する正式書類に追われている頃、AO入試を終えて内定までもらった大倶利伽羅は、しれっと学校に来て授業をそれっぽく受けて、重要じゃなさそうな講義はそっくりそのまま安眠の時間に使って。

 帰り際に、ああそうだ、と思い出したのだ。
テキストを黒いスクールバッグに突っ込んだ時に、もうこのテキストも使わなくなるな、なんて考えて、気付いたら席替えで偶然隣になっていた片想いの彼女に、ぽつりと告白した。
小さな肩。セーラー服の制服姿は小さかった。
 フルートを仕舞うバッグがなくなってもう半年が経つ。
「は……?」
 今まで、ほとんど関わりのなかった男から告白されても、そりゃそうなるよな、なんて納得する。
 山姥切国広は、とても綺麗な少女だった。

 勉学はそこそこで苦手らしかったけれど、フルートでは随分この地域で名がしれていた。アンサンブルで、ひとりだけずば抜けて浮いてしまうぐらいには、技術力も表現力も豊かだった。無口でいつも下を向いている彼女だったが、長い前髪からちらりと見えた瞳は透明度の高い翡翠のように美しかった。

 去年の秋、学校の定期演奏会で彼女は「メヌエット」を吹ききった。ひとりの女に惚れて、嫉妬して、哀れに死んだ、無様な男の悲劇。祝いのムードの中で、ひとりだけ絶望にかられて身を投げて死んだ、馬鹿で哀れな男の曲。

 偶然その場で聴いていたのだが、制服姿で演奏するには勿体ない、と思うような朗らかな曲調。木管らしい豊かな音の響き。音響の整った場所で披露すべきだと叫びたいほどの演奏だった。彼女にAラインのドレスを着せて、彼女によく馴染んだフルートを手入れして、誰も彼女の、邪魔をしない舞台を整えて。

 それが恋と言われるものの始まりだった。最初は、学校の端でうっすらと聞こえる彼女のフルートの音を狂ったように聴いていたし、フルートパートの練習をしていれば、こっそりと隣の教室で読書をしながら聴いていた。三年になって、同じクラスになったときは思わず目を見開いた。まさか、隣の席になるなんて!

 さながら馬鹿な男だった。たった一度聴いたきりの彼女に恋をして、無情にも追っかけ続けるなんて。悲劇の男、フレデリのこともそう馬鹿にできない。
 告白しても、結局は振られることを考えていた。アルルの女は神父にとられてしまうわけだ。ただ振られる前提で考えても、死ぬつもりは全くなかった。だったら振り向かせればいいのだ。中学生ならまだ結婚もない。このご時世、許嫁なんてボンボンでもなければいないだろうし。

「好きだ」と言った。
 彼女も同じように帰る準備をしていた。半年。フルートのカバンを持っている姿さえ見ていない。それこそ彼女の奏でる音も。代わりに持っているのは、いくつもの参考書が入ったふたつのスクールバッグだった。
 夕焼け空が彼女の金髪を照らした。
「あ、の。」
 片付けの途中だった彼女は手も止めて視線をさ迷わせた。
「返事はいい。」
 強い口調でそう伝えると、彼女は言葉をつまらせる。
机の上にひとつ残された分厚い参考書を見つめた。今更だろうに、彼女は戸惑った様子で、喉の細い声門を震わせる。
「勉強、得意じゃないから」
 知ってるだろうけど、と恥じたように言う彼女は、大倶利伽羅から見れば立派だった。教師からは音楽科推薦で受験した方がいい、なんてしつこく言われていたらしいけれど、彼女はそれでも、頑として首を縦には振らなかった。
 真摯な彼女は、綺麗だった。
「あんたの演奏、好きなんだ。」
「……う、ん‍?」
「また、聴きたい」
「……うん。……ありがとう。」
 彼女は自分の演奏が嫌いだったそうだから。
 しがないヴァイオリン弾きだったけれど、音楽を少なからず好きでよかったと、心底そう思うのだ。








 高校に進学してからの大倶利伽羅も、ひとり、ヴァイオリンと向き合った。成績とは関係なく、ただ、趣味で。
 学校の音楽科教師に勧められて、町の演奏会に出演することになった。吹奏楽部の数が減って、個人の出演者で尺を伸ばさなくてはいけなくなったという。
 市民ホールの舞台袖で彼女のフルートを聞いたとき、彼女に恋をしたあの日を、鮮明に思い出した。

 久しぶり、と声を掛けられ、同じ言葉を返した。
高校の進学先はお互い別々だったし、あの告白のあと、めっきり会わなかった。
「あの日、聴きたいって言ってくれたのがきっかけで、進路とは別にまたフルートと向き合えた」
「そうか」
「…お礼が言いたくて。あの時は、ありがとう」
「……俺の好きに言ったまでだ」
「……あのあと、ずっと大倶利伽羅のことを考えてたんだ」
 静かに目線を落とした。
市民会館の、大ホールの端。舞台幕が上がる。舞台装置のモーターが低く唸り、このあとに出演する人、演出の黒子が、慌ただしくも静かに動き回る。程よい雑音と薄暗さに、居心地の良さを感じていた。次の演者はピアニストのようだ。

 あの時は、自分の思いだけを伝えて逃げた。
「……私も、大倶利伽羅のヴァイオリン、聴いていたい。大倶利伽羅のこと、好きだ」
 ピアノ旋律で、ゆったりとメヌエットが響いている。
 彼女の瞳は、あの頃よりもずっと美しく光っていた。
「まだ、気持ちが変わっていないなら、お付き合いをして、ほしい」
「……あんたのフルートは、いつでも聴いていたい」
 ぱぁ、と彼女の表情が明るくなった気がした。軽やかな旋律が合わさって、思わず口元が綻んだ。
「今日、一緒に帰っても?」
「ああ!……今日、大倶利伽羅に会えてよかった」
 それは良かった、と返した。


山姥切国広は、綺麗な少女だ。
大倶利伽羅は、悲劇の男にならなかった。


ただ、それだけの話。
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