Dream
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今日の午後の外回りは14時からなので、それまでは社内に留まり溜まったタスクをこなす事にする。
とりあえず腹ごしらえをするべく、昼食にと持たされた一二三お手製の弁当を広げた。
「観音坂さん、社内でお昼なんて珍しいですね」
箸を手にした瞬間、背後から声を掛けられ思わず落としそうになる。振り返ると、営業課の同僚である黒椿さんがコンビニのレジ袋を片手に立っていた。
「お疲れ様です、黒椿さん。次の外回りまで余裕があるので、昼食べたら溜まってる仕事を片付けようと思って」
「また無茶な事頼まれたりしたんですか?全然手伝うので言ってくださいね」
言いながら黒椿さんは隣の椅子に腰を下ろした。
「お昼ご一緒しても良いですか?」
「え!?あ、どうぞ…?」
随分と物好きな人らしい。予想外の言葉に反射的に承諾してしまった。黒椿さんはレジ袋から菓子パンとコーヒーを取り出している。
「観音坂さんって料理得意なんですか?どれも美味しそうですね」
「いや…これは同居人が作ってくれたもので、俺自身は全く…」
「同居人?あ〜、そうなんですか……。料理上手な方なんですね」
変な間が少し気になったが、一二三の料理を褒められると何故か俺も嬉しい。
「はい、あいつの料理はどれも美味しいんですよ」
料理が出来る人は素直に尊敬する。
玉子焼きを口に含み、ありがたみを噛み締めていると、黒椿さんはまた話題を振って来た。
「そういえば、この後天気が荒れるみたいなので気を付けてくださいね。台風近付いてるらしいですよ」
「わ、本当ですか。全然ニュース観てなかったな…ありがとうございます…」
ただでさえ苦手な営業なのに、天気が悪いと更に憂鬱な気持ちになって来る。重い溜息をつくと、彼女はくすりと笑った。
「悪天候の中の外回りって最悪だよね」
「本当に最悪ですよ…でも行かなきゃいけない、はぁ…」
そんな他愛のない会話を繰り広げながら昼食を終え、俺達はそれぞれ仕事に戻る事になった。
キリの良い所で外回りの準備をする。ぼたぼたと窓ガラスを叩く雨音を聞きながら、俺は重い腰を上げた。
数件回って、会社に戻って来たのは夕方だった。雨は依然として止む気配を見せず、風も強まって来ている。
電車止まるかもなぁ、そもそも終電に間に合うのだろうか。そんな事をぼーっと考えながら営業課のフロアに戻ると、定時を過ぎたからか皆一様に帰り仕度を始めていた。溜息をついてパソコンの電源をつけると、お昼のように背後から声を掛けられた。
「観音坂さんはまだ帰らないんですか?」
「俺はまだ片付けたい仕事が残ってるので…」
昼に片付けきらなかった山を横目に黒椿さんへそう返す。
「電車も結構止まって来てて、今日は皆早く帰ろうか〜って感じになってますよ。それこそ、この流れで帰っとかないと課長にまた仕事増やされちゃいますよ?」
それもそうか…。
立ち上がったばかりのパソコンに心の中で謝りシャットダウン。俺も荷物をまとめ帰宅する事にした。
外は風雨が激しく、予想通り電車やバスは運休。タクシー乗り場も長蛇の列である。
「黒椿さんって確か家遠かったですよね?」
前に同僚数人で立ち話をしていた時に、そんな事を言っていた気がする。
「そうなんです。電車じゃないとちょっときつい距離なんですよね」
色々助けてもらっているしタクシー代を出すくらい問題無いのだが、そのタクシーは今回難しいだろう。
「今日はどうするんですか?」
「ホテルか漫画喫茶でも空いてたらラッキーって感じですねぇ。観音坂さんこそ、大丈夫なんですか?」
「俺はまぁ、歩いて帰れなくはない…ので」
そこまで言って閃いた。
「あの、黒椿さんさえ良ければ、なんですけど…俺の家来ますか?」
お金も掛かるだろうし、女性ひとりだと心配だ。この時間だと一二三も丁度出勤した頃なので、連絡を入れておけば大丈夫だろう。
思いついた事をそのまま提案してみたが、冷静になってとんでもない事を言ったのではないかと我に返る。
「すみません!下心とかは無いですよ!?…って言うとなんか余計怪しいな…すみません忘れてください!いくらなんでも軽率過ぎましたよね!俺も協力するので、今日の宿泊先を探しましょうか!」
早口でまくし立てる俺を見て、黒椿さんは笑っていた。
「いえ、正直すごく嬉しいです。お言葉に甘えて、お家にお邪魔しても良いですか?」
俺の失態を優しくフォローする女神のようなお方だ。
「勿論大丈夫です…!」
あまり役に立っていないが、無いよりはマシな折り畳み傘をさして歩き出す。
「そういえば、彼女さんのOKは出てるんですか?修羅場にはなりたくないですよ〜」
冗談めかして笑う黒椿さんの言葉に、俺はぽかんとしてしまった。
「彼女?」
「あれ?彼女と同棲してるんですよね?お昼に話してませんでした?」
そんな話をした覚えはないし、そもそも俺に彼女なんて存在していない。もしかして、弁当を作った一二三の話を彼女だと勘違いしたのだろうか。
「同居してるのは男で、彼女も居ないので心配無いですよ。この時間だとあいつも仕事で居ないですし」
「そうだったんですね、良かった…。心置きなくお邪魔出来ます」
そんなやり取りをしつつ、暴風雨の中、俺の自宅を目指した。
「どうぞ、上がってください」
「お邪魔します」
ずぶ濡れにはなったが無事に帰宅し、黒椿さんを招き入れる。
「すみません、俺の部屋着貸しますね。濡れた服はこのハンガーに掛けてください」
黒椿さんをバスルームへ案内してから、水気を含んで重くなったスーツを脱ぎ捨て部屋着に着替える。
タオルで適当に髪を拭いてリビングに戻ると、テーブルに一二三が作った夕飯が並んでいる事に気付いた。
綺麗にラップをされた皿達のそばには『今日もおつかれ〜!温めて食べてね!』なんてメモ書きが律儀に置かれている。
当然一人分しか用意されていない夕飯にどうしたものかと悩んでいると、玄関が勢いよく開いた。
「お?鍵あいてんじゃん。独歩たでーま〜!台風まぁじでやば過ぎっしょ。傘ぶっ壊れっしびしょ濡れんなるし、水も滴るなんとやらにも限度ってのがあるよな〜」
毛先から水滴を落としながら、同居人である一二三が帰宅して来た。予想外の帰りに驚きつつもタオルを渡すと、一二三はわしゃわしゃと濡れた髪を拭く。
「店着いてからやっぱり台風やばいから休み!って言われんのは流石に俺っちもテンション下がるぜ〜」
肩をすくめ、タオルを洗濯に出す為かバスルームへ向かう一二三。
「あ!待て一二三!」
俺の静止も虚しく、彼の目の前でバスルームの扉が開き、出て来た黒椿さんとばったり鉢合わせてしまった。
「観音坂さん、シャワーありがとうございます」
「ひぃぃあああぁぁぁっ!!?おおおお、女!!??どどどどうして!??」
「悪い一二三!」
「えっ、大丈夫ですか…!?」
風呂上がりの黒椿さんに驚きしゃがみ込む一二三に駆け寄る俺。
知らない人からするとカオスだ。
「黒椿さん、本当にすみません!一旦、バスルームへ戻って扉を閉めて頂けますか…?」
きょとんとした顔をしつつも頷き、彼女はそっと扉を閉めた。
「独歩ぉ!女の子が居るなら言ってくれよぉ〜!」
頭を抱えしゃがみ込んで震える一二三。
「すまない一二三…言うタイミング失って…」
少しして落ち着いた様子の一二三は、立ち上がって溜息をついた。
「ふい〜。まっさか家に女の子が居るとは思わないもんな〜。また刺されるかと思っちったじゃんか〜」
そして笑えない事を笑いながら言い、乾ききっていないジャケットを羽織る。俺はバスルームへ声を掛けた。
「お騒がせしてすみません。出て来て大丈夫です」
おずおずと顔を出す黒椿さん。そんな彼女に一二三は手を差し伸べた。
「さっきは驚かせてごめんね。今日は来てくれてありがとう。子猫ちゃんの為に、これから僕が腕によりをかけて料理を振る舞うよ」
同僚相手にホストモードになる様を複雑な気持ちで眺めつつ、俺はダイニングチェアに腰をおろす。
一二三は黒椿さんの為に椅子を引き、彼女を『姫』としてエスコートしていた。
黒椿さんはそんな一二三がキッチンへ向かうのを眺めながら呟く。
「最初はびっくりしたけど、紳士的な人ですね、彼。なんだかお姫様にでもなった気分です」
「はは…。料理は本当に美味いので、期待しててください」
「楽しみです」
急な来客にも関わらず、一二三はよく分からないお洒落な料理を作ってどんどん食卓に並べていく。
「さぁ召し上がれ!料理に合わせてシャンパンも用意したけど、子猫ちゃんはお酒は飲めるかい?」
「はい。嗜む程度ですけど」
一二三は三人分のグラスにシャンパンを注ぎ、流れるような動きで黒椿さんの隣に腰をおろした。
「一二三、その子猫ちゃんってのやめろよ。彼女は同僚の黒椿さん」
「初めまして、黒椿るあきです」
「るあきちゃんか、素敵な名前だね。僕は伊弉冉一二三。独歩くんとは小学生からの付き合いなんだ」
接客モードの爽やかな笑みを浮かべて自己紹介をする幼馴染み。子猫ちゃん呼びも頂けなかったが、下の名前にちゃん付け呼びも正直もやもやする。
そんな俺の気持ちなど露知らず、一二三はグラスを掲げて乾杯の音頭を取った。
「では今宵の僕達の出会いを祝して、乾杯!」
そして俺達はグラスを合わせ、料理に舌鼓を打つ。
「美味しい!伊弉冉さんって本当に料理がお上手なんですね!」
「るあきちゃんのお口に合ったようで嬉しいよ」
黒椿さんは本当に美味しそうに一二三の手料理を食べている。やがて綺麗に平らげ、俺達はシャンパンを楽しみつつ話に花を咲かせていた。
「はぁ〜…。こんなに楽しくゆっくり夕飯を食べたのはいつ振りだろう…明日は休みだし最高だ…」
手持ち無沙汰にシャンパングラスをくるくる回しながら呟くと、黒椿さんも頷いた。
「私もこんなに賑やかなのは久し振りです。家に泊めて頂くばかりかご飯までご馳走になっちゃってすみません。ありがとうございます」
「自分の家だと思って寛いでくれて構わないよ。良ければまた是非来て欲しいな」
心なしかうっとりした表情の黒椿さんは、一二三の言葉にゆっくり頷いている。
え!?もしかして黒椿さん、一二三の事を…!?
自分でも何故こんなに焦っているのか分からないが内心あたふたしていると、黒椿さんはそのままかくんと首を前に倒し、すやすやと寝息を立ててしまった。とろんとした表情は睡魔が訪れただけだったのか。
「黒椿さん、寝ちゃった…」
「僕達もそろそろ寝ようか。眠り姫はどうしようか?」
いつの間にかテーブルに突っ伏して寝ている黒椿さんを見やる。
「俺のベッドに運ぶよ。今日はソファで寝るとするかな」
彼女を起こさないように気を付けながら、肩を抱き膝下に手を入れた所謂お姫様抱っこで運ぶ。心配になるほど軽い身体をベッドにおろすと、黒椿さんはゆっくり瞼を開いた。
「すみません、起こしちゃいましたか?」
「観音坂さん…?」
「あ、あの、黒椿さん寝ちゃってたみたいなので、俺のベッドに運んだ所だったんです。すみません、すぐ出て行きますので…!」
慌てて彼女から離れようとすると、くっと袖を掴まれた。
「観音坂さんは何処で寝るんですか?」
「お、俺はリビングのソファで…」
寝起きの無防備な瞳に真っ直ぐ見詰められ、心臓がバクバク言っている。耐え切れず視線を逸らすと、ぐいっと腕を引かれた。
「一緒に寝てくれるまで離さないです」
少し拗ねたような声音で言われると、正直負けそうになる。
「黒椿さん…?酔ってます?よね…!?」
彼女はにこにこ微笑みながら、俺の指に自分の指を絡めてぎゅっと握って来た。一向に離してくれない様子の黒椿さんに根負けした俺は、彼女が待つ布団に潜り込み深い溜息をついた。
「観音坂さんに恋人が居ないって分かって、すごく嬉しかったんですよ、私」
「え、っと、それはどういう…」
黒椿さんは絡めた指もそのまま、俺の胸に顔をうずめて来た。
「黒椿さん…?」
そして戸惑う俺の耳に届いたのは、彼女の穏やかな寝息。
「もしかして俺、黒椿さんにからかわれてる、のか…?」
しかしそんな関係でも嬉しいと思ってしまう俺は、一体どうしてしまったのだろうか。
繋がれたままの手に力を込め、俺も微睡みに揺蕩うのだった。
─ END ─
【あとがき】
タイトルは「ルネの青に溺れる鳥」様よりお借りしました。
ヒプマイの夢小説が読みたくて自分で書き始めました。記念すべき1作目です。
2024/06/23
とりあえず腹ごしらえをするべく、昼食にと持たされた一二三お手製の弁当を広げた。
「観音坂さん、社内でお昼なんて珍しいですね」
箸を手にした瞬間、背後から声を掛けられ思わず落としそうになる。振り返ると、営業課の同僚である黒椿さんがコンビニのレジ袋を片手に立っていた。
「お疲れ様です、黒椿さん。次の外回りまで余裕があるので、昼食べたら溜まってる仕事を片付けようと思って」
「また無茶な事頼まれたりしたんですか?全然手伝うので言ってくださいね」
言いながら黒椿さんは隣の椅子に腰を下ろした。
「お昼ご一緒しても良いですか?」
「え!?あ、どうぞ…?」
随分と物好きな人らしい。予想外の言葉に反射的に承諾してしまった。黒椿さんはレジ袋から菓子パンとコーヒーを取り出している。
「観音坂さんって料理得意なんですか?どれも美味しそうですね」
「いや…これは同居人が作ってくれたもので、俺自身は全く…」
「同居人?あ〜、そうなんですか……。料理上手な方なんですね」
変な間が少し気になったが、一二三の料理を褒められると何故か俺も嬉しい。
「はい、あいつの料理はどれも美味しいんですよ」
料理が出来る人は素直に尊敬する。
玉子焼きを口に含み、ありがたみを噛み締めていると、黒椿さんはまた話題を振って来た。
「そういえば、この後天気が荒れるみたいなので気を付けてくださいね。台風近付いてるらしいですよ」
「わ、本当ですか。全然ニュース観てなかったな…ありがとうございます…」
ただでさえ苦手な営業なのに、天気が悪いと更に憂鬱な気持ちになって来る。重い溜息をつくと、彼女はくすりと笑った。
「悪天候の中の外回りって最悪だよね」
「本当に最悪ですよ…でも行かなきゃいけない、はぁ…」
そんな他愛のない会話を繰り広げながら昼食を終え、俺達はそれぞれ仕事に戻る事になった。
キリの良い所で外回りの準備をする。ぼたぼたと窓ガラスを叩く雨音を聞きながら、俺は重い腰を上げた。
数件回って、会社に戻って来たのは夕方だった。雨は依然として止む気配を見せず、風も強まって来ている。
電車止まるかもなぁ、そもそも終電に間に合うのだろうか。そんな事をぼーっと考えながら営業課のフロアに戻ると、定時を過ぎたからか皆一様に帰り仕度を始めていた。溜息をついてパソコンの電源をつけると、お昼のように背後から声を掛けられた。
「観音坂さんはまだ帰らないんですか?」
「俺はまだ片付けたい仕事が残ってるので…」
昼に片付けきらなかった山を横目に黒椿さんへそう返す。
「電車も結構止まって来てて、今日は皆早く帰ろうか〜って感じになってますよ。それこそ、この流れで帰っとかないと課長にまた仕事増やされちゃいますよ?」
それもそうか…。
立ち上がったばかりのパソコンに心の中で謝りシャットダウン。俺も荷物をまとめ帰宅する事にした。
外は風雨が激しく、予想通り電車やバスは運休。タクシー乗り場も長蛇の列である。
「黒椿さんって確か家遠かったですよね?」
前に同僚数人で立ち話をしていた時に、そんな事を言っていた気がする。
「そうなんです。電車じゃないとちょっときつい距離なんですよね」
色々助けてもらっているしタクシー代を出すくらい問題無いのだが、そのタクシーは今回難しいだろう。
「今日はどうするんですか?」
「ホテルか漫画喫茶でも空いてたらラッキーって感じですねぇ。観音坂さんこそ、大丈夫なんですか?」
「俺はまぁ、歩いて帰れなくはない…ので」
そこまで言って閃いた。
「あの、黒椿さんさえ良ければ、なんですけど…俺の家来ますか?」
お金も掛かるだろうし、女性ひとりだと心配だ。この時間だと一二三も丁度出勤した頃なので、連絡を入れておけば大丈夫だろう。
思いついた事をそのまま提案してみたが、冷静になってとんでもない事を言ったのではないかと我に返る。
「すみません!下心とかは無いですよ!?…って言うとなんか余計怪しいな…すみません忘れてください!いくらなんでも軽率過ぎましたよね!俺も協力するので、今日の宿泊先を探しましょうか!」
早口でまくし立てる俺を見て、黒椿さんは笑っていた。
「いえ、正直すごく嬉しいです。お言葉に甘えて、お家にお邪魔しても良いですか?」
俺の失態を優しくフォローする女神のようなお方だ。
「勿論大丈夫です…!」
あまり役に立っていないが、無いよりはマシな折り畳み傘をさして歩き出す。
「そういえば、彼女さんのOKは出てるんですか?修羅場にはなりたくないですよ〜」
冗談めかして笑う黒椿さんの言葉に、俺はぽかんとしてしまった。
「彼女?」
「あれ?彼女と同棲してるんですよね?お昼に話してませんでした?」
そんな話をした覚えはないし、そもそも俺に彼女なんて存在していない。もしかして、弁当を作った一二三の話を彼女だと勘違いしたのだろうか。
「同居してるのは男で、彼女も居ないので心配無いですよ。この時間だとあいつも仕事で居ないですし」
「そうだったんですね、良かった…。心置きなくお邪魔出来ます」
そんなやり取りをしつつ、暴風雨の中、俺の自宅を目指した。
「どうぞ、上がってください」
「お邪魔します」
ずぶ濡れにはなったが無事に帰宅し、黒椿さんを招き入れる。
「すみません、俺の部屋着貸しますね。濡れた服はこのハンガーに掛けてください」
黒椿さんをバスルームへ案内してから、水気を含んで重くなったスーツを脱ぎ捨て部屋着に着替える。
タオルで適当に髪を拭いてリビングに戻ると、テーブルに一二三が作った夕飯が並んでいる事に気付いた。
綺麗にラップをされた皿達のそばには『今日もおつかれ〜!温めて食べてね!』なんてメモ書きが律儀に置かれている。
当然一人分しか用意されていない夕飯にどうしたものかと悩んでいると、玄関が勢いよく開いた。
「お?鍵あいてんじゃん。独歩たでーま〜!台風まぁじでやば過ぎっしょ。傘ぶっ壊れっしびしょ濡れんなるし、水も滴るなんとやらにも限度ってのがあるよな〜」
毛先から水滴を落としながら、同居人である一二三が帰宅して来た。予想外の帰りに驚きつつもタオルを渡すと、一二三はわしゃわしゃと濡れた髪を拭く。
「店着いてからやっぱり台風やばいから休み!って言われんのは流石に俺っちもテンション下がるぜ〜」
肩をすくめ、タオルを洗濯に出す為かバスルームへ向かう一二三。
「あ!待て一二三!」
俺の静止も虚しく、彼の目の前でバスルームの扉が開き、出て来た黒椿さんとばったり鉢合わせてしまった。
「観音坂さん、シャワーありがとうございます」
「ひぃぃあああぁぁぁっ!!?おおおお、女!!??どどどどうして!??」
「悪い一二三!」
「えっ、大丈夫ですか…!?」
風呂上がりの黒椿さんに驚きしゃがみ込む一二三に駆け寄る俺。
知らない人からするとカオスだ。
「黒椿さん、本当にすみません!一旦、バスルームへ戻って扉を閉めて頂けますか…?」
きょとんとした顔をしつつも頷き、彼女はそっと扉を閉めた。
「独歩ぉ!女の子が居るなら言ってくれよぉ〜!」
頭を抱えしゃがみ込んで震える一二三。
「すまない一二三…言うタイミング失って…」
少しして落ち着いた様子の一二三は、立ち上がって溜息をついた。
「ふい〜。まっさか家に女の子が居るとは思わないもんな〜。また刺されるかと思っちったじゃんか〜」
そして笑えない事を笑いながら言い、乾ききっていないジャケットを羽織る。俺はバスルームへ声を掛けた。
「お騒がせしてすみません。出て来て大丈夫です」
おずおずと顔を出す黒椿さん。そんな彼女に一二三は手を差し伸べた。
「さっきは驚かせてごめんね。今日は来てくれてありがとう。子猫ちゃんの為に、これから僕が腕によりをかけて料理を振る舞うよ」
同僚相手にホストモードになる様を複雑な気持ちで眺めつつ、俺はダイニングチェアに腰をおろす。
一二三は黒椿さんの為に椅子を引き、彼女を『姫』としてエスコートしていた。
黒椿さんはそんな一二三がキッチンへ向かうのを眺めながら呟く。
「最初はびっくりしたけど、紳士的な人ですね、彼。なんだかお姫様にでもなった気分です」
「はは…。料理は本当に美味いので、期待しててください」
「楽しみです」
急な来客にも関わらず、一二三はよく分からないお洒落な料理を作ってどんどん食卓に並べていく。
「さぁ召し上がれ!料理に合わせてシャンパンも用意したけど、子猫ちゃんはお酒は飲めるかい?」
「はい。嗜む程度ですけど」
一二三は三人分のグラスにシャンパンを注ぎ、流れるような動きで黒椿さんの隣に腰をおろした。
「一二三、その子猫ちゃんってのやめろよ。彼女は同僚の黒椿さん」
「初めまして、黒椿るあきです」
「るあきちゃんか、素敵な名前だね。僕は伊弉冉一二三。独歩くんとは小学生からの付き合いなんだ」
接客モードの爽やかな笑みを浮かべて自己紹介をする幼馴染み。子猫ちゃん呼びも頂けなかったが、下の名前にちゃん付け呼びも正直もやもやする。
そんな俺の気持ちなど露知らず、一二三はグラスを掲げて乾杯の音頭を取った。
「では今宵の僕達の出会いを祝して、乾杯!」
そして俺達はグラスを合わせ、料理に舌鼓を打つ。
「美味しい!伊弉冉さんって本当に料理がお上手なんですね!」
「るあきちゃんのお口に合ったようで嬉しいよ」
黒椿さんは本当に美味しそうに一二三の手料理を食べている。やがて綺麗に平らげ、俺達はシャンパンを楽しみつつ話に花を咲かせていた。
「はぁ〜…。こんなに楽しくゆっくり夕飯を食べたのはいつ振りだろう…明日は休みだし最高だ…」
手持ち無沙汰にシャンパングラスをくるくる回しながら呟くと、黒椿さんも頷いた。
「私もこんなに賑やかなのは久し振りです。家に泊めて頂くばかりかご飯までご馳走になっちゃってすみません。ありがとうございます」
「自分の家だと思って寛いでくれて構わないよ。良ければまた是非来て欲しいな」
心なしかうっとりした表情の黒椿さんは、一二三の言葉にゆっくり頷いている。
え!?もしかして黒椿さん、一二三の事を…!?
自分でも何故こんなに焦っているのか分からないが内心あたふたしていると、黒椿さんはそのままかくんと首を前に倒し、すやすやと寝息を立ててしまった。とろんとした表情は睡魔が訪れただけだったのか。
「黒椿さん、寝ちゃった…」
「僕達もそろそろ寝ようか。眠り姫はどうしようか?」
いつの間にかテーブルに突っ伏して寝ている黒椿さんを見やる。
「俺のベッドに運ぶよ。今日はソファで寝るとするかな」
彼女を起こさないように気を付けながら、肩を抱き膝下に手を入れた所謂お姫様抱っこで運ぶ。心配になるほど軽い身体をベッドにおろすと、黒椿さんはゆっくり瞼を開いた。
「すみません、起こしちゃいましたか?」
「観音坂さん…?」
「あ、あの、黒椿さん寝ちゃってたみたいなので、俺のベッドに運んだ所だったんです。すみません、すぐ出て行きますので…!」
慌てて彼女から離れようとすると、くっと袖を掴まれた。
「観音坂さんは何処で寝るんですか?」
「お、俺はリビングのソファで…」
寝起きの無防備な瞳に真っ直ぐ見詰められ、心臓がバクバク言っている。耐え切れず視線を逸らすと、ぐいっと腕を引かれた。
「一緒に寝てくれるまで離さないです」
少し拗ねたような声音で言われると、正直負けそうになる。
「黒椿さん…?酔ってます?よね…!?」
彼女はにこにこ微笑みながら、俺の指に自分の指を絡めてぎゅっと握って来た。一向に離してくれない様子の黒椿さんに根負けした俺は、彼女が待つ布団に潜り込み深い溜息をついた。
「観音坂さんに恋人が居ないって分かって、すごく嬉しかったんですよ、私」
「え、っと、それはどういう…」
黒椿さんは絡めた指もそのまま、俺の胸に顔をうずめて来た。
「黒椿さん…?」
そして戸惑う俺の耳に届いたのは、彼女の穏やかな寝息。
「もしかして俺、黒椿さんにからかわれてる、のか…?」
しかしそんな関係でも嬉しいと思ってしまう俺は、一体どうしてしまったのだろうか。
繋がれたままの手に力を込め、俺も微睡みに揺蕩うのだった。
─ END ─
【あとがき】
タイトルは「ルネの青に溺れる鳥」様よりお借りしました。
ヒプマイの夢小説が読みたくて自分で書き始めました。記念すべき1作目です。
2024/06/23
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