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南雲鉄虎の1日

【AM6:00 寮室にて】



 スマホのアラームの音で目が覚める。直ぐにそれを止めて大きく伸びをした。勿論思わず漏れる声は控えめになるよう意識する。日が段々伸びてきたからそろそろ自然に起きれるようになる気がするけど、1度寝坊して遅刻しかけて以降きちんとアラームを設定するようにしていた。
 そのまま今日の予定をスマホでチェックする。午前はいつも通り学校。それから――。
「うわっ?!」
 不意に破裂音が聞こえてきて俺は思わずスマホを落っことした。次いで電気のスイッチを押す音がして部屋が明るくなる。
「ふふ、おはよう鉄虎クン! そして――ハッピーバースデー!」
 役目を終えたクラッカーを持った鳴上先輩がにこりと笑う。反対方向には同じくクラッカーを持ったHiMERUさんが、これまた同じく笑みを浮かべていた。
「おはようございます、南雲。誕生日おめでとうございます」
「あ、ありがとうございますッス……」
 サプライズで祝ってくれたのだろうけれど、それにしても唐突過ぎる。唖然としながらもなんとか感謝の言葉は紡ぐことができた。
「ふふ、HiMERUの予想通り驚いていますね」
「驚かしちゃってごめんなさい。でも1度はこういうことやってみたかったのよねェ♪」
「お、押忍! 驚いたけど祝ってもらえたのは素直に嬉しいッス!」
 昨日は日付が変わる前に寝てしまったし、まだホールハンズを開いていないから実質2人が俺を最初に祝ってくれた人だ。そう言うと鳴上先輩は更に笑みを深めた。
「あら、1番乗りなんて光栄ねェ」
「HiMERUが考えたのだから当然です。……勿論プレゼントも用意してますよ」
 HiMERUさんと鳴上先輩はそれぞれサイドチェストから小さな箱を取り出すと、こちらに差し出してきた。大きさ的には小ぶりなものの、包装紙やリボンからそこはかとない上品さを感じる。
「ありがとうございますッス! 中身は……」
「アタシのオススメよ。鉄虎クンもきっと気に入ると思うわァ」
「HiMERUからのプレゼントは……内緒にしておきましょう。中身を見ればわかる話です」
「HiMERUちゃん、それはちょっと狡くない〜?」
 軽快なやり取りをし始める先輩たちを見て、俺も思わず笑みを零す。今日はいい日になりそうだ。なんとなくそんな予感がした。


 ■ ■ ■


【AM7:30 武道場にて】



 今日が誕生日だと言っても、日常は変わりなく流れていく。
「おはよう、部長!」
「おはようッス、一彩くん!」
 いつも通り準備体操をしていると一彩くんが中に入ってきた。朝練があると言っても、熱心にやってるのは俺と彼くらいだ。去年も俺と大将しかいない、なんてザラだったから特に気にしてないけれども。
「すまない、遅れてしまって」
「言うほど遅れてないから大丈夫ッスよ。でも一彩くんが寝坊なんて珍しいッスね?」
「いや、寝坊した訳じゃないよ。……部長に渡したいものがあるんだけど、予想以上に準備に手間取ってしまったんだ」
「俺に渡したいもの?」
 一体何なのだろう。首を傾げていると、一彩くんは笑みを浮かべて――1輪の花を俺に差し出してきた。
「お誕生日おめでとう、部長! 都会ではこうやって生まれた日を祝うんだよね?」
 1月には自分も祝われて嬉しかったから用意したのだと一彩くんは付け足した。唐突にプレゼントを渡されたのは驚いたけど、徐々に実感が湧いてきて俺の顔も綻んでいく。姿勢を正して、1輪の赤い花を受け取った。
「ありがとうッス。……これはカーネーションッスか?」
「ウム、今日の誕生花らしいよ。誕生日ごとに花が決まってるなんて面白いよね!」
「そんなのがあるんスね〜?」
 カーネーションと言えば母の日のイメージが強いけれど、認識を改める必要がありそうだ。花とビニールを纏めるリボンは綺麗だけどちょっと歪んでいて、これを結んだのが誰かなど一目瞭然だった。
 しかし、1つ問題がある。――今日は午後から仕事があるのだ。鞄の中に入れたままでは折角貰った花が萎れてしまう。どうしようかと考えていると、ふと名案が浮かんだ。
「一彩くん、これ武道場に飾ってもいいッスか?」
「別に構わないけど……いいのかい?」
「ウッス。多分俺が寮に持ち帰るよりは、こっちでちゃんと水やりした方が長生きするんじゃないかなって」
「確かに……持ち歩いた分花がいたんでしまうかもしれないね。部長に渡すことで頭が一杯になって失念していたよ」
 流石だね、なんて褒められるとやっぱりくすぐったい。一先ず倉庫の中にあった花瓶に水を入れて刺してやる。殺風景な武道場の中に、カーネーションの赤はよく映えた。


 ■ ■ ■


【PM0:00 食堂にて】



 誕生日だと今日は奮発してやろうか、なんて邪な考えがついつい頭に浮かぶ。頑張って仕事をこなしている甲斐もあって、懐は去年より余裕があった。
「カルビ丼……いや期間限定の焼肉定食も捨て難いッス……」
「何呻いてるんだ、鉄くん?」
「大神先輩!」
 挨拶をすると少し頬を緩めた先輩におう、とだけ返される。疎遠になった訳でもないが、学年も所属する事務所も違うのでこうして会話するのは随分久しぶりだった。
「後ろ並んでないからいいけどよ、早く決めた方がいいぜ」
「そうッスね。……よし、この焼肉定食にするッス! 大盛りで!」
「それで良いのか?」
「勿論――って、何で大神先輩がそんなこと聞くんスか?」
「決まってんだろ」
 そう言うと大神先輩は俺を押しのけて券売機の前に立ち――俺が買いたかった焼肉定食のボタンを押すと、出てきた券を俺に渡してきた。
「ほらよ」
「……へ?」
「今日誕生日なんだろ? 前からひなたがうるさかったからな。嘘とは言わせね〜ぜ?」
「いや、そうじゃなくて! 流石に奢ってもらうなんて悪いッスよ!」
 こんなことしてもらわなくとも、色んなことで大神先輩にはお世話になってきたのに。むしろ俺の方が一生をかけても恩を返せるか怪しいくらいだ。
 慌てて首を横に振ると、大神先輩はわかりやすく顔を顰めた。
「なんだ? 先輩が奢ってやるって言ってるんだから素直に甘えとけっての」
「で、でも…………」
「……わかった。じゃあ、これは鉄くんへの『ツケ』だ」
「ツケ?」
「今回は俺様が払う。だから……次、俺様の誕生日が来たらおまえに奢ってもらう。それなら文句ね〜だろ?」
 話は仕舞いだと言いたげに、大神先輩は自分の分の食券も買ってカウンターへと進んでいく。俺は慌ててその後を追いかけた。
「お、大神先輩! あのっ!」
「なんだ、まだ何かあんのか?」
「ありがとうございますっ……!」
 精一杯の感謝を込めて勢いよく頭を下げる。この気持ちは先輩に上手く伝わるだろうか。恐る恐る顔を上げると……大神先輩は珍しく穏やかな笑みを浮かべていた。
「おう。……ったく、最初から素直に聞いとけってんだ」
 おまえもひなたも、後輩って面倒なやつばっかりだ。そう言う大神先輩の声色は何故かちっとも嫌そうではなく、むしろ少し弾んでいるように聞こえた。


 ■ ■ ■


【PM5:00 楽屋にて】



「お疲れ様でしたっ!」
 お辞儀をする俺の腕には沢山のプレゼントが抱えられている。
 バースデーイベントの撮影は無事に終了した。この後簡単な編集が行われ、6時からESのチャンネルに動画が投稿される予定になっている。ファンの人は喜んでくれるだろうか。半分期待、半分不安を抱きながら楽屋へと戻る。ドアを開けた瞬間、俺の体は固まることとなった。
「よう鉄、お疲れさん」
「た、大将!?」
 微笑みながら手を挙げるのは、間違いなく俺が尊敬して憧れている大将そのものだった。サプライズだろうか、いや、まだアイドルとしては駆け出しの俺にこんな恐れ多いサプライズが用意されるのだろうか?
「たまたま近くで仕事があってよ、嬢ちゃんに頼んで楽屋に入れてもらったんだ」
「そ、そうだったんスね……」
 姉御なら顔を出した大将を喜んで中に入れることだろう。多分大将と会えたら喜ぶことを誰よりも知っている……少し恥ずかしいが。
 大将は立ち上がると、プレゼントを半分ほど持ってくれた。
「こりゃまた大量だな。全部仕事関係の人か?」
「いや、流石にそんなことはないッスよ。仕事でお世話になった人から貰ったものもあるッスけど……ほとんどは同級生と、後は後輩からッス」
 この日のために姉御が方々に話を持ちかけて用意していたのだそうだ。教室でクラスメイトのみんながお祝いの言葉のみだったことに、今更ながら納得した。
「はは、それでもこれだけ貰えるのは流石だな。俺じゃあこうはいかねぇよ」
「もう、揶揄うのは止めてほしいッス!」
 ムキになって言い返すと、大将はくつくつと低い声で笑う。今は両手が塞がっていてスマホを構えられないのが残念だ。貴重なシャッターチャンスを逃してしまった気がする。
 とりあえず楽屋のテーブルにプレゼントを置き、大将と向かい合って座る。そう言えば大将はどうしてここに来たのだろう。お祝いしてくれるなら夜に開かれるパーティーの時でも良いはずなのに。
「大将、どうしてここに――」
「……これをおまえに渡すためだよ」
 そう言うと大将は1枚の封筒を差し出してきた。首を傾げながら中を見ると――入っていたものを見て目を見開くことになった。
「た、大将、これって……!」
「まだ公にしてないから周りは黙っとけよ?」
「いいんスか?! 妹さんたちの分は……」
「とっくに渡してる。……3枚貰ったからな。もう1枚はおまえの分だ」
 大将がくれたのはおそらく次の『紅月』のライブチケットだった。しかもただのチケットではない。『関係者席』とはっきり印字されている。
「……やっぱり違うものがよかったか?」
「そ、そんなことないッスよ! ただ、俺がチケットを買わないと『紅月』のためにならないんじゃないかって……」
「そんなことねぇよ。席1つ増やしてやった、くらいに考えとけ」
「うわっ?!」
 乱暴に頭を撫でられて思わず顔を上げる。目の前には翡翠の瞳を細めた大将がいた。
「誕生日おめでとう、鉄。……おまえと夢ノ咲で会えて本当によかったと思ってる。……『流星隊』も色々あるみてぇだけどあんまり無茶すんなよ?」
「……ありがとうございます。でも、大将にその言葉はそのままお返しするッス!」
 俺だって夢ノ咲学院で大将に会えて本当に感謝しているし、自分を盾にするきらいがある大将のことを心配してるのだから。大将はそれならお互い様だな、と笑みを深めて笑った。


 ■ ■ ■


【PM7:30 共有ルームにて】



「それじゃあ今日もう散々言われただろうけど改めまして〜……鉄くん誕生日おめでとう!」
 ひなたくんの号令でクラッカーの破裂音が部屋中に響く。空中に舞う紙テープや紙吹雪を一身に受けながら、俺は口角を上げた。
「ありがとうッス、みんな!」
 朝起きてから沢山の人に祝われたのに、まだ祝ってもらえるなんて有難いことだ。一通りみんなに声を掛け終わると、翠くんと忍くんが俺に駆け寄ってきた。
「鉄虎くん!」
「はあ……やっと鉄虎くんの周りの人混みが消えた……」
「ちゃんと食べてるでござるか?」
「はは、勿論ッスよ!」
 テーブルの上に並べられる肉を中心とした料理はなんと兄貴や大将たちの手作りらしい。メインとなる料理からデザートまで頬が落ちそうなほど美味しかった。
「忍くんたちこそちゃんと食べてるッスか?」
「勿論! むしろちょっと食べ過ぎちゃったくらいでござるよ〜」
「俺はあんまり……これ以上大きくなりたくないし……」
 笑う忍くんと息を吐く翠くんはいつも通りだ。忍くんに笑い返しながら俺は改めて周りを見渡す。
 ――やっぱり間に合わなかったか。
 そんなことを考えていると深海先輩と目が合う。先輩は遠くからこちらを見てにこりと笑って、俺の方に近付いてきた。
「みんな〜、『おにく』もいいですけど『おさかな』もちゃんとたべないと『だめ』ですよ〜?」
「深海先輩! お疲れ様ッス!」
「『はっぴーばーすでー』ですね、てとら……♪」
 前祝いにと、深海先輩は自分の皿に盛り付けたカルパッチョを俺に分けてくれた。『じしんさく』です、と深海先輩は胸を張る。食べてみると、魚の旨みとレモンの爽やかな酸味が口の中に広がる。
「美味しいッス!」
「ふふん、そうでしょう? ……ちあきがまにあわなくて『ざんねん』ですね〜?」
 そう言う深海先輩は俺の心の中などお見通しのようだった。
 元々今日、守沢先輩は1日中仕事が入っていた。だから『流星隊』で祝ってもらうのもまた後日ということになっている。俺は別に気にしていないけれど守沢先輩はそうでもないらしく、なるべく早く帰ってくると何度も俺に宣言していた。――とは言え、現実は俺たちの事情を考慮してくれたりはしない。ある意味予想通りなので落ち込むこともなかったが。
「全く……事務所も空気読めないよね。今日がどんな日か知ってる癖に」
「まあまあ、仕方ないッスよ。お仕事なんスし、また今度祝ってくれるんスよね?」
「それは、そうだけどさ……」
 ジュースを一口飲む翠くんは相変わらず浮かない顔をしている。翠くんは『5人』で集まるのが好きだから、この状況を1番残念がっているのは彼なのかもしれない。――指摘すれば何をし返されるかわかったものではないから、心の中に留めておくけど。
「大丈夫でござるよ、翠くん。守沢殿がいない分、拙者たちで沢山お祝いすればいいんでござるよ!」
「…………そうだね。折角だから写真も一杯撮って送り付けてやろう……♪」
「ふふ、ちあきうらやましがりそうですね」
「ほ、程々にしてあげてほしいッスよ……?」
 急に乗り気になってスマホを取り出す翠くんに、俺は思わず苦笑を浮かべた。


 ■ ■ ■


【PM10:00 廊下にて】



 宴もたけなわ、ということでパーティーもお開きになり各自解散となった。俺も後片付けを申し出たのだけれど、今日の主役なのだからと丁重に断られてしまった。仕方がないからプレゼントの整理でもしようと部屋に戻ろうとしていると、騒がしい足音がこちらに近付いてきた。
「南雲ー!」
「守沢先輩?!」
 驚いて思わず振り返るのと、先輩が俺のところに辿り着くのはほぼ同時だった。立ち止まった先輩は呼吸が荒く、額に汗が浮かんでいる。
「す、すまん! なるべく早く帰れるようにしたんだが間に合わなかった……!」
「元から後で祝うって話だったじゃないッスか! 走って帰って来たんスか?」
「勿論だ! あと一歩及ばなかったが……」
 そう言う守沢先輩はちょっと悔しそうで、これ以上追及するのもなんだか躊躇われた。どう言葉をかけようか悩んでいると、その間に先輩の呼吸は整ったらしい。
「――ともあれ、おまえには会えたのだからきちんと祝わないとな。お誕生日おめでとう、南雲!」
「ありがとうございますッス。って、言っても日付変わった頃にメッセージ送ってくれてたッスよね?」
「こういうのは何回言っても良いものだろう? それに俺はおまえに直接会って伝えたかったんだ!」
 そう言って笑うところが守沢先輩らしい。呆れる気持ちも強いけれど、ついつい頬が緩んでしまう。
「とりあえずお風呂に入って共有ルームに行ったらどうッスか? 大将が先輩用に残してるやつが冷蔵庫の中にあると思うッス」
「む、どうしてお腹が空いてることまでわかったんだ?」
「わかるッスよ、それくらい。もう1年以上は俺たち一緒に活動してるんスよ?」
 別に四六時中一緒にいる訳ではないけれど。それでも他の人たちよりは先輩のことをよく知っているつもりだ。
 守沢先輩は赤茶の目を瞬かせた後、何故か嬉しそうに笑って俺を抱きしめてきた。
「うわっ?!」
「ははは、南雲は本当にいい子だな……☆ 立派に育ってくれて俺は嬉しいぞ!」
「どこからそんな結論になったんスか! 意味わかんねぇッス!」
 ちょっと乱暴に言ってやっても、守沢先輩はびくともしない。俺は諦めて先輩が満足するまでされるがままになることに決めた。
「……南雲」
「……なんスか?」
「ありがとうな、本当に」
 その感謝の言葉にどんな意味が含まれているかなど知らない。ただ、俺は何も言い返せずに少しだけ自由に動く頭で1つ頷いた。


 ■ ■ ■


【PM12:00 玄関前にて】



 やっぱりな、という気持ちと少し期待していた気持ちが綯い交ぜになって息を吐く。
 どうせ来やしないと頭の中の冷静な部分はわかっている。けれども、いつもこの日に淡い期待を抱かずにはいられなかった。やはり自分はまだまだ子どもなのだと、明るい照明を見ながら自嘲する。
 ふと、スマホが震える。明るくなった画面を見て思わず目を見開いた。――まさか、本当に来るなんて。
 心臓がばくばくとうるさい。震える指で応答ボタンを押す。少しノイズ音が聞こえた後――。
『もしもし、鉄虎。……まだ、起きてる?』
「う、うん。大丈夫」
『よかった! ……って、もう日付越えちゃったわね』
 そう言うお母さんの声は少し残念そうだった。お父さんの声が小さく聞こえてくる。やがて静かな低音がスピーカー越しに聞こえてきた。
『遅くなってごめんな。……誕生日おめでとう、鉄虎!』
『鉄虎、お誕生日おめでとう!』
「あ、ありがとう……」
『あら、いつもより反応が薄いわね〜?』
『はは、鉄虎も年頃だからな。こうやって祝われるのは照れくさいんだろう?』
 そんなことない。むしろ嬉しくてどう返したらいいかわからないのだ。
 ケーキもご馳走も、プレゼントもないけれど……かなりギリギリとは言えちゃんと当日に祝ってもらえるのは何時ぶりだろう。
『どう、元気にやってる?』
「うん。今日も一杯お祝いしてもらった」
『それはよかったな! 急に寮に行くなんていうから心配したけど……鉄虎なら心配要らなかったな』
『本当にね。むしろ誰かと一緒にいる時間が長くなるなら私たちも安心だわ』
 そう言う両親の言葉に嘘はなさそうだった。でもそれなら――俺は言わなければならないことがあるだろう。
「俺……別に家が嫌だったって訳じゃないッスからね?」
 確かに1人で寂しかった時もあるけれど。両親が家事をしてくれて、できる限り料理が作り置きされているあの家は寮とは違った温かさがあった。
 しばし沈黙が降りる。数秒後、賑やかな笑い声が向こうから聞こえてきた。
「何で笑うの!」
『だって何を言い出すかと思ったら。ねぇ?』
『大丈夫だよ、鉄虎。……鉄虎がちゃんと考えて寮に入ったことは父さんも母さんもわかってるから』
『精々気張りなさい。守沢くん? からレッドを奪い取る気概でね!』
「はは……まあこれからも精進して頑張るッスよ!」
 少しのんびり屋だけど穏やかな父、ちょっとアグレッシブなところがあるけれど頼もしい母。今は離れているけれど、2人共大切な俺の『家族』だ。
『電話しといてなんだけど、早く寝なさいね。どうせ明日も早起きなんでしょう?』
「うん。朝練やって、学校の後に仕事」
『大変そうだな……体壊さないようにな?』
「うん。……そろそろ寝るッス。おやすみなさい!」
『おやすみ! また連絡してきなさいよ』
『おやすみ。ゆっくり休むんだぞ』
 通話はそこで切れてしまう。でも俺にはもう十分過ぎるくらいだ。
 両親に宣言した通り早く寝よう。明日からまた忙しい日々が始まるだろうけど。


 ――きっと昨日より頑張れる、そんな気がするのだ。
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