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SSトレーニング

 人々の喧騒と、電車と、様々なものが目まぐるしく行き交う都心の一室。カーテンを閉めきった薄暗い空間の中で、私は耳を澄ませていた。
 奥様方の井戸端会議、女子高生達の噂話、小さな子ども達のはしゃぐ声。様々な会話の中から、目的の人物の声を探る。
 物心ついた頃から何かと聞こえすぎるこの耳には、随分と困らされたものだ。しかしある人からこの部屋と人探しの仕事を貰ってからはそれも落ち着いた。耳に入る情報をある程度制限できるこの場所は、まるで楽園のようだ。はなから普通の生活を送れなかった私にとって、めったに外へ出られないことは少しも損ではなかった。

 ――て……くれ……!

 ふと、ある男の声を捉える。ポケットにあるボイスレコーダーを探りながら、その声を聞き逃さぬよう神経を尖らせた。
「待ってくれ、 俺が何をしたっていうんだ! その案件については別の奴が――」
「うるせぇ、とぼけんな! お前のせいで、ウチの者がどんだけ被害を被ったと思ってる!」
 怯えながらも反論しようとする男を、別の男の声が怒鳴り付けた。どうにも穏やかなやり取りをしているわけではないらしい。
「あー……」
 あまりの騒々しさにこの会話を遠ざけたくなったが、自分の役目を思い出しぐっと堪える。手にしたボイスレコーダーを再生し、怯えた男の声と記録されている声を聞き比べる。おおよそ同一人物と見て問題なさそうだ。
 今度はスマートフォンを取り出し、電話帳から部屋の提供主の名を選ぶ。コール音を聞きながら男までのおおよその距離、方角を測っていると、程なくして電話口から応答があった。
「はぁいミキちゃん。お仕事お疲れ様」
 調子のいい話し方に思わず眉をひそめる。
「そのミキちゃんっていうの止めてください……居場所、分かりましたよ。例の人の」
「あら、いつもながら早くて助かるわぁ~」
 語尾に音符でも付きそうな雰囲気で言われるのを適当にあしらい、先ほど捉えた男の位置を伝える。電話の相手は他でもない、この部屋の提供主にして仕事の依頼主だ。
 探し出した人物がこの後どうなるのか、私は知らない。以前、訝しむ私に気づいたあの人から「悪いようにはしない」と言われたので、それを信じるしかない。依頼主のことは程々に信用しているので、多分、大丈夫だろう。
「○○丁目の△番地……路地裏ね、了解。じゃ、報酬はいつも通り手配しておくわ」
 楽しみにしててね~、と電話が切れると、すぐに玄関から物音がした。同時に外の喧騒が遠のく。
 いつも通り戸口へ向かえば、そこには白い箱の上に茶封筒。封筒を退けて箱の中身を確認すれば、黄色い螺旋の上に生クリームが乗っている。今回はモンブランだ。
 封筒はその辺りへ適当に放置し、箱に入っていたモンブランと使い捨てスプーンを取り出す。掬い上げて舌で転がせば、しっとりと甘味が広がった。味わいながら息をつき、頭の中をリセットする。
 さて、休憩は済んだ。先ほどとは別のボイスレコーダーを用意し、再び別の音を探す。
 活況、騒音、囁声。全ての音を受け止めて、私は都会の耳となる。

END
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