天和・一発、一目惚れ!

「――……なんだこれは、」

「え? リコのお弁当箱よ。可愛いでしょ?」

 そんなことを訊いてるんじゃない、と言い返すのも面倒で、その代わりに大きな舌打ちで返してやった。

 雀荘の手伝いで使う食材の買い出しのついで、いつだって自分には不機嫌そうな態度しかしてくれない蕎麦屋の店主、武智村正の元に寄ったリコは、そういってウサギが描かれたひとつの弁当箱――空っぽのそれを村正に見せた。「――ダーリンにね、」

「リコのお弁当作ってほしいなって思ってさ、」

 テレビではようやく桜前線がどうのこうのと言い始めた、冬と春の気配が入り交じるこの季節。頭が浮かれるにはまだ大分早いような気もするが、ああ、よくよく考えれば、この金髪頭の小娘はいつだって浮かれた寝言を抜かすような女だった。

 村正の仕事は料理を作って出すだけではない。
 (気難しい村正の性格故、)アルバイトのひとりも雇っていないこの店の前に吹き転がってきた落ち葉を掃いて退ける、というのも雑務のひとつなのだが、今日は落ち葉に混じって余計な粗大ゴミまで転がって来てしまったようだ。

「断る。第一、俺がお前にそんなことしてやる義理はない」

「えー? そんなこと言わないでよ! 雀荘でもこのお店の宣伝してるんだしさ、ね? 凝ったものじゃなくていいの! マジで塩むすびとかでいいの! ね?」

 わざわざ自慢の愛刀を抜くまでもない。
 今手にある箒で土埃と共に掃いて追い出してやろうかと思っていた手が、リコが口にした宣伝、という言葉に止まる。

 ……確かにそれは事実だ。
 リコが手伝いで身を寄せている雀荘、そこに通う客が、「リコちゃんが言うにはここの蕎麦を食べるとツキが来る」なんて、訳の分からない理由で村正の店で食事を済ましていくことが多いのも事実。
 理由はどうであれ、商売というものはまず客ありきのもの――非常に不本意極まるが、そう考えると村正はリコへひとつ、割りと大きい借りがあるようなものだ。

 かといってこのまま素直に応じる、というもできない。というよりしたくない。
 そんな村正の捻くれた性格など全く気にせず、彼へ弁当をねだるリコはショルダーバッグの中から一冊の雑誌を出し、それを誇るよう村正の前に出しては勝手に話を進める。「――これ!」

「この表紙の人、凄く有名なプロ雀士なんだけど……リコがマジ強いって噂聞いてね、私と対局してみたい、って明日の夜、お忍びでうちの雀荘に来てくれるの!」

 「雀聖直伝、トップで和了る七つの鉄則」と派手に書かれた見出しと共に、牌を指先で摘んではキザったらしい薄笑みを浮かべている男に、彼女は「このダンディなおじさまがリコに会いに来るの!」と目を輝かせている。

「……で、その対局中に食べる夜食をね、ダーリンに作ってもらいたいなーって思ったの!」

 大丈夫、お金なら後できっちり払うから! って……あっ、そうだ忘れてた! 今日は病院に女将さん連れてく日だったわ……じゃあねダーリン! お弁当よろしく!

 木枯らし、否、まるで夏にはしゃぐ台風のように忙しなく、勝手に話を進めては勝手に消えた彼女を見送る村正に残されたのは、そんな彼女に押し付けられた空っぽの弁当箱――疫病神からのおねだり。

「…………」

 蓋に描かれたウサギの大きな瞳と目が合う。
 そして思わず村正の口から出た苛立ったため息は、まだ少し冷え込む昼下がりの風に混じって消えた。



――窮鼠猫を噛む、という言葉がある。

 命ぎりぎりまで追い詰められたか弱き鼠でも、そんな窮地にて猫に噛みつき、反撃することもあるが――ではこの猫。一匹の鼠を追い回す猫が三匹もいたらどうなるだろうか。
 おまけにこの猫ときたら、一匹は狡猾なボス猫、その他二匹はボスの手足となるよう徹底した連携が取れているのだ。
 それを噛むだなんてとんでもない。
 さっさと白旗を上げて降参したほうがいい、とも思わなくはないが――「――ロン、」

「……悪いねリコちゃん、清一だ」

 対面に座る男――雑誌には「雀聖」と書かれている彼は、映画スターがファンへ微笑むように言った。

――なにが「悪いね」だ、このボス猫気取りが!

 今晩限りの貸し切りにしたこの雀荘の中、リコという鼠は孤軍奮闘していた。

「リ、リコちゃんどんまい……!」

「大丈夫、まだ全然巻き返せるよ!」

 なんとか理性にて悪態を吐き出さずに止めた口へ飴玉を放り込むが、苛立った心からか、それはすぐ粉々に噛み砕かれた。
 そんなリコの様子を見守り、声を掛けてくれるのは、普段はここの常連客として自分を慕ってくれているご町内の方々だ。
 その応援、励ましを受けている身なのだから、正確に言えば孤軍、というわけではないかもしれない。

 しかし今夜、この雀卓においてリコの味方など存在しない。
 存在するのはこの小狡いボス猫――「前々からね、」

「君の噂は聞いてたんだよ、リコちゃん」

「……そうですか」

 昨日の自分がそれを聞いたら大喜びし、バッグに入れていた雑誌へサインを書いてほしいとはしゃいだかもしれない。
 しかし今、リコが彼へ抱くのは憧れでもときめきでもない。軽蔑だ。

 仮にも世間からは一流だと認められている男だ。
 そんな人間から指名され、手合わせをしたいと言われれば誰だって嬉しいだろう。リコも当然、その内のひとりだった。

 しかしこの夜、雀卓という戦地で彼と向き合って分かったことは――彼の性格が底意地悪い、ということだ。

 彼はリコと真っ向から勝負する気など最初からない。
 自身が開く麻雀教室の講師だ、と連れてきた男二人を手足、子分の猫とし、自分だけは美味しい部分を食おうとする卑しいボス猫――今の清一も、リコが直接振り込んだわけではない。

 差し込みと通し――雀聖がリコへ見せるその戦略のなんと醜いものよ。

 自身が華麗に和了るため、それに必要な牌を子分へねだればいいだけのスタイル。
 雀士としてリコ相手に手牌、心理の読み合いをする気なんて微塵もないスタイル。

 きっとこの勝負、彼かリコか、そのどちらかがトップになるのだろう。
 しかし、それはリコが雀聖相手に良い勝負をしたから成る結果ではない。
 下っ端二匹が花を添えてお膳立てしてくれた出来レースの結果だ。

 そんな遊びに付き合わされているのかと思えば思うほど苛立ち、そしてひとつの疑問を投げてみた。

「……どういう噂なんです?」

「え?」

「表の世界にだって女の雀士はいますし……雀荘の看板娘気取りが多少打ってたって不思議じゃないでしょう? なのにわざわざ雀聖様が来るほど変な噂立ってるんですかね、私って」

 煙草の煙で濁る部屋の中――気を利かせた常連客が窓を開け、丑三つの夜から澄んだ空気を入れてくれた。
 ヤニ臭い空気とは真反対の風、それがリコの苛立ちで熱くなっていた頭に流れ、さらにもう一歩踏み込み――この卓の本当の意味を探る。

「こんなチープな出来レースの表彰台に私みたいな小娘乗っけて……なにしようっていうんです?」

「……救済だよ、リコちゃん。君のね」

「……はぁ?」

――きゅうさい、救済?

 その言葉と共に向けられる視線、そこには慈悲と憐れみに満ちたものがあったが、そう言われても彼に救われるような覚えはまったく、微塵も、なにひとつ心当たりがない。

「――今はプロとしてクリーンなイメージで売ってる僕だけど……日陰の噂をなにひとつ知らない、ってわけじゃない。裏プロやってた怖いもの知らずな時期だってあるさ」

 探りを入れてみたはいいものの、まったくの想定外の「救済」という言葉に戸惑うリコを、ギャラリーを置いて、「雀聖様」の演説が始まってしまった。
 だからなんなんだ、とリコが再度苛立って噛みつく間もなく、それこそまるで本当の映画スターかのような、大仰で、酔っていて、それでいてどこまでもキザったらしく「可哀想な子だ、」と指を差される。「――リコちゃん、」

「君の居場所はここじゃない。表だ。僕なら表に居場所を作ってやれる」

 君が今まで歩いてきた道は裏だ。無論、ここもね。
 麻雀ってやつは危ういものでね、裏の世界のほうが似合うゲームになってるんだ。
 ここには仲が良いお客さんがいるから言いにくいだろうけど、君のその実力だったら……裏のお仕事を頼まれたことなんて、けっこうザラにあるんじゃないかな?

 ……でももう大丈夫、安心していいよ。
 君だったら僕の元で勉強すればあっという間にプロになれるだろうし、いくらでも表の舞台を用意してあげるよ。
 大体ね、こんな場末で手伝いごっこしながらお金を賭けてなんになる?

 リコちゃん、君はもっと真っ当に生きるべき女の子――その演説の、言葉の続きはリコ本人が強引にねじ伏せ、打ち切った。

 ばん! と強く卓に叩き付けられたのはリコの手ではない。リコが飲み干し空になったコーラの瓶と、彼女が自身のバッグから出した札束――といっても二十万という薄さだが、その音ひとつで長ったらしい演説を中断できたようだ。

「……これは?」

「今リコが手元に持ってるお札、全部よ。あんたにとっちゃ端金かもしれないけど……次の局、百点でもあんたより低かったら全部あげるわよ。ついでに御高説垂れてた『表の舞台』とやらにも上がってあげるわ。どう?」

「……無茶苦茶な賭けだな」

「ええ、あいにく真っ当に生きてないもんなので」

 仮にも自分目当てに訪れた客人だ。
 そう思い苛立ちながらも最低限の礼儀に整えていた口調すら捨て、優越感に満ちる偽善者ごっこへ唾を吐く賭けを仕向けてみる。「――リコちゃんはさ、」

「ディスティニーランドって行ったことある? ほら、千葉にあるさ……鼠の着ぐるみカップルが歌ったり踊ったりしてさ、その友達のアヒルやらなんやらも客へ可愛く愛想振りまいてくれる遊園地、あるだろ?」

「……行ったことないわ。ねぇ、デートの誘いなら他所でやってくれる?」

 突きつけた賭けを受けるか受けないか、その返事にしては的外れが過ぎる話を一蹴しても、そりゃ手厳しいな、なんて飄々とした態度しか返ってこない。
 これもこちらの神経を逆撫でしようとする策の内だろうか?
 救済だの、遊園地だの、頓珍漢な寝言を聞くための卓ではないのだが――「そこのチケットってさ、」

「他の普通の……どこにでもあるありきたりな遊園地と比べると馬鹿みたいに高いんだよ。でもみんなさ、バイトやらなんやらしてまでそこのチケットを買うんだ。……リコちゃん、なんでか分かるかい?」

「……演説の次は禅問答でもする気?」

「……いや、この答えだけ聞いたら次の局に入ろう」

 彼の両端にいる子分ふたりはずっと押し黙ったままだ。電源バッテリーを抜かれた間抜けなアンドロイドのように、ただただそこにいるだけ。
 彼らが再起動するその時は、これから次局が始まり、また優秀な差し込み要員となるその時なのだろう。

 頼んでもいないのに可哀想な子だ、救ってやろう、と勝手に差し出された手を跳ね除けるために叩きつけた破格の二十万――もう既に傷み、所々ほつれている古い縄で綱渡りでもしてみせよう、とリコ自らが言い出したような賭けだ。
 どうすれば猫三匹相手に一発噛めるか、と思案するリコの頭は、そんな下らない質問に対して一言、「知らないわ」とだけ答えた。

「――みんな時間を買ってるんだよ。所謂『夢の国』で楽しくハッピーに、可愛い着ぐるみにちやほやされながら過ごせる……そんな時間が欲しくてあんな高いチケットを買うのさ。結局、金があれば物も、時間すらも思いのまま、ってことさ」

 ……リコちゃん、今君がここに出した二十万。
 今更僕と賭けて勝ち金を稼ごう、なんて思ってる種銭じゃないだろう?

――君は今、この金でなにを買おうとしてる?

 煙草の煙と共に吐き出された問い――観衆すらも息を飲む対峙。
 その答えはいつだって、リコが初めて牌を手にしたかつての日から決まっていて――それを堂々と宣言せんと口を開いた刹那、戸惑い混じりにリコの名を呼ぶ声がして振り向く。彼女を呼んだのはここの常連、今夜はギャラリーのひとりだった八百屋の主人だ。

「あー……えっと、すまん、タイミングが悪いのは分かってるんだけどな、リコちゃん、ほら、これ!」

 緊迫した場面に大きなヒビを入れたのだ。
 その様子はもちろん気まずそうなことこの上ないが、それでも彼が渡してくれたひとつの包――見知らぬ手ぬぐいで包まれたそれを開いた時、リコは思わずずっと座っていたその席から立ち上がっていた。「――えっ……!」

「こ、これって……私の……」

 蓋に描かれたウサギの瞳と目が合う。
――間違いない。昨日のこと、無理やり彼に押し付けたお気に入りの弁当箱――!

「いや、なんかさっき村正庵の旦那がふらっと来てよ、これ渡しといてくれって……まぁそれでさっさと帰っちまったんだけど、」

 今この手にある箱、そこには確かな重みが詰まっており、綺麗に整った塩むすびがふたつ身を寄せ合っている。

「しっかしあの旦那、差し入れなんてする柄だったかねぇ……なんか意外だな」

「でもまぁ良かったなリコちゃん! さ、これ食って仕切り直ししよう!」

「そうそう、あいつのペースに乗せられることないって!」

 息が詰まるかのような張り詰めた空気が、緊張が一気に砕け、そうね、と笑うその顔には普段と変わらぬ明るさがあった。

「――……ねぇ。答えは全部、ご飯食べてからでいい?」

 答え――無茶な賭けに走る意味も、救済として差し出された手に乗るか、否か――リコはその全てに答える前に、この包に詰められた不器用で、不機嫌な愛を口にしたかった。

 人はなにかを食さねば生きていけない。

 逆に言えば、食べること、ただそれ自体が生きるための希望とチャンスに成るのだ。「――それじゃあ、」

「……いただきます、ダーリン」



「――よし。じゃあ改めて、僕たちが賭ける内容を整理しよう」

 時計の針がじりじりと朝方へ進む中、ついに迎えたオーラスの卓――今現在はトップを守備している彼が仕切りだす。

 この局、順位がどうであろうがリコか彼か、そのどちらかが百点でも低かった時点で勝負は決まる。
 リコが負ければ手持ちの二十万と共に、彼が主催する講義やイベントに出ながら正規のプロ雀士を目指す、ということ約束した誓約書を渡し、賭け麻に生きる今の道からは引退することになる。

 反対にリコが勝った場合の条件は単純なものだ。
 彼も同じく、このオーラスに賭けてきた二十万を受け取り、今後一切「宝燈リコ」の選択と素性に口出しや余計な詮索をするな、というものだ。

「なにも別に身売りだとかなんとか……ヤクザなことを言ってるんじゃないよ。更生の一歩だとでも思ってくれればいい」

「更生? ……ふふ、ねぇ、先生ごっこするのってそんなに楽しい?」

 もうあんたの遊びに付き合うのは飽きたのよ!

 卓を挟み対峙するふたりそれぞれのエゴを合わせるよう、じゃらじゃらと掻き混ぜた数多の牌を山にし、整え、そしてこの最後の賭けにトドメを刺す剣と成るべき手牌を開ける――悪くはない。が、良い、とも言い切れない。

 このラスト、リコはこの卓において「親」という立場だ。ただそれだけで得られる点数が高くなるこの立場から、どうやって善人の皮を被ったボス猫に一刀突き刺してやろうものか――彼との点差、それ自体は絶望的に大きく引き離されているというわけではない。

 仮にもプロ三人が素人を相手にしているのだ。
 なんの遠慮もなく点数を重ねに重ね、リコをどん底の四位に落とすような真似はイメージが悪すぎる。
 だからこそこの出来レース、雀聖はトップを保ちつつ、なおかつリコを僅差の二位に置くことで彼の紳士なイメージを作り上げている――この甘い考え、舐め腐った隙きの裏をかき、一発大きな反撃を成功させれば逆転トップの勝機は転がり込んでくれるだろう。

 問題はその反撃手段だが――この場にいる誰もが、対峙する相手すらも予想外だと目を丸くするような策を打つタイミングを、リコはその青い瞳で虎視眈々と待ち構える。
 
 そうして息を潜め、機を待ち、牌をひとつ手に取り――七巡目のことだった。「――……ねぇ、」

「さっき、このお金で……賭けでなにを買ってるのか、って聞いたわよね?」

「あ、ああ……そうだね、」

 子分ふたりはもちろん、互いに一言も物言わぬ卓の沈黙をようやく破ったのはリコだ。

「……私はね、寿命を買ってるの」

「寿命……?」

「そう、私が……『宝燈リコ』が熱く生きていていい、って思える時間のことよ。……だから、」

 だからあんたなんかに無理やり表に出されるような生き方、ごめんこうむるわって話!

――オープンリーチ!

 その宣言と共に自らの手牌を全て倒し、この部屋の誰もが見れるよう晒すリコの行動へ常連客はどよめきを、卓にいる三匹の猫は戸惑いを返した。「なっ……!」

「待て、オープンは……」

「役として認めてるわ! 遊びに来てるんだったらハウスルールぐらいしっかり読みなさい!」

 通常、このオープンリーチという行為そのものを認めていない勝負、雀荘が多いものだ。
 しかしリコが指差した壁に貼ってあるポスターは、その行為を肯定し、認める旨が書かれている。

「『リコと対局する人へ! オープン、流し満貫、人和、なんでもアリだよ!』って……はは、こりゃ失礼、見落としていたよ。これ、リコちゃんが書いたの?」

「まぁね、なんでもありなほうが麻雀って面白いでしょ?」

「……でもリコちゃん、君は寿命を買っているんだろう? これじゃあまるで……」

「飛び降り自殺?」

「……そうだ」

 麻雀という戦いは、基本的に自身の情報を巧妙に隠し、なおかつ相手から漏れる情報を敏感に読み取った上で戦略を組むものだ。
 相手が要らぬと捨てた牌、役を作るために他人から貰っている牌、表情、仕草、その全てから察する相手の手持ち――この情報戦、リコはこの上なく不利だ。

 雀聖様の手足となっている下っ端二匹は、リコには分からぬ高度な通し――合図、サインで己の手牌の内をボスへそっくりそのまま渡しているのだろう。
 そうとなれば、残り一匹しかいない鼠の手の内を想像することなど容易なこと。

 無理に隠そうと足掻けば足掻くほど傷が広がる現状、なにをどうやっても隠せないもの。

 そんな状況を打破するための捨て身を思いつき、覚悟したきっかけとなったのは、彼女が村正からの差し入れを口にしたその時だった。

 なんとも質素な塩むすびがふたつ入っているだけの弁当箱。
 これを昨日彼に押し付けた時、リコは凝ったものじゃなくていい、塩むすびとかでいいから、とわがままを言ったのだ。
 そのわがままが叶った! と喜んでそれを口にした時――リコはその味に驚いた。

 なんとその塩むすび、中にはしっかりと旨味が詰まった塩昆布が具として詰め込まれていたのだ。
 もうひとつの方には大粒、それでいて柔らかくしっとりとした梅干しが詰められていた差し入れに、馬鹿ね、と小さく呟く。

 どうせ食べたらバレちゃうのに……そっけないふりしてるくせに、本当はけっこう優しいってこと、無理やり隠そうとするんだから……。

 なにをどうやっても隠しきれないものは結局、遅かれ早かれ暴かれてしまう運命にある。

――ならば、みっともなくこそこそと隠れるような鼠からはもう卒業しようじゃないか。

 彼に渡してから手元に戻ってきたお気入りの弁当箱。その蓋に描かれたウサギを見下ろし決意した。

 どうせ死ぬなら――どうせなら、相手に強烈な蹴りを一発かましてから死ぬウサギでありたい!

「今更君に説明なんていらないと思うけど……本当にいいのかい? これで僕たちが君に振り込む可能性の芽は死んだよ。それにその待ちは……」

 ギャラリー含め、雀聖すらも顔を青くし指差すリコの手牌――その剣が完成するための条件は、まさに自殺行為に等しいものだった。

「四暗刻の単騎待ちよ。どう? 買った寿命は熱く使わなきゃね」

 そうリコが誇った剣はまだ未完成のものだ。
 その剣が自惚れた救世主気取りの雀聖を突き刺すためには、あとひとつの牌、たったそれひとつがあと足りない。が――「君にはがっかりしたよ、」

「君が今欲しくてたまらない一索だけど……もう既に二枚捨てられてるだろう? そんな馬鹿らしい地獄待ちで勝負を棒に振るのかい?」

「振った棒でそのめでたい頭、一発叩ければ満足よ」

「……なるほど。伊達にその歳で雀ゴロやってるだけあるね。そこらの下っ端ヤクザなんかより度胸があるというか、怖いもの知らずというか……」

 煙草の煙で濁る部屋の中へ、朝へ寄りつつ仄明るくなる柔らかな陽が滲み入ってくる。
 その灯りは勝負に腹をくくったリコの瞳を、そこに在る覚悟の煌めきを照らしてゆく。

「……好きな人がいる女の子ってね、無敵なのよ」

 自分が自分で在るための命を繋ぐため、敗北という地獄に直結している大きな地割れへ駆け、それを飛び越えてみせんと高く、高く跳んだウサギ、宝燈リコ――長い夜が明けるその時。
 この勝負に終止符を突き刺したのは、己の手でたった一枚の勝機を引き当てた彼女だった。「――……私の、」

――「宝燈リコ」の勝ちよ!!



「――ダーリン、ねぇダーリンったら、」

 のどかな天気の昼下がり。ちょっと出てきてよ、とリコが戸を叩く村正庵。
 今は暖簾の代わりに「定休日」と書かれた札がかかっているのだが、彼女はここの主人が休みだろうが店にいるのを知っていた。
 予想通り、厨房にてひとりで新しい出汁でも試作していたのか、しばらく戸を叩いていると「喧しい!」という機嫌の悪さと共にようやく戸が開いた。

 「せめて店が開いてる時に来い!」という言葉は真っ当なのだが、わざわざリコが定休日の札を無視してまで彼を呼んだことには訳がある。「――まぁそりゃそうなんだけど、」

「お金のことだから早く済ませたほうがいいかな、って思ってさ」

「金?」

「ほら、この前差し入れにお弁当持ってきてくれたじゃん! それのお代のこと! ちゃんと払うから、って私言ったじゃん!」

 ……ああ、そういえばそんなことも言っていた気がする。
 その言葉でようやく思い出したが、村正は素直にその代金を受け取る気になれなかった。

「余り物で金を取る気になれん」

 そんなことよりさっさと帰ってくれたほうが嬉しい、と続けようとしたが――なぜだろうか。思わず口から出たのはそんな悪態ではなく、いち料理人として一番訊きたい疑問ひとつ。

「……美味かったか?」

 リコにとって村正から雑に扱われることなど慣れっこのもの。
 またなにか機嫌の悪い文句を言われるかと思えば、そんなことを訊かれたのだから少し驚いた。が、これ以上ない単純明快な質問に対し、リコから答えることなど最初から決まっている。「……うん!」

「昆布も梅干しもお米にすっごく合ってて……めっちゃ美味しかったよ!」

「……そうか」

 いつの間にか見慣れてしまったその顔が、頬を赤らめ満面の笑みで答えを返してくれる。
 ああまったく、握り飯ふたつでこんなに喜ぶなんて、なんて安上がりな小娘なんだ。

「ダーリンのおむすびのお陰でね、よし、オープンリーチで一発驚かせてやるか、って思いついてね、それでうまく親でトップ勝ちできたよ! それで今回は二十万プラスって感じ!」

 嬉々として結果を語り始めた彼女だが、(見た目に反して)賭け事には無縁の村正からすればなにを言っているのか理解が追いつかない。

 再度「喧しい、他所でやれ」と突き放して追い出してもいいのだが、自分が気紛れで作ってやった差し入れのお陰だ、本当に美味しかった、と嬉しそうに語るその顔は――正直、まぁ悪い気はしない。

 幸い今日は定休日の札を出している。
 ……たまには疫病神の勝ち報告に付き合わされてやってもいいかもしれない。

 仕方なく弁当箱に米を詰め、手ぬぐいで綺麗に包んで持って行ってやったあの夜のような気紛れ――村正は茶でも飲むか、なんて似合わないことを呟き、小春に色づきつつある陽気より浮かれた疫病神、兼常連客を戸の内側へ招き入れてやった。
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