君との13日研修



「――いい湯だったねぇ」

「それな。檜のいい香りしてて最高だったわ」

 老若男女に人気の温泉地、ハコネ――そのとある宿でそう語るのはなんでもありの雑貨店、「ミックス堂」の店長である十二月ユーナとその友人だった。

 夕暮れを眺めながらの露天風呂たるや史上の幸福で、身も心も温まりきった彼女らは仲居に案内された部屋で乾杯(といっても風呂上がりの牛乳だが)をしていた。

「誘っといてなんだけど、まさか一緒に来てくれるとは思わなかったわ。だってユーナ、今まで仕事が忙しいからーって泊りがけの遊び来なかったし」

「ああ、それならもう大丈夫。うちにもようやく、やっとバイトの子入ってさ……その子がめちゃくちゃ仕事できるのよ。だから今回ちょっと甘えちゃった」

「へぇ、あのガレージにもようやくバイトが……ねぇ、どんな子? 女の子? 男の子?」

「どんな子、っていうか……ゴルフのアイアンリーガーだよ」

「ゴルフのアイアンリーガー、」

「性別は男の子なんだろうけど……うーん、製造年というか精神年齢? みたいなのは私より年上だと思う」

「ごめん、ちょっと待って、」

 想像外だった返答がさらりと返ってくるものだから混乱してしまう。
 なにも「アイアンリーガー」という存在を知らない、というわけじゃない。むしろ弟がアイアンリーグに熱中し、その影響で何体かは名前や顔を知っている。
 が、まさか雑貨店を営む友人がバイトで雇うとは――「――ねぇ、」

「なんか、その……そうだ、写真! その子との写真ないの?」

「写真かぁ、ちょっと待ってね」

 そういってユーナは自身のスマホをしばし弄ると、はいこれ、と友人へその画面を見せた。

 自撮りのアングルだ。お気に入りのアイスショップの新作を持ち、カメラへ笑っている彼女と――その横で少し困ったように、不器用に、ほんの僅かに笑っている厳ついリーガーがいる。「――……『男の子』っていうか、」

「おじさんじゃん!」

「えっ、サーくんはおじさんじゃないよ!」

「サーくん?」

「『サーティーン』って名前だから『サーくん』」

「仲良しか!」

 思わず大きな声で叱ってしまうかのように言ってしまったが、ユーナ自身は「まぁたしかに仲いいよ」と平静な顔をしている。

「で、その……このゴルフリーガーくんがアクセやらネイルチップ作ってくれてるの?」

「いや、そういうのは変わらず私がやってるけど……サーくんにはジグソーパズルとかプラモの組み立て代行とか、あとは常連さんの犬の散歩とか……あとは資材の仕分けやお掃除とか買い物もやってくれてるよ。この前は熱出した時看病までしてくれたし……本当、マジで助かってる」

 そういって牛乳を飲み干した顔、まさに幸せといった色に染まっている友人を前に、ああだこうだと野暮なことを言う気が失せた。

 彼女とはもう長い付き合いだ。
 彼女が物作りに情熱を注いでいることも、祖父がいきなり失踪してからというもの、たった独りであの店を切り盛りすることに必死になっていたことも、「バイトの求人、試しに出してみたけど誰も応募してこないんだ」と強がりに笑い話にしていたことも、全部全部知っている。
 
 そんな虚しい孤軍奮闘をしていた彼女が、ようやく自身が一晩いない店を任せられる相手と出会えたのだ。
 たとえそれがリーガーでも、(ユーナは否定するが)おじさんでも、彼女の側にいてくれるならそれでいいじゃないか――「――ユーナ、」

「結婚式には呼んでくれよ」

 ご祝儀弾むから、と言い出した友人の言葉に一瞬疑問符を浮かべたが、その言葉の意味を理解したその瞬間、とうに湯の熱からは冷めていた顔が一瞬にして赤くなる。

「ばっ……バカ! なに言ってんの! サーくんとはそんなんじゃないし!」

「ってかリーガーと人間って結婚できんのかな」

「ちょっと!」

「でもさぁ、リーガーだって自我というか……人間と変わらない感情とか性格があるわけじゃん? なのに『リーガーだから結婚はできません』なんて酷くない?」

「それは、まぁ、そうだけど……」

 でもサーくんとはそういうのじゃないから、と小声で呟く視線は忙しなく、その顔は耳まで真っ赤だ。
 こういった話をする機会があまりなくて忘れていたが、彼女は案外、夢見がちで純粋な部分がある。
 しかしそれでいて意外と頑固なものだから、どんなに今問い詰めたってその感情を恋愛的なものだとは一切認めないし、今後も認めるつもりはないのだろう。

 おいおい、「サーくん」とやら、これはなかなか厳しい道になるぞ。――なんて、まるで地下アイドルのライブハウスにいる「腕組み後方彼氏面」人間のような気持ちになる。

 そんな友人の内心も知らず、ユーナはただひたすら「サーティーンが『バイトとして』有能か」という弁解のようでなっていない、(自覚はないだろうが)惚気に限りなく近い話を必死に話していた。

 ハコネの夜はまだ長い。
 このまま余計なことは言わず、この慌てふためく彼女の惚気を聞くのもいい夜だ――そうだ、こんな夜は酒が欲しい。

 友人は部屋に備え付けの内線機を取り、フロントへ瓶ビールとつまみの盛り合わせを頼んだ。

 長く、それでいて面白い夜への備えとして。
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