君との13日研修
――その腕は正確無比。
不可能を可能にするスナイパー――と恐れられた時もかつてはあったゴルフリーガー、サーティーンの高性能なAIは今、混乱を極めていた。
なぜなら彼のバイト先である雑貨屋の店長、十二月ユーナが風邪で寝込んでしまったからである。
サーティーンが出勤した時にはもう手遅れ。
彼女はガレージの隅に置かれたベッド代わりのソファに寝転びながら、前触れもなく突然訪れた発熱に魘されていたのだ。
しかしユーナにはその熱に心当たりがあった。
最近テレビ、ラジオをつければ大抵話題に出てくる流行りの風邪だ、と頭では分かったものの、いざ体感してみるとあまりにも酷いものである。
ソファから起き上がることすら不可能だと思えるほどの倦怠感、寒気、そして身を包む熱と汗の不快感――そんな一夜をソファでひとり、耐え忍んでいる間にサーティーンが出勤してきてしまった。
「サーくんごめん、私風邪引いちゃって……サーくんに移ったら大変だから、今すぐ帰って、しばらく来ないで……」
有給扱いにしとくから、と咳混じり、息も絶え絶えに言うのがやっと。ほぼ虫の息である彼女に、サーティーンはその鋼鉄の身を屈めては縋る。「――店長!」
「そんなこと言うな! 俺は帰らん!」
「でもサーくん……今度サッカーの試合あるんでしょ……移っちゃったら……」
「こんな店長放っておけるか!」
「サーくん……」
「店長……!」
――という様子で、この日のミックス堂は混乱を極めていた。
もしこの場にサーティーンのチームメイトであるリーガーか、もしくはユーナの友人がひとりでもいれば即こう言っただろう。
いや、人間の風邪はリーガーには移らないだろ、と。
誰かひとりでもそう言い、サーティーンの混乱したAIに一旦冷静なストップをかけてくれればよかったのだが、生憎この店には熱で頭が浮かれた瀕死の店長と、その隣で右往左往とするバイトしかいない。
「サーくん……あのね、右奥の部屋の冷蔵庫の上……上に段ボール箱あるから、悪いけどそれ持ってきて……」
その言葉にサーティーンは瞬時に応じ、彼女が言った通りの箱を抱え持ち帰る。
それを差し出すとユーナは一言、もう大丈夫、と呟いた。
「こんな時のためにポカリとかゼリーとかさ……そういうの準備してたんだ」
箱の中に詰まったペットボトルにゼリー飲料、飲み薬まで詰まったそれは、彼女が「こんな時」にひとりで耐え抜くための備え――まさかこれを開けるこの時、傍にいてくれる誰かがいる、なんて想像もしていなかった時に用意したもの。
「人間の風邪はね、こういうのを飲んで寝てれば治るから……そんなに心配しないで」
サーティーンくん格好良いんだから、そんな泣きそうな顔しちゃダメでしょ。
そう笑ってみようと思った口を咳が遮る。
不幸なことに今日は木曜日。
近場の病院は軒並み休みである今日は、もうこうやってソファで寝込む他あるまい。
明日病院行くなら……ああ、そうだ、保険証忘れないようにしないと、と口にしたポカリのお陰でほんの僅かにまともになった頭が考える。
――そうして彼女はようやく、ようやく大事なことに気がついた。
「……人間の風邪ってリーガーには移んない……よね?」
「……ああ、確かにそうだな」
「あー……でもこんなんじゃ仕事できないし、やっぱりサーティーンくんはお休みでいいよ。今のところ納期余裕あるし……」
「……断る」
「え、」
「店長、なんであんたはもっと頼ってくれないんだ」
――俺はアイアンリーガーでもあるが、この店のバイトでもあるのに。
「ひとりで耐えよう、なんて……もう考えなくていいのに」
熱でふらふらする頭、急な不良にくらくら揺れる心に向けられた純粋たる心配に、何事もひとりで乗り越えることだけが最善である、と思い込んでいたユーナの思考がその時、ぱきりと折れる音がした。「――……ごめん、」
「……少し、さ。このままでいさせて」
重たい身体を半身起こし、出勤してからずっと傍らにいてくれていたサーティーンの胸へ額を当てて目を閉じる。
人間とは、自分とは対象的に、それでいて今のユーナには心地いい鋼鉄の冷たさに、風邪で上がりっぱなしだった不快な熱が和らぐのを感じる。
しかしそれ以上に感じていたものは、サーティーンから自分へ真っ直ぐと向けられた情に対する感謝と、風邪とはまた別の熱――「――……ああ、」
「店長の気が済むまで」
ちょっと。そんなふうに優しくされたらもっと熱上がっちゃうじゃん、なんて茶化した照れ隠し。
それは幸は不幸か、口から出る前にまたも咽る咳で掻き消された。