君との13日研修
「――おはよう、サーティーンくん」
今日もよろしくね、と出勤した自分を迎えてくれる店長は多才だ。
ある時は爪に繊細なラインを描きながら、ある時はプラモデルに塗料を吹き付けながら、またある時は犬用の服を縫いながら、いつもその笑顔で「今日もよろしくね」と迎えてくれる。
――が、今日の店長はいったいなにをしているんだろうか?
壁に備え付けてある棚の下、ほんの数センチ程度しか開いていない隙間に向かい、地に這い、金定規を差し入れては「もうちょっと、」「あっ、惜しい」なんてぶつぶつ言っている。
「……店長、どうかしたか?」
「あっ、サーティーンくん! おはよ、今日もよろしくね」
「なにか困っているみたいだが……」
「え? ……ああ、ピアスが片方落ちちゃてさ、この隙間ににころころころーって入っちゃったんだよねぇ」
ユーナの右耳にて常に輝いていた赤く、丸いピアス――それが欠けてしまった今、彼女の表情は曇ってばかりだ。
「つまりこの棚を動かせばいいのか」
「……あ、たしかに」
「ちょっと退いててくれ、店長」
定規を隙間に突っ込んで格闘していたあの時間はなんだったのか――早く回収したい、という気持ちだけが焦り、「軽々と棚を動かせるサーティーンへ頼む」という単純明快なことすら思いつかなかった。
「ほら、店長」
「サーティーンくん……! ありがとう、助かったよ!」
時間にすれば十分もかからず。
棚をずらし、ピアスを拾って店長へ渡す、ということだけなのだが、彼女はそれがなによりも嬉しいと言わんばかりに「早速洗ってつけよ」と声が弾んでいる。
水で洗い流したピアスを消毒用エタノールで拭き上げているその横顔――左耳には青く、バツ印を型どったピアスがついている。「――なぁ店長、」
「店長はなんで左右で飾りを変えてるんだ?」
机に置いた手鏡に向かい、やっと手元に戻ってきたピアスを右耳に戻す彼女に訊く。それはサーティーンからすれば何気ない、ただただ純粋な疑問だった。
「ああ、これね……んー……なんていうか、『仕事に絶対的な正解も不正解もないぞ』って感じでつけてるんだよね」
「絶対的な正解?」
「だってさ、この仕事ってお客さんのために色々作るのがお仕事だけど、今まではずっと自分ひとりで作るしかなかったからさ……だからたまーに悩んじゃうんだよね、『本当にあの完成品でよかったのか?』なんて」
その言葉に、そう言うユーナの憂いた顔にサーティーンはなによりもの衝撃を受けた。
サーティーンからすれば「十二月ユーナ」という存在はなによりも器用で、多才で、その腕に自信と物作りに対する絶対的なセンスを持っている者だった。
だが本当は違う。
彼女も己の進む道に悩み、迷いながらも自身がやるべき使命を全うしようとしている――「まぁしょうがないよね、」
「誰かから『これは正解』『これは違うぞ、こっちのほうがいい』って教えてもらえたらありがたいけどさ、そういうわけにもいかないし……サーティーンくん? どうしたの?」
元の位置に戻し終わった棚の前、そこで固まってしまったサーティーンへ手を振ってみる。
――お前は己の力しか信じていない!
スポーツマンシップを失ったお前のボールなどゴミみたいなものだ!
まだ分からないのか、サーティーン!
相手を倒すことのみ考えているお前の技には、心がない!
これからが本当の戦いなのだ、お前自身のための!――そうか。自分はあの時、今後進むべき方向性を正してもらえた恵まれた身なのか。
今ここでの仕事だって、どんな些細なこともこの小さき店長は「いいね!」「それで大丈夫だよ!」と笑ってくれる――正解、不正解、それを教えてくれる誰かと巡り会えることというのは、こんなにも幸福たることなのか。「――サーティーンくーん……?」
「どうしよ、リーガーって急にフリーズすんの……?」
「……店長、」
「わっ、戻った! んもー、びっくりさせないでよね?」
「すまない、ちょっと色々考えてしまって……」
「色々って?」
心配したんだからね、と再度唇を尖らせる彼女の耳にはいつもと変わらず異なるピアスが輝き、その光は完全な正解も不正解もない、と彼女の教えを伝えてくれる。
「……いや、店長は強いな、と思ってな」
「なにそれ」
ねぇ、ちょっと教えてよ、と寄ってくる主に対し、言葉で想いを伝えるには不器用なバイトは一言、なんでもない、と無難に誤魔化した。