君との13日研修
車の洗車、そのあとは車体全面をワックスで一点の曇りもないよう磨き上げる――快晴の今日、サーティーンがミックス堂にて任された仕事だ。
客から預かった車を裏庭へ運び入れ、ああ、そういや自分の車もそろそろ手入れしてやらないと、なんて考えながら作業が進んでいた平和な時間。
それを破ったのは倉庫から聞こえたここの店長、十二月ユーナの甲高い悲鳴だった。「――サーくん!」
「サーくんサーくんサーくん!!」
サーティーンが倉庫へ駆けつける間でもない。
まるで火が着き、ぐるぐると勢いだけで地面を走るネズミ花火の如く倉庫から飛び出てきた彼女は、なんとその勢いのままサーティーンの左腕に飛びついては肩まで軽々と登ってしまった。
しかもサーティーンの特徴的でもある肩の杭、それを避けるどころか、なんと今はそれにしがみつくように強く握って離れないのだ。
その姿はまるでコアラか、もしくはキャットタワーに登ったまま降りられなくなった間抜けな猫そのものである。
「て……店長? どうした? いったいなにが……」
というか「サーくん」ってなんだ?――という疑問は一旦置いておき、自身の左肩に乗ったままの彼女へ訊いてみる。ついでにこのままでは危ないだろう、と気を利かせたつもりでしゃがみ、彼女が肩から降りやすくしようとしたが――「――ちょっ……ダメダメダメ!」
「立って立って立って!」
「し、しかし店長……」
「お願い、このままでいさせて!」
普段は強く物言わぬのが彼女だが、なんと一方的に「店長命令だから!」と言ったっきり離れてくれない。
「ま、まぁ店長がそう言うなら……しかしどうした店長、いったいなにが……」
「……が、」
「?」
「『G』が出たんだよ、古いほうの倉庫に!」
「G……?」
「そう! 予備のエアブラシあったはずだと思って探しに入って、棚動かしたら……こう、カサカサカサーって動いたんだよ、『あいつ』が! 絶対いる! もうやだ! 無理!」
サーくんどうにかしてよぉ! と抱きついてくる力は強いが、サーティーンからすればまだまだ分からないことだらけである。
まずはその『G』『あいつ』とはなんなのか?
自分はそれに対してどんな対応をすればいいのか?
さっきから言っている「サーくん」とは俺のことでいいのか、店長?
「――こうなったらもうバルサン! バルサン焚いて全滅させてやる!」
「ばるさん?」
「殺虫剤のこと! その煙で倉庫ごと包んで『G』を倒すの!」
なるほど、さっきから言っている『G』は虫のことか……少し騒ぎ過ぎな気もするが、誰にでも苦手なものはあるだろう。
普段はどんな時もにこにこと明るい彼女が涙目になって抱きついてくるのだ。
彼女に雇ってもらっているバイトとして見過ごすわけにはいかない。「――店長、」
「指示をくれ。その任務、全部俺が引き受けよう」
こうしてなんでもありの雑貨屋、ミックス堂にて「G殲滅大作戦」が始動したのである。
*
「――いやぁ、サーティーンくんにはマジで頭が上がんないよ! 本当にありがとうね、めちゃくちゃ助かったよ!」
ユーナが買ってきた殺虫剤を焚き、その後倉庫の掃除を終えたサーティーンを迎えたのは彼女からの熱い礼だった。
確かに掃除中、埃の中でひっくり返って死んでいる茶色い虫の死骸がいくつかあったが……サーティーンからすればなんてことない。
ゴルフクラブの代わりに握った箒でホール、ではなくゴミ袋へインしてやればいいだけのことだ。
「俺はただ仕事しただけだ。……それよりも店長、」
「なに?」
「『サーくん』とは俺のことで合っているか?」
「えっ!?」
一件落着、一段落、とソファにて機嫌よくコーラを飲んでいたユーナは、まさか本人から直球で訊かれるとは思ってもいなかった問いに思わず赤面、コーラを吹きそうになる。「なっ……!?」
「なんでそれ知って……えっ!? 待って、もしかして私呼んじゃってた……?」
「ああ、」
「あ~……待って、ほんとごめん、違うの!」
いや、違くないな、た……たしかに「サーくん」はサーティーンくんのことだよ?
でも、なんていうかその……ちょっと馴れ馴れしいっていうか、子供扱いしてる感があるじゃん?
だからサーティーンくん本人の前では言わないように気をつけてたんだけど、えっと、友達と話す時に「サーくん」って呼んでたんだよね……だからその、ついパニクったら出ちゃったっていうか……ごめん、よくよく考えたらこれ全部ただの言い訳だね。
「あとさ、勝手に身体に登ったりしてごめんね、びっくりしちゃったでしょ」
「……ああ、」
だが、どっちも悪い気はしなかった。
と隣から聞こえた優しい返答に、ユーナはしばし言葉が詰まった。
そしてコーラのラベルに似て赤くさせた顔で一言、「……ほんと?」と聞き返すのが精一杯であった。