君との13日研修


――早く帰りたい。

 誰しも一度はそう思ったことがあろう。
 特に仕事中たるや。もはやその一言を内心経のように呟き続けるのが本業みたいなものである。

 それはこのなんでありの雑貨店「ミックス堂」の新人バイト、サーティーンも同じであった。

 否、本来の彼はとても優秀かつ真面目なリーガーだ。
 実際彼がこの店に務めてからというもの、彼は店長であるユーナという人間の小娘からの指示をよく聞き、ひとつたりとも余すことなく仕事を完遂してきた。

 たとえそれがサーティーンには縁の無い「ネイルパーツの仕分け、計量と袋詰め」「ジグソーパズルの制作代行」や、なんで雑貨屋に任せるんだと依頼人に文句のひとつ言いたくなるような「犬のお散歩代行(三匹まとめてコース)」だって――それが仕事ならば、自分を雇ってくれた店長が任せてくれることならばとやってきた。

 しかし今は―――『――ハイパーマンさま、』

『――私とあなたは結ばれない運命なの』

 なんで映画なんて観ているのか。

「――友達がこの『ハイパーマン』シリーズ好きでさぁ、今度続編やるから一緒に行かないかって誘われちゃって」

 出勤した時にはもう既に壁へ張られていたスクリーンに驚いていると、これまたどこから拾って持ってきたのか、慣れた手付きでプロジェクターのセッティングをする彼女がぼやく。「――久しぶりに動かすからなぁ、」

「ちゃんと映ればいいんだけど……ま、最近サーティーンくんのお陰で仕事の消化もめちゃくちゃ早いしさ、今日はちょっと休憩ってことで、ね?」

 なんでも作れる器用な店長はそう笑い、あっという間にいつものガレージをミニシアターに作り変えてしまったのだ。

 ……あっ、もちろん、もちろんちゃんと今日の分のお給料も出すから!――なんてユーナが慌てて付け足した理由は他でもない。サーティーンの顔が引きつっていたからだ。
 別に彼女との映画鑑賞自体が嫌だというわけではない。問題は作品だ。

 友達から渡された、と彼女が手にするディスク――『ハイパーマン 愛と青春のエイリアン』

――なんでよりにもよってそれなんだ!



――なぜだ、なぜ離れなければならない?

――ハイパーマンさま、私と貴方は結ばれない運命なの。どうか私のことは忘れてくださいまし。

 『お願いです!』と瞳潤んだ女優の名を呼び、愛しく抱く男――嫌な意味で見知った顔だ。映画スターをやっているとは聞いていたが、あいつ、裏ではあんなことをしながらこんな甘ったるいこともしてたのか、と呆れてしまう。

 なにが「闇の貴公子」だ。
 結局あの頃の俺たちは、反抗期のお坊ちゃんが使う玩具の兵隊代わりでしかなかったようなもんじゃないか――久しく忘れていたはずの恨み辛み。
 照明を落とし、スクリーンの明かりだけになったこの空間で実感するにはあまりにも嫌なものだ。

 店長には申し訳ないが、映画が終わるまでスリープモードにさせてもらおうか――そうだ、店長!

 闇の貴公子――いや、セーガルはやたらと若い女に好かれては言い寄られていた。
 でもそれはあいつの本性を知らないからだろう!
 
 もし店長がこの映画を観てセーガルのファンになったら――自分はどうするべきだろうか?

 スクリーンを見つめるその横顔をちらりと見る。
 表情としては……無、だろうか?
 いつもは表情がころころと変わる彼女からすれば珍しいかもしれない。
 「今日のご飯これでいいや」とソファに持ち込んだポッキーを抱えたまま、じっと黙ってエンドロールへ転がりゆく映画を見送る――特に呼ばれたわけでも、話しかけられたわけでもない。映画の展開以外はなにひとつ変わらない即席シアターのままだ。
 けれどサーティーンは不思議と気持ちが落ち着いていくかのように思えた。

 人はそれを現実逃避と名付けるかもしれないし、片思いと名付けるかもしれない。

 どちらにせよサーティーンはこの暗闇の中、唯一安心できる隣の席を見つけたのだ。



「――サーティーンくん、これどうだった?」

 存分に日向ぼっこを堪能した猫の如く、映画が終わるなり大きな欠伸をひとつする店長が問う。

「えっ、いや、その……」

 言えない。
 主演の俳優とは黒い縁があった上、その時期のことを思い出して自己嫌悪だのなんだのと色々考えてしまい、そんなこんなの内に店長の横顔を見てたらいつの間にか映画なんか終わってた、なんて言えない――!

「お、俺にはよく分からなかったな……」

「ふーん、」

「店長は?」

「んー……」

 苦し紛れの一言。から誤魔化すように問い返してみると、普段は底抜けに明るいその顔が険しくなる。

「やっぱあの俳優の映画苦手だわ。なんか甘すぎて無理」

「そ、そうか……!」

「そもそも個人的に恋愛モノがあまり得意じゃないし……ああ、でも、」

「でも?」

「教会のセットだけ綺麗だったね」

――だからそこのシーンだけちょっと好きかも、なんてね。


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