君との13日研修
【その1「女子が言う可愛いは万能文語」】
「――で、ここの部分はネジをきっちり締めてもね、ある程度はパーツが自由に動くようになってるの。人間の鼻筋って人それぞれだし、なんなら左右で微妙に違うし……そういうのにフィットできるようになってるんだ」
初夏と梅雨が交じる今日。小雨降りしきる日の静かなこの日、十二月ユーナはそういって新人バイトのサーティーンへ一本の眼鏡を、その鼻当てを指して見せていた。
今彼女がサーティーンへ教えているのは眼鏡の修理だ。寝ぼけてうっかり踏んでしまった、と近所の常連客から持ち込まれたその一本の歪みはなかなかに酷く、思わず呆れたため息が出てしまった。「――すまない、店長」
「わざわざ一から説明してもらって……」
「えっ? ……あっ、違う違う! そうじゃないの! サーティーンくんはなんにも悪くないよ! この眼鏡持ってきたお客さんさ、うちの常連さんなんだけど眼鏡壊すのもう何本目だよって思ったら呆れちゃって……」
不思議なものだ。作業台に向かって並んで立つ彼はユーナよりも数倍大きい体格のアイアンリーガーで、なんなら左肩にはとんでもなく鋭い杭が装備されている。顔だって(格好良いが)お世辞にも柔らかいとは言えない。サンバイザーに似たヘッドパーツが顔に影を作ってしまっているせいか、左肩同様に鋭い目つきがより冷たく見えてしまう。
が、ユーナが彼の初出勤にプレゼントしたエプロンを身に着け、今こうやって仕事の話をなにひとつ聞き漏らさんと熱心に聞いてくれる姿勢と、ため息ひとつにすら思わず謝ってしまう姿は――こう言ったら可哀想かもしれないが、正直だんだん可愛く見えてきた。
杭がなんだ。装備されてない右側に立てばいいだけじゃないか。
ようやく店に来てくれた助っ人、いや、救世主とも言えよう新人くんが可愛くないわけがない!
「私、サーティーンくんには色んなお仕事覚えてほしいと思ってるからさ、なにか分かりにくいところがあったら遠慮せず聞き直してほしいし、こうやって教えるもの楽しいよ!」
「店長……」
触れるものは(ある意味物理的にも)怪我をするぜ、と言わんばかりの瞳だったはずなのに、ああもう駄目だ、今は主人に懐く子犬に似たそれにしか見えない。
「ありがとう、俺は店長のためならスクラップになる覚悟もできている」
「え、いや、そんな覚悟はいらないかな……」
邪なものあらず。忠犬――というよりややずれた番犬か。きらきらとした視線が自身に刺さることがなんとなく気恥ずかしくなり、じゃあ早速、と話を逸らす。
「この眼鏡なんだけど、レンズを支える糸も結構傷んででさ……ほら、ここ。よく見るとここに透明な糸が通ってるでしょ? 折角だし今日は超音波洗浄機を使った眼鏡の洗い方、歪みの調整の仕方、糸の張替え方の三つをサーティーンくんに教えるよ」
洗浄機とかクロス持ってくるからちょっとそこで待っててね、と一言言えば、なによりも素直な返事がひとつ、「分かった」と返ってくる。
彼は鋼鉄の身、アイアンリーガーだ。
リーガーにとって「歳」という概念があるのかどうか、なんてユーナには分からないが、きっとユーナよりもだいぶ精神年齢は上だろう。
しかしなぜだろうか。
この近所に住む山岡さん宅のお利口なシベリアンハスキーくん(三才らしい)と同じような尻尾がサーティーンの背後に見える気がするのは。
――……きっと疲れているんだろう。
眼鏡の修理終わったらちょっと寝よ……。
【その2「看板娘が雇った男は板金男」】
「――サーティーンくんさ、ちょっとモデルやってくれない?」
その日は隣町から依頼されて回収してきた家具の解体、部品取りを任されていた日だった。
普段なら「使える部品あればいいんだけどな~」と楽しみにする彼女が見向きもせず、どうにも苦い表情でパソコンの画面を見るばかりの彼女のことをサーティーンは内心心配していたのだが――モデル? 自分が?「――別に隠してたわけじゃないんだけどね、」
「うち、実はロボット向けの仕事もやってるのよ。ほら、企業ロボとか、リーガーくんたちのボディに貼ってあるチームのロゴシールあるじゃん? あれのデザインから実際に貼り付け、仕上げまでを一貫して請け負ってたんだけどね……ま、なかなかそんな大きな仕事ってそうそう来ないのよ」
「なるほど……」
「だからね? 私が実際に作ったステッカーをサーティーンくんのボディに貼って、それを写真撮ってブログに上げて宣伝したいの! お願い!」
モデル、と聞いた時は困惑したが、両手を合わせて頼み込んでくる恩人へ断る理由もない。
「……分かった。店長がそう言うなら」
「やった、ありがとう! さっそくだけどサンプル用でいくつかシール作ってあるんだ、今持ってくるからちょっと待っててね!」
「ああ、分かった」
サーティーンにとってはブラックホール。
なにがどう詰まっているのか分からない倉庫へ元気よく入っていくその姿に取り敢えず一安心する。
さっきまでパソコンを睨んでいた時はなにか痛いのか、回路かどこかでも悪いのかと心配したが……なるほど、違う仕事のことを考えていたのか。
しかし聞けば聞くほど彼女が抱える仕事の幅はあまりにも大きすぎる。
人間相手のアクセサリーを作っていたかと思えば、ラジオだのテレビの修理だのも請負い、今度はリーガー用のスッテカー?
しかもデザインそのものから作るなんて――さすが店長、という気持ちと同時に、彼女は一体何者なんだ、という謎が生まれてしまった。
見渡せばこのガレージだって、彼女ひとりではあまりにも広く寂しいものだ。
仮眠用にと置かれた小さく古ぼけたソファたったひとつ、この一席が今まで彼女がひとりで長らくこのガレージで過ごしてきたことを無言に語る。
「店長」とは一体――「サーティーンくん、」
「お待たせ! そんじゃ遠慮なく貼らせてもらうからね!」
と、ご機嫌な笑顔で彼女が持ってきたものは――なんとも可愛らしいスマイルマークのステッカー。おまけにハートまである。
どこの世界にこんなロゴをくっつけたリーガーがいる!――「て、店長……?」
「本当にこれを俺に貼る……のか?」
「まぁね、でもほら、あくまでサンプルだから! ブログ用の写真撮ったらすぐ剥がすからさ!」
「な、ならいいんだが……」
「はい、じゃあサーティーンくんだと……右肩辺りが空いてるからそっちに貼ろっか。悪いけどちょっと屈んでね」
諦め半分の「分かった」を言うより前、サーティーンがユーナの体格に合わせて屈むなり、まずは接地面の油分をクリーナーにて拭き上げ除去、シールの位置合わせまで手早く終わってるのだから驚いてしまう。「――びっくりした?」
「あとはこれ、綺麗に貼るだけだよ」
どう考えてもサーティーンには似合わぬスマイルマークのシールを指先で摘み、心底楽しそうに笑う彼女――あ、勝てない。
元より彼女に尽くすと決めていたはずの義理堅きゴルフリーガーはその日、その瞬間、内心真っ白な旗を振った。