君との13日研修


――これからが本当の戦いなのだ。
 お前自身のための!

 いつか必ず、また会おう!――不採用、不採用、バイトの面接にすら見捨てられるたびに思い出していたのは、進むべき道を見失っては荒れていた身を叱ってくれた熱い言葉と、そんな自分を照らしたステンドグラスの十字架だった。

「――コンビニかぁ」

 今まで落ちたバイトを答えると、ここの店長だと名乗った女はそう呟き前髪を撫でた。
 特に意味もない、単なる無意識の仕草なのだろうが、彼女の指先にきらりと光ったものが十字架であることをサーティーンは見逃さなかった。

――十字架が指に? なぜ?

 「十字架」というものが人間にとってなにを意味するものか――正直、それ自体もよく理解していない。
 もちろん「ネイルアート」なんて文化もサーティーンの中にはインプットされていない。

 サーティーンから見ればこの「店長」は不可思議の塊だ。

 オレンジと黒の二色に分けた髪に、左右で色も形も異なるピアス、上着なんて彼女の体には大きすぎて袖が余っているし、その袖から見える細指、その指先全てに塗装がされている。
 かろうじて彼が理解できるのは「眼鏡」ぐらいだ。
 黒縁の眼鏡、そのレンズ越しにまた目が合うと、なぜか彼女のほうが申し訳無さそうに眉を下げた。

 ああ、また断られるのか――残念なことに「不採用」と面接にて直接言われることに慣れてしまったサーティーンは、彼女のそんな表情を見て勝手に察してしまう。
 が、その先に続く言葉は彼の優秀なAIでも予測できないものだった。

「――うちはお客さんと直接話すことってあまりないんだよね。基本ネットでオーダー受け付けてるし、もしあったとしても私が対応してるし……」

 サーティーンくん、君にやってもらいたいことはここ、この倉庫兼工房の雑用だけどいい?

 まずは研修で二週間……『仕事ならなんでもオッケー』ってさっき答えてくれたけどさ、私、それ信じちゃっていい?

 そう訊く彼女はまた前髪を直した。多分癖なのだろう。
 彼女の指先に光る十字架の煌めきがサーティーンへ教えてくれる。

 そうだ、これからが本当の戦いなのだ。
 他人から、世間から見れば今の自分は最低に落ちぶれたリーガーなのかもしれない。
 かつての自分はそんな現状に苛立ち、道を誤っていた。
 だが今は違う。たとえ世界から人間へ職を乞うこの姿を馬鹿にされようが、今の自分はしっかりと己のやるべきことを、進む道を信じて前進するだけ――その「やるべきこと」のひとつがアルバイトなのだ。
 なにも恥じることも、躊躇う必要もない。

 今目の前にいる彼女は、そんな自分を受け入れようとしてくれている――「――ああ、」

「悪いようにはしねぇぜ、店長」

 あんたのその十字架に誓って!



「――ふぅん、じゃあサーティーンくんは今サッカーやってるんだ」

「ああ。でも今の俺達はまだ競技を選んでなんかいられないからな、野球もたまにやってるし、今度はバレーボールをやる予定だ」

「リーガーって器用なんだねぇ。私なんて走るだけで精一杯だよ」

 昨夜のニュースに出た天気予報士は、「明日の昼間は雨模様でしょう」なんて言ったが、どうやらその予測はなかったことになってくれたらしい。

 快晴、という文字ふたつがこの上なく似合う今日、昨日はバイトの面接としてやってきたサーティーンの初出勤となった。

「店長、これはどこに?」

「ああ、その棚はこの机の横に並べといて」

「分かった」

 サーティーンの初仕事――それは「店の裏にある物置から作業台と棚を出し、ガレージへ運び入れること」だった。

 サーティーンにとってはあまりにも容易いが、確かにこれは小柄な店長ひとりで運ぶには無理があるだろう。

 先に運び入れておいた机は物置で埃を被っていたが、今は彼女がクリーナーと布巾で綺麗に拭き上げてくれている。
 そういった雑務だって遠慮なく任せてもらいたいのだが、新人は新人。今はまだ言われたことに徹することが自分の使命――「店長、」

「次はなにを?」

 机も運んだ、棚も運んだ。
 のどかな昼間、軽く身の上話をしながら済ましたこれだけで帰るわけにもいかない。

 この世の中、なにをするにも金が要る。
 はぐれリーガー同士で組んだチームに大きな援助が来る日なんてきっとまだまだ遠いだろう――だからこそ自分たちで働こう、自分たちで稼いで頑張るんだ、と仲間で誓い合ったのだ。
 そしてようやく職を、居場所を見つけた今、全力を尽くさないでどうする――「ちょっと待ってて、」

「今良いもの持ってくるから!」

「良いもの?」

 そう言うなり彼女は元よりあった自身の作業台、そこに乗せてあった段ボール箱を開けては丸めた布をその身いっぱいに抱き抱えて駆け寄ってきた。

「じゃーん! サーティーンくんの制服でーす!」

 目の前に広げられたグレーの布――これに「エプロン」という名が付いていることをサーティーンは知らない。
 が、端の部分に「13」と自身の名を表す数字が赤く刺繍されているのだから驚いてしまう。「――俺に?」

「わざわざそんなものなくても……」

「いやぁ、ようやくバイトの子と一緒にお仕事できるんだーって思ったらテンション上がっちゃってさ、つい徹夜で作っちゃったよ」

「徹夜で!?」

「まぁね。『欲しけりゃ作る、無ければ作る』がうちのモットーだからさ、『サーティーンくん用のエプロンとかあったらいいなー』って思ったらもう作るしかないっていうか止まんなくなっちゃって……」

 これ、元々は遮光カーテンの生地だったんだよ。
 だいぶ前にカーテンのオーダーを受けたことがあって、その残りの生地だったんだけど……厚くてしっかりしてるし、リーガーのサーティーンくんが着けても大丈夫かな? サイズ調整できるように肩紐長いほうが絶対良いよね? って色々考えたら楽しくなっちゃってさ。

 久しぶりに夜が一瞬で消えちゃったよ。

 ああ、また前髪をかき上げるその仕草に指先に乗った十字架が、寝不足で目元に影を作ったその顔が笑って輝く。
 人間だって寝なきゃ死ぬ。
 徹夜、というものが人間の体に負担がかかることぐらいサーティーンだって知ってはいるが――彼女は心の底から物作りを楽しみ、愛しているのだろう。
 疲れのひとつも見せず、上機嫌に弾む語りに野暮な注意を挟む気にはなれなかった。

「今運んでもらった作業台と棚はサーティーンくん用のものだからね、これからは自由に使っていいよ! ってかもう既に仕事山積みなんだから、今日からばんばん使ってもらわなきゃね!」

「……ああ、覚悟はできてる」

「じゃあこれ、早速着てくれる?」

「ああ、店長がそう言うなら」

「ん、じゃあ肩紐結んであげるから後ろ向いて?」

「分かった」

 リーガーがわざわざエプロンなんてつけるのは滑稽かもしれないが、胸元にある「13」という刺繍が、お前の新たな居場所はここなのだ、と教えてくれているようで誇らしく、そして純粋に嬉しかった。「――……あとさ、」

「全然関係ない、っていうかただの偶然なんだけどさ……私、十二月ユーナって名前なんだよね。『十二月』って書いて『しわす』って読む場合もあるけど、私の場合は普通に『じゅうにがつ』って読んで……ああ、あとほら、サーティーンくんって数字で書くと『13』じゃん? なんかさ、十二と13って数字が隣になってるの、ちょっと嬉しいな~なんて……やだな私、なに言ってるんだろ」

 肩紐結べたよ、きつくない? と背後から出てきた彼女の顔はほんの少し赤らんでいた。
 今日はそんなに暑いだろうか?
 ここの気温と湿度はそんなに高くないはずだ、とサーティーンが誇る高精度なAIが首を傾げるのを前に、彼女は改めてサーティーンの真正面に立ってはその腕を差し出した。「――さっきも言ったけど、」

「うちのモットーは『欲しけりゃ作る、無ければ作る』のただひとつ。世の中みんながみんな器用ってわけじゃないし、時間が余っているわけじゃないから、そういうお客さんの『こういうものが欲しい!』を聞いて作ってあげたり直してあげるのがうちの……いや、これからは私とサーティーンくんのお仕事だからね?」

――私と一緒に頑張ってくれる?

 十二と13、不思議な奇縁で結びついた彼女から差し出された手になにを迷う必要があるものか――「ああ、」

「よろしく、店長」

 差し出された手はあまりにも細く、小さいものだ。
 しかしその指先に輝く救いの象徴と、よく見れば物作りを楽しみながら生きた証の細かな傷が薄っすらと走るその手のなんと美しいものか!

 小柄な彼女の背に合わせるため片膝をつき、その白い手にそっと自身の無機質な手を触れさせる。
 その姿はさながら忠誠を誓う騎士でもあり、主人を信頼する忠犬でもあり、救いを求める迷子のようでもある。

「――ようこそ、サーティーンくん」

 なんでもありな不可思議工房、「ミックス堂」へ!

 そう応えた彼女――隣り合う数字、十二の名を持つ彼女の微笑み。

 初夏という名がつけられているこの日和、サーティーンは胸の内にある回路に秘めた「自分がやるべきこと」リストの中に、「自分なんかを雇ってくれたこの人へ恩返しをしていく」という言葉を強く刻んだ。

 
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