君との13日研修


 この世の中には「本音と建前」というものがある。

 それは人間が生み出した概念だからか、それともそれを察する機能が自分には搭載されていなかったのか、どちらにせよこのゴルフリーガー、サーティーンには高性能なAIを持ってしても本音と建前の真意を読み取ることができなかった。

 「未経験者大歓迎!」「オープニングスタッフ大募集中!」「急募!」――喉から手が出るほど人材を求めているかのような言葉が並ぶ求人ポスターだって、そこに潜む本音は「ただし都合と使い勝手が良さそうな人間に限る」という身勝手であるが、それすらサーティーンは見抜けなかった。

 面接に行ってその場で苦い顔をされ落とされる。これでもまだましなほうだ。大抵は連絡し、己がリーガーであると告げたその瞬間にお断りをされる。

 なんだよ、人手が欲しいって広告出してたのはそっちじゃねぇか――ついさっき、リーガー用品も取り扱っている大きなコンビニから不採用だと追い出されたサーティーンは思わず文句のひとつでも言おうかとも思ったが止めた。言ったところで意味がないからだ。

 ワットとアンプは街のスポーツチームの手伝いとコーチ、ヘルスパーズたちは農家の手伝い、デウスたちは空を飛べる能力を活かして高層ビルの窓清掃を請け負うバイト、それぞれが正式リーグを目指す過程に必要な路銀を稼ぐ道に乗った。未だ乗り損ねているのは自分だけだ。

 華々しい現役時代に稼いだ賞金がまだ口座に残ってはいる。いるが、だからってこのままなにもせずにいたらいつか尽きるだけだ。なにより仲間の中で自分だけが職に就けずにいる、というこの状況に焦りしかない。

 今は自分たちはぐれ者を応援してくれている物好き(否、心広き好々爺)が古くから持て余し放置していたビルをまるでシェアハウスかのように使い皆の寝床にしている。帰る場所そのものに不安があるわけではないが、それ以外の現状がサーティーンの頭を悩ませる。
 彼自身に自覚はないが、元より険しく怖いと言われる顔がより一層険しくなってしまう。

 やる気なら十分にある。が、それを見てくれる者がどこにいる? もし己が「身元不詳のリーガーだから」という理由だけで求人から弾かれているのだとしたら――ああ腹立つ。これじゃあ現役時代と全く同じじゃないか。

 またダメだった、と仲間へ告げに真っ直ぐ帰る気になれず、しかしどこに行く宛もなく、とりあえず昼から夕へ傾く街から離れる方向へ歩をただ進める。

 その鋼鉄の胸の内を占めるのは過去の記憶だ。
 成績だけ見れば実に優秀、あの頃は自分が成す結果「だけ」がきらきらと輝いていた。

 サーティーンの生まれは誰もが知る一流メーカーである。そしてリーガー開発部門の全ての叡智、技術を余すことなく詰め込まれたこの体は、背負わされた大きな期待を裏切ることなくグリーンの上で栄光を勝ち取り続けた。
 その栄光にはもちろん自身の努力もあったが、観衆は、メディアはその努力や葛藤を知ろうともしなかった。
 あのメーカーの出身だから、ハイスペックモデルだから、どんなに勝ち続けても当たり前の結果でしょう――己を見てもらえない。個、として見てもらえない。

 日増しに募る不満はいつの間にか怒りへと変わる。
 感情に溜まる憤怒が限界を超えたある日――サーティーンは己に繋がっていた鎖を引きちぎった。所属していたチームから抜け、その瞬間にはぐれリーガーとなったのだ。

 慌てて己を引き止める監督やメカニックたちの怒声を背に無視し、車で宛もなく走り去った夜の風はなによりも爽快だったが……今思えばあの頃はまだ若かった、もう少し後先考えるべきだったな、と少々の後悔も正直ある。

 一旦落ちればそこはまさに蟻地獄だったのだ。
 身元不詳のリーガーというのはなんともこの世に生きにくく、肩身が狭い。
 出場することが当たり前だった試合にすら出ることは叶わず、とうとう正式なグリーンの上でクラグを振ることができなくなってしまった――そこから今まで鋭く磨いてきたショットを他のリーガーへ向けて撃ち抜くように荒れたのも、闇の貴公子を名乗る道楽息子の手駒になったことも、全てまだ昨日のことのように思い出せる。

 今まさに胸に渦巻くのはその頃、そう、他のリーガーへ理不尽な八つ当たりとしてぶつけていた苛立ちと焦り――どうにもままならない現状への底なしの不安。
 以前は独りだったから耐えられなかったのだ。この不安を粉々にする現実逃避として無意味な闘争に荒れたのだ。
 しかし今は違う。道を踏み外し、迷っていた自分の目を覚ましてくれたマグナムエースからの言葉と、なによりも強く輝くシルバーキャッスルの信念、そして一緒に目標へ歩む仲間が己の心を支えてくれる。
 もう俺は間違えない。今度こそ真っ当に、そう、正々堂々と恥じることなく真っ直ぐとリーガーとしての使命を果たしてみせる!――と、いくら意気込んでも、肝心のバイト探しひとつままならなくては意味がない。

 思わず歩を止め、そして情けないため息が出る。
 まぁ落ちたものはしょうがない、また改めて求人から探し直しだ――散歩、というにはやや遠く来てしまったこの場から引き返そうと振り向いた時、サーティーンの前にあった壁に貼られたポスターが目に入った。

――髪型、髪色、ピアス、タトゥー、フェイスペイント、服装自由!
 ハンドメイド雑貨制作&ジャンク品修理など。

 やる気さえあれば誰でも歓迎!

「――ミックス堂……」

 もう大分色褪せているポスターから視線を上げると、この一見ただの大きいガレージ倉庫にしか見えない壁に「ミックス堂」と小さな看板が打ち付けられていたことに気がついた。

 戸は閉まっていて中は見えない。が、よく聞けば中から人が動くような物音はするのだから、少なくともポスターを剥がし忘れたまま廃業しているというわけではなさそうだ。

――やる気さえあれば誰でも歓迎!

 ポスターに大きく、派手に書かれたその文字はサーティーンへ強くそう呼びかける。

 きっとその言葉に嘘はないのだろう。
 しかし裏はある。
「ただし都合がいい人間に限る」という裏があることを、サーティーンのAIは学習したのだ。
 そう簡単に信じられるか――と無視したいところだが、今の自分はそうはいかない。

 たとえどれだけ裏があろうと、そこに求人があるならばチャンスとして掴みにいかなくてはならないのだ。選り好みしている余裕なんぞ欠片もない。

 さっそく連絡先を控えようとポスターを眺めるも、肝心の電話番号すら明記されていないのだから驚いた。

 これは……直接乗り込んでこい、という意味だろうか?

 じりじりと暮れる陽、蒸し暑い気の中で吹く強い風がサーティーンの背を押す。
 このままここで突っ立たままじっとしていてもなにも変わらない、チャンスは掴めない。

 目の前の戸を開けるのに伸ばした手は、今度こそ活路を開けるのか――なにも分からない。予測不能だ。

が、それでもサーティーンはその戸を開け、中にいた人間へ声を掛けた。

 外のポスターを見た。やる気ならある、だからここで働かせてくれ、と――。



「――サーくん、今ちょっといい?」

 組み立て代理で請け負い、完成させたジグソーパズルの梱包をちょうど終えた時だった。
 どうした、と一言聞き返すと、店長である彼女は愛らしい色に塗った爪が輝くその手を振って彼を側へと招く。

「ちょっとこっち来て、ほら、これ見てよ」

 そう指したのはユーナが使うノートパソコンの画面であり、そこには客からのメールが表示されている。

「このメールね、今月の頭辺りに車のコーティングがけ依頼してきた人からなんだけど、」

 その言葉にサーティーンの回路は鮮明に思い出した。たしか常連ではなく新規の客。ユーナが丁寧にプランの提案をしている間、ずっと気難しそうなしかめっ面で頷く程度しか反応しなかった中老の客だった。
 その態度に内心なんて失礼な奴だ、それにしても店長は凄いな、こんな無愛想な奴にまであんなに明るくにこやかに接客できるなんて、と思いもした。

 しかし仕事は仕事。
 依頼人の態度がどうであれ、それが店長から任せられた仕事ならきっちりこなすまで――そう、その客から預かった車にコーティングをかけたのは自分だ。
 あのコーティング剤の耐性はだいたい半年。同じプランでリピートを依頼してくるにはあまりにも早すぎる。なにか不備や不満でもあったのだろうか、と一瞬にして不穏な予想をするサーティーンに反し、画面を見るユーナの口元は緩んでいる。

「めっちゃ褒めてくれてるんだよ~! ほらここ、『今までコーティングを依頼したどの店よりも丁寧かつ迅速な対応で、かつ光沢も一段と綺麗で傷が目立たなくなりました』って!」

 もう他の店に頼む気になれません。またなにかあれば是非よろしくお願いします――仕上がった車を引き渡した時、その時ですらむすっとしていた無愛想な態度からは想像もできないほどの賛美がそこにはあった。

 依頼人と送られてきた文面のギャップに戸惑い、暫し画面相手に釘付けになっていると、そんなサーティーンへユーナは満面の笑みで声を弾ませた。「――ありがとうね、サーくん」

「やっぱり君にこの仕事任せて正解だったよ」

 だってサーくん、すっごく真面目だし、細かい部分にもちゃんと気使って丁寧に仕上げてくれるし、このお客さんも絶対満足してくれるだろうなぁって思ってたんだよ!

 今度は雇い主である彼女の口から直接惜しみのない褒め言葉がぽんぽんと出てくる。
 その視線は真っ直ぐとアメジストの色をしたサーティーンの瞳だけを見つめるのだ。嘘も偽りも、彼を散々悩ませた「裏」が一切含まれぬそれになんと返せばいいか分からず、とりあえず目を逸らし、一言、ああ、となんとも無難かつ短い返事をするしかなかった。

 生まれのメーカーでもない、搭載されたスペックでもない。
 ただただ純粋に「自分」を褒められる、見てくれている、というのはなんて嬉しいことなのか――今ではすっかり忘れていたはずの傷、所属していたチームを飛び出したあの夜にはもう手遅れなほど疼いて痛かった胸の内の傷が今更ようやく癒やされる感覚がした。

「――……ありがとう、店長」

 本当はあんたみたいな人にもっと昔に出会いたかった。
 それは叶わなかったけれど、今こうやって一緒にいられることがきっと最高のことなんだろう。

――やる気さえあれば誰でも歓迎!

 あのポスターに書かれた言葉に、この人には裏がない。
 なにも疑うことなくこの場にいていいのだ、と心から思えるこの現状に、サーティーンは彼女の小さな頭を撫でた。

「全部あんたのおかげだぜ」

 不意の接触に少し驚き、しかしそのままくすぐったそうに笑う彼女は「なにが?」なんて首を傾げたけれど、全部語るにはあまりにも時間が、持ちうる言葉が足りない。
 だから彼は再度「全部」と一言だけ返した。
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