君との13日研修
先日の豪雨から一点、青に透き通ったこの日、今日のミックス堂は空気が重たいものだった。
普段ならここの店長である十二月ユーナが明るく、気さくにサーティーンへ話しかける。そうして和気あいあいと時間が流れているが、今日は違う。ユーナが家電の取り付けを依頼されていて不在なのだ。
そしてユーナの代わりにソファで寝っ転がっているのは――ユーナの祖父、十二月創一郎。
元々このミックス堂を作ったという意味ではオーナーだが、この男、酒とギャンブルと女遊びばかりでろくに仕事しているところをサーティーンは見たことがない。
それどころか、孫であるユーナをひとり残してふらふらと放蕩生活なんかしていたらしい。サーティーンからすれば軽蔑の対象である。
創一郎自身もサーティーンのことは気に入らないらしく、口を開けば「ニードル野郎」なんて悪態が出てくる。つまりある意味お互い様なのだ。
そんな彼と話すことは特にない。
互いに一言も話すことなく、サーティーンは客から預かった壊れたラジオを分解し、その基盤にあるであろう不具合の原因をチェックしていた。
――ハンダのクラックが大分ある。
電池ボックスのサビを落とし、ハンダは付け直せばきっと大丈夫だろう――「――変な音するな、」
不意にそう呟いたのはソファで寝ていたはずの創一郎だった。
「変な音……?」
手元にあるラジオは分解してある。音なんか一切鳴りようがなく、不思議に思うサーティーンへ創一郎は近寄ってきた。
「なんのことだ、オーナー」
「うるせぇ黙ってろ」
そういって創一郎はサーティーンの正面、ぶつかるまであと一歩という距離まで近づき、眉間に皺を寄せながら腕を組んだ。
その行動にサーティーンは疑問しかないが、また口を開けば黙ってろと一蹴されるだろう。
そうして暫しの沈黙の後、創一郎はようやく一言、ああ、と納得したように呟いた。
「――おい、胸開けろ」
「えっ、」
「回路出せってんだよ、早くしろ」
別に怒鳴っているわけではない。が、どこか有無を言わさぬ圧があり、その態度にサーティーンは困惑しながらも渋々胸元のロックを解除した。
「そうビビんなよ、なにかしようってわけじゃねぇ。ここじゃお前をいじれるほどの設備はねぇからな」
いつの間に軍手をはめたその手でサーティーンの胸部装甲を開き、むき出しになった彼の回路にまた耳を傾ける。そして少しばかり配管に指を当てる。
ああ、やっぱりこの音か、さっきからずっと気になってたのは――「――お前さぁ、」
「ハイモデルのくせに安オイルばっか飲んでんじゃねぇよ、配管ちょっと傷んでるぞ」
創一郎がさっきから気にしていた音――それは常人なら気づけない、リーガー本人ですら分からない、配管を巡るオイルの流れが僅かに鈍っていた音だった。
「なんでそれを……」
創一郎の言う通り、華々しく現役だった頃に比べて常飲するオイルのグレードはけっこう下げた。
しかしそれも今の自分には必要な節約だと思ってのこと。誰かに話したこともないそれをたったこの一瞬で見抜かれ驚きが隠せない。
「あとは……あー、あれか。お前その左肩回るんだろ? ちょっと回してみろ、ゆっくりな」
創一郎はサーティーンの言葉に答えることなく胸元を閉じてやると、今度は肩のパーツを動かせと指してきた。
「ティーは打ち込むなよ、床に穴開けんな」
「…………」
仕方ない。創一郎から指図されるのは気に入らないが、(なぜか)彼はどうやら自分の体を診てくれているらしい――分かった、とひとつ返事をし、サーティーンは己の左肩を通常よりもスピードを落として旋回させた。
鋼鉄の杭が装備されたパーツが回る様子をしばらく無言で眺めていた彼は、再度なにかに納得した様子で「止めていいぞ」と声をかけた。
「お前、肩のギアちょっと減ってるぞ。若干偏った音がしやがる。最後にフルメンテしたのかなり前だろ」
「あ、ああ……」
「お前の場合は肩と……あと大抵のゴルフリーガーは腰のギアに負担がかかるもんだ。放ってくとロクなことになんねぇぜ」
「それは分かってるが……」
サーティーンだってなにも考えていないわけじゃない。が、ハイスペックモデルとして造られた自分のフルメンテナンスを全額自己負担で依頼する、となるとなかなか厳しいのが現状だ。
「俺の知り合いにリーガーマニアのアホ医者がいる」
お前みてぇな野良のハイモデルいじれる機会なんてそうそうねぇ。そいつならむしろお前に金払ってでもメンテしてくれるだろうよ――その連絡先でも書きたいのだろうか。なんか書くものねぇか、とユーナの机の上を漁る創一郎へ、サーティーンは制止の声よりもただただ純粋な疑問のほうが口から出た。
「さっきからなんであんたがそこまで気にする? 俺のことは気に入らないんじゃなかったのか」
「ああ、そうだな」
「じゃあなぜ、」
「俺ァただ不味い酒とぶっ壊れるもんが嫌いなだけだ」
うちに入り浸る気なら俺の前で体ガタつかせてんじゃねぇよ、クソガキが。そんな憎まれ口と共に渡されたメモ、そこにはさっき彼が口にした「アホ医者」であろう誰かの名前と連絡先、住所が書いてあった。
「……だからダークを辞めたのか?」
再度ソファに戻り、瓶から酒を煽るその背に思わず訊いていた。
彼が元々ダークのエンジニアを務めていたことは本人が口にしていた。リーガー本人ですら気づいていなかったダメージを的確に見抜けるぐらいだ、きっとさぞや優秀なエンジニアだったのだろう。
きっとその道は明るかったはずだ。華があったはずだ。しかしその道を捨て、こんなガレージで細々と便利屋じみたことをするようになったのはなぜか――「――さぁな、」
「もう忘れたよ」
そうぽつりと答えたきり、創一郎がなにか返すことはなかった。多くを語る気はないらしい。そして、サーティーンからもっと問い詰める気にもなれなかった。
ただひとつ明確なことは、十二月創一郎、彼も案外悪い奴じゃないかもしれない、ということだ。
普段はなんでこんな嫌味な奴と素直な店長が血縁なんだ、と不思議でたまらなかったが、創一郎はただ単純に口が悪いだけらしい。
「……ありがとう、オーナー」
そこにも返事はなかった。が、それでよかった。
貰ったメモを胸元にしまい、中断していたラジオの修理に戻ろうとしたその時、ばたばたとガレージに駆け込んでくる足音がし、そして外の暑さにふらついたユーナが帰ってきた。「――ただいまぁ、」
「外マジ暑い……ってうわ、おじいちゃんいんの!?」
ふらふらとソファに寄った彼女はそこにいた先客を見ると目を丸くし、最悪、いつの間に帰ってたの、と苦い顔をする。
「ちょっとおじいちゃん、そこどいて。邪魔なんだけど」
「知るか。後から来たほうが悪い」
「はぁ~……ごめんねサーくん、こんな奴とお留守番なんて最悪だったでしょ」
おじいちゃん、サーくんに意地悪言ったりしてないよね? そう詰め寄る彼女に対する創一郎の反応は冷ややかだ。まるで聞こえていないかのように涼しい顔して酒を飲んでいる。
「まったく……サーくんもさ、なんか言われたらつまみ出しちゃっていいんだからね?」
「いや……大丈夫、なにもなかったぜ」
「本当に?」
自身を見上げて心配してくれる親愛なる店長、その顔へサーティーンはひとつ頷いた。
「本当だ、店長」
あんたのじいさん、案外良い奴なんだぜ――とまでは言わなかった。
というより、そんなことを言ったら素直になれない元エンジニアから酒瓶を全力投球されそうだったので止めた。