君との13日研修


 寝返りを打った時、ふと聞こえたのは夕方の雨が地面を、このガレージの屋根を絶え間なく叩く音だった。

「――起きたか、店長」

 ユーナは仮眠に身を預けていた小さなソファから身を起こし、自身にかけられた声へ首を傾げた。

「サーくん……君、今日休みっていうか試合じゃなかったの?」

 寝起きでぼやけた視線で壁に掛けたカレンダーを見る。今日を示すマスにはたしかに「13くん試合!」と書いてあるのだから間違いない。
 どうにも嵩張ってしまう厄介なゴミ、不要な段ボールをその機械たる力で容易く小さく折りたたみ、ビニール紐で縛ってまとめてくれていた有能なバイトへそう問いかけると、彼は打ち付ける豪雨にだらだらと濡れてばかりの窓を指した。「それなら中止になったぜ、」

「まぁこの天気じゃしょうがねぇさ」

「そう……でもなんでここに? 手伝ってくれるのはありがたいけど、たまにはゆっくり休んだほうがいいんじゃないの?」

「前に店長言ってただろ、こういう気圧が低い日は体調が悪くなるって……帰るついでに様子見に来ただけだ」

 いつの間にか体にかけられたブランケットとその言葉に驚いてしまう。
 その通り、以前もこんな雨続きの日にそんなことを言った覚えがある。
 気圧が低いと頭が痛くなって困る、と痛み止めを飲むのを彼は不思議そうに見ていたが、まさかそれを覚えて心配までしてくれていたとは――「ありがとうサーくん、」

「でも今日はもう大丈夫だよ、薬飲んだし、ちょっと寝たら楽になったし……心配かけてごめんね」

「それならいい、気にするな」

 という言葉のみ見るなら素っ気なく冷たくも思えてしまうが、そんなことは一切ない。
 ただ言葉数が少ないだけで、本当のこの子はとても優しい子なのだ。その優しさを向けられているという現状に思わず顔が緩み、気恥ずかしくなってしまう。

「とりあえず段ボールは全部まとめておいたが――」

 外のゴミ置き場に今置いたら濡れちまう。だから今はここに積んでおくぜ、というサーティーンの言葉を遮ったのは、ガレージのどこか近くに落ちた雷の爆音だった。

 ソファから立ち上がり、閉じていた扉をほんの僅かに開けて覗いてみる。指五本、否、三本程度の隙間しか開けていないというのに、そこから吹き込む荒れ狂った雨と風はあっという間にユーナの顔を容赦なく濡らした。
 それと同時に空から聞こえたのは不穏な音。真っ黒に淀んだ空から鳴るのは雷がごろごろと唸る音で、またいつ炸裂するか分からない危うさを孕んでいる。

「最悪、眼鏡濡れた……」

 扉を閉じ、そう呟いたと同時に隣から箱ティッシュを差し出したサーティーンも珍しく困ったような顔をしていた。

「この調子じゃいつ止むか分かんねぇな」

 ティッシュでレンズを拭き、参ったな、と呟いた彼を見上げる。

「もしかして……サーくんも雷怖い?」

「ああ、怖いな」

 雷を喜ぶリーガーなんてデウスぐらいだ。
 自分はもし直撃でもしたら回路が焼けてしまうかもしれない。ホスピタルで修理できる程度ならまだしも、直らない、もしくは直ったとしても後遺症が残ったらと考えると、そう迂闊に今の空の下を歩く気にはなれない――という意味で「怖い」と答えたのだが、ここの店長はどうやら違う意味で受け取ったらしい。「――そっ……そうなんだ、」

「あのさ、実は私もあんまり得意じゃなくて……ほら、だっていきなり大きい音するからびっくりしちゃうよね? 心臓に悪いっていうかなんていうか……だからさ、」

 今日はうちに泊まっていけばいいんじゃないかな!



 じゃあ私お風呂入ってくるけど、その間に仕事するの禁止ね!
 たまにはテレビでも見てゆっくり休むように! 

 これは店長命令だからね!――と言われてしまい、ひとりガレージに残されたサーティーンはその言葉通り、テレビでちょうどやっていたアイアンリーグの解説番組を見ながら彼女が戻ってくるのを待っていた。

 このガレージの二階にはユーナの自室やキッチン、風呂など一通りのものが揃っている。
 (一応)ここのオーナーであり、ユーナの祖父である創一郎の部屋もあるらしいが、今日は彼の姿を見かけない。
 ユーナ曰く、「どうせどっかの酒場かカジノで遊んでるんでしょ、しばらく帰ってこないわよ」らしい。

 そんなこんなでユーナとふたりでのお泊り会になったわけだが、正直「休むように」と言われても困ってしまう。
 このガレージにいるとついパーツの計量や梱包、伝票整理といった雑務に手を出したくなるが、それは「店長命令」に反することになる。彼女は恩人で自分はバイトだ。勝手に言いつけを破るわけにはいかない。

 今日は帰らない、バイト先に泊まる、という仲間への連絡すら終わってしまった今、今の自分ではまだまだ手の届かぬ正式リーグの解説番組を眺めながら時間を潰していると、お待たせ、と階段を降りる足音がした。

「ねぇ、一緒にご飯にしようよ。サーくん用のオイル買ってあるんだ」

 ヘアバンドで前髪を上げ、もこもことした生地のパジャマに身を包んだ彼女がそういって抱えていたのは、サーティーンが普段飲んでいるものよりも上等なラベルが貼られたものだった。

「お泊り会ってのはさ、ちょっとハメ外すぐらいが楽しいんだよ。はい、これあげる」

「ハメを、外す……?」

 サーティーンの中にはない価値観だ。その意味を彼が考えている間、ユーナはいつぞや前に使ったプロジェクターを持ってきた。
 それに被っていた埃を払っている横顔は上機嫌で、ご飯食べながら一緒に映画も見よう、と笑う。

「ねぇ、サーくんはどんな映画が好き?」

「映画か……よく分からないな。前に店長と見たやつしか分からない」

「そっか、じゃあ私が好きな映画でいい? サメが暴れ回る人食いサボテンと戦うの」

 いいも悪いも、それ以前にあまりにも奇っ怪極まるあらすじを聞いたサーティーンのAIはどう返せばいいか分からず、とりあえず「ああ、」と一言だけしか言えなかった。

「じゃあ私前みたいに壁にスクリーン張ってくるから、サーくんはこっちのセッティングお願いしてもいいかな?」

 空からは未だに不穏な雲が鳴り、時折どこか遠くで閃光が炸裂する音が走る夜。
 親愛なる店長からプロジェクターを託されたバイトは、嬉々としてホームシアターを作り始めた彼女に大人しく付き合い、サメが人食いサボテンと戦う勇姿を見るためにプロジェクターへ端子を繋いだ。



『――くっそ! どこもかしこもサボテンだらけじゃねぇか!』

『こうなったらもうあの伝説のゴッドキラーシャークを召喚するしか……!』

『ゴッドキラーシャーク!?』

 聞き返したいのはこっちのほうだ。

 照明を落としたガレージの中、ソファに腰掛けながら菓子を摘まむユーナの隣にいるサーティーンは、意味も分からぬ内に(無駄に)テンポよく話が進むカオスな映画に混乱しつつ、彼女から貰ったオイルを共に夜を過ごしていた。

 スクリーンでは街中に溢れた人食いサボテンが暴れ回り、人間からは散弾銃を何発も食らっている。
 が、このサボテンの恐ろしいところはその凶暴性だけにあらず、なんと中心にある核を潰さぬ限りはどんなに撃たれても再生してしまうらしい。「――ねぇ、」

「あのサボテン、サーくんなら倒せる?」

 ぽつりと隣から問いかけられた質問にサーティーンは困った。
 こんなふざけた会話なんて適当に受け流してしまえばいいものの、真面目である彼の性格はそれを許してくれなかったのだ。
 他の奴らとは出来が違う、と自負するほど高性能なAIは、「自分vs人食いサボテン」のシュミレートを開始――しようと思ったが、考えれば考えるほど回路がショートしそうになったので止めた。

「あー……俺のショットで撃ち抜けないものはねぇぜ、店長」

 という答えを返すので精一杯だった。
 その言葉を聞き、桃の缶チューハイを口にして顔を赤らめたユーナは満足そうに頷く。

「じゃあサーくんがいれば怖くないね」

 雷も怖くないし、と呟く呂律は少し緩い。
 自身の右側に少し寄りかかってきたその顔を覗き込むと、もう大分眠たげな目をしてした。
 このまま持っていたら落として溢してしまうだろう、と彼女の手元から缶を取り机に置く。そのことに対してなにひとつ言われなかったことが、彼女の眠気が限界ぎりぎりまで来ている証拠だろう。

「店長、寝るならちゃんとベッドで寝たほうが……」

「んー……? やだ、」

「やだ、って……あんた、いつもいつもこんな小さいソファで寝てばっかじゃ体痛めるぜ。二階にベッドあるんだろう?」

「でもサーくん二階来れないじゃん」

「まぁ……それはそうだが……」

 ここから二階へ繋がる階段は細い。
 細身のユーナや創一郎ならまだしも、大柄な人間ですらきっと狭いと感じてしまうほどのそこを、リーガーであるサーティーンが登るのは不可能なのだ。

「でしょ? だから行かない」

 拗ねた子供のようにふいと顔を背けたユーナに対し、サーティーンはもうそれ以上叱るのを止めた。

「……しょうがねぇな」

「てかまだ映画残ってるし」

「なぁ店長、この映画いつ終わるんだ? まだサメ出てないが……」

「もうちょっとで出るよ、ゴッドキラーシャーク」

「そのゴッドキラーシャークってのはなんなんだ?」

「ゴッドキラーシャークはゴッドキラーシャークだよ」

 大きな欠伸混じりにとろけた返答は答えになっていない。
 まだ色々と突っ込みたいことはあったが、それを訊く前に、ゴッドキラーシャークが海から召喚されるより前にユーナは完全に酔い潰れて寝てしまった。

 これが「ハメを外す」というやつなのか? 店長――赤い顔で呑気に寝息を立てている彼女からそっと離れ、その身にまたブランケットをかけ、ついでに寝返りでも打って潰さぬようにと眼鏡も取って畳み、机の上に避難させる。

 スクリーンの中では巨大なサメとサボテンが大乱闘をし、窓の外では雷雨が好き放題に荒れるこの夜――自分と彼女がいるこの部屋だけはどうか平和であれ、と店長思いのバイトはそう願いながら、とりあえず映画は最後まで見届けることにした。

 ゴッドキラーシャークって結局なんなんだ……?


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