君との13日研修


 「日常」という器は、ある日突然壊される。

 破壊たらしめるものは震災か、事件か、はたまた事故か――人か。

 この日もぎらつく真夏日だった。
 アスファルトへ卵を落とせばそのまま目玉焼きが作れるのでは、なんて滑稽な考えすら実現できそうなこの日、サーティーンはミックス堂の倉庫を掃除することに勤しんでいた。

 今サーティーンが進めるべき案件は綺麗に片付いている。強いて言うなら、夕方に集荷しにやって来る配達員へ荷物を引き渡すぐらいだ。
 日頃ついつい後回しにしてしまう倉庫の掃除、整理整頓、これを処理するにはうってつけの時間――プラモデルの塗装に使う塗料の在庫を数えていると、派手な音楽を鳴り響かせながら颯爽と現れた(これまたなんとも悪趣味に派手派手しい)車が一台、店の前に止まった。

 このなんでもありの雑貨屋、ミックス堂へ直接来る客なんて珍しいものだ。
 時折近所に住む中高年が「眼鏡をうっかり踏んで曲げてしまった」「急にラジオがつかなくなった」といった些細なトラブルを持ち込んでくるぐらいだが――こんなふうに店へ来た客をサーティーンは知らない。初めて見る車だ。

 おまけに車から降りてきた人間――長い白髪をひとつに結び、ぎらりと光るサングラス、それに合わせるよう目立つ柄のシャツを着た男は、一切の躊躇いもなくこのガレージへずかずかと入り込む。

 まずい、今は――「いっ……」

「いらっしゃいませ、どういった用で……」

 倉庫からガレージへ戻り、奇っ怪な来客へ慌てて声を掛ける。

 普段はこういった接客をサーティーンがすることはない。なぜならサーティーンには接客業に欠かせぬ愛想が欠けているからだ。
 ここの店主であるユーナもそれを知っている。見抜いている。
 だからこそ普段はユーナが接客を、サーティーンが他の雑務を完璧にこなしサポートする、というコンビネーションが成り立っていた。

 が、今はタイミングが最悪だ。
 なぜならユーナは連日舞い込むアクセサリーやネイルチップのオーダーメイドに追われる日々を過ごし、ようやくやっと抱えていた全ての案件が片付いたのがこの日の朝方――疲労困憊。疲れ切った彼女はこのガレージの二階にある自室で眠っているのだ。

 そんな店長を起こしに行くわけには――「なんだ、」

「いつからバイトなんて雇ったんだ、ここはよ」

 サーティーンにとって精一杯の愛想を含んだ声掛けに応じた彼は、そのぎらぎらと眩しいミラーレンズのサングラスをようやく外す。
 その時にちらりと耳元で光ったのは、丸とバツ印の小さなピアス――青年ではない。中年というわけでもないが、しかし老人、年寄り、と呼ぶにはあまりにも身だしなみが、雰囲気が、サーティーンを小馬鹿にするようにひとつ笑ったその声は若く、謎めいた彼の言葉と態度にサーティーンのAIが混乱したその時――「――サーくん!!」

「そいつ追い出して! 早く!!」

 悲鳴に近い大声と荒々しい足音が二階から駆け下り、サーティーンが「店長!」と一言呼ぶより先に彼女はさらに声を荒げる。

「こんな奴疫病神なんだから! 叩き出して!」

 絶対にまだ寝足りてないだろうに、普段は常に温和でにこやかな彼女がこんな激情に任せたままの勢いで怒鳴るなんて異常だ。「――おいおい、」

「久しぶりに帰ってきてやったのにそりゃあないだろうよ、ユーナ」

「帰ってきてほしいなんて思ってないけど!?」

「は~……冷たいねぇ。いつからそんな孫になったんだ?」

 あんまりおじいちゃんいじめんなよ、ユーナ。



 アイアンリーガーはロボットである。
 鋼鉄の身体、そこに流れるオイルは人工のものであり、人間でいう「親」から分けてもらい継ぐものではない。

 つまりリーガーにとって、血縁関係、というものを理解するのはなかなか難しい問題なのだ。
 一部のリーガーは兄弟、姉妹、といった関係性と信頼を築いているが、いわば「ひとりっこ」であるサーティーンには縁遠い概念だ。

「――で? なんで今更帰ってきたの?」

「自分の家に帰るのに今更もなにもないだろうよ」

「『見捨てた家』の間違いでしょ」

 だからだろうか、(もしくはそんなこと全く関係ないのだろうか)今目の前で起こっている状況に対し、サーティーンのその明晰なAIはずっと疑問符に埋まったままだ。

 普段はユーナが仮眠で使うソファに腰掛けた彼の前に立ち、仁王立ちで見下ろす彼女の表情と言葉はあまりにも冷たい。
 一触即発。刃物でも出すんじゃないか、とすら思えてしまうそのただならぬ様子に、サーティーンは制止役として彼女の横から動く気になれなかった。

「ちょっと遊びに行ってただけで大げさな……だいたいお前、いつからこんなリーガーなんかバイトで雇ったんだよ。おじいちゃん聞いてないぞ」

「言ってないし言う必要ないでしょ」

「この店のオーナーは俺なのにか?」

「へぇ、『オーナー』って自分のお店も孫も捨てるんだ。初めて知ったわ」

「お前いつからそんな嫌味ったらしくなったんだ? あのババアの血かな」

「私がおばあちゃんから受け継いだのはおじいちゃんに対する嫌悪感、かな」

「余計なもん継ぎやがって……昔は『おじいちゃん、お喋りするクマちゃん作って~』とか言ってたくせに」

「はいはい、そうやって人の人生の汚点突いて楽しい?」

 ……駄目だ。とてもじゃないが、このやりとりに口を挟んでいいようには思えない。
 サーティーンの思考は落ち着け、一旦整理しよう、と冷静になることを選んだ。

 話の流れからすると、この奇っ怪な客は親愛なる店長の「おじいちゃん」――親の親、つまりかなり近い血縁関係の者らしい。
 よくよくその顔を見てみれば、どことなく目元の雰囲気が似ているようにも思える。
 そんなふたりがぎすぎすと険悪な嫌味の応酬を繰り広げているのを前に、今この状態の中ではただの部外者でしかないサーティーンは困るばかりだ。「――もういいよ、」

「またいつもみたいに好き勝手すればいいじゃん。私も好きにするから。口利かないから」

「あっ、おいユーナ、どこに行くんだ」

「ごめんねサーくん、気晴らしにまたいつもの公園行こっか」

「あ、ああ……」

「おいユーナ!」

「あそこのアイス屋、今期間限定でクリームレモン味出てるから楽しみだな~」

 どうだ、見たか、今はこの子と仲良く水入らずでやっているんだ、と気に入らぬ祖父へ見せつけるよう、彼女はサーティーンの右腕に抱きついてはとびっきり明るい声で言う。

 口を利かぬと宣言した通り、まるで祖父の声が一切聞こえなくなったかのようなその振る舞い――本当にこれでいいのだろうか?

 そもそもなんでこんなに仲が悪いんだ?

 なにひとつ分からぬままの可哀想なバイト、サーティーンはユーナに付き添いガレージを後にした。



「――なぁ、店長」

「なぁに?」

「……いや、なんでもない」

 日暮れて熱気が薄まった夕、涼しい風がひとつ吹いた。
 ベンチに腰掛ける彼女の手元、そこには先程買ったばかりのアイスが三段もカップに詰んである。
 下からナッツインチョコレート、オレンジシュガー、一番上には期間限定だと話していたレモンクリーム味――全部彼女が好むものなのに、それをスプーンですくって食べるその横顔は浮かないものだ。

「……ごめんね、サーティーンくんには関係ない話なのに」

「えっ、いや、その……」

「……なんかさ、急に来られてびっくりしちゃったんだよね」

 死んだかと思ってたのに、と呟く弱々しい声――違う、これは店長じゃない。サーティーンが今まで見てきた彼女はどんなことも、どんな時でも笑っていた。

 もうこんなの見ていられるか――「――店長、」

「……俺はアイアンリーガーだ。人間でいう家族……というのは、正直よく分からん」

「うん、」

「……でも、店長が困ってるなら話してほしい。俺にできることが分かるかもしれないから」

「……うん、」

 暫しの沈黙。なにを言おうか、なにから話そうか、そう躊躇いスプーンを数回噛んだユーナは、少しずつ、少しずつ緩やかに溶けるアイスのように心情を零し始めた。「――……うちの店なんだけどさ、」

「元々はおじいちゃんが昔作った店だったの。おじいちゃんも物作り好きだから」

 そもそも私が今の仕事してるのだって、全部全部おじいちゃんが教えてくれたことが元なのに……なのにさぁ、朝起きたら置き手紙と通帳だけ置いていなくなってるってなに?
 「好きにやれ」って書いてあったけどさ、好きもなにも……こっちはさ、勝手に「いつかおじいちゃんを超えるんだ」なんて思ってたのに馬鹿みたいじゃん!

――「正解」がいなくなったらどうしていいか分かんなくなるじゃん!

 今の空から雨は降らず。彼女の手元にぽつりとひとつ落ちたのは、紛れもなく彼女の激情から漏れた涙の一滴だった。

――なぁ店長。店長はなんで左右で飾りを変えてるんだ?

 ああ、これね……んー……なんていうか、「仕事に絶対的な正解も不正解もないぞ」って感じでつけてるんだよね。

 この仕事ってお客さんのために色々作るのがお仕事だけど、今まではずっと自分ひとりで作るしかなかったからさ……だからたまーに悩んじゃうんだよね、「本当にあの完成品でよかったのか?」なんて――サーティーンの記憶回路に残っていた会話、そこに彼女の涙の答えがあった。

 理由も分からぬままひとり店に取り残された怒り――そして、「正解」として目標にしていた彼がいなくなったことで生まれてしまった物作りへの不安とプレッシャーは、今までどれだけ彼女の心に重く乗っていたことだろう。

 正解とは明るく輝く道標でもある。

 自身が進む方角すら分からず、全て独りのまま手探りで進まねばならぬ暗闇ほど恐ろしいものはない。

 かつてのサーティーンもそうだった。そして道を誤っていた。
 心のどこかで薄々とそれに気づきながらも、留まることも、一歩後戻りをすることもすら恐ろしく、結局は勢いのまま踏み外した道を走り続けるしかなかった。
 そんな時にサーティーンは「マグナムエース」という正解の使者に出会えたのだ。
 その運命がなければ、きっと今頃も無意味に他のリーガーを破壊していたかもしれない――そんな自分とは違い、店長は強い人間だ。

 他人を傷つけることなく、むしろ喜んでもらえるようにと仕事に打ち込んでいた。

 たった一組のピアスに込めた「絶対的な正解も不正解もない」という想いは、きっと彼女が自身の心を守るために作り上げた答えなのだろう。

 そして、その「答え」を殺すのは――「――……今更、」

「今更帰ってこられたって……困るよ。だって……」

「……俺は店長が間違っていると思ったことなんて、一度もない」

「え……?」

「あいつがどんなに凄い奴だろうと、店長にとって揺るぎない正解だとしても……俺にとっての正解は店長、あんただ」

 彼女に出会い、雇われ、そしてあの店で彼女の仕事を、選択を見てきたサーティーンにできること――それは一緒に隣を歩んでやることだ。
 愛想のいい接客も、センスのあるアクセサリー作りもできないが、彼女の隣でその仕事を肯定してやることならいくらだってできる。

 それがどれだけユーナの支えになれるかは分からない。どんなプログラムで計算すればいいのかすら分からない。
 そう、今だって正解も不正解も分からない道に立たされているが、そんな場所だからこそサーティーンは彼女の隣にいたいと思っている。

「……アイス、溶けちゃった……あ、でも……」

「でも?」

「うーん……まぁまぁ美味しい、……かも」

 三段重ねもいつの間にか一体に。
 カップの中で溶け合ってしまった無様なアイスにひとつ笑い、ユーナはそれをスープのように口にする。

「これはこれでアリ、かな……私は好きかも」

「……そうか、良かったな店長」

「うん、」

「また一緒に来よう、アイスなんかいくらでも付き合う」

「……うん、」

 ついさっき袖で拭ったばかりのはずなのに。
 なぜかまた漏れ出してきた涙に弱々しく頷くユーナへ、サーティーンは単なるバイトとしてではなくバディとして――彼女の隣にいることを選んだ者として、その頭を撫でた。



「――だーかーらー! 何回も言ってんじゃん!」

 もう飽き飽きするほどの晴天、快晴。
 ミックス堂のガレージから聞こえたのは、ここの店長であるユーナの苛ついた声だった。

「今回の依頼は『派手』『ポップ』ってイメージで貰ってんの! Y2Kにするなら全本まずベタ塗りベースにしたいの!」

「お前こそ夏に使うチップにクリア入れんとかセンスない、って何回言ったら分かるんだよ。パーツ盛るだけなら誰にだってできるわ」

「残念でした~! 依頼人のインスタ見たらクリア系のチップ着けてる写真一個もないです~! ばきばき原色系ばっかです!」

「なんだよそんなにカリカリしやがって、反抗期か?」

「おじいちゃんに対しては一生そうかもね!」

 ……といったやりとりすらもうこの店に馴染んでしまい、バイトのサーティーンは狼狽えるどころか「聞き流す」というスキルを身に着けた。

 招かれざる者――このミックス堂の創始者、十二月創一郎が先週からこの店に住み着いてしまったのだ。

 孫であり、今は店長を勤めるユーナは当然反発し、公園から帰った後に話し合い――いや、あれは尋問、といったほうが正しいかもしれない。

 倉庫からわざわざ金属パイプを持ち出してきた孫、それに仕える屈強なアイアンリーガーに詰め寄られては、飄々とした傾奇者である創一郎も流石に参ったようだ。

 孫と店を残してどこでなにをやっていたんだ、そしてなんで急に帰ってきたんだと問い詰めれば、呆れて物も言えないような返事だけが返ってきた。「――まぁまぁそう怒んなよ、」

「理由なんて簡単簡単。ただ単純に遊べる金が入って、おまけにお前が働きモンだったから店ごと置いて遊びに行ってただけだよ」

 ほら、じいちゃん元々ダークの開発にいたろ?
 それでさ、同僚だった奴がちょっと開発手伝ってくれって言うからさぁ、俺が昔組んだプログラムの特許売ってやったのよ。

 そしたらまぁそこそこ金入ったし、死ぬまでに一度は世界一周でもするか~と思って出てったわけ。

「……って感じなんだけど、」

「遺言はそれでいい?」

「馬鹿、俺の遺言はジョージィちゃんへの告白だって決めてんだよ」

「……で? なんで帰ってきたの?」

「ベガスのカジノで全部スッたから帰宅」

「クソじじいが! おじいちゃんなんか橋の下で寝てろ!」

 こんな不真面目そうな奴がダークの研究所にいたのか、実は本当に凄い奴なんだろうか、とサーティーンが衝撃を受けているその時、自由奔放極まれり(色んな意味で)若々しい祖父と、それに振り回される真面目な孫の間で乱闘(物理)が始まりそうになり、慌てて仲裁に入ったのももう先週のこと――人間、否、リーガーも環境に慣れるもので、今はそんなふたりの口喧嘩を聞き流しながら洗車とワックスがけの作業を淡々とこなしている。

 ……でも良かったじゃないか、店長。

 彼女が祖父の帰還を激しく拒絶したのは、今まで自身が頑張って積み上げてきた仕事が否定されたら、「不正解」だと証明されてしまったら、という恐怖からもの――でもサーティーンは思う。

 本当はそれすら杞憂なのではないか、と。

 ユーナが気づいているかどうかは分からない。が、サーティーンの鋭い目は創一郎の耳元――長い髪で隠れるその耳に、小さなピアスが並んでいることを見逃さなかった。

 そして、そのピアスが丸とバツ印であることを――絶対的な正解も不正解もない、と示すそのふたつを見た時から、サーティーンはもう知っていたのだ。

 このふたりは似ている。
 物作りを愛するクリエイターとしての根幹がそっくりそのまま同じである、と――考えすぎだろうか?

 のらりくらりとふざけたあの様子だと、どこまでなにを考え、思っているのか真意が掴めない。

 だが、店長であるユーナが少しでも気を持ち直してくれたのは確かなようで、今日もなんだかんだ元気に憎まれ口を叩き合いながら仕事をしているその様子は微笑ましくもある。が――「――もういい!」

「こんなお邪魔虫いたら仕事なんない! サーくん、それ終わったら買い物がてらアイス食べに行こ!」

「サーくん、って……おいユーナ、まさかお前こんなニードル野郎とデートか?」

 ニードル野郎? とサーティーンが首を傾げるよりも早かったのはユーナの否定だ。

「デっ……デートじゃないし!! 変なこと言わないでよね!」

 あ、否定するのはそこなのか、店長。

 しかしなぜだろうか。
 正直未だ気に食わぬ創一郎から変なあだ名を付けられたことより、ふたりでの外出をデートではない、とユーナ本人から否定されるほうが少し悲しいのは――計算失敗。エラー。分からん。

 仕事のことでもリーグのことでもない。
 こんな些細なことに頭を悩ませてしまうサーティーンが、この「正解」を知る日が来るのか――それすら誰も分からない。
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