斜堂先生とオカルトくノ一女生徒
「――あの、斜堂先生、」
「……はい、なんでしょう?」
「本当にこの奥に『助っ人』がいるんですか……?」
学園に背を向け、裏山の奥へ進む薄暗い道を歩いていく中、彼は訝しげにそう聞いてきた。
彼の名は山田利吉――学園にて教師を勤める山田先生のご子息であり、今は独り立ちしフリーで仕事を請け負う忍をやっている。
しかし世の中なかなかうまくいかないもので、忍として実力と才能がある彼でも、今回のように他人から見ればくだらない仕事に翻弄されてしまう時があるものだ。
今回わざわざ私のところに来ては協力してほしいと頭を下げた内容もそうだ。
戦の場になる予定の森にある別荘から、意地でも引っ越さないポルトガル人を幽霊――に似ている私で脅して退去させる……たぶん、世の中にいる忍という存在に憧れる子供が聞いたら呆れるでしょう。
しかし仕事は格好良さだけで回るものではないし、なにより彼に頼まれれば断る気にはなれない。
そういう話でしたら、とても心強い助っ人がいるので会いに行きましょうか、と裏山を進みしばらくすると、だんだんと木を燃やす煙が濃くなっていく。
草木をかき分け、その煙を出している焚き火が燃える場所――彼女がいる場所に、ようやく辿り着く。「……やっぱり、」
「ここにいたんですね、墓乃上さん」
串代わりの枝に魚を刺し、焚き火でこんがり焼いたであろうそれを美味しそうに食べていた彼女と目が合う。
「え、斜堂せんせー? どうしたんです、こんなところにまで……」
それにその方は? と首を傾げる墓乃上さんに、利吉さんも同じような顔をする。
無理もない。助っ人がいると聞いて見てみれば、ただのくノ一教室の生徒がひとりだけいるのだ。
色々と疑問があるであろう彼との話を進めるため、とりあえずまずは彼女へ彼を紹介する。
「こちらの方は山田利吉さん……あの山田先生の息子さんで、今はフリーの忍をされている方です」
「なんと……そうだったんですカ、これは失礼しました」
彼女は手ぬぐいで口元を拭うと、彼へ頭を下げ一礼する。「くノ一教室でお世話になっている墓乃上みつよと言います」
「どうぞよろしくお願い致します」
「あ、ああ……どうも、山田利吉です。こちらこそよろしく」
とりあえず互いの名は分かったところで、今回利吉さんが押し付けられてしまった仕事に関する重要な部分――そう、なぜ今回彼女が助っ人になるのかという話に入る。「……すみませんね、墓乃上さん」
「私たち、墓乃上さんにお願いしたいことがあって来たんです」
*
「――幽霊で脅かして南蛮人を引っ越しさせる、ですカ……」
ひとまず日が暮れかかる裏山から降り、食堂の席を借りた中で彼女へ今回困っている点の説明をする。
私がそうやって彼女と話している横で、利吉さんは最初とあまり変わらぬ訝しんだ表情で墓乃上さんを見ている。「墓乃上さん、」
「今回、墓乃上さんにお力を借りたいのですが……利吉さんに墓乃上さんのこと、お話してもよろしいですか?」
「まァ、斜堂せんせーがお困りとあらば別に構いませんヨ。……というより、私から話したほうが早いでしょう」
――私、幽霊が見えるんですヨ。
実にシンプル、それでいて率直な彼女の自己紹介は彼の想像の範疇外だったのか、普段は聡明な彼の口からは実に気が抜けた声が出る。「――え、」
「幽霊が……見える?」
「そうですネ。私は墓場で幽霊に育てられましたし、読み書きや敬語は南蛮人の幽霊に教わりましたヨ」
だからこんな訛りになってしまったんですけどネ、と苦笑する彼女を前に、彼の視線が私に向く。
その端正な顔には「正気ですか? 斜堂先生?」と書いてある。
まぁ無理もない。誰だってそう思うだろう。見えるだけならまだしも、育てられた、なんて言われたらそう思うほうが当然だろう。「まァ、」
「そうすぐに信じてもらうのは難しいでしょうけどネ……とりあえず他人よりは幽霊に詳しいですし、人間が幽霊を怖がる演出だって、この墓乃上にかかれば簡単なものですヨ」
自信に溢れた宣言をする墓乃上さんとは反対に、それを困惑した顔でとりあえず聞いている彼。
いい加減になんだか可哀想にも思えてきたので、ひとまずこの話は区切ろうかと思う。
「――色々と言いたいお気持ちは分かりますが……利吉さん。今回の件ですが、彼女以上の適任はいないと思うんですよね」
うんと怖がってもらえないと、なかなか引っ越しなんかしてくれないと思うんですよ……そうひと押しすると、人が良い性分の彼のこと。
困った顔をしつつも墓乃上さんに向き直り、一礼した。
「……まぁ斜堂先生がそう仰るなら……よろしく頼みます、墓乃上さん」
「どーも。最高に怖い心霊体験、この墓乃上が作ってみせますヨ」
そう言ってイタズラを楽しむ子供のように笑った彼女を前に、私は再度「正気ですか? 斜堂先生?」という彼の顔を向けられていた。
*
「――いいじゃないですカ! すっごくお似合いです、斜堂せんせー!」
別荘がある森の中、日が暮れた中で死装束に着替えると、それはそれはとても嬉しそうにはしゃぐ墓乃上さんが熱い視線を向けてくる。
今回この幽霊騒ぎで怖がってもらう相手――カステーラさん、というポルトガル人が怖がった幽霊の絵をしんべヱくんのお父上から見せてもらい、私はできる限りそれに似せた格好をすることになりました。
「髪を下ろした斜堂せんせーも本当に素敵ですネ……! それにその死装束! 私、死装束がそんなに似合う殿方は初めてみましたヨ!」
「それって褒めてるんですか……?」
「え? 最上級の褒め言葉ですヨ!」
もう少し髪は濡らしたほうが幽霊っぽいですネ! 毛先に少し椿油でも塗って湿った感じにしましょう!
この上なく楽しそうに私をより幽霊に近づけようとあれこれ手を加えていく彼女に対し、冷静、というよりは、少し……いや、結構引いた利吉さんの呟きが聞こえる。「なんか……その、」
「彼女はいつもあんな感じなのか……?」
「はい、墓乃上先輩は斜堂先生のことが大好きなんですよ。学園でもあんな感じです」
そんな利吉さんに応えたのは、日常的に墓乃上さんからの(だいぶ的が外れた)愛情表現を受けている私を見慣れたしんべヱくんでした。「墓乃上せんぱーい、」
「太鼓と笛の準備、できましたよぉ」
より怖がってもらうための演出に、と、墓乃上さんが頼んでいたものが揃ったようだ。
その声に墓乃上さんはひとつ返事をすると、私を幽霊に近づける微調整も満足したのか、「よし、」と笑った。「ありがとうございます、しんべヱくんと、そのお父上さま、」
「これだけ揃ったら、あとは私が仕上げをしましょう」
「仕上げ……?」
この場にいる、墓乃上さん以外の皆が首を傾げ、その顔を見合わせた。
死装束を着た陰鬱な幽霊役の私、不気味な音色で不安を煽るための笛と太鼓「――墓乃上さん、」
「あなたに言われたものは全て用意したはずじゃが……」
「ええ、そうですネ。しんべヱくんのお父上さまには感謝申し上げます。……しかし今回、私にしか用意できないものがありましてネ」
誰もがその言葉にますます疑問を抱いた夜空の元――墓乃上さんが、その細い指をぱちんっ、とひとつ鳴らしたその刹那だった。
蝋燭もなにもない寒空の下だというのに、目の前で青白い火がいきなり弾け、そして一瞬で燃え尽きたかのように消えた――「鬼火ですヨ」
「火の玉……と言ったほうが分かりやすいでしょうかネ」
誰もが目を丸くしていた。そして誰もが言葉を失っていた。たった一瞬、一瞬だけ突然輝いた炎の瞬きが、何事もなかったかのようにまたも一瞬で消えてしまったことに驚きと混乱を隠せない。「――い、」
「今のは一体……」
ようやく疑問を口にできたのは利吉さんだった。彼は信じられない、という表情のまま、一瞬だけ燃え上がったその場所に手を伸ばすが、そこにはなにもない。なにを触ろうとも、その手に触れるものはただの月夜の元にある空間と風だけ。
「……私は普段、幽霊を使役するようなことはしません。私にとって幽霊とは対等な立場であり、等しく家族なので」
しかし、と言葉を続けるその口元には、今にも笑い声を上げてもおかしくないほどのご機嫌な笑みがあった。「――幽霊っていう存在はですネ、」
「この世のどんな存在よりも退屈しているんですヨ。……なので先程、私がこの場にいる幽霊たちに交渉したところ、ぜひ喜んで協力してくださるとのことです」
「じゃ、じゃあ今のは墓乃上先輩が……」
「ええ、私の合図でちょっと光ってもらったんですヨ。大丈夫、怖い幽霊たちじゃありませんから」
目線を合わせるように屈み、しんべヱくんを安心させるように優しく応える彼女の姿に、私は初めて彼女と出会った時のことを思い出していました。
――今まで幽霊としか接していなかったから、人間とどう関わっていいか分からない。
人間が怖い。もしかして私はたまたま肉体を持っているだけの幽霊なのではないか――そうひとりで泣いていた子が、今は人の頼みに協力し、気遣いまでしている。
そんな生徒の成長に内心喜んでいると、参ったな、と笑う利吉さんの声がした。「まさか本当に幽霊が見えるなんて……」
「正直信じていませんでしたよ」
「……まぁ、普通そう思うでしょうね」
「でも先生の仰るとおり、これは頼もしい助っ人ですね」
「……ええ、存分に頼ってあげてください」
――さて、じゃあ本番といきましょうか。
成長したあの子が頑張って色々と手伝ってくれたのですから、きっとうまくいくでしょう。
*
――って思っていたのに!
墓乃上さんが幽霊に合図を出し、部屋に灯る蝋燭を風で消してもらい、鬼火と、しんべヱくんと利吉さんが奏でる不気味な音楽と共に私が部屋に入って家主を怖がらせる――という計画だったのだが、ここで大きな大誤算があった。
このポルトガル人、幽霊が怖いながらも好きだったようなのだ!
むしろ、これぞ日本の文化! 東洋の美学!
そう喜んでしまったのだ。
最初に聞いていた話と大きく違うそれに混乱していると、ポルトガルの博物館に展示したいなどと、あろうことか本物の幽霊だと思われて強引に掴まれてしまった。
違う、私は本当のオバケなんかじゃありません、そう言っても通じない!
その強引さに思わず悲鳴を上げると、なによりも早く、襖を蹴り飛ばして部屋に飛び込んで来たのは墓乃上さんだった。「はあぁぁぁ!?」
「ちょっ……なにしてるんですカ!! その人離してくださいヨ!!」
髪の毛が逆立つのではと思うほどの大声で迫り、顔をかすめるように空を斬って飛んできては柱に突き刺さったのは、彼女の殺意を乗せた手裏剣だった。
墓乃上さんの後に続き、利吉さんたちがばたばたと部屋に入ってきては狼狽える。
日頃商売で良好な仲を築いているしんべヱくんのお父上さまを見たこのポルトガル人――カステーラさんは驚き、一瞬その手が私から離れたのでその隙に墓乃上さんの傍に寄ると、威嚇する獣のように彼女は私を隠すように前に立った。
「斜堂せんせーはオバケなんかじゃないんですヨ! 本当の幽霊なら触れないんですから!!」
「は、墓乃上さん……」
毅然と、それでいて殺気立ちながら私を庇うその背のなんと頼もしいことか――墓乃上さん、ありがとうございます。
墓乃上さんも私と初めて出会った時、私のことをずっと幽霊だと思い込んでいたことを思い出しましたが……。
あの時もなかなか誤解が解けなくて大変でしたねぇ……。
国際問題にするとかなんとか、カステーラさんとの揉め事がなんだか大きくなっていく最中、この人生の中、本気で幽霊だと思われたことは今回で二回目ですねぇ……と思わず遠い目をしてしまう。
「斜堂せんせー、大丈夫ですカ? お怪我などありませんカ? 私が……私が本当の幽霊っぽくなるように、なんてやらなきゃよかったのに……すみません、私のせいです、ごめんなさい」
……しかし、今は本気で心配してはあわあわと混乱、右往左往する彼女に対し、今ここでそんなことを言う大人げない奴が教師なんてできようものか――「……墓乃上さん、」
「先程は助けてくださってありがとうございます」
私は大丈夫ですから、と応える。
――そう、これでいい。
何度幽霊だと思い込まれようが、今目の前にいる生徒が私のことを気遣ってくれるならいいじゃないか。
よかった、本当によかったと涙目になり、あっという間に本当にぽろぽろと泣く彼女を宥めるように、少し軽くその頭に手を乗せ、撫でてみた。
「……これでも先生、まだ生きてますので」
泣いてる生徒は放っておけないので。
ほんの少しでもその気持ちが伝われば、と願いながら撫でる手にある黒髪の感覚は、たぶんこの先、生きている限り忘れないでしょう。
*
「――座敷わらし!? 違いますヨ! 私は人間です!!」
先日の引っ越しだとか、国際問題だとか、そういうややこしい話は利吉さんの聡明な機転と、しんべヱくんのお父上さまの商才がうまく合わさり、全てが丸く収まったらしい。
そしてその節、私に強引な振る舞いをしてしまったことを詫びたいという旨と、南蛮の菓子と茶を揃えた席にぜひ来てくれないかと招待を受け、今はその場で紅茶を頂いているのですが……。
「ウソおっしゃい、アナタ、日本の本で読んだ座敷ワラシそっくりデース!」
「違いますってば! だいたい座敷わらしが南蛮訛りで話すわけないでしょ! 私はただの人間なんですヨ!」
なんと、今度は墓乃上さんが妖怪の座敷わらしだと思われて揉めているのです。
「斜堂センセーの怖さと、アナタの怖さ、国際的に通用シマスヨ!」
「通用しなくていいですヨ!」
いつもは周りが驚くほどに熱いアタックを私に向けるあの墓乃上さんが、人はみな恐れる幽霊相手に交渉すらできるあの墓乃上さんが、カステーラさんの押しに困っては頭を抱え、その憂さ晴らしだとでも言わんばかりに菓子をひとつつまんではその口に放り込む。
眉間に皺が寄った彼女の姿に、すごい、と純粋な驚きをしんべヱくんが呟く。
「いつもぐいぐい斜堂先生にアタックしてるあの墓乃上先輩が怯んでるなんて……」
「……人間、誰しも苦手なものってありますからねぇ……」
違う、私は人間です、ポルトガル? 行きませんヨ! 諦めてください!
騒々しくも賑やかな茶の席、ポルトガル人と座敷わらし(だと思い込まれている生徒)の喧騒を聞きながら、気がつけばぽつりと小さく呟いていた。
「墓乃上さんも普通の人間ですからねぇ……」
――人間というものが分からない。
本当は私は幽霊で、人間じゃないのかもしれない。
そういって泣いていたかつての姿を思い出し、その泣き顔に伝わるよう、もう一度内心、呟いてみる。「……大丈夫ですよ、」
「あなたは人間です」
まぁ、今は座敷わらしだと思われて困っていますが……。
しばらく和解しそうにない騒ぎを聞き流しながら、とりあえずはしんべヱくんと南蛮の茶菓子を楽しむことにした。
「でも斜堂先生、」
「はい、」
「たしかに墓乃上先輩って座敷わらしに似てますよね?」
「…………そうですね」
この騒ぎはいつ終わるやら……親愛なる教師がひとつため息をついたことを、ポルトガル人に翻弄される座敷わらしは知らない。