斜堂先生とオカルトくノ一女生徒


「――……あの、墓乃上さん、」

「はい、」

「なんですか、これは……」

 放課後の裏山というのはとても良い。
 校庭で賑わう生徒たちの声も、嫌味な教師のくだらない冗談も、自分にとっては忌々しい日差しも、その全てを遮断するように生い茂った木々と湿気が満ちる空間のなんと落ち着くことか。

――かと思えば。

 いつもとは違い、奥に進めば進むほどになにかを燃やすような煙が強くなり、何事かと思い煙の元を辿ると、そこにあったのは焚き火と、それを囲うように串に刺され、蒲焼きのように開かれた鳥のようななにかが数本。そして同じく串が刺さった蛇を口にしていたのは、もうすっかり見慣れた女生徒の顔だった。

 そしてその顔になにをしているのかと問うと、彼女は口にしていたものを飲み込み、一言呟いた。

「野営です」

「はぁ……まぁ、そうでしょうけど……」

 なぜ野営を? くノ一教室では野営をしろと宿題でも出たのか?

 色々と困惑し、そもそもなにから聞いていいのか分からなかった。とりあえず彼女の対面にあった切り株に腰をかけ、焚き火の炎に炙られる串に刺さったなにかを指す。「――墓乃上さん、これは?」

「蛇と魚と……」

「スズメです。簡単な仕掛け罠で捕れる上に捌きやすいので、よく食べるんですヨ」

「食べるって……これ、もしかして墓乃上さんの食事ですか?」

「ええ、そうですヨ。斜堂せんせーもおひとついかがですか?」

「いえ、お気持ちは嬉しいですが……先程食堂で済ませてきましたので……」

 そういって再度焚き火のほうに目を落とす。
 狩って、捌いて、焼いてあるだけの質素な串焼きに、それを慣れた様子で食す生徒――「あの、」

「墓乃上さんは食堂に行かないんですか?」

 学園の生徒はみな、食堂のおばちゃんが毎日作ってくださる料理が大好きだ。
 生徒だけではなく、自分たち職員だって大変お世話になっている。
 女子とはいえ、まだまだ食べ盛りの生徒が口にするには少々……いや、だいぶ物足りないように見えて心配になってしまう。「……たまに行きますヨ」

「雨の日とかは火が起こせませんからネ」

「たまにって……これで本当に足りているんですか?」

「……ええ、まぁ……」

――明らかに様子がおかしい。

 彼女と初めて出会ってからというもの、それはそれはほぼ毎日(やや常識から外れた)明るく元気な笑顔と愛情表現を向けられてきた。
 そんな彼女が今は目をそらし、そっけない態度を取っている。

 なにか言いにくいことを隠すようなその態度に困惑していると、ようやく小さな声でぽつりと言葉がこぼれた。「……お箸の、」

「お箸の正しい持ち方が分からないんです」

「お箸……?」

「食堂に行くと、みんななんだか綺麗な持ち方をしていて……でも私、どうやったらそんなふうに綺麗に持てるか分からなくて、だんだん、みんながいる場所でご飯食べるのが恥ずかしくなって……」

「なるほど……それでひとりで野営して、食事を済ませていたと……」

 彼女にとってはとてつもなく恥ずかしくて、それでいてずっと隠していたかったことなのだろう。
 顔を赤くしてうつむく彼女はひとつ頷くと、それに、と言葉を続ける。

「斜堂せんせーは作法委員会の顧問をしていると聞いていましたので……お箸もろくに持てないなんて、なんだか言いにくくて……でも、せんせーには隠し事なんてできませんねェ……」

 弱々しく笑う彼女の姿に、私はなんて言ってやればよかったのか――その日の晩、床に入ってもあの泣きそうな笑みが頭に残り、なかなか寝付けなかったものです。



「――え? くノ一教室の墓乃上ちゃん?」

 彼女がひとりで野営をし、質素な食事を済ませていたと知った翌日の昼下がり、食堂のおばちゃんに彼女を知っているかと聞けば、ああ、あの黒髪の子ね、と返ってきた。「あの子、本当にたまにしか来ないから心配してたのよ」

「それに、くノ一教室の子たちってみんなで仲良く食べること多いじゃない? でも私、あの子が誰かと一緒に食べてるところ見たことないのよねぇ……」

「そうでしたか……」

 内心、予想していた通りの答えだった。
 そもそも以前、山本シナ先生に彼女のことを聞いた時も、無口で大人しく、同級生たちともうまく馴染んでいない、という話だった。
 そんな彼女が私と出会ってから一転、よく笑うようになり、自信に溢れ堂々とした態度になり、まるで人が変わったようだ、とも驚いていた。
 まぁ経緯はどうであれ、生徒が自信を持てるようになったことは喜ばしいが……それでも尚、他人との食事は気が引けるのか、食堂に顔を出すことは滅多にないらしい。

「たまに来てもひとりで、人から隠れるようにささっと食べて帰っちゃうのよ」

「隠れるように、ですか……」

 ように、というよりは、本当に人から隠れたいのだろう。人知れずひとりで野営をするほどには。

 一体どんな気持ちで蛇を、スズメを捌き、冷たい風に揺らぐ焚き火見つめていたのだろう。
 今更なにを思うでもなく、ただただそれは当たり前のことだと思っているのか、または諦めているのか――「ねぇ斜堂先生、」

「墓乃上ちゃんって斜堂先生に懐いているんでしょう?」

「ええ、まぁ……」

「急にみんなと仲良く、っていうのは難しいかもしれないけど、せめてちゃんと美味しく食べてもらいたいのよ……どうにかならないかしら」

 そうため息をつくおばちゃんの姿に、躊躇いもなく焼いた蛇を口にしていた墓乃上さんの幼い横顔を思い出す。
 
 初めて彼女の話を聞いた時も、そして今も思うが、どうやらあの子は自分も周りと変わらぬ人間なのだ、という自覚が少し薄い気がする。
 他の人間とは違い、誰よりもなによりも死者に近い、というよりは死者に紛れて生きてきた身の上のせいか、他の人間との接し方の基本が「隠れる」ということしかない。
 今回だって、他の人間とは違う持ち方をしているのだと自覚し、それでいて誰かに聞くでもなく、持ち前の技術と知恵を使って野営をすることによって人目から隠れたのだ。

 そんな彼女が唯一恥を忍んで悩みを打ち明けてくれた人間として、教師としてできることなど、それはもうこの上なく単純明快である。「……あの、」

「少しお願いがあるんですけど……」



「――……あの、斜堂せんせー、」

「はい、」

「これは一体……」

 ある日の放課後、用事があるのでと食堂に呼び出した墓乃上さんは、机の上にあるものを見ては不思議そうに首を傾げる。

「これはですね、墓乃上さんが正しくお箸を使えるようにするための練習に必要なものです」

 机の上にはお箸が二膳、大豆が二十粒ほど入った茶碗と、なにも入っていない茶碗――「まずは、墓乃上さんが今どうやってお箸を持っているのか見せてくれませんか?」

 そう聞くと彼女は苦々しい顔をし、笑わないでくださいネ、と呟き、箸を握る。

 右手の平でぎゅっと握り込むそれは、なんとも典型的な握り箸だった。「ああ、」

「もっと変わった持ち方をしているのかと思っていましたが……それぐらいでしたらすぐに直ると思いますよ」

「ほ、本当ですカ?」

「ええ、教師を信じなくてなにを信じるんです?」

 それでは……まずは一旦机に置きましょうか。そして力を抜いて、一本だけ指先に乗せるように支えてみましょう――ぎこちなく力が入っている彼女の右手に触れようとしたその瞬間、さすがくノ一教室の生徒というか、蛇に驚いた猫のような反射で彼女が右手を隠した。

「え……ど、どうされました……?」

「い、いえ、斜堂せんせーはとてつもなく潔癖症だと伺っていましたので……」

「まぁ……事実ではありますけど……」

 だからどうしたのです? と聞けば、なにをそんなに焦ることがあるのか、墓乃上さんは目をそらす。

「わ、私の手なんて……む、昔ついた傷跡だらけですし、荒れてますし……」

「……それ、今関係ありませんよね?」

「え、ええ、まぁそうなんですけど……でも……」

「努力する生徒に触れないなんて、私もそこまで落ちぶれた教師ではありませんよ」

「しゃ、斜堂せんせー……」

「正しい持ち方の練習、するんでしょう? そんなのいちいち気にしなくて大丈夫ですよ……さ、続きやりましょう」

 恐る恐る、といった感じで隠していた右手を机の上に出し、その手に触れて箸を持つ位置を正してやる。
 たしかによく見れば、幼い手には似合わぬ古傷だらけだ。
 そして白く、あまりにも細いその指先は荒れている。

 彼女の話では、幽霊というものは一切物体に触ることができないらしい。
 それ故、仕掛け罠も、捌き方も、火の起こし方だって全て幽霊の言葉を聞きながら自分でやるしかなかったと言っていた。
 生きるための努力と知恵、それを実践で学ぶ内に重なる傷を、誰が汚いと言えようか――「あら!」

「よかったわねぇ墓乃上ちゃん! 斜堂先生と一緒に練習できて!」

「しょ、食堂のおばちゃんさん……!?」

 他の用事が終わったのか、野菜が入ったカゴを持って入ってきた彼女の声に、墓乃上さんは驚いて固まる。

「墓乃上ちゃん、あまりここに食べに来てなかったから心配してたのよ?」

「す、すみません……」

「でも斜堂先生と一緒にお箸の持ち方の練習するなんて偉いわねぇ、自分でそういうの気づけるって大事なことよ?」

「あ、ありがとうございます……」

 いつもは私に大して人目もはばからずに好きだ愛していると叫ぶ彼女が恐縮している様を前に、我慢しようにも思わず笑ってしまった。

「さすがの墓乃上さんも、食堂のおばちゃんには弱いんですねぇ……ふふ、そんなにかしこまらなくてもいいのに……」

「い、いや……その……まさかご心配おかけしているとは思っていませんでしたし……というか名前まで覚えて頂いているとは思ってなかったんですヨ……」

 うろたえる墓乃上さんの言葉に、自然と食堂のおばちゃんと目を見合わせると、この学園で一番強くたくましい彼女が胸を張る。「あのねぇ墓乃上ちゃん、」

「もっと大人を頼っていいのよ? それに、墓乃上ちゃんが思っているよりもみんな心配したり、気にかけてくれているんだからね」

「……そうですね、そのために我々教師もいるんですから」

――アナタは人間なのだから、人間を頼ることに罪悪や劣等を感じなくていいのです。

「……墓乃上さん。墓乃上さんが頑張って綺麗にお箸が使えるようになったら、今度先生と一緒に食べましょうね」

 あらあら、良かったわねぇ墓乃上ちゃん、とおばちゃんに軽く肩を叩かれた、人に頼ることと愛情表現、それとお箸の持ち方が不器用な生徒――墓乃上みつよはこの日、入学以来初めてこの学園の食堂で笑った。「――はい、」

「この墓乃上みつよ、精一杯頑張りますネ!」

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