斜堂先生とオカルトくノ一女生徒


――日陰ぼっこ、と言うと、最初はみな揃って怪訝そうな顔をするのですが、大抵しばらくするとなにも言わなくなります。

 日向での陽気を楽しむ者もいれば、草陰の虫のように暗くて落ち着いた場所を好む人間もいるのだと自分が言うと、それはそれはなによりも強い説得力があるようです。

 最近はどこかの学年の子が作ったっきりなにも使っていないような洞穴が裏山の近くにできたので、放課後や仕事の合間にはそこに籠もることが多くなりました。

 ある日のこと、遠出の出張から帰るやいなや、同じ学年を担当する嫌味な教師にいつもと変わらずあれこれと好き勝手言われた私は、今更どうせ怒っても大した意味はないだろうとなにも言うことはなく、ただ黙ってそのまま裏山へ足を向けたのです。
 他人はこれを情けない、逃げるなというかもしれませんが、人間、時には自分を守るために逃げることが必要な時だってあるのです。

 そんな私を守ってくれる暗い穴に入ろうとすると、いつもとは違い、子供がすすり泣く声がしました。
 よくよく目をこらして見れば、くノ一教室の服を着た生徒がひとり、膝を抱えて泣いているではありませんか。

 同じ教師からの嫌味からすらも逃げる私ですが、それでも私はこの学園の教師なのです。
 見つけてしまった以上放っておくこともできず、恐る恐る近寄っては声を掛ける。「あの……」

「大丈夫ですか……?」

 その問いに彼女は顔を上げ、暗がりでも分かるその涙目と目が合う。
 自分が近寄ったことに気づかなかったのか、多少驚いたように元から大きなその目を丸くしたが、ああ、と、なにかに納得したように少し笑う。

「この学園にも幽霊っていたんですネ……初めて見つけましたヨ」

「え、いや……」

 彼女は一体なにに安心したのだろうか――確かに今まで不気味だ、幽霊だ、と言われることは少なくなかったが、それに対して安堵する人は初めてで、こちらのほうが少し戸惑ってしまう。

「幽霊って活気溢れる場所が苦手なので、この学校にはいないんだなーってがっかりしてたんですヨ」

「……幽霊がいたほうがいいなんて、珍しいですね……」

「……むしろ、会えなくて寂しいぐらいですネ」

 まるで南蛮からやってきた商人が覚えた日本語のように喋るその言葉が、段々と弱々しくなっていく。

 「……今日は天気が良すぎて……あまり外にいたくないんです。あの……私で良ければ話聞きますよ……」

 世の中、泣いている生徒の話を聞かない教師なんてどこにいるのでしょうか。
 たとえそれが少し変わったことを言う生徒であれ、そんな彼女の隣で話を聞いてやることが、今の私にできる精一杯のことなのだと思いました。



 絵空事、妄想、作り話――他人が聞いたらそう思うような彼女の不可思議な身の上話。
 
 墓場に漂う幽霊たちから生きる知識を、言葉を、家族愛を学び、そのお礼に老朽化して寂れ荒れた墓場を綺麗に再建するためには稼ぎが必要、それならばくノ一になって仕事をこなそう――そう決意したはずなのに、と涙声で呟く彼女――名は幽霊たちから貰ったという、墓乃上みつよ、という生徒。

 到底人には受け入れてもらえない生い立ちに加え、南蛮人の幽霊から言葉を学んだ癖で独特の訛りが出てしまい、なにかと口を開けば他人からの視線が突き刺さるようで怖い。
 そう苦悩し、膝を抱え、人知れず大粒の涙をこぼす彼女を前に、私はそれら全てを彼女の妄想なのだと切り捨てることはできません。「……いいじゃないですか」

「少し変わった訛りでも、生い立ちでも……今こうやってちゃんとご自分の気持ちを口にできるなら、それでいいじゃないですか」

 くだらない嫌味に対し、まともに言い返せない私よりうんと上等じゃないですか、と思わず情けない私情を口にしそうになる。

「もっと自信を持っていいと思いますよ……きっと、もしかしたらみんな大して気にしてないと思います。……人間、日陰しか好まない人間がいるように、それぞれ変わった部分なんてたくさんあるんですから」

「幽霊さん……!」

 彼女は手荒に自分の涙を袖で拭うと、今までとは一転、少し明るい表情で笑う。「……すみません」

「ずっとこんな話してて……私、情けないですネ」

「いえ……墓乃上さんのご家族への気持ち、素敵だと思います」

「ふふ、そう言ってもらえると、なんだかもっと頑張れそうな気がしますネ……幽霊さんは、もうずっとここにいるんですカ?」

 ここにずっとひとりだと寂しくないですか、と同情の声で首を傾げる彼女に、なんと答えるのが正しいのかと一瞬声が詰まる。「いえ、その……」

「すみません、私まだ生きてるんです……」

 嘘を言ってもしょうがないというか、他になにを言えばいいのか分からず、とりあえずシンプルに応じてみる。
 さすがに外に出れば不気味さも薄れて誤解は解消されるだろうと思い、痛々しい日差しはすっかり暮れて薄暗くなった外へ洞穴から彼女と一緒に出てたが、驚くその様子はなく、ああ、となにかを勝手に納得したように呟く。「可哀想に」

「自分の死を自覚できてない霊っているんですヨ……みんなそうやって、自分は生きているって言うんですけどねェ……」

 予想の遥か斜めを走る結論にこちらが驚いてしまう。
 これは一体どうしたらいいのだろう。なんと答えるのが正しいのだろう。
 今まで幽霊のようだと言われたことは何度もあるが、本気で幽霊だとここまで勘違いされることはさすがになかった。

「すみません……あの、私ここの教師なので……本当に生きているんですよ……これでも……」

「ああ、せんせーの幽霊だったんですネ……なるほど、道理で学園内にいるわけですネ」

 勘違いを正そうと答えると、その答えを踏み台にさらに勘違いが加速していく。

「まぁ……よく言われますけど……」

 なにを思ったのか、彼女は申し訳無さそうに頭を下げ、自分と向き合うように立っては険しい表情をする。

「……自分の死を自覚できないまま現世にいると、稀に人を呪う悪霊になってしまうんですヨ……そうなると輪廻転生もできません……本当にすみません、でも……ほら、私の手がアナタの身体をすり抜け――」

 ゆっくりと振り下ろされた彼女の白い手が、軽くぽんと自分の肩に乗り――そこで止まった。

「――え?」

 蛇に驚かされた猫のように固まる彼女に、なんと言っていいのか分からない自分、夜の涼しさを運ぶ風は流れているのに、まるで時間が止まったかのように彼女は絶句していた。「じっ……」

「じ、実体がある……!? えっ……なんで……!?」

 肩に触れた手と私の顔を何度も何度も見比べる彼女の様子から察するに、どうやらやっと、やっと誤解が吹っ飛んでくれたようだった。「ようやく分かって頂けたようでなによりです……」

「挨拶が遅れてすみません……私、一年ろ組の教科を担当している、斜堂影麿といいます……」

「え、本当にここのせんせー……? いや、でも服装が……」

「ああ、出張帰りだったので……これは私服です」

 最初に見かけた時は泣き、その後は笑い、かと思えば真剣に幽霊だと思って対峙して、誤解がなくなった今はさぁっと顔から血の気が引いて青ざめている。
 幽霊に育てられた、なんて信じられないほどに喜怒哀楽がコロコロと大きく変わる姿のなんて面白いことか、と思わず笑う自分に、今度は土下座しかねない勢いで謝罪が飛んでくる。

「もっ……申し訳ありません! せんせーの方に失礼なこと言ってしまって……!」

「別に構いませんよ、慣れてますし……さて、日も暮れましたし帰りましょうか」

 さすがにここまで勘違いされたのは初めてだったので面白かったです、なんて言ったら彼女はもっと困惑してしまうだろう。
 それはさすがに可哀想だと胸に秘め、足元を指差す。

「暗いですし、足元気をつけてくださいね」

 そう声を掛けると、混乱したままの声で問いかけられる。「あの、」

「気持ち悪いとか思わないんですカ?」

 真剣な目で真っ直ぐ問われる。その意味も、なぜそんな思いつめたような表情をするのか――疑問を口にする前に、再度問われる。

「縁起が悪い、気味が悪いって……」

「さぁ、特には……なぜです?」

「……人間って、お墓とか幽霊とか、そういうの嫌うじゃないですカ」

 その言葉でようやく質問の意図が分かった。
 たしかに彼女は墓場で生まれ育ち、家族は幽霊という生い立ち故、「墓乃上みつよ」という存在そのものが一般的には忌むべき「死」の象徴とも言えるのだろう。

 わざわざ死を歓迎する者なんて、それこそ死こそ華だ男だと酔っている武士ぐらいだ。
 彼女がこれほどまでに他人との関わり合いに消極的になっていたのは、きっと今まで数え切れないほど忌むべき存在として扱われたことがあったということは簡単に想像できる。

 しかしそれがなんだというのだ。
 この学園にいるならば、それはみな可愛らしい生徒だ。
 一人前の忍になろうと頑張って日々努力するものが、なぜ「死」という概念の擬人化として生きなくてはいけないのか――。

「まぁそういう方もいるとは思いますが……先生は特にそう思いません」

 私が嫌いなものは、日差しとか汚れとか……虫とかも嫌ですね……それに比べれば幽霊って、部屋汚したりしないからいいですよね。

 精一杯考えたが、これでうまく励ますことができただろうか――正直自信はない。
 けれど、少なくとも自分はアナタの味方でいたいと、理解者になれるならなりたいと思う気持ちを伝える。



――まぁその気持ちは今でも変わらないのですが……。

「こら、墓乃上!! お前また手裏剣の的に安藤先生の顔を書いたな!」

「だってあの人昨日も斜堂せんせーに嫌味言ってたじゃないですカ! 当然の報いですヨ! それにそのほうが手裏剣の練習のやる気が出るんですヨ!」

「そういうことを聞いてるんじゃない! だいたいお前は斜堂先生に入れ込みすぎだ!」

 担当クラスのテストの採点――本来は特に騒ぐ要素もない地味な作業をする職員室の中で、同僚である土井先生と、それに叱られる彼女――墓乃上さんとの喧しいやり取りが飛び交う。

 あの日――初めて墓乃上さんと出会ったあの日から、どうにも深く懐かれてしまったらしい。
 それ自体は別に構わない。
 むしろ生徒から懐かれるなんて、教師としては嬉しい限りなのだが――「ふん、土井せんせーにはこの墓乃上の愛が分からないようですネ!」

「じゃあ今度はご迷惑にならないように『らぶれたー』を100枚ほど書いて持ってきますヨ! それならいいでしょう?」

 それじゃあ斜堂せんせー、また今度! 楽しみにしててくださいネ!

 なぜ「ご迷惑にならない」愛情表現が100枚の手紙なのか、というか、なにもよくないのだが――彼女のぶっ飛んだ愛情表現が日常に飛び入り、それからというもの、ほぼ毎日熱すぎる情を向けられている。

 ようやく帰った墓乃上さんに呆れながら、疲れた様子で土井先生はお茶を口にする。

「まったく墓乃上の奴め……しかし斜堂先生、あんなに好かれるなんてなにかあったんですか?」

「別に……教師としてできることをしたまでです」

「それにしてはちょっと過激というか……この前山本シナ先生に聞いてきたんですけど、なんでもちょっと前までは無口で大人しくて、クラスでも目立たない感じだったらしいんですけど……」

「まぁ……なんというか……自信を持てたならいいんじゃないですか」

 今まで幽霊としか関わってこなかったから、人間とどうやってうまく付き合えばいいのか分からない。私は本当に人間なのだろうか――そうやって苦悩して泣いていた彼女が、今は(多少的が外れているが)積極的に人と関わろうとしているのだ。「……彼女なりの努力でしょう」

「しばらく放っておいてあげてください」

「はぁ……まぁ、斜堂先生がそう仰るなら……」

 いまいち理解できない、と怪訝な顔をする彼は、でも斜堂先生、と言葉を続ける。

「本当に100枚も手紙が来たらどうします? 墓乃上のことだから100枚で済むかどうか……」

 そういう悪い予感は口にすると当たりますよね、という言葉は飲み込み、現実逃避に再度テストの採点に向き直る。

――幽霊よりも幽霊らしい教師に恋をした女生徒が、職員室に132枚の恋文を持ってくるまで、あと4日。

 恋する乙女は悪霊よりも恐ろしいということを、この教師はまだ知らない。


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