斜堂先生とオカルトくノ一女生徒
斜堂からすれば嫌になるような晴天だ。
しかし放課後、校庭に出ている生徒が少ないのは皆揃ってテスト前だからだろう。
普段よりも静かな職員室は作業が捗る、落ち着く――というわけでもない。
自身の机の上にどっさりと山積みにされた手紙。一枚一枚読んでやるのが本当はいいのだろうが、申し訳ないがテスト作りを控えた今、正直その余裕はない。
だからといって全部捨てるのは忍びなく、もうすっかり「彼女」からの手紙を入れるだけになった行李へ仕舞う。
しかしもうほぼ満杯だ。彼女からの手紙を入れるだけの行李はもう四つ目だが、もうそろそろ五つ目を買わないといけないかもしれない。
そんな斜堂を見て声をかけたのは、同じくテスト作りに筆を走らせていた安藤だった。「――斜堂先生、」
「相変わらずモテモテですなぁ」
この皮肉めいたからかいもいつものことだ。
とうに聞き飽きた言葉だが、それに対し「そうなんですよ」と開き直る返しをできないのが斜堂という教師だ。
「いえ、これは彼女の趣味のようなものですから……」
彼女、というのはこの学園のくノ一教室の生徒、兼霊媒師の墓乃上みつよのことだ。
綺麗に切り揃えた黒髮に猫のように大きな瞳、南蛮人のように少し変わった訛りで話す強烈な印象の彼女のことを知らない教師は多分、いないかもしれない。
そんな彼女からの熱心な愛情を日々向けられていることを知っている安藤は、斜堂へひとつ訊いてみる。
「ほう、趣味ですか……なら、斜堂先生はあの子のことをどう思ってらっしゃるんですか?」
「どう、とは……」
「いえ、年上に憧れを持つ、というのは年頃の娘にはありがちなことですが、彼女のそれはちょっと度が過ぎているかと思いましてね……」
先程斜堂が仕舞った山のようなラブレターなんぞまだ可愛いもので、いつの間にかしれっと斜堂の隣りにいる付きまとい、「斜堂せんせーが授業を中断された? チョークの粉が手に付いたから? さすが斜堂せんせー、繊細な感性が素敵です!」という盲目的な賛美に、「斜堂せんせーのことはこの墓乃上がお守りしないと!」と勝手に燃やしている正義感――たしかに安藤が言うような、年頃にありがちな単なる淡い憧れ、と呼ぶにはあまりにも強火すぎる情熱だ。
「陰陽師だか霊媒師だか……斜堂先生も付き合わされて大変ですな」
「……それ、彼女の前で言わないほうがいいですよ」
「というと……?」
「いえ、私も前にちょっと気になって訊いてみたんですが……陰陽道と霊媒師の違いについて小一時間ほど語られまして……止めるのが大変でしたので……」
話自体はなかなか興味深かったのですが、と澄ました顔で茶を口にする斜堂へ、思わず呆れるため息が出てしまう。「斜堂先生、」
「まさか本当に幽霊とかなんとか……本当に信じてるんです?」
「ええ、墓乃上さんがそう言うなら……生徒を信じるのは教師の役目ですが、」
あの子を信じてあげるのは、私の役目だと思っています。
普段は気弱、なにかをここまではっきりと言い切ることはそうそうない斜堂がなんの躊躇いもなく答えた。
「あら……斜堂先生はずいぶんとあの子を買っているようで……」
これは彼に対する嫌味でもからかいでもなく、安藤は本当に不思議でしょうがなかった。
日常的な奇行に加え、休みの日には除霊だ、供養だ、仕事をもらった、となにかと連れ回されているのを知っている。
文句というか、小さな愚痴のひとつでも溢れるかと思えば、返ってきたのは問題児とも呼べる生徒に対しての厚い信頼だった。
同じく一年担当の土井は担当クラスの補習に追われていて不在だ。さすがの墓乃上もテスト前とあらば勉強に頭を悩ませているのだろう。
今日は彼女がいつのもように斜堂目当てに職員室へ飛び込んでくる気配もない――いい機会だ。
今までいくつか訊いてみたかったことを投げてみる。
「しかし本当に霊媒師だというなら……なんでわざわざくノ一になろうと?」
「ああ、墓乃上さんには成したいことがあるんですよ、その目標に向けて頑張れる……とても良い子です」
「ではくノ一になったら霊媒師を辞めると……?」
「いえ、それは絶対ないでしょう、あの子はなにがあっても両立する……真っ直ぐと力強い意志を持った子ですから」
「……手がかかる子ほど可愛い、とはよく言ったものですなぁ」
「……まぁ、たしかに……」
筆を手にテストを作っていくその横顔をふと見ると、表情の読みにくい斜堂の口元には柔い笑みが浮かんでいた。「……飽きませんよ、彼女は」
「あの子、自ら天下一だと名乗っても十分すぎるほど霊媒師としての才も誇りもありますが……それでもくノ一になる努力は欠かせませんし、まぁ、感情の起伏が激しいのはやや傷ですが……素直なところは年相応で可愛らしいものです。私としては、彼女が持つ独特な生死観と宗教観が興味深くて……」
相槌ひとつ挟む余裕すらなかった。
墓乃上、という問題児が高く評価されていることに驚いた、というより、口数が少ない斜堂がここまで淀みなく彼女について語る姿にぽかんとしてしまう。
「……他人から見れば奇っ怪な子かもしれませんが、あの子には人を惹きつける不思議な魅力があるんですよ」
「なるほど……それはよーく分かりました」
「そうですか……それはなによりです」
期待している生徒ひとりの魅力が伝わった、と思った斜堂は嬉しそうに答えたが、安藤が言いたいのはそういうことではなかった。
なるほど、その「不思議な魅力」に斜堂もここまで惹かれているのか、と。斜堂が普段、墓乃上の奇行に強く注意するどころか、過保護な保護者の如く付き合ってやっている動機のひとつを目の当たりにしたからだ。
それにしても、まさかここまで斜堂が嬉々として語るとは……予想外の態度に内心驚いていると、この職員室に向かってばたばたと忙しない足音が近づき、襖の前で止まったかと思った刹那、その襖は勢いよく開かれた。「斜堂せんせー!」
「よかった、ここにいらっしゃったんですネ……!」
噂をすればなんとやら、というのはよくあることで、ちょうど今語られた話の中心、墓乃上が明るい声と笑みで登場した。
「墓乃上さん……どうしたんですか、いきなり」
「え? ああ、いえ、特に用件があるというわけじゃないんですが……これ、よかったらせんせーたちで食べてください」
彼女がそういって斜堂に渡した箱を開けてみると、街で評判だと聞いていたまんじゅうが詰まっていた。
どうしたんですか、これ、と斜堂が聞く前に、墓乃上はいらだったため息と共に訳を語りだす。「聞いてくださいヨ斜堂せんせー、」
「さっきここに六道さんが来て、なにごとかと思ったら面倒な仕事を私に押し付けようとしてきて……テスト前だし、むかつくし、手土産のこれだけ奪っ……いえ、もらって追い返したんですヨ」
不機嫌に唇を尖らせる幼い霊媒師は安藤とも目が合い、そしてひとつ笑う。
「ということで、せんせー、美味しく食べてやってくださいネ。……それじゃ、お仕事中失礼しました」
いつもならもっとべたべたと斜堂に絡むのだが、いくら好きとはいえ、テスト前の追い込みのほうが大事なのだろう。
普段よりあっさりと引き上げ、帰っていく足音が遠ざかっていく。
彼女が今口にした、六道というのはたしか彼女の保護者……か、仕事仲間だっただろうか。
そういえば以前、その男と墓乃上が派手な喧嘩をしたのを見たことがあったなと安藤は思い出す。
思い返せば墓乃上は単純な問題児、というより、トラブルメーカーというやつじゃないだろうか、と呆れていると、いきなり菓子の包を渡された斜堂がひとつ、呟く。
「……ね? 可愛いもんでしょう?」
困るでも、怒るでもなく、まるで自慢の子を愛しがる保護者のそれに似た問いに、嫌味ひとつ返そうという気になれなかった。
そうですな、と安藤から返された言葉に、墓乃上という強烈な光に惹かれている教師、斜堂は憂鬱だったテスト作りが捗るようになった。