斜堂先生とオカルトくノ一女生徒


「――というわけでな、カネナシ。お前にいろいろ聞いておきたいと思ってな……」

 急に押しかけて悪いな、と座敷でひとつ頭を下げたのは、綺麗に切り揃えた黒髮が似合う霊媒師――兼、忍術学園のくノ一見習い、墓乃上みつよだ。

「ううん、ボクは別に構わないよ。むしろお墓くんから来てくれるなんて嬉しいし……でもなぁ、」

 授業と訓練から解放される、のどかな週末の昼下がり。

 彼女は菓子、茶、香辛料、陶器に装飾品、化粧、南蛮のものならなんでもお任せあれと暖簾を出している商店、散ノ字商店に駆け込み、そこの店主である青年、散財院金梨に会うなり、ほぼ泣きつくような形で悩みの種を語りだした。

 先日輸入したばかりの紅茶とボウロを出した優雅な座敷だというのに、彼女の表情は浮かないままだ。
 この金梨という青年は墓乃上へ好意を抱いているのだから、彼はどうにかしてその表情を晴らしてやりたいとは思うが――「……お墓くん、少し話を整理しよう」

「えっと……まず、君はくノ一教室の同級生から、今度一緒に街へ出かけないか、と誘われた、……と、」

「ああ、そうだよ。でも……」

「君はその子たちと、今まで特に仲が良かったわけじゃない」

「……そうだよ」

「……で、一番の問題はここ。なんでその子たちが自分に斜堂先生のことを聞いてくるのか分からない、そうだろう?」

 ボウロを一粒ずつもそもそと口にしていた墓乃上が上下に頷く。
 持ち慣れないティーカップから程よく冷めた紅茶でそれを流し込み、その通り、と答える。

「お出かけとかそういうものって、仲が良い子たちで行くのが楽しいだろうに……なんで急に自分を誘ったのかも分かんないし……斜堂せんせーとのお話を聞かせて、と言われても……なにがしたいんだろうか……」

「なにって……恋の話だろう?」

「はぁ!?」

 散財院から出た突拍子もない答えに思わず紅茶が口から出そうになる。
 慌てて手で抑えようと咳き込む姿に、この座敷の隅に静かに佇んでいた女中がそっと側に寄っては綺麗な手拭いを差し出してくれた。
 一切の隙きも無駄もない振る舞い。洋装の前掛けを着たその婦人と目が合うと、まるで幼子を見守るような柔い笑みを向けられたが、墓乃上にはその意味も、散財院がなにを言い出したのかも分からない。

「お墓くん、君はちょっと勘違いをしているというか……」

「か、勘違いしてるのはお前だ! なんだ、急に恋とかなんとか……」

「まぁまぁ、ちょっと聞いてくれよ。……そもそも君はボクになにを聞きに来たの?」

「なにって……今みんなで流行っている店、とか、食べ物、とか……?」

「お出かけすることは彼女らから誘ってくれたんだろう? だったらわざわざ君が下調べすることじゃないし、本題はそこじゃないよ」

「う……」

 初めて会った――否、斜堂と一緒にここを訪れ、墓乃上には身に覚えのない感動の再会(仮)をした時には情けなく縋り泣いていた散財院が、今は幼子へひとつひとつ道理を説くように話していく。

 自慢の艶に濡れた長い黒髮をなびかせる仕草はキザったらしいお坊ちゃんそのものだが、一応この街一番の商店であるここを持ち、墓乃上には想像できぬほど、日々数多の人間を見てきているのだ。
 こういった人間関係の話をするには適任かと思って会いに来たが、まさかこの自分が説き伏せられようとは――「そりゃあ仲が良い子たちでするお出かけは楽しいけどね、」

「お墓くん、きっと君とも仲良しになりたいから誘ってるんだよ、その子たちは」

「仲良し……」

「そう! で、女の子が仲良くなるには恋の話が必要不可欠なのさ! 間違いなしさ!」

「えー……? お前の言う間違いなし、はアテにならんのだが……」

「まぁまぁ。今回ばかりは信用してくれよ。……お墓くん、ボクは君が好きだけどね、誰かを好きになっている君も好きだよ?」

「はぁ……?」

「んー……簡単に言うと、他人の恋の話は面白い、ってことさ! 大丈夫、君があれこれ悩まなくったって、誘ってきた彼女たちから嫌になるほど矢継ぎ早に訊かれるだろうさ」

 まぁどうしても気まずくて、話が進まなくって困ったらこの店に来なよ。
 お茶にお菓子に化粧品……女の子が好きなものはだいたいあるし、こうやってもてなすことだってできるよ。

 ……でもそんな心配、杞憂だと思うけどね。
 恋の話が嫌いな女の子なんていないのさ!



 悔しいことに子供扱いされたような、散財院の余裕に満ちた笑みを思い出し、いらいらとした気分に表情が渋る。

「墓乃上さん、大丈夫? どうかした?」

 そんな横顔を見られてしまったようで、隣に座っていた同級生から気遣われてしまった。

「あ、いえ……陽が眩しくて、つい……」

 最初はなにかの悪い冗談かとも思っていたが、墓乃上へ外出を誘った同級生ふたりは、週末、本当に墓乃上を連れて街へ降りた。

 今日晴れて良かったね。でも明日は雨らしいよ。それなら野外は中止かな、と、なにを話せばいいのかと頭を悩ませていたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、まるで立板に水というのを表すかのように彼女たちの口からは絶え間なくお喋りが流れる。
 しかし彼女らは墓乃上を置いてけぼりにするつもりは一切なく、墓乃上が相槌のひとつでも入れられるようにと間を窺ってくれているのだ。

 そうやって話に流されている内、街の商店をあれやこれやと飛び回るように見てははしゃいだ足で落ち着いたのは、大きな番傘の元、日除けされた席が心地よい一軒の茶屋だった。

 店に立つ婦人に訊けば、ここの売りは紅茶とカステラだという。

「ねぇ、カステラだって!」

「私、初めて食べるわ!」

「私も!」

 浮かれるその声に挟まれながらふと番傘を見上げる。
 眩しさに目を細めながらよくよく見てみると、菱形の中に「散」の一文字――なんたる嫌味。否、偶然。

 ここ、あいつの店の一軒か……。

 そういえば茶店だの呉服屋だの、いろいろな店をあちこちに出しているとも聞いていた。
 あの黒髮をなびかせながら笑う友人(仮)の高笑いと、「だから言っただろう? ボクの見立てに間違いなし、さ!」という自慢げな台詞が聞こえてくるようで思わずいらいらしてしまう。
 が、いけないいけない。

 そんな表情に気づかれ、どうかしたか、と心配されてしまった。

 いえ、陽が眩しくて、と平然を装って答えると、ちょうど婦人が紅茶とカステラを運んできた。
 真っ白な陶器の皿とカップ、そこにある琥珀が美しい紅茶と、甘い香りが魅惑的なカステラ――彼女らふたりは声を揃えて「すごい!」と喜んだ。

「南蛮菓子なんて初めて……ねぇ、このお皿も可愛いと思わない?」

「うん、それに湯呑も……あーあ、こんな贅沢しちゃっていいのかなぁ」

「うちら毎日頑張ってるんだしいいでしょ、たまには!」

「たしかに!」

 ね? と同意を求められる声をふたりから向けられ、墓乃上は返事に言葉が詰まった。

「あ、えっと……そ、そうですネ……」

 待て、そうですネ、なんて他人行儀すぎたか?
 いや、でも敬語じゃない返事をすると……まぁな、とか、そうだな、とか、粗雑な返ししかできない……たった一言、このたった一言だけでもうすでに墓乃上の緊張は限界を迎えているのだが、待ってましたとばかりにふたりはさらに食いついてくる。

「うちら、前から墓乃上さんのこと誘ってみたかったんだよね」

「そうそう! でも墓乃上さん、週末けっこう外出してるし……どこに行ってるの?」

「え、えっと……その、アルバイトで呼ばれたところに行ってるだけでして……」

「アルバイトって……霊媒師、だっけ?」

「えっ……ええ、そうですネ。色々とお手伝いすることがありますから……」

「ふーん、それで斜堂先生も一緒に行ってくれるんだ?」

「墓乃上さん、斜堂先生大好きだもんねぇ?」

 カステラを一口ずつ切り分けながら口にし、平常心、平常心、と滝に打たれる修行僧の如く内心唱えていたが、なにがどうなったのか、あまりの動揺に墓乃上の手から洋物の楊枝が落ちた。

 代わりを、とお願いする前に、まるで舞台の黒子のようにさっとすかさずやってきては新しい楊枝を置き、また静かに店へ引っ込む婦人へ、さすが散ノ字の者、と感心してしまう。

 いや、そんなこと思っている場合じゃないだろう墓乃上。
 にたにたと自分からの答えを待っている期待の瞳――若きおなごの愛らしい瞳には、なぜだろうか、絶対に墓乃上を逃すまいとするような圧があった。

「うちら、墓乃上さんに前からずーっと訊きたかったことがあるんだけど……いい?」

 いい? ……なにがだろうか、なんの話だろうか。
 しかしこの問いかけ、いいえ、と答える道が最初から絶たれているような気がする。
 言葉は出ずとも、墓乃上に最初から勝ち目なんかないのだ。

 降参と承諾の意味を込め、ひとつ頷くと――まるで格好のご馳走に飛びかかる猫の如く、遠慮のない質問が墓乃上へ飛ばされる。

「ねぇ、斜堂先生のどこが好きなの?」

「てか最初に出会ったきっかけは?」

「ああそう、それ私も気になってた……!」

「あとさ、斜堂先生って潔癖症らしいけど手ぇ繋いだりした?」

「えー? さすがに懐いてる生徒ぐらい平気でしょう?」

「いや、あの人よく分かんないじゃん……チョークだって素手で持てないって聞いたし……先生を好きになったきっかけってなに?」

「はっ、まさか一目惚れじゃ……」

「いやいや、土井先生とか戸部先生とか……あー、あと個人的には野村先生とかは一目惚れしちゃうの分かるけど、斜堂先生って……待って、よくよく思い出したらちょっと格好良いかも……?」

「ちょっとちょっと、墓乃上さんが好きなんだから横取りしちゃダメでしょ!」

「分かってるって……あっ、そうだ! ねぇ墓乃上さん、斜堂先生にはいつ告白するの?」

「まさか……もうしてたりして……?」

「えっ!? そうなの墓乃上さん!?」

 どうなの? と訊いてくるふたりの顔を墓乃上は見てなかった。否、見れなかった。

 熟れた林檎のように真っ赤に染め、湯気が出てしまうのではないかと思えるほど熱くなった顔が恥ずかしく、両手で顔を覆って下を向くことに精一杯だったからだ。「あ……あの……」

「すみません、い、いろいろありすぎて……う、うまく答えが……」

 今までの人生、人から陰口と侮辱を向けられることには慣れていたが、こんな――こんなに恥ずかしくなるまでの質問、されたことがない!

 思わず涙目になってしまうが、その顔を見たひとりは「やだ、可愛い」とまた笑う。

「斜堂先生ったら、こーんなに可愛い子に言い寄られてんのによくあんなに静かにいられるわねぇ」

「か、可愛い……?」

「うん、墓乃上さんはとっても可愛いよ?」

「短い髪が似合ってて羨ましいよ、色も白いし、小柄だし……まるでお人形さんみたい」

「そんなこと……」

「そんなことあるよ! ねぇ、斜堂先生から墓乃上さんは可愛いですね、とか言われる?」

「言ってなかったら職員室前にマキビシ撒いてくるわ」

「斜堂先生なら適当な虫投げとけばいいんじゃない?」

「待っ……えっと、それは勘弁してあげてください……」

「あーもう、墓乃上さんったら斜堂先生に過保護すぎだよ」

「でもさぁ、大好きなんだからしょうがないもんねぇ?」

 大好きだからしょうがない? ……思えば全部そうかもしれない。

 初めて出会ったあの時は学園にうまく馴染めず、かなり精神が参っていた時だったが、まさか人間から慰められるなんて思ってもみなかった。
 あの人のこと、最初は本気で幽霊だとばかり思い込んでいたが、人間だったと分かった時に感じたのは嫌悪ではなく……感動、というより、きっとあれこそが恋に落ちるというやつだったのだろう。

 なかなか日陰から出てこないところも、ちょっと日向に当たるだけで体調を崩すことも、仮にもプロの忍だというのにちょっとした汚れや虫に怖がる神経質すぎる部分も、他人から見ればどうしようもなく情けないかもしれない。

 それでもその全てを「あのお方らしい」とむしろ胸を張って言いたいのだ。
 大好きならしょうがない、過保護すぎる、という言葉に、墓乃上は自然と一言答えていた。「……そうですネ」

「ふ、普段はまぁ……繊細すぎるんですが……それでもあの人は、とっても優しいんです。……私のこと、ちゃんと見てくれるんです」

 ようやく精一杯の答えを返す墓乃上の言葉に、彼女からの返答を待っていた乙女ふたりは声を揃えて甘い喚声を上げる。

「やだ、墓乃上さん良い子すぎる……!」

「あーあ、私が男だったら墓乃上さんと付き合いたかったなぁ……ねぇ、今度私が男装するからまたデートしない?」

「いやいや、墓乃上さんは斜堂先生とデートするんだから邪魔しちゃダメでしょ」

「それもそっかぁ、……ていうかさ、斜堂先生とお出かけする時ってさ、やっぱ手ぐらい繋ぐの?」

「めっちゃ訊くね、それ」

「だーってあの潔癖症拗らせた斜堂先生だよ? めちゃくちゃ気になるじゃん」

 ね? と再度拒否する道を絶たれた圧と共に笑いかけられる。
 しかしそう言われても困ってしまう。
 正直な話、潔癖症である難儀な身を案じ、墓乃上から斜堂へ触れることは極力避けているのだから。

 手を繋いだこと? あの人に触れた……否、触ってもらえたこと?

 そうだ。まったくないわけじゃない。
 思い出せばいくつもあったが、その中でも一瞬で鮮明に思い出せたのは先日、初めて散財院のところへ一緒に出向いた時のことだった。

――墓乃上さん、帰りましょう。

――大丈夫ですか?

 そういって状況がうまく飲めず困惑する自身の肩を抱き、立ち上がった時に感じたやや強引な力強い感覚と、心配した顔で怪我はないかと問われたあの時は――まずい、思い出しただけでも恥ずかしい!

 人間、これ以上赤くなれるのか、と思わず感心してしまうほどその白い肌を耳まで真っ赤にし、汗を流す墓乃上の反応に、「あらあら」とふたりは顔を見合わせる。

「ねぇ、これ以上墓乃上さんに訊くのは可哀想じゃない?」

「そうね、墓乃上さん、こういう話まったく慣れてないみたいだし……」

 なんと! ようやくこの容赦のない取り調べのような茶会が終わるのか!

 墓乃上が内心、命からがらなんとか猫から逃げ延びたネズミのように安堵していると、ああ、若き乙女は純粋無垢で非情なり。

「斜堂先生本人に訊けばいいじゃん!」

 そうと決まったらさっさと帰るわよ。ねぇ、斜堂先生になんて訊く? え? そりゃあもう、こーんなに可愛い子に好き好き大好き、って言われてどう思ってるんですか! って訊くに決まってるでしょ! あと墓乃上さんの好きなところとかね!

「えっ!? ちょっ……待っ……」

「さ、墓乃上さん! 帰ったら先生にいろいろ訊こうね?」

「大丈夫、うちらがちゃんと聞き出してあげるから」

 大丈夫? 大丈夫、ってなにが?
 もしかして今まで受けたような質問攻めを今度は斜堂にしようというのか?

 普段の墓乃上ならば、そんな迷惑がかかるような無礼は許せん、と一蹴するが、今の墓乃上は骨抜きにされ、真っ赤に染められた無力なネズミ――他人の恋路に対し、貪欲な猫ふたりに両側から抱えられるように立たされては明確な拒否をする前に学園のほうへ連れられてしまう。

 どうしよう、どうしよう……というかこれ、私がどうこうできる問題じゃない気が……せんせー、ごめんなさい、やっぱり私は人間の女の子にはなにひとつ頭が上がりません!

 混乱と懺悔がぐるぐる回る頭の中に思い浮かんだ、いつだって自分にも優しい笑みを向けてくれる斜堂の姿に、墓乃上の胸は喧しくどきどきと高鳴ってしまう。

「――……そういえばさぁ、たまーに墓乃上さんに会いに来るおじさんいるじゃん? 変わった刀持ってるおじさん……あの人ちょっと渋くて格好良くない?」

「え、いや、それだけは絶対にないから今すぐ正気に戻ったほうがいいぞ……」

「墓乃上さん今日一番めっちゃ流暢に話すじゃん……」

「あ、いや……すまん……じゃなくてすみません、つい……」

「墓乃上さんが敬語忘れるとかすごいな……どんだけ嫌いなんだよその人……」

 なんとも悔しいが、彼女が格好良いなんて言い出した霊媒師仲間(仮)の浪人、六道のことを思い出し、一瞬で熱が消えたように冷静に言い返せた。

 六道の奴め、まさかこんなことで役に立つとは――本人に伝える気は微塵もないが、ようやく落ち着きを取り戻せた。かのように思い、一瞬油断をしてしまった。

「まぁ今回は墓乃上さんと斜堂先生について訊くのがメインだしね! それに明日は休みだし……」

「そうそう! 墓乃上さん、今夜は寝かせないんだから!」

 再度人の羞恥心に火を着け、追い剥ぎの如く恋の話を毟り取らんという乙女の非情な宣告――もう勘弁してくれ!
 そう嘆く人間関係に難儀な生まれながらの霊媒師、兼くノ一見習いの墓乃上は、文句どころか悲鳴ひとつ上げることすらできなかった。



「――で、どうだった? クラスメイトとのお出かけはさ」

 彼なりに気を使ってくれたのだろう。
 同級生との波乱万丈な外出に振り回された翌週末、わざわざ学園にまで来た散財院は、食堂の席で対面に座る彼女へひとつ訊いた。

 彼から南蛮渡来の珍しい香辛料を差し入れてもらった食堂のおばちゃんは上機嫌なもので、「墓乃上ちゃん、お友達が遊びに来てくれて良かったわねぇ」なんて微笑ましく言うのだ。

「どうもこうも……お前が正しかったよ、負けたよ」

「負けた、って……なにが?」

「私があれこれ悩まなくったって、誘ってきた子たちから嫌になるほど矢継ぎ早に訊かれる、ってこと」

 お前の間違いなし、はアテにならん、と切り捨てた散財院の言った通りの展開になった先週を思い出し、口にした茶の渋さとはまた別の、苦々しい表情になってしまう。

「ああ、やっぱりね……でもお墓くん、悪いことばかりじゃないと思うよ? 君だってそれは分かっているんじゃないかな?」

 散財院のなんでもお見通しだと言わんばかりの涼しい態度に腹が立つ。が、悔しいことに今回ばかりは彼の言ったことが全て正しいのだ。「――……あれから、」

「お出かけしてから……その、クラスの子と話すことが増えて……ご飯も、食堂で一緒に食べたりとか……」

「今までひとりで食べてたの?」

「まぁ、そうだな……あとは裏山でヘビ捕まえて焼いたりとか……」

「それ、たしか墓場でもやってたよね? 君は昔から相変わらずみたいだけど……でもまぁ、これで斜堂先生もひとつ安心したんじゃないかな」

「安心? 斜堂せんせーが?」

 なんでいきなりあの人の名前が出てくるんだ、と墓乃上は首を傾げる。
 自分が同級生と少しばかり話せるようになったからといって、なんでそれが斜堂にとって良いことになるのかが――「分からないのかい?」

「お墓くん、君はもう少し人間関係についての考え方を変えたほうがいいよ。斜堂先生のためにもね」

「……お前だって友達いないだろ」

「ボクには君がいるから問題なし、さ」

「……話進めろ」

 ほぼほぼ一方的な友情を向けられている墓乃上はその言葉に呆れ、面倒事は勘弁だ、と話の進みを急かす。

「しょうがないな……まぁ簡単な話さ。ずっと独りぼっちに近かった可愛い教え子が、ようやく同級生たちと仲良しになれそうなんだから……君を見守っている先生としては、かなり嬉しいことだと思うけどね」

 仲良し……今まであまり考えたことがなかった。
 たまたまの偶然だが、散財院が茶菓子にと持ってきたカステラを食べながら、同級生たちと過ごしたあの茶屋での気分を思い出す。

 斜堂へ日頃向けている情を根掘り葉掘り訊かれるのは正直参ったが、それでも不器用なりに精一杯返す自分の答えを聞いてくれるのは……嬉しかった。楽しかった。

 そうしてその熱が冷めぬ夜、墓乃上は墓乃上なりに、彼女らへひとつひとつ訊かれたことについて語った。
 その代わり斜堂本人に訊くのは勘弁してくれ、と前置きをした上で。

 斜堂のことを最初は本気で幽霊だと思い込んでいたこと、綺麗な箸の使い方を教えてくれたこともある、霊媒師として呼ばれた先に行く時、大抵いつも傍で見守ってくれていること――たしかに他人から見れば不気味で、神経質で、面倒な人かもしれない。

 それでもあの人はあの名の通り、いつだって自分の隣にある影のように寄り添ってくれるのだ。

 影があるから光がある。

 私にとってあの人こそが自分が進むべき道を照らしてくれる光なのだ。
 そうして照らされた場所で、霊媒師として、くノ一として全力で足掻き、生きることが今の私が成すべきことだと信じている――と、恥ずかしさで途切れ途切れの小声でようやく言えた時、なぜか聞いているだけの彼女たちも顔を真っ赤にし、枕を抱えては大きなため息をついた。

「もう結婚しろよ……」

 誰かがぽつりと言った言葉を思い出し、散財院の前だというのに赤くなっているであろう顔を伏せて隠した。

「……さて、ボクはもう帰るよ。今の君を見てたら……当分斜堂先生に勝てる気しないしね」

「ああ、そう……なぁカネナシ、お前はなにがしたいんだ?」

 飲み干した湯呑と皿を下げ、食事の支度を進める食堂のおばちゃんへ、ごちそうさまでした、失礼します、と礼儀正しく伝えるその姿にひとつ問う。
 これは決して墓乃上の自惚れではない。
 この散財院金梨という奴は自分に対し、いつか旦那として好きになってもらいたい、という宣言までしている。

 それなのになぜ、斜堂へ好意を向け続ける自分にこんな話をしてくれるのだろうか――「これも簡単な話さ、」

「好きな人には好きな人と幸せになってほしいし、見守ってやりたいんだよ……お墓くん、君は君が思っているより人間に好かれる人なのさ」

「はぁ……?」

「ふふ……じゃあねお墓くん、クラスの子と仲良くね」

 ぽかんとしたままの墓乃上を背にキザったらしく黒髮をなびかせ立ち去る散財院は、食堂の入り口の影に隠れ座っていた斜堂と目が合う。

「……よかったですね」

 散財院は斜堂へたった一言だけそう言い残し、学園の出口まで振り返らずに歩いた。

 彼女に同級生の友達ができてよかったですね。
 クラスに馴染めるようになってよかったですね。

 ……あんなに可愛くて素直な子から愛されてるなんて、よかったですね。

 斜堂だってその意味を察せないほど鈍いわけじゃない。
 散財院が墓乃上と話していると聞いて少し隠れ窺っていたが、斜堂が思っていたよりも真っ当で、それでいて人間関係に関してはまだまだ経験の浅い墓乃上へ助言する彼の姿には正直驚いた。

 お墓くん、君は君が思っているより人間に好かれる人なのさ。

 ……散財院くん、私も心の底から同意しましょう。

 墓乃上という子は不器用な者で、自分に親密に関わってくる人間はなにかしらの気まぐれか、よほど変わった物好きだけ、だと思い込んでいる節がある。

 しかし本当はそうじゃない。
 彼女の真っ直ぐで、素直で、ひたむきに不屈な部分に惹かれる人間は決して少なくないのだ。

 ゆっくりでもいい、少し遠回りしてもいい。理由ときっかけはどうであれ、同級生と親密に関わっていく内に、少しずつそれに気づいていってくれれば、教師としてこんなに嬉しいことはない。

 どうぞ悩んでください、墓乃上さん。
 いっぱいいっぱい悩んで、迷って、そうやって他人との関わりについて頭を抱えるもの、立派なくノ一に、大人になるために必要なんですから。

 ここはあえてひとりにしておこう――恋に、友情に迷う生徒を想い、いつだって付き添う影のような教師は、微笑ましい気持ちで静かにその場を離れた。

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