斜堂先生とオカルトくノ一女生徒
「斜堂せーんせっ!」
目に痛いほどの日差しは最悪だ。
元気あふれる生徒たちはそんな晴れに満ちた校庭で思い思いの放課後に走り回るが、くノ一教室の墓乃上みつよは迷うことなく裏山の隅のほうへ向かい、岩山を横へ掘ったような穴蔵に明るく呼びかけた。
親愛なる教師、斜堂は日差しを嫌い日陰を好む。
そんな彼がよく籠もっているこの場所へ来たのだが、なんと中からなにやら話し声がする。
いつもは斜堂ひとり、声どころか物音ひとつしないというのに――なんと珍しい。
「……? どなたかいるんです?」
怪訝に思い、穴には踏み込まない位置で再度そう訊くと、初めて見る顔の男子生徒ひとり――と、愛しの教師、斜堂が億劫そうに出てきた。「えっと……」
「誰です? この人」
ひとりで落ち着く時間をなによりも大事にしている、そんな斜堂の隣にいる生徒に首を傾げてしまう。
自分以外の生徒が放課後、わざわざこんな所で斜堂と一緒にいるなんて――思わず訊いてしまった質問に対し、斜堂ではなくその隣の生徒のほうが強く返してくる。「なんだ、」
「キミ、いくらくノ一教室の生徒とはいえ、この私のことを知らないのか?」
「あ?」
まるでこちらが無知、非常識だと言わんばかりの物言いに、墓乃上の口からは短気で柄の悪い声が出てしまった。
が、そんなことなんぞお構いなく、彼はどこからともなく薔薇を一輪持っては誇らしげに、淀みなく名乗りを上げた。
「忍術学園四年生の中で、教科の成績が一番なら実技の成績も一番! 忍たま期待の大スターの平滝夜叉丸とはこの私のことだ!」
自惚れに染まった輝きで返された名乗りに対し、普段は斜堂を気ままに振り回している墓乃上すらもぽかんとしている。そうして彼女は冷めた声で斜堂へ同情の声をかける。「せんせー、」
「こんな人に絡まれてたんですカ?」
可哀想に、と合掌する墓乃上へ、初対面だというのに「こんな人」呼ばわりされた滝夜叉丸が黙っているわけがない。
生徒同士の交流が新しく生まれる――そのこと自体は教師として見れば微笑ましいものだが、よりにもよってこのふたりが自分を挟んで出会ってしまうなんて。ああ、胃が痛い……。
墓乃上の性格も、滝夜叉丸の性格も知っている斜堂は苦手な日差しに当てられるより、素手でチョークを握った手が白く汚れてしまうことより、内心、今なによりも頭を抱えて現実逃避したくなってしまうのは、そんな出会いの立会人になってしまったことだ。
「なにが大スターですカ……アホらし」
「なんだと! そういうお前はなんなんだ!」
「あ? そっちこそ私を知らないんです?」
ああ、墓乃上さん、少し落ち着きましょうよ。
なんて斜堂が止める間もなく、彼女も張り合うように色鮮やかな数珠を懐から出しては片手に堂々と名乗り始めてしまった。
「お墓あるとこ幽霊あり! 幽霊あるとこ私あり! この室町の天下を握りし最強の霊媒師とはこの私のこと! 墓乃上みつよです!」
どうだ、参ったか! と言わんばかりの笑み、態度に、今度はそれを突きつけられた彼から問われる。
「斜堂先生、もしかしてあんなのに絡まれてるんですか?」
違う、とも言い切れないが、だからといって肯定するのも……なんて答えたらこの場は丸く収まるのだろうか。
「えっと……その、墓乃上さん、滝夜叉丸くんは今日は私に相談事をしに来てただけでして……別に先生、それで困ったりしてませんので……」
「相談事……ですカ」
墓乃上はその猫のような瞳で悩める生徒だという彼の姿を見た。ある意味感心してしまうほど自信にあふれているその顔に、彼女はひとつ鼻で笑った。「ははっ、」
「悩みなんてなさそうな顔ですけどねェ」
「こら、墓乃上さん……人の悩みはそれぞれですよ」
教師として一言注意するのだが、墓乃上の言葉も、斜堂の注意も聞かず、滝夜叉丸は演技がかった大げさな調子で悩みを語り始めた。
「そう! あまりにも私が輝き過ぎているのか……なかなか友というものができない……! これもスターの宿命だというのは分かってはいるが……せめて、せめてひとりぐらいは……!」
「ふーん……で、なんでわざわざ斜堂せんせーに?」
「なんでって……斜堂先生は常に静かで、落ち着いていて、この眩しい私とは正反対の方……なにか参考になるかと思って……ん?」
良識的な一般人から奇人の扱いになる墓乃上すら引き気味の表情を浮かべていたのだが、そんな彼女へ彼はなにか思いついたように訊く。「墓乃上……とかいったな、」
「さっき霊媒師だと名乗ってたが……つまり、幽霊が見えるってことか?」
「ええ、そうですヨ」
「なるほど……はっ、もしや私に友ができないのは、なにか悪い幽霊のせいじゃ……」
「はぁ!?」
はらはらしながら見送っていた会話だが、彼女との付き合いが長い斜堂には短気な墓乃上の理がぱつんと切れた音が聞こえた。ああ、最悪だ。幽霊に関する話になったら、彼女はもう斜堂の制止すら聞かない。
「なんでもかんでも幽霊のせいにしないでくださいヨ! さっきから視てますけどねェ、その変に自信過剰な性格のせいで幽霊のほうが逃げてるんですヨ! 幽霊に避けられてるんです! こんな人初めてですヨ!」
「それは……それは私があまりにも眩しすぎるからか……!」
「いや、まぁ、ある意味当たってますが……だいたいですねェ、友達ができないぐらいで斜堂せんせーにお時間頂くなんて情けな……」
滝夜叉丸相手に強気に指を指しては激昂していた墓乃上の口がふと止まる。
時間にすればきっと一瞬だが、それでも暫しに感じる沈黙の後、彼女は弱々しく指が下がるとともにぽつりと呟いた。「そういえば……」
「よく考えたら……私も人間の友達、いないな……?」
ああ、ついに……というより、やっと気づいてしまったか……。
幽霊相手にいくら楽しく話をして関係を築こうが、くノ一教室の同学年のひとりともなかなか話せていないという墓乃上。
まさか教師から「そんなこと言ったって、あなたも友達いないでしょう」なんて言えるわけもない。
そういった意味でもはらはらしていたのだが、ついに自ら気づいてしまったらしい。
「あ、あのー……滝夜叉丸くん、墓乃上さん、」
ようやく生徒ふたりの言い合いが一旦止まり、その合間にこれ幸いとお互いに呼びかけてみる。
「せ、せっかくですし……なにかの縁だと思って、ふたりで友達になるなんて……どうでしょうか……」
けっこう合うと思うんですよね、先生。
と言葉を続けたかったが、それは再度燃え出したふたりの言い合いに負け、届くことはなかった。
「冗談じゃないですヨ斜堂せんせー! こんな目立ちたがり屋のアホと一緒にしないでください!」
「目立ちたがり屋だと!? それは違う! 私の魅力が強すぎて勝手に目立ってしまうんだ!」
「そーいうところがアホなんです! だいたいですねェ、忍が目立っちゃうなんてダメでしょうが!」
ああだ、こうだ、売り言葉に買い言葉、教師の身から見えるふたりの根は真面目で、礼儀正しく、努力家であるのは分かっているが、それでも同年代かつ、強すぎる我の方向性が実はほぼ同じふたりの口喧嘩はなかなか元気が良すぎるものだ。
ひとりで静かに過ごしたい……。
生徒同士の口喧嘩が目の前で起こっているのだから、教師として無視するわけにはいかない。
理性では分かっているがふたりを前に、ついぼんやりとそんなことを思ってしまう。
滝夜叉丸のほうはなんだかんだと言いつつ、それなりに同学年や下級生、委員会活動にも積極的で、(多少性格に難儀しているが)まったく他人と話せない、というわけではないのを斜堂は知っている。
が、墓乃上は別だ。
山本シナからたまに話を聞くが、くノ一教室での彼女がとても無口で消極的、斜堂と出会ってからは多少ましになったが、それでも同級生たちといい関係を作っているとは言い難いらしい。
同室の子は良くも悪くも墓乃上に興味がないらしく、他の部屋の子たちと仲良くやっていると、以前墓乃上本人から聞いたことがある。
いい機会だ。
せっかくだし、このままふたりが良き喧嘩相手にでもなればいい、とは思ったものの……。
ある意味相性が良かったのか、良すぎたのか、お互い引く様子が微塵も感じられない。
火を着けた張本人であるとは自覚しているが、それでも再度、現実逃避に真っ暗で静かな場所に籠もっていたいとつい思ってしまう。
あーあ……いつ終わるんですかね、これ……。
*
「――よぉ、墓乃上、」
あれから後日の放課後。
先日霊媒師としての仕事の礼で貰った金平糖が入った袋を片手にし、用具倉庫へ行こうとした彼女を呼びかける声がした。
「滝夜叉丸……」
「おいおい、この私に会ってそんな嫌そうな顔することないだろ」
「なんの用です? 私は今から……」
「斜堂先生のところに行くんだろ? 大丈夫、私もだ」
なにが大丈夫なんだよ、と更に嫌な表情になってしまうが、それでも行き先が同じなら仕方ない。仕方なく並んで歩く。
「……で? 今日は斜堂せんせーになんの用なんです?」
「いやぁ、聞いてくれ墓乃上。この平滝夜叉丸、忍術学園の大スターとして華があるのは仕方のないことなんだが……忍としてはもう少し暗く、落ち着いたほうがいいのかと思ったのだが……なかなか簡単にはできなくてな、」
「はいはい、それで斜堂せんせーにまたご迷惑かけるんですねェ」
「迷惑だなんて人聞きの悪い……そういうお前はどうなんだ」
「私? 私はこの前仕事で南蛮菓子を貰ったので、お裾分けに行くんですヨ。……せんせー、今日はなんかより不安定みたいで……土井せんせーに訊いたら、今日は用具倉庫に籠もっているらしくて」
また安藤せんせーになにか言われたのかな、と呟いてはため息をつく墓乃上の言葉に、そういえば、と思い出した出来事を返す。
「斜堂先生、今日は隣のクラスのは組がうるさくて授業を中断したと聞いたな」
「まぁ……いつもですネ」
「ああ、いつもだな」
そうこう話している内、他人から見れば奇人変人、後の世の言葉なら電波、ナルシストだと表現されるであろう難あり生徒ふたりからも心配される、これまた難あり教師が籠もっている倉庫前に着いた。
「斜堂せんせー、墓乃上でーす。いらっしゃいますかー?」
そう一言呼びかけたが、それに対しての返答は物音ひとつしなかった。
墓乃上は開かない程度、ほんの僅かに扉を押してみたが――どうやら鍵はかかっていないらしい。
職員室にいた土井の言葉通りなら、きっと今頃はこの扉の向こうで膝を抱えて丸くなっているのだろう。
「……出てこないな」
「来ませんねェ……」
「……なぁ墓乃上、」
「なんです?」
「斜堂先生って……たまになにか『視えてる』んじゃないか、って思うこと、あるよな……?」
「……正直、たまに……」
物ひとつ鳴らぬ扉を前に、学園の大スターと室町最強の霊媒師を名乗る生徒ふたりは、なにも知らぬ他人から見れば「友達」と見えるような、なんともくだらない話をしては放課後を費やすこととなった。