斜堂先生とオカルトくノ一女生徒
――丁、半、半、
「――丁、」
ここにいる誰もが金と、勝ちと、男らしさというものを勘違いした野蛮な見栄に飲み込まれている中、若さまはなんとも気楽な声音で一言答えていく。
そして胴元が伏せた壺をそっと開けた中には、二と六の目を上へ向ける賽が――若さまはなんと、開始から四回振られた賽の目を全てぴたりと言い当てている。
最初の二回ほどは紛れだ、たまたまだ、と、その運が尽きるのを今か今かとにやつきながら期待していた衆も、三回、四回とも当たる若さまの運の不気味さに、だんだんとその下卑た下心が萎えていくのが目に見える。
これには六道はもちろん、斜堂すらも驚きを隠せなかった。
いったいどんな手を使っているのか――若さまは大して喜ぶでもなく、勝ちを連ねるたびに退屈そうな顔をする。「――なんだなんだ、」
「私を丸裸にしてやるんじゃあなかったのか? ……それとも、ここにいるのは口先だけの腑抜けだけか?」
まぁいい、と、元々の手持ちよりだいぶ増えた金を全て、再度鯉に餌を撒くような手付きで胴元へ放り投げる。
「全部賭ける。好きにしろ」
「……坊主、どうやらお前さんには毘沙門天でも憑いているらしいな」
胴元なりの皮肉なのだろう。
しかし若さまはその言葉に扇子を閉じ、自身の頭にとんとんと少し当てては、終始変わらぬ余裕をたっぷりと絡ませた笑みで返すのだ。「なにを言うかと思えば……」
「毘沙門天? はっ、馬鹿馬鹿しい……神なんぞ私にはいらん。生まれ持って私にある才、豪運、それをうまく使いこなす知性……お前らには無縁のそれらが私を強くしているのだ」
お前こそなに寝言をほざくか、と一刀されてもおかしくない受け答えでも、今のところなにひとつ外すことなく勝ちを重ねている「若さま」が言うと不気味だろう。
ふざけるな、馬鹿にしやがって、と知性に欠けた野次ひとつ飛ばないこの場がそれを証明していた。
「なぁ、もう終わりか? たった四回で終わるような情けない賭場なのか? ここは、」
「……いや、大人をなめ腐ったガキ泣かすまで終わんねぇよ」
「そうかそうか、それは安心したよ……さぁ、夜は短いんだ。さっさと次を振れ」
その言葉に胴元は唇を噛み、苛立ちと殺意をねじ込むように壺へ賽を放り込んだ。
「さぁ張った張った!!」
憎い敵に刃を突き立てるが如くの勢いで壺を伏せると同時に、衆は四方八方から各々思う当たりを叫んでいる。
その内のひとりに六道もいるのだが、彼には本当に博打の才がないのだろう。
ここで勝たなければ貰った金が底を尽きる。そんな必死な様子で勝負に挑む彼とは反対に、またも変わらず若さまは一言だけ応じる。
「半、」
ひとしきり賭けを叫ぶ声が終わると同時に、胴元がゆっくりと壺を開ける。
その緊張の一間、壺の影からようやく見えた賽の目に誰しもが息を飲んだ。
二と四の目――丁だ。
そう、連勝を重ねては余裕だと高笑いしていた若さまは、今この目で初めて負けたのである!
勝った者も、同じくこの一投で負けた者も、みなが待ってましたとばかりに歓声を上げては、今まで他人を見下していたその顔がどんな色に悔しがろうかと期待の視線を向けていた。
そんな下卑た視線の中で、若さまはようやく面白いものを目にしたと言わんばかりに扇子で己の手を打つ。「――なるほど、」
「これが『負け』か、なかなか面白いじゃないか」
勝ちを手にしても冷めていた表情、瞳にようやく明るい色が入る。弾む声音に楽しそうに扇子を揺らすその振る舞いは、まさしく玩具を手にしたお坊ちゃんそのものだ。
若さまが適当に賭けていた大金は、死体に群がるカラスの如く遠慮なく食い尽くされてはビタ一文残らず持っていかれた。
それすらも面白い、と輝かせた目で胴元へ扇子を向ける。
「さぁさぁ、ぼさっとするな。早く次を賭けよ。この私の下り調子、みすみす逃すのはもったいないぞ?」
カゲよ、と右手を出され、斜堂は再度その手に如何物師が精巧に作った金が詰まった巾着を渡してやるも、またも雀に餌をやるように躊躇いなく胴元へ投げられる。
「興が乗ってきた。それも全部賭けてやる」
豪運が尽きたかのように負けた直後の人間がやるとは思えない張りに周りがどよめく。
気味が悪いほど勝ちだけ渡ってきた生意気な小僧だって負ける時がある上、それに勝てれば、賭場で夜な夜なちまちま小銭を稼ぐ晩、二、三晩ぐらいの稼ぎになろうというもの――博徒という生き物は欲に忠実な生き物。
この絶好の機会、見逃すなんてできないのだ。
これでこっぴどく負かせてやる、泣かしてやる、そのすまし顔を酷く泣かしてやる、と怒りと嗜虐心を乗せた賽を壺に放り込んだ胴元相手に、若さまの態度は一貫として変わらない。
余裕、という染料がこの上なく染み込んだ表情のままだ。
「さぁ張った張った! みなの衆、あの生意気なガキからむしり取ってやれ!」
胴元の煽りに湧く部屋の中、金が欲しいというより、もはや「若さま」というキザなお坊ちゃんに痛い目を見せてやりたい、という暴力に近い情でそれぞれが賭けていく。
そうしてしばらくし、一通り賭けを口々に叫んでいたその顔が、一様に若さまを見つめるのだ。
丁か半、たったそれしかない選択肢に対し、彼が一体どちらを選ぶのかと――。
「――丁、」
誰もが見つめる視線の中であろうが、ひるまずにそう一言はっきり答える。
それに応じるようにゆっくりと壺を開ける胴元を見つめては、この場の誰よりも緊張しなくてはいけない者だというのに、口元には猫のような薄笑みが扇子の内に浮かんでいることに斜堂の目は奪われた。
彼女がどんな手を使って連勝していたか……その件に関してはまったく察しがつかない。
が、この笑み、態度、彼女がなにかしらの勝機を掴んだことは確実だろう――ああ、墓乃上さん、立派になりましたね!
「――半だ!!」
博徒の内誰かがそう叫んだ。
内心生徒の成長に感涙していた斜堂の気持ちが一瞬にして凍りつく。
え、たしか墓乃上さんは今……「丁」に賭けたのでは……「あらあら、」
「負けちまったなぁ」
命すら危ういまでに自ら煽って追い込んだ張本人だというのに、そう呟く「若さま」の反応はなんとも軽いものだった。
それに反して再度負けた彼への侮蔑と罵倒、下品なまでに躊躇いなく賭けた金を持っていく博徒たちを前に、斜堂は生徒の命の危機を感じては思わず話しかけてしまう。
「どうするんです若さま、預かってたお金はもうないですよ」
こっそりと耳打ちするやいなや、むしろ待ってましたとばかりに「若さま」は明るい声を大きく上げた。
「――ああ、そうだそうだ、忘れていたわ。これがあるじゃないか」
そういって斜堂から取り上げた南蛮渡来の洋刀――それを手に若さまは胴元へ声をかける。「なぁ、」
「胴元よ、お前は刀が好きなんだろう?」
自ら振った賽でいけ好かないガキを負かせてやった感覚というものは格別なんだろう。
勢いよく酒を飲んでは機嫌が良いとばかりにざまぁない、と大声で取り巻きへ笑っていたその髭面がこちらを向く。
「私も好きだ。だからお前が今腰に差してる飾りがついた刀が欲しいんだが……ちょうどいい、私のこの刀を賭けて最後の勝負をせんか?」
子供が持つにはあまりにも不似合い、不釣り合い、そして滅多にない鞘の彫り細工が美しいその一刀に、胴元の関心を再度自分へ向けることができた。
「うちは南蛮相手に商売をしてるんだが……これは親父がポルトガル人に作らせたお気に入りでね。でもまぁあんな金勘定しかせんタヌキが持ってたってしょうがないんだ。刀というものは勝負で使わなきゃ……だろ?」
二度も連続で負け、大盤振る舞いだと調子に乗って賭けた金は底を尽いたというのに、まだまだ勝負を仕掛けるその姿に誰もが驚いていた。
そんな中、「カゲ」は主人に対し理性の引き止めを口にする。
「お言葉ですが若さま……その刀は旦那さまが先日手にしたばかりの特注のもの……この世で一刀だけのものだと喜んでおりました。ですから、こんな賭け事に使うのはいかがなものかと……」
「ふん、それならますます好都合だ。特注の刀なんて賭ける甲斐があるというもの……それにお前の主人は親父ではなくこの私だ。はっ、主人の遊びに口を出すとはお前もずいぶん偉くなったもんだな」
「……申し訳ありません、出過ぎた真似を」
負けてなお横柄な態度が折れぬ主人へ頭を下げながら、斜堂は内心ひとつ、ようやく安堵の息を吐いた。
――手段は伏せますが、ようやく刀を賭けて勝負しようという流れに持ち込んだら、斜堂せんせーは従者としてそれを止めようとしてください。
おいおい怪異、なんでわざわざ止めさせるんだよ。
なんか意味あるのか?
あー……馬鹿で察しの悪い六道さんにも分かりやすく説明しますと……「それは主人が作らせた特注品だから」と相手の目の前で従者が一旦引き止めることで、相手に対してこの刀の価値がいかに高いか、珍しいかアピールできると思うんですよネ。
だって刀の持ち主本人が「これは凄いんだ、珍しいんだ」って必死に説明してたら逆に怪しくないですカ?
ま、まぁたしかに……?
それに今回斜堂せんせーには無口で、主人にはなにひとつ主張できない気弱な従者をやって頂くんです。
そんな大人しい従者が必死に止めようとしてたら、いかにその刀が大事で、高価なものなのか……間接的に印象づけることができるんじゃないかなーって思ってるんですヨ。
――と、生徒が必死になって考え、うまく転がったこのチャンス。
教師として、忍として、「墓乃上」という忍を志す者の成長を、この目でしっかりと見届けなくてはならない。
今回の任務の目的――「胴元の手に渡ってしまった妖刀の奪還」に到着するまで、いよいよ終盤に踏み込んだ感覚を、斜堂はもちろん、六道も感じていた。
六道という人間は、墓乃上が墓場に住み憑いていた時からの付き合いなのだ。
お互い口は悪いが、なんだかんだと付き合ってもう何年経ったか。
人間を嫌い、疎み、この世の誰よりも溢れる霊能力という天賦の才をうまく使って生きていた「墓場のお嬢さま」を見てきた六道からすれば、彼女がなにを思ったのか分からないが、忍術学園という場でくノ一になろうと人間に紛れて生活している、というのはどうにも理解できなかった。
実際、それまでに何度か人間と縁を持とうと試行錯誤しては、結局気味が悪いと追い出されていた姿しか知らない。
どうせ傷つくぐらいなら、なにも無理に人間に紛れることなんかないだろう――そう思っていたのに。
今目の前にある障害、困難に対して組んだ作戦、仕込んだ数々の心理戦――それは紛れもなく忍の才覚。
彼女が霊媒師として生きながらも、くノ一になろうと本気で策を打つその姿に、六道は墓乃上の覚悟を今、この晩で初めて知ったのだ。
「――へぇ、洋刀かい。そりゃ悪くねぇが……あいにくこれもそこの無一文から取ったばかりの戦利品でな」
そういって六道を指差す酒に赤らんだ顔に、ああ、知っているとも、と動じる気配ひとつなく頷く。
「その刀がただの刀じゃないってことも……それも含めて私はそいつに興味があるのさ」
「あ、どういう意味だい?」
「ああ、知らなかったのか? そいつは色々と訳ありでなぁ……夜な夜な死人の声が聞こえるとかなんとか……」
真面目に落ち着いた調子で話す若さまを前に、最初はなにを言うのかと放心していたその顔から、うんと馬鹿にする大きな笑いが上がる。
「おいおい、いくら欲しいからって精一杯考えた脅しがそれか!? 死人かぁ、そりゃ怖いもんだな!」
酒と煙草で汚れた喉からげらげらと衆からも笑い声が止まらない。
「まぁ……分かってくれなくてもいい。ただの噂だしな。しかし胴元よ、さっきの賭けでも見ただろうが今の私は下り調子、この洋刀をなくせば正真正銘、無一文ってやつだ。刀好きだと胸を張るなら、この据え膳、食っとかなきゃ損ってやつじゃないか?」
再度手にしていた洋刀を胴元の前へ掲げる。
何度見ても、誰が見ても優雅な色を感じる鞘の細工に、日本刀とはまた違った力強さを魅せる形――ああ、こんな良い刀を気楽に賭けてしまう生意気で、偉そうで、大人をなめている金持ち道楽のガキを綺麗に負かせて、戦利品として手にしたい、自分の強さを、威厳を誇示したい!
「――いいだろう! そこまで言うなら最後の賭けだ、俺とお前……坊主、ふたりで互いの刀を賭けて勝負だ」
「据え膳食わぬは男の恥、か……良い言葉だな、胴元よ。私もお前からの据え膳、美味しく頂いてやる」
灯りに静かに燃えていた火の影が、隙間風に流され怪しく揺らめく。
あんなに大騒ぎしていたのが嘘のように、胴元、若さまを囲んだ博徒たちは静かに息を飲んで緊張する空間に溶け込んでいた。
それは斜堂も六道も同じで、さりげなく斜堂の隣に座った六道は思わず吐息のような小ささで不安を呟く。
「大丈夫ですかね、あいつ……」
その言葉に斜堂は良いも、悪いも、なにひとつ応じなかった。
その答えは今、目の前にいる生徒――否、「若さま」が示してくれる。
「最初にも言ったが……坊主、お前のキザな態度はよ、俺たち男を馬鹿にしてんだよ。負けたら刀だけ置いて帰ります、なんてできると思うなよ」
「無論そのつもりだ。賭け事というのは金だけ賭けるもんじゃない、見栄や命も張ってこそ博徒というもの……遠慮はいらん、好きにしろ」
最後の最後でイカサマだなんて言われたら敵わん、この場の仕切りはお前なんだから……この勝負、お前が振れ。
お互い座る座敷の上に刀を置く。
胴元は妖刀を、若さまは洋刀を――そしてふたりの間に転がる賽ふたつと壺を、若さまの言葉の通り胴元が握る。
賭け事に生きてきた意地、漢気、今目の前で余裕に笑っている憎い奴を打ち負かしてやりたいという怒り――賽と共に壺へ投げ込まれたそれを、首元へ刀を突きつけるかのような気迫で床に叩き伏せ、獲物を逃さぬ熊が如くの血走った目で問うてくる。「――坊主、」
「丁か、半か、」
胴元が殺意がこぼれている野蛮な熊だとしたら、その対面にいる若さまは、まるで優雅に水面を彩る金魚のようなものだ。
そして金魚と同じく赤みが美しい唇で答える。
「――丁、」
しん、と静まる部屋の中、誰ひとりとして身じろぎひとつしなかった。
お互い刀を構えた居合の場にいるかのように、細く細く、ぴん、と絹糸一本だけが僅かな緩みひとつなく張ったかのような空間で、ようやく、ようやく胴元の手が僅かに動いてはその壺を、この狂った夜の勝敗を明かしていく。
「――私の勝ちだ」
凛と真っ直ぐな声、目線で相手を斬ったのは若さま――墓乃上だった。
たったふたつの賽、その目が未だ信じられないと放心する胴元と、この勝負の決着に湧く博徒たち。
そんなことはどうでもいい、と冷めた表情で念願の妖刀――今回の作戦の成功を意味するそれと、良い働きをしてくれた如何物師が生んだ洋刀を担いでは、もう用なしだ、と一言だけ残して「若さま」は座敷から、この世から消えた。
*
「――いやぁ凄かったなぁ怪異!」
ようやく緊張の場から離れ、もう夜が明けるのではないかと気配を感じる程度に薄っすらとほんのり明るくなる空の下を学園まで歩いていく。
狂乱、熱気、狂気に煮立っていた賭場から出てきた身には、丁度良く感じる涼しい風が穏やかに流れていた。
「もう二度とすんなよ」
「若さま」を演じる必要はもうないというのに、冷たく突き放す物言いで返すということは相当怒っているのだろう。
「悪かったって! 今度お前が好きなカステラ買ってやるからさぁ……というかもう済んだんだし、ネタばらししてくれよ!」
「ネタ?」
「最初は連勝して、その後は連敗して、って……ありゃなんか仕込んでたんだろ? 忍術とか」
「そんな忍術はありませんが……たしかに気になりますね」
六道への怒りはまだ解消されていないのだろう。
彼からの言葉は無視するように余った金平糖を口にしていた墓乃上は、親愛なる斜堂に訊かれてからようやく話しだした。「……ああ、あれはですネ、」
「あの場にいた幽霊に教えてもらってました」
なんとも拍子抜けだ。
いや、彼女らしいといえばそうだが……なるほど、たしかにそれなら勝ちも負けも自由自在だ。
「偏見ですけどネ、ああいう人たちって動物とか子供とかいじめたり、盗んだりして……そんな人たちを懲らしめたい、怖がらせてやりたい、って思って憑いてる幽霊ってけっこういるんですヨ」
「あー、そりゃ確かに……で、お前に協力してくれたってわけか」
「その通り。で、勝ち過ぎてもイカサマだって言われかねないし、なにより『こいつも負ける時がある』『俺が勝てる隙きもある』って思わせたかったんで、わざと負けてみました」
持ち前の霊能力を活かしつつも、それを効果的に使うための考え、臆することなく大胆に演じる架空の人物――「凄いですよ墓乃上さん、」
「先生、てっきり霊能力だけで解決するのかな、って思ってたんですけど……怒車の術を最大限に活かす演技からなる駆け引き、お見事でした」
「斜堂せんせー……!」
なによりも愛する教師からの褒め言葉に感涙すると共に、墓乃上はさすがくノ一見習い、とでも言いたくなるような俊敏な動きで土下座しかねん勢いで頭を下げた。
「本当にっ……本当に申し訳ありませんでした!」
「えっ、いや、私はなにも……」
「いくら任務といえど、斜堂せんせーに対してあんな振る舞い……でもあの時はああするしか……いやでも本当に申し訳ありません!」
あんな振る舞い、とは「若さま」に成っていた時のことだろう。
しかし謝られても困ってしまう。なぜなら、むしろ斜堂としては内心感心していたのだ。
普段は懐いている相手にも対し、「カゲ」という従者を蔑むあの態度、目線、台詞を躊躇いなくできるということは、本心を隠す才があるということだ。
忍として必要不可欠、それでいて習得するまでに途方もなく訓練と月日が必要なそれに、この墓乃上という生徒は恵まれているらしい。
「そんなことでいちいち怒ってたりしたら忍には向いてませんよ……それに先生、墓乃上さんが頑張ってる姿が見れて嬉しいです」
「斜堂せんせー……!」
賭場では誰よりもすましていたが、その緊張が斜堂の言葉でようやく切れたのだろう。
あっという間に泣き出してしまったが、なぜか斜堂より六道のほうが困惑していた。
「おい怪異、……そんな泣くなって、悪かったからさぁ……」
「そうですよ、元はといえばこの人が原因ですし、墓乃上さんは頑張ったんですから」
まぁ無理もない。
いきなり教師から作戦を組み立てて任務をこなしてみろ、という無茶振りをされ、どうにかこうにかようやく終わったのだから。
今の墓乃上にとって斜堂からの褒め言葉はなによりも心に刺さるのだろう。
そうして立ち止まってははぼろぼろと涙を流す姿を前に、六道が呟く。
「まさかこいつが泣くとは……」
「まったく……子供を泣かすぐらいの火種を持ってきたのはあなたですよ? そんな他人事みたいな言い方……」
「いや、まぁそうなんですけどね……まさかこいつが人に褒められて泣くなんざ……」
つい責めるような言葉が出てしまったが、動揺した様子で言われたその言葉に、続きの小言ひとつ言い返すことができなかった。
ああ、そうだ。
この子が人間から嫌われて、避けられて、それに傷つく内に涙が枯れたかつての彼女に、六道は実際接してきたのだ。
彼が彼女を頑なに「怪異」と呼ぶことも、人間を嫌っている者を人間扱いしたら傷つくから、という経緯で生まれたものだったといつか聞いた。
「……斜堂先生さんよ、」
「はい、」
「……あんたがこいつをうんと人間扱いしてくれたから、こんなに泣けるんだろうな」
泣きすぎて赤くなった目元を強引に手でこすっては涙を拭い、照れ隠しか八つ当たりか、墓乃上は懐に入れてた扇子を投げては六道にぶつけた。「……六道さんの馬鹿、」
「余計なこと言うなし」
「ああ、悪かったってば、色々とよ、」
「小松田さんに言って出禁にしてもらうから、」
「え、いや、それはちょっと……なぁ斜堂先生さんよ、」
「まぁ……たしかに、生徒を危ない目に巻き込む人は出禁にしたいですよね」
「あれ、先生? もしかして怒ってます?」
「さぁ……どうでしょうね……」
「待ってくれ先生、そういうのが一番怖いんですけど?」
涙顔から一転、愛する教師と情けない旧知が言い合っているのがなんだかおかしくて、面白くて、墓乃上は気づいたら笑っていた。
徹夜で過ごした狂乱の一晩に、思い通りに任務が成功した喜びと、なによりも嬉しい褒め言葉――ああ、もうなんでもいいや、という明るい充実感に満ちていた。
とにかく勝ったのだ。
どんな手を使おうが、ズルくなろうが、なにがなんでも生き延びて任務を達成することが忍の本質だというのなら、その役目は今回、なんとも綺麗に達成できたのだ!
「――斜堂せんせー、六道さん、」
夜明けに進む空の下、演技ではなく、心からの自信に前を向く生徒から一言呼ばれる。
「私は……私は絶対に立派なくノ一になってみせます。だから私、この初任務のこと……絶対に忘れません」
綺麗に切り揃えた黒髮の後ろから、ゆっくりゆっくりと顔を出す陽の明かりが透けて見える。
そんな生徒の輝かしい姿、表情、そして宣言に、相容れぬ性格でも彼女を見届けてやりたい大人ふたりは、面白いことにふたり同時にひとつ頷いた。