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三、ラナンキュラスにも似ていた


今日は理科のテストとテニスの勉強で煮詰まり、モヤモヤとした気持ちで過ごしていた。終礼が早めに終わったので、部活に行く前にあの屋上庭園へ行くことにした。


 扉を開ける。見渡す限りではどうやら中には誰もいないようだった。カバンを置き深呼吸する。ここへ来ると空気がおいしい。綺麗に手入れされた花達も瑞々しくて、陰鬱な気持ちが一気に晴れる。


「お花のことも一度しっかり勉強してみようかな」


 綺麗な花を見つめて、欲張りにそんな事をつぶやいていると、屋上庭園の扉が開く。


「あれ、##NAME1##さん」
「あっ、幸村さんこんにちは!」
「こんにちは。ふふ、いつ来てくれるのかなーと思ってたよ」


 幸村さんは嫌味を感じさせない社交辞令を言って優しく笑うと、剪定バサミを持ちながら花を一株ずつ確認していく。


「えっ、私の事気にかけてくれていたんですか?」
「もちろんだよ。キミみたいな子、滅多にいないからね」


 どういう意味だろう。良い意味のような気も、悪い意味のような気もする。社交辞令を間に受けて調子に乗った発言をするんじゃなかった。


「あの日、ゼラニウムの花が枯れてしまうのが寂しくて、いつもより長くここにいたんだ。そしたらキミが現れて」
「あの日って、あの日ですか? そうだったんですね……突然入っちゃってすみません」
「ううん。それは気にしないで。でも、キミ、入学前に学校の下見に来ていただろう? 真面目な子だと思ってたんだ。まさかこんなに早く再会できるとは思ってなかったから、少し驚いたかな」
「あ、それは私もです。幸村さんを見てテニスに興味を持ったので、もう一度お会いしたいと思っていたんですよ」
「あっ」


 突然幸村さんが声を上げる。それとほぼ同時に、ぽとりと何かが落ちた音がした。


「やれやれ……俺としたことが、まだ元気な花を切り落としてしまった」
「えっ! ごめんなさい、私がお邪魔しちゃってるから」
「キミのせいじゃないよ。俺が動揺してしまっただけだから」


 切り落とされた花は本当に綺麗な大振りの一輪で、幸村さんはさぞがっかりしているだろうと思ったが、気持ちを切り替えたのか、またリップサービスだったのか明らかではないが、唇に緩やかな弧を浮かべて私に目配せした。


「キミ、花は詳しいの?」
「人並みでしょうか……。でも、これから勉強してみたいなと思ってはいるのですけど」
「そうか。もし俺に教えられることがあればいつでも教えるよ。ちなみにこれはラナンキュラス。せっかくだからキミにプレゼントするよ」


 そう言って丁寧に手渡してくれる。間近で見ると花弁が多くて上品な花だ。花の香りをすっと嗅いでみると自然と顔がほころぶ。


「こんなに可愛らしいお花、本当にいただいちゃっていいんですか?」
「うん、キミによく似合うから」
「本当ですか? ふふん」


 お世辞に気を良くしてくるりと回って気取ってみせる。


「ふふ。可愛いよ」
「ゆ、幸村さん……」


 顔が熱くなるのを感じる。なんでさらっとそんな事を言ってしまえるのだろうか。この優しくて時に厳しい、けれど掴みどころのないミステリアスな空気に私はすっかり虜になっていた。

 本気にしちゃだめだ、ミーハーな感覚のままでいないと、この人はとても危険な気がする。こっそりとそんな事を考えながら花で顔を隠した。


 くすっと笑い声が聞こえたので、花の陰からこっそり幸村さんをのぞく。幸村さんはまた剪定作業に戻っていた。


「花にはそれぞれ花言葉っていうものがあるんだよ。キミも聞いた事があるんじゃないかい?」
「あ、感謝を伝える時とか、お花屋さんに聞いて参考にさせてもらってます」
「うん、どんな花もたいてい花言葉を持っている。名前の由来や歴史に纏わる言葉だったりするから、これもまた面白くてね」
「うわぁ、益々興味が湧いてきました」
「それならいい本があるよ。貸してあげる」


 嬉しそうに提案してくれる幸村さんの厚意を無下になどできるはずもなく、私は花言葉の本を借りる約束をした。単純にも、二人で共有できる話題が増えた事に喜びを感じながら。


「ところで##NAME1##さん、テニスや勉強の調子はどう?」
「今のところは順調です。テニスのことはわからなかったら同じクラスの切原くんに教えてもらったりして」
「よかった、仲良くやっているんだね。マネージャーの仕事はどう? 勧誘した俺が言うのもなんだけど、結構キツいだろう?」


 幸村さんは花の手入れをしつつ時折こちらの様子を気にかけて目配せしてくれる。


「そうですね……。でも体力勝負なのは入部する前からわかっていたことですし、もっともっと勉強して早く皆さんのお役に立ちたいです!」
「ふふ、そうか。安心した」


 幸村さんが嬉しそうに笑う。さすがテニス部実質ナンバーワン。器が違うと感じさせられる。選手だけじゃなくマネージャーのことまで気を配ってくださるなんて、なかなかできることではないんじゃないかな。


「でも、マネージャーの私がお気遣いしていただいているようじゃまだまだダメですよね」
「ううん、そうじゃないんだ。俺、キミの真剣なプレゼンを聞いて、あの時相当思いつめてたんじゃないかって思ってね。それに、きつい仕事にスカウトして、俺の事嫌いになっていないだろうか……なんて」


 幸村さんが作業の手を止めてこちらを振り返る。ふいに向けられた視線は切なく私を見つめていた。


「ここに来るとキミの事を思い出すから色々考えてしまってね。ほら、最近顔を合わせていなかったろう? でも、よかった。君は変わらず元気そうだ」
「はい! お陰様で元気です」
「でも、頑張るのもほどほどにね。君はどうやら頑張りすぎちゃうところがあるみたいだから」


 そう言って彼は優しく笑いかけた。一年生の私のことまでこんなに気遣ってくださるんだ。全くもって非の打ち所がない彼に憧れが募っていく。私もこんな風に気配りできるようなマネージャーになりたい。


 少しして幸村さんは一通り仕事を終えたようで、さっと片付けをして一息つく。その手元にはいくつかの花が束ねられていた。


「さ、そろそろ部活に行こう」
「あ、はい! このお花、部室に飾ってもいいですか?」
「うーん、そうだな。君の側においてくれるなら、それでもいいかな」


 そう言いながら私のカバンをもってくれる。そうか、私が両手で花を持っているから気を遣ってくださったんだ。
 片手で器用に二つの鞄を持ち、もう片方には小さな花束。


「すみません、自分で持ちます」
「ふふ、君は花を傷めないようにしっかり持ってて」


 幸村さんがにっこりと笑いながら肩をすくめる。でもそれならばせめて幸村さんの持っているお花も預かるべきではないだろうか。


「ちなみにそちらのお花は……?」
「ああ、絡まっていたから少し間引いたんだ。いつもは一輪挿しにしたりして教室や教務室に持って行くんだけど、残念ながらこの花たちはもうあまり元気がないからね」
「そうなんですか……? 私には十分きれいに見えますが……」
「うん、君の言う通り、この子たちは今が一番見ごろではある。でも他の花に絡まって成長したから茎が曲がっているし、普通に生けても不恰好になってしまうだろうな」


 それでも幸村さんはその花を捨てるつもりはないようだった。ダストボックスを通り過ぎてもずっとその手に握っていたから。


「諦めたくないですね」
「え?」
「茎を短くカットして小ぶりな瓶に生けるとか、いっそ剣山を使って歪みを活かした作品にするとか。私、生け花には少し覚えがあるんです」
「そうなのかい? この花達でも使える?」
「もちろんですよ。私にお任せくださいますか?」


 幸村さんからお花を預かる。確かに歪んでしまっているけれど、ただ捨ててしまうのは勿体ない。幸村さんの優しい心がよくわかった。どんな風に輝かせようかとあれこれデザインを考えてみる。
 部室までの道のりはそう短くも無い。歩く間人々から普段とは違う羨望の眼差しを浴びる。これは言わずもがな幸村さんへ向けられた視線だろう。


「そういえば、幸村さんって、神の子と呼ばれているそうですね」
「あはっ、あれかー。明確なきっかけはないんだけどね、いつの間にか呼ばれるようになったんだ」
「それだけ幸村さんのテニスが凄いってことですよね」


 まだ幸村さんが公式試合で戦っている姿を見た事がないけど、きっと凄いのだろうな。切原くんとの打ち合いはたぶんワンゲームマッチでほとんど時間がかからず終わってしまったし。


「俺は俺にできることをするだけだ。そして、俺が持てる力を発揮するためにはキミのサポートが必要なんだよ」
「もちろん全身全霊でサポートします!」
「ふふ。俺はキミのその真面目さや素直さが気に入ってる。苦労をかけると思うけど、よろしく頼む。さ、部室に着いたね。剣山は借りに行くとして、花器もいるよね。何かあったかなぁ」


 幸村さんが部室に入っていく。私は暫く部室の前で立ち止まっていた。さらっと褒められた。幸村さんにそんなに信用してもらえているなんて、少しは自信を持っていいのだろうか。

 部活後、幸村さんがくれたラナンキュラスを眺めながら日誌を書いていると、ふとこの子の花言葉が気になった。スマートフォンで調べてみる。

『あなたは魅力に満ちあふれている』

 表示された文字列に顔が火照る。いやいや幸村さんに他意はないはずだ。幸村さんはたまたま切り落としてしまったのだから。
 けれどもこの花を彼が贈ってくれた事実は私の心に大きな幸福をもたらした。
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