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二、それは燃え上がるグロリオサのようで

 その日の放課後、私はテニス部の部室前に立っていた。もう一度、自分の気持ちを確かめたいと思ったからだ。すると、後ろから誰かに肩をとんとん、と叩かれる。振り向くと、頬にプニと何かが刺さる感触。誰の仕業かと振り返る途中、イタズラな先輩の綿毛のような白髪が脳裏によぎった。もしかしてと飛び退いて身体ごと振り返ってみせると、赤髪のお兄さんが屈託のない笑顔でこちらを見ていた。

 仁王さんではなかった。彼の傍らにはジャッカルさんの姿も見える。この二人の組み合わせは既視感があった。


「あっれー、お前、入学式の時の」
「あー、入学式早々校門で揉めてるやつがいたな」
「……あ」


 思い出した。切原くんの印象が強すぎて忘れかけていたけど、この先輩たちが止めてくれたのだった。


「その節はご迷惑をおかけしました……」


 恥ずかしい現場をお見せしたことが居た堪れなくなり、深く頭を下げてお詫びをする。


「気にすんなって。面白い奴は大歓迎。お前、入部希望だろぃ? 中に新部長がいるはずだ。入りな」
「あ……」


 赤髪のお兄さんが扉を開けてくれる。まだ決めたわけじゃない、なんて言えず、私はそのまま部室へ通されてしまった。


「##NAME1##さん」
「幸村さん……」


 部室の中には、幸村さんと渋いお兄さん達が立っていて、威風堂々厳格な雰囲気を醸し出していた。幸村さんは私に気付くとすぐに笑顔を見せてくれるけど、一瞬見えた真剣な表情が頭に焼き付く。そうだよ。この部は全国二連覇を目指す強豪。半端な気持ちでいちゃいけないんだ。


「来てくれたんだ。ということは、入部希望……なのかな?」
「あ……その……」


 無意識に手に持った入部届に目をやってしまう。


「丸井、先に受け取っておいてあげなかったのかい?」
「あ、悪い。こいつ部室の前に突っ立ってるからさ。直接渡したいかなーと思ったんだよ」
「そうだったんだ」


 幸村さんが私に視線をやり微笑んでくれるが、私が中々言葉を発しないのを見て彼は少し首を傾げた。話しやすい雰囲気を作ってくれていることはわかるのだけど、どうしたらいいのか、私は何を話すつもりで来たのだったか。幸村さんの前に立ったら、頭が真っ白になってしまう。


 私は覚悟を決め、深呼吸をしてから入部届を幸村さんに見えるように差し出した。


「……白紙、だね。これは、どう受け止めたらいいのかな……」
「あの、幸村さん。私、半端な気持ちでは入部できません」
「……うん」


 小さく頷く幸村さんの瞳から光が消えたような気がした。この人を落胆させてしまったのかと思うと胸が苦しくなった。私は自分の心の中を整理するように目を閉じ、そして静かに言葉にしていった。


「生半可な気持ちでは、真剣に取り組んでいる皆さんに失礼だと思うし、やるなら最後までやり遂げたい。何があっても本気で皆さんをサポートするという覚悟を持って臨みたいんです」


 あれ、何を言っているんだろう、私。瞬きもせず、熱くなって。でも、止められない。こんなに流暢に語る自分が自分で信じられずおそろしい。止めどなく言葉が溢れてくる。この感覚に名前はあるのだろうか。


「今は正直、テニスのこともよく知らないし、お仕事が務まるのか不安です。だから、私が間違っていたらどんどん注意してほしいです。ご迷惑かもしれないけど、私、きちんと勉強して、必ず皆さんのお役に立ちますから」


 とてつもなく緊張するこの状況で、涙を堪えながら語り尽くす。先輩達は驚いた顔で私を見ていたけれど、幸村さんは真剣に聞いてくれていた。


「幸村さん、私に、皆さんの全国二連覇のサポートをさせてください。よろしくお願いします」
「……顔を上げて、##NAME1##さん」


 いつの間にか頭を垂れ、入部を希望する言葉が口から放たれていた。今目頭には沢山の涙が今にもこぼれ落ちそうに溢れている。こんな潤んだ顔を見られたくない。けれど、幸村さんの言葉に背くのも失礼な気がして、私は伏目がちに顔を上げた。


「誰しも最初はわからないことだらけだよ。俺も皆も、そんな人を責めたりはしない。努力する人には協力を惜しまないし、迷惑だなんて少しも思わない。だろう?」


 幸村さんが周囲に視線を配ると、皆一様に頷いてくれていた。堪えていた涙がぽつりぽつりとこぼれ落ちていく。なんて暖かいの。この人はどうしてこんなに優しい言葉を紡げるの。今までこんな風に人を癒す力を持った人には出会えなかった。幸村さんは、立ち上がり、私の涙を指で掬いながらまた笑いかけてくれる。


「キミなら大丈夫。大丈夫だよ。歓迎する、俺たちと共に全国二連覇を果たそう」
「ありがとうございます」


 幸村さんにあやされて涙が止まらなくなってしまった私の背中を、彼はぽんぽんと優しく叩いてくれる。


「もう、真田の顔が怖いから##NAME1##さん泣いてしまったぞ」
「ち、ちがっ」
「何だと? 俺はどうすればいいのだ」


 黒い帽子を脱ぎ真田さんが慌てて立ち上がる。それを幸村さんはにこにこしながら見ていて、部室内の注目がいつの間にか真田さんに集まっていた。

 ああ、そうなんだ。幸村さんってこういう人なんだ。直接見えない優しさにまた瞳にじわりと涙が溜まった。この人なら、信じてもいいのかもしれない。ううん、信じてみたい。

 幸村さんが屈んで小声で耳打ちする。


「ふふ、こんな素敵なプレゼンをしてくれる子、初めてだ。見てごらん、丸井もジャッカルも圧倒されて間の抜けた顔をしている」


 そう言われてハッと我に帰る。幸村さんの視線の先を追って振り返ってみると、確かに二人共圧倒……というか、引いてるように見えた。


「なんだかすみません……」
「いやいや、あんな顔で真田が睨んでるのが悪ぃんだから気にすんなって。しかし幸村くんはほんと人たらしだよなぁ」


 丸井さんが軽く笑い声を上げ、周囲の雰囲気も少しずつ綻んでいく。そんな中、真田さんは黒キャップを手に握り、私の目の前まで歩み寄る。


「##NAME1##!」
「はいっ!」


 突然私を大声で呼ぶので、思わずピッ!と背筋を伸ばす。今度は本当に少し、恐怖した。


「怖がらせてすまなかったな。 だが、テニスとは常に真剣勝負。お前のその心意気、しかと受け取ったぞ」
「真田、声が大きいよ。ほら、また彼女が驚いてしまったじゃないか」


 やれやれといった風に幸村さんがため息をつく。被り直した黒帽子を再び脱いで頭を下げてくれる真田さんに、いえいえと手を振る。

 真田さんは確か、入学初日に切原くんをコテンパンにやっつけていた三人の中にいた、超実力者だ。もしや彼が部長さんなのだろうか。入部を進めてくれたのは幸村さんだったので、てっきり幸村さんが部長なのかと思っていたが、真田さんもいかにも部長らしい佇まい。けれどその真田さんにもどうやら認めてもらえたようだったので、結果的にはよかったのだろうか。

 幸村さんを見ると、笑みを含んだ柔和な表情が、すっと真剣な表情に変わる。


「##NAME1##さん。真剣に考えてくれて嬉しく思う。本当にありがとう。俺たちと共に過ごす決断をしてくれた事、決して後悔はさせないよ」
「ありがとうございます」
「うん。やっぱり、俺の目に狂いはなかったな。……正直、ここまで頼もしい人だとは見抜けなかったけど」
「すみません、引いちゃいましたよね」
「ううん、少しも。この部は元々変な連中ばかりだしね。キミもうまく馴染めそうな気がするから、これは嬉しい誤算だな。必ず二連覇をキミに見せるから、俺たちを信じて、支えてほしい」
「はい!」


 あれ? でも今のって幸村さんは私の事を少し変だと思ってるって事では? だけどそれが受け入れられるなら、それでいいか。

 まさかの白紙の入部届が受理されるという怪現象。もちろんこのあと書かせてもらったけど、この日のことはテニス部全体に知れ渡り、一時期私のあだ名はプレゼンやレジェンドになりかけた。

 女の子にそれはかわいそうだと幸村さんが止めてくれたけど、噂はどんどん誇張されて、テニス部の中で新人マネージャーの##NAME1##は伝説を作った女という認識を持たれてしまうこととなった。

 しかしこうなってしまっては仕方がないので、私は噂以上の実力をつけ、立海二連覇のサポートをしっかりやろうと、そう意気込みひたすらテニスの勉強をしていくのだった。
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