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一、咲き誇る君はダリア

 幸村さんは部活の準備のため部室へ向かっていった。私は、もう少しだけ幸村さんの育てた花の香りを楽しんでいたかったので、彼を見送って屋上庭園を一周してから、教室に忘れ物をした事を思い出し、取りに行った後で校舎を出た。
 その足であのグリーンのフェンスを目指す。幸村さんのせっかくの誘いを断るわけもなく、私は再びテニス部のホームへと立ち寄ることにしたのだった。

 すると、ユニフォームを纏った幸村さんが他の先輩らしき二人と共に凛とコート脇に立っていたので私は足早にフェンスに駆け寄る。
 今まさに試合が始まるような、そんなわずかな緊張感が伝わってくる。

 相手コートは…

 えっ! あの天然パーマの彼は!?
 何やってるの、切原くん!

 どうしたのだろう、私。この高揚感は何。これから一体何が起こるのだろう。しっかりと目を見開き、気付けば私はフェンスに張り付いてテニス部の練習を夢中になって見学していた。

 打ち合いが始まる。否、打ち合いにはならなかった。先輩たちの綺麗なサーブが次々と切原くんの足元に刺さっていく。

 そして幸村さんがコートに立つ。彼はコートに立つというただそれだけでこの場の空気を支配してしまう。とてつもない圧力が切原くんに重くのしかかっているように感じた。しかし切原くんは、その負けん気の強さを眼窩に宿して幸村さんに挑む。
 幸村さんが切原くんにサーブを譲ったようだった。しかしその試合を支配していたのは圧倒的に幸村さんだった。球の速さ、角度。完璧なテニスだと思った。満足にルールも知らない私でもわかるくらいに。

 昨年活躍した一年生って、やっぱり。予感がほぼ確信に変わる。

 その後、手も足も出なかった切原くんは、悔しそうに悪態をついて走り去って行った。自信家の彼のことだから、無鉄砲に勝負を挑んだのではないだろうか。
 朝の様子だと、相当テニスが好きそうだったもの。もしかしたら、今まで挫折を味わったこともなかったのかもしれない。

 幸村さんのテニスに魅了される気持ちと、恐ろしい程の実力に圧倒される気持ちが入り混じり、鼓動が速くなる。私は自分を落ち着かせるために小さくため息をつき、帰路へつこうと踵を返す。


「おっと。お前さん、もう帰るんか?」
「えっ?」


 いつの間にか私のすぐ後ろに、白髪の男が立っていた。


「ずっと見入っとったじゃろ。テニスに興味があるんなら、ほれ、入部届」
「い、いえ…入部希望で来たわけではないんです」
「なんじゃあ、お前さん、三強目当てか?」
「三強?」


 聞きなれない名称におうむ返しをしてしまう。すると彼はにやりと口角を上げ具体的な候補を絞ってみせた。


「幸村じゃろ?」
「う……は、はい……確かに幸村さんを見ていました」


 言い当てられてぎくりとしたが、気になって見ていただけだし他意はない。正直に白状してみると、彼はきょとんとした顔をして、そのあと困ったといった様子で額に手を当て笑い出した。


「くっ……ははは! お前さん、正直者じゃのう。ちぃとばかしからかってやろうと思っとったが、そんな無垢な顔をされると……くくく」
「え……えっ? 私、そんなに面白い事言いましたか? すみません、大きい声出したら、変に目立っちゃうのであの……」


 悪目立ちだけは避けたい。そう思って白髪の先輩をどうにか気を悪くさせないようにして落ち着かせたいと考えたが、無理だ。自分の我を通すと相手を不快にさせてしまいそうで。結局私は先輩が腹を抱えて笑っているのをオロオロしながら見ているしかできなかった。
 そんな折、ちょうど部活に出てきたらしいジャージ姿の男性がこちらに気付く。


「おや? 仁王君ではありませんか。また悪戯ですか?」
「柳生か。いや、なに。この子が幸村を食い入るように見つめとったんで、ちぃとばかしからかっていただけぜよ」


 仁王君と呼ばれた白髪の先輩があまりに大袈裟に笑っていたので、やはりと言ってよいのか、注目が集まっていた。柳生と呼ばれる彼は分厚いレンズの眼鏡を指でクイと上げ困ったようにため息をつき仁王さんを諌めた。


「まったく、あなたという人は。下級生を無闇にからかうものじゃありませんよ」
「じゃが、この子のためにはなったようじゃ。ほれ、見てみんしゃい。幸村がこっちへ来るぜよ」


 そう言いながら仁王さんは私の体を幸村さんに見えるように差し出す。


「ちょ、ちょっと先輩、私は練習の邪魔をしに来たわけじゃないんですよ! うう……幸村さん、ほんとに、静かに見学だけしているつもりで……」


 抵抗も虚しく、私は幸村さんの前に差し出されてしまった。これは新手のいじめかな? 羞恥心で顔が火照ってくるのを感じる。


「##NAME1##さん。中々来ないから帰っちゃったのかと思ったよ。見に来てくれたんだね」
「はい……でも、お邪魔してしまったみたいで、すみません……」
「まさか。邪魔なんかじゃないよ。そもそも俺が誘ったんだし」


 ふわりと笑う彼は先程のコート上のプレーヤーとは別人のようでいて、しかし涼しげな目元は鋭く先程の鮮やかなプレイを思い起こさせる。


「あの……さっきのって、試合ですよね? すごかったです。幸村さんのテニスって、美しいんですね……」


 これまで文化部にいた身分からすると、運動部には汗と涙の青春群像劇のようなイメージを勝手に持ってしまっていたが、彼のプレーを目の当たりにして、自分の浅慮が恥ずかしくなった。


「嬉しいけど、少し照れくさいな」


 言葉とは裏腹に、眉尻を下げながら人差し指を顎の辺りに添えるあざとさのある仕草はちっとも照れているようには見えなくて、けれどもその姿から目を離せなかった。


「ところで仁王、柳生、キミたちは何をしていたのかな?」


 幸村さんがにこりと微笑むと肩に羽織ったジャージが靡く。
 辺りを包む空気がどことなく重たくなるのを感じて様子をうかがうように双方を交互に見ていると、仁王さんがパッと紙を取り出した。


「入部届。入部希望者じゃと思ったんでのう」
「なんだ、気がきくじゃないか。……##NAME1##さん。これ、持っているだけでもいいから、受け取ってもらえるかな?」


 幸村さんを経由して、先ほど受け取り拒否した書類が戻ってきた。


「テニスに興味があるのなら女子テニス部に入部するのもいいけど、これも知っておいてほしい。我が男子テニス部はマネージャーも募集しているんだ。君のサポートがあれば、俺たちは全国二連覇を成し遂げられる気がするよ」


 幸村さんが優しく口説いてくる。けれど、返事に困って瞬きを繰り返してしまう。マネージャーなんて考えた事もなかったから。けれど、全国へ挑む彼らをサポートするのも、確かにやり甲斐のある仕事かもしれない。

 しかし何の知識もパワーも持たない私に一体何が出来るというのだろうか。


「正直言って、現状私が貢献できる自信がありません……」
「……ふふ。キミってやっぱり真面目な子だね。俺たちにはまさにキミみたいな子が必要なんだ」
「そう言われると弱ってしまいますね……。少し、考えさせていただいてもよろしいですか?」
「うん。君のやりたいことをやるべきだからね。ただ、ここも選択肢の一つに加えてもらえたら嬉しいよ。ゆっくり考える時間はないかもしれないけど、後悔のないようにしっかり考えて決めてほしい」
「ありがとうございます」


 こうして私は入部届を幸村さんから受け取った。あんなに強い幸村さんに直接スカウトしてもらえるのはとても光栄だけれど、自己評価での私はそんなに要領の良いタイプだとは思わないしマネージャーが務まるのか心配に思う。

 けれども、他にどうしてもやりたいことがあるわけではない。
 マネージャーになれば、毎日この空気感を味わえて、いつか栄光を手にする彼らを陰で支える事ができる。

 テニス部マネージャー、その道を意識し始めた日であった。
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