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一、咲き誇る君はダリア

 桜の咲き誇る柔らかな色彩の中、軽やかな足取りで校門をくぐる。私は今年、この中学校の生徒になる。進学先は憧れの立海大付属。転勤族の父が今年湘南に赴任されたので運良くこの名門校に入学できる事になった。
 湘南は元いた地より極端に離れているわけではないので学校の噂はよく聞いていた。ここは特にスポーツの強豪として知られる。私は特別熱中するスポーツはないけれども、これも何かの縁だろうと感じている。


 新天地。小学生時代は正直言ってあまりうまくいっていたほうではなかったため、学校生活への不安は多少感じている。けれども私はまだ集団生活を諦めたくない。試験を受ける機会を与えてもらい、私は中学から学校生活をやり直す気持ちで臨んでいた。今度は失敗したくない。新しい環境への不安を少しでも取り除くため、私は今日、校舎の下見に来ているというわけだ。
 学校に来たからといって学校生活の予習ができるわけではないのだが、起こりうるハプニングを少しでも減らせるならばそれでいい。たとえば、道に迷って入学式に遅刻などということはなくなるわけだから。


 立海は校舎も周辺環境もどこもかしこも美しい。校門をくぐれば威厳ある煉瓦造りの校舎が迎える。さすがに校舎内まで入ることはできないのでまずはその周りをぐるりと散策してみることにした。
 真っ直ぐに刈り込まれた低木が名門の風格を守っている。花壇には色とりどりの花が咲き瑞々しく輝く。今まで通っていた小学校とは比べものにならない設備の大きさに、見慣れたはずの花も何の変哲もない水道の造りさえも新鮮に思えた。


 いくつかの運動部が活動している中、ひときわ背の高いグリーンのフェンスは素人目にはサッカーコートかテニスコートなのか判断がつかない。この学校は確かどちらの部活も強いはずだ。少しばかり興味をそそられ誘われるままに近付いてみる。
 距離が狭まってくるにつれ、そこがテニスコートであることがわかる。それと同時に、よく耳にしたブラック部活の噂を思い起こす。
 立海テニス部は昨年全国大会で優勝。しかも、一年生が活躍したのだそうだ。一年が試合に出られるというのはレアケースなのではないだろうか? まさに強豪らしい実力主義が垣間見える。

 ボールの小気味良い音がして、それとなくフェンスの網目の奥を覗けば、何人かの部員がコートで打ち合いをしているのが見えた。春休みでも、こうして練習しているのはさすがだなぁ、と第三者目線で思う。

 特にわけもなくその場に立ち尽くし、飛び交うボールを目で追った。ボールの打撃音の中に激励の声も混ざる中、一層風格のある部員の声がこちらまでクリアに聞こえてきた。


「動きが悪すぎるよ。今のはジャッカルのボールだろう!」


 今のを取れというのだろうか? テニスに疎い私でもさすがに人体の可動域を超えていることはわかった。


「ああ、次はこぼさねぇよ……」


 ジャッカルと呼ばれた彼が汗を拭いながらコートの後ろへ下がり前屈みの姿勢に構える。さすが強豪、名門の名に恥じぬストイックさ。ブラックと表現しようと思えばできない事はないだろう。
 けれども部員たちは一人として苦しそうにテニスをしているようには見えなかった。やはり噂なんてそんなものだ。私が自分の目で見て感じたのは、ここには好きが溢れているということ。


 先ほど檄を飛ばしていた部長のような風格のその人物を眺めていると、ふいに視線が重なった。私はいつの間にか彼に見入っていたのだと自覚してあからさまに視線を外す。しかしやはり気になってもう一度あの人を見る。

 彼はこちらを見つめたままでいた。そしてにこりと微笑んでみせた。

 思ったよりも優しそうな人だ。先程の語気を孕んだまま『部外者は出て行け』とでも言われてしまうかと無意味な心配をしたりして、ばかみたいだ。

 だけど、もしかしたら、笑顔で注意されるのかもしれない。やんわりと。おそろしい。
 笑顔をたたえた彼がだんだんとこちらに向かって来ている。

 周りには誰もおらず、こちらへ向かっているのだということがわかってしまうだけに、あからさまに避けて去るのもなんとなく失礼なように思い立ち止まったままでいると、彼はとうとうフェンスのすぐ向かいまで来てしまった。


「やぁ。見学かい? テニス部に興味があるのかな」
「あっ、その、去年の優勝校だと聞いていたので、すみません、興味がないわけじゃないのですが……」


 小柄に見えていた男性は、近くで見ると私よりずっと背が高くて、そしてとても綺麗な人だった。
 そんな人に話しかけられたものだから、どこか萎縮してしまって返答がしどろもどろになる。


「知っててくれたんだ。そう、去年は我らが立海大附属中の優勝だったんだよ。そして今年もね」
「強いんですね……。私も応援します」
「ふふ、ありがとう。君、新入生だろう? 女子テニス部を探しているのかい?」
「あ、いえ、テニス部を目的に来たわけではないのです……良い音に誘われて、つい」
「へえ。良い音を聞き分けられるんだね。さっきのラリーは確かに2人共スイートスポットに当てられていたから」


 彼の言う事がよくわからず、つい小首を傾げてしまう。興味があると言っておきながらスイートスポットとやらも知らないなんて、冷やかしと思われてしまうだろうか?
 先輩に話しかけられるなど思っていなかったから、何の準備もしておらず、思うがままに言ってしまったけれど。


「すみません。興味があるなんて言いましたが、実はルールもよく知らないんです。本当に、ただ興味があるだけで。……お邪魔ですよね?」
「ううん、そんなことないよ。ルールなんてこれからいくらでも覚えられるし。テニスに興味を持ってくれる人が増えるのは嬉しいからね」


 彼はそう言って微笑んでくれる。立海大付属の先輩はなんて優しいのだろう。抱えていた漠然とした不安が少し溶けてゆく。


「せっかく来たんだし、ゆっくり見学していってね」
「ありがとうございます!」
「うん。あ、俺は一年の幸村精市。キミが入学する頃には二年だね。何かわからないことがあったら気軽に聞いてくれて構わないよ。キミのお名前も聞いていいかな?」
「あっ、##NAME1####NAME2##と申します。幸村さん、いろいろご親切にありがとうございます」


 一年生。もしかして、という気にさせる。昨年度の大会で活躍した一年生がいるという話を頭の中に反芻させて。
 この柔らかな微笑はストイックな運動部とあまり結び付いてこないけれど、何かとてつもない風格がある。絶妙なバランスを持った美しい人。最初は怖い人かもしれないとも思ったのに、今ではそんなイメージはとっくに吹き飛んでいた。

 にこりと微笑んでコートへ戻る幸村さんの後ろ姿を私は暫く目で追っていた。
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