ダークヒーローが誕生した日
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愛を知ってから、この男は随分弱くなってしまった。それはもちろん、腕力の話ではない。悪名高き噂も、鬼のような顔も、背筋が凍りそうな恐ろしい声も、彼女の前では無に等しくなったキッド。そんな彼を、そうさせた女、ミアは「可愛いねェ、イチゴちゃん」と、初見では一体誰のことを指すのか分からないニックネームを、愛おしそうに口にするのだ。
『ダークヒーローが誕生した日』
数日前から、ミアの様子がおかしい。あんなに大好きだった甘い菓子にも手をつけず、窓の外を見ている機会が多くなった。かのキャプテン・キッドは、彼女がまた隠し事をしているのではないかと、頭に嫌な靄がかかる。
それを黙って様子を見ておけるほど、彼は繊細な男ではない。二人きりになれる夜を利用して、キッドはミアに真っすぐな気持ちを伝えるのだ。邪魔するモノはなにもいない、深夜。彼はやっと「ただの男」になれるのだから。
「……おい、顔色悪ィぞ。腹でも痛ェのか?」
キッドのぶっきらぼうな声が、静かな部屋に響く。彼好みのゴテゴテした家具に反射して、ソファーの上でぼんやりしているミアに届くまでの数秒の間、彼女はずっと腹部をさすっていた。
「ンフフ、大丈夫だよ、イチゴちゃん。ただ……」
ぽつり、ぽつりとつぶやいた後、ごくりと喉を鳴らして唾を飲む。そして、重たげに顔を上にあげると、彼の大きな左手を取り傷だらけの腹部へと導いた。見上げてくる目は、いつもとは違う。ミアの目からは、力強い光が見えた。
「ガキ……子供がね、できた」
キッドは眉間に深い皺を寄せる。聞き間違いかと思ったが、ミアが真剣で、美しいので、自分の耳は正しい。
「しかも一人じゃなくて、二人。双子だよ、イチゴちゃん」
キッドの動きが完全に止まった。
海賊王を目指し、死線を幾度も越えてきた男の脳内が、一気に真っ白に。自分たちの血を引いた
「……双子?」
ようやく絞り出した声は、わずかに震えていた。
キッドは自分の大きな掌を見つめる。この両手は、何かを壊し、奪い、掴み取るためにしかなかったはずだ。その掌の中に、今、壊れ物よりも脆くて尊い、二つの「生」が宿っている。――自分の中にある何かが爆発した。電磁場の変化が電流を生む時のような、大きな爆発だ。
「お前に似て、うるせェんだろうな」
頭にかかった靄が晴れる。口角が上がっていることは隠せない。彼は力強い表情から、今にも泣きそうになるミアを抱き寄せた。
「違うよ、あたしに似るんじゃない。イチゴちゃんそっくりな子だよ、絶対。あたし、わかるもん」
爆発は、戦いへの高揚感ではなく、未知の「父親」という役割への戸惑いと歓喜が混ざり合った感情だ。
「ねぇ、イチゴちゃん。怖い?あたしは怖いよ」
「ハッ、怖いだァ?笑わせんな。怖いモンなんてこの世にねェよ」
スンっと鼻をすするミアは、ケラケラ笑う。きっと、生まれてくる子も、ミアと同じ笑い方をするのだろう。
「安心しろ。おれが全部、守り切ってやる。お前も、ガキ共も。誰一人、指一本触れさせねェ」
愛を知って、己の弱さを知った男は、今日を境に変わるのだ。もちろん、悪さをやめるわけではない。護りたい者は、彼を時に弱く、そして強くしていく。
嵐のような毎日を生きる二人の間に、新世界のどんな島にも属さない、二人だけの「家族」という物語が、静かに、けれど確実に産声を上げようとしていた。
さぁ!大海賊がダークヒーローに!
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