七月二〇日、夏休み初日。
 千夏は朝から白井黒子と御坂美琴に付き合って行動していた。どうやら美琴は鬱憤が晴れていなかったようで、昨夜は憂さ晴らしに雷を鳴らしながら街を歩き回り、ついには寮にも帰っていなかったらしい。
(美琴ちゃんもよくやるねー)
 心の中で苦笑しながらも、特別驚きはない。美琴は熱くなりやすいというか、本人には言えないが子供っぽい一面がある。昨日の上条当麻とのやりとりが相当気に食わなかったのであろう。
 そんなこんなで、夕方。カフェの扉を押し開け外に出る。なんやかんやで、佐天涙子と初春飾利も合流していた。
「そういえば、佐天さん、見せたいものって何ですか?」
「あ⁉ えーと……ゴメーン!私、用事あったんだ!また今度ね!」
 佐天は急にそう言うと、手を振りながら急いでその場を去っていく。
「どしたの?」
 千夏が少し首を傾げて尋ねるが、初春も困惑した様子だ。
「さぁ……」
 何かあったのかと、ふと周りを見渡すと、気づかぬうちに美琴もいなくなっていた。
「美琴ちゃんも居ないなー」
「本当ですの……。美琴おねーさまー?」
 千夏が本気を出せば、音波をたどって美琴の居場所などすぐに突き止められる。しかし、ふと考えた。
(上条君でも見つけたのかな?)
 直感的にそう思っただけで根拠はないのだが何となくそんな気がした。
(もしかして……、美琴ちゃん、上条君に惚れてたりするのかなー!)
 美琴はドライというほどではないのだが、そこまで他人に執着する人間ではない。そんな美琴が、上条当麻に対してはやたらと絡もうとしている。もしかしたらそういう気持ちがあるのかもしれない。
「どうします、千夏お姉さま?」
「うんうん!放っておこう!邪魔するのもよくないよ!」
「邪魔……?」
 黒子が眉をひそめ、疑問を口にするが、千夏はふわりと笑い、何も言わずそのまま立ち去ろうとする。
「お待ちくださいませ、千夏お姉様はどちらへ行こうとしてるんですの?」
「お散歩!そういうことで、二人共またね!」
 千夏は軽い調子でそう言い残すと、手を振りながらその場を離れた。
「ちょ……ッ、……どうか変なことはしないでくださいましー!」
「うん!善処するー!」
 千夏はとびきりの笑顔で返事をする。こうしておけばとりあえずごまかせるという経験則に基づいて。
「聞いてくれませんわね……」
 黒子があきらめたようにため息をつくと、初春が不思議そうに、
「白鳥さんはいつもこうなんですか?」
「ええ、まったくですの。あの方は、まるで面倒ごとを引き寄せられるように、フラっと歩いては、自ら首を突っ込みますの」
「そうなんですか何か意外なような」
「あの方と関わっていれば嫌でも思い知らされますの……」
 黒子は何度も繰り返されたであろう千夏のトラブルの数々を思い返し、少し遠い目をしながらそう呟いた。

「なんかないかなーっと♪」
 二人と別れた後、千夏は気ままに三十分ほど街を歩いていた。特に目的があるわけでもないが、心のどこかで確信がある。きっと今日も何か飛び切り面白いことが起こるに違いない、と。
 千夏は自分の直感を頼りにしている。特にこういった「何か起こるかもしれない」という直感は、驚くほど外れたためしがない。歩きさえすればトラブルが寄ってくる、とでも言おうか。
「トっラブルやーい」
 口ずさみながら、彼女は周囲をキョロキョロと見渡す。学園都市の賑やかな街角も、夏休みに入った影響でさらに人の活気に満ちている。しかし千夏の目は、ただの平穏な景色には興味がない。彼女が期待しているのは、そう、ちょっとしたハプニングや非日常――『面白い何か』だ。
「やーい、トラ……ん?」
 ふと、遠くから何か妙な音が耳に入る。
 何気なく立ち止まり、耳を澄ませて音の詳細を探る。

 ――ドンッ!
 
 再び響く。今度は、はっきりと爆発音だと分かる。だが、その音に違和感を覚えた。
「何だろう……、普通の爆発じゃないような……?」
 音の質が、どこか奇妙だった。爆薬を使ったものでも、能力による爆発でもない。どちらのパターンにも当てはまらない音の響きが、千夏の耳に引っかかる。
「これは……、なんか来たかも!」
 千夏の顔には、興味深そうな笑みが浮かんだ。直感が告げていた――きっと、ただ事ではない。

 爆発音をたどって街を進む。音の発生源を辿るたびに、まるで道案内されているかのような感覚があった。音が発する特有の振動と響きを頼りに、やがてたどり着いたのは、とある学生寮の前。
 静かな寮の前には、誰の姿も見当たらない。一瞬立ち止まり、周囲を見渡す。
「この辺りのはずだけど……」
 軽く眉をひそめ、音の痕跡を追い続ける。寮の建物や周囲に異常は見当たらないが、直感が告げていた。この場所に何かがあると。
「まぁ、これ以上無駄に考えても仕方ないかな」
 鼻歌を口ずさみながら、寮の前を慎重に歩き始めた。次の手がかりを見逃さないよう、彼女はさらに集中して耳を澄ませる。
 その瞬間、静寂を破るように――

「ひっ、わああああああああああああああ!!」
 ――ドンッ!

 勢いよく叫ぶ声、その後衝突音が響いた。
「えっ⁉ 何⁉」
 驚きで一瞬動きを止め音のした方向を見る。
「んー?……あ!」音の正体、それに気づいた瞬間すぐに興味へと変わった。飛び降りてきたのは昨日会った少年――「上条君じゃん!」
 千夏は思わず笑みを浮かべる。昨日、上条と会った時の感覚、つまり千夏の言うところの「面白いことを持ってきてくれそうな少年」が目の前にいるのだ。こんなチャンスを逃すわけにはいかないと、駆け足で上条の方へ進む。
「やっほー!上条君!ご機嫌いかが?」
 そう言って倒れている上条に手を差し出す。
「痛ってぇ……。アンタ、なんでこんなとこに――」
 上条は少し驚いた表情を浮かべながらも、その手を握り、なんとか起き上がろうとした。その瞬間――

 轟! と頭上で炎が酸素を吸い込む音を上げる。
 
「!」
 千夏は瞬時に判断し、迷うことなく上条の手を素早く引っ張り、一気に立ち上がらせる。
「こっち!」
 上条を離れた所へと連れ、少し離れた場所で周囲を確認する。辺りにはまだ熱気が漂い、あの音の余韻が消えない中、ふと視線を感じた。
 二階の手すりに、何か異様な存在が張り付いている。それは生き物のようでありながら、今まで見たこともない物体。じっとこちらを見つめてくるその存在に、千夏は思わず息を呑む。見た目も不気味だったが、最も驚いたのは『それ』から聞こえてくる音だった。
「……何、あれ?」
 千夏は目を見開く。今まで一度も聞いたことのない、奇妙で異質な音が彼女の耳に響いていた。音の波長が人間の常識を完全に逸脱していて、通常の生き物や物体が発する音とは異なる音だった。
 その音を聞いた千夏は、
「すっごい! こんなの、初めて聞いた‼️」
 異常な音とその正体不明の存在に、思わずわくわくする。危険を感じるどころか、新しい刺激を見つけたかのように高揚感が広がっていく。
「君! 何あれ!」
 千夏は興奮を隠しきれず、上条に問いかけた。『それ』を指差しながら、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような瞳でその存在を見つめる。
「何って……」上条はその物体を一瞬呆然と見つめた後、ポケットに手を突っ込みながら焦った表情で続ける。「いや……悪い、ちょっと待て、警察……」
 上条は何かを思い出したように呟くが、手がゴソゴソとポケットの中を探るだけで止まった。
「……そうだった、朝壊したんだった……」
 上条は少し焦りながら周囲を見渡す。
 そんな様子を尻目に千夏は笑顔を浮かべながら、
「警察に頼るより、僕たちでどうにかしちゃおうよ! こーれは面白いことになるぞ~!」
 そう言うと、千夏はそのまま学生寮に向かって一歩前へ踏み出す。
「は⁉ お、おい! 待てよ! 危険なんだって!」
「そっちこそ、危険だから離れたほうがいいんじゃない? 無理してついてこなくても大丈夫だよー」
 楽しげな笑みを浮かべながら、上条に軽く言い放つ。上条の言葉はまるで聞こえていないかのように、千夏は止まらない。
「お前本気で言ってんのか⁉」
「うん!本気!」
 千夏は軽く振り返って微笑み、どこ吹く風といった態度で返事をする。
「マジかよ……!」
 千夏は軽やかに笑いながら、さらに前に進む。その無防備な態度が、上条の焦りを一層募らせていく。
 上条は思慮する。このまま、放っておけば間違いなく千夏は学生寮に入っていく。その後どうなるかは断言できない。しかし、最悪の場合――。
「……あー! もう! 分かった! 分かりましたよ! 行くよ! 行かせていただきます!」
 ついに上条は、何かいろいろと諦めたように叫んだ。これ以上引き止めても無駄だと悟ったのだろう。
「いいね! 上条君、ノリは大事だよ‼️」
「お前、本っ当に何なんだ⁉」
 上条は、半ば呆れたように言った。目の前の少女は、危険を目の前にしても恐怖を感じないどころか、むしろ楽しんでいる。普通なら怯えたり躊躇ったりする場面で、まるで冒険を楽しむかのように振る舞う彼女の存在に、上条は理解が追いつかない。
「僕? 僕は面白い事が好きなただの中学生だよ~♪」
「面白い……って、これが!? お前、普通じゃないだろ……!」
 上条は困惑しつつも、目の前の状況に引き戻される。目の前にいるのは、危険を楽しむ異常者。彼女の堂々とした態度、危機をまるで遊びの延長のように捉える姿に、上条は常識が通じないことを悟りつつあった。
「普通じゃつまんないじゃん! こういうトラブルが、いっちばん! 面白いんだ‼️」
 千夏は笑顔を浮かべながら言う。その態度はまるで、目の前に広がる危機的状況は自分の遊び場と言っているかのよう。自信と大胆さに満ちた彼女の振る舞いに、上条は改めて驚かざるを得ない。
「まあまあ、ここで会ったのも何かの縁だし、仲良く行こうよ!」
「……なんなんだよマジで……不幸だ……」
 上条は頭を抱えながら、愚痴をこぼす。彼の不運は相変わらずだが、今回ばかりはいつも以上に手に負えない。千夏の自由奔放さに圧倒されつつ、彼は仕方なくその後を追いかける。
「そういえば、こんだけ派手なことになってるのに、火災報知器が動いてないね」
 千夏の何気ない言葉に、上条の表情が一変した。まるで何か重大なことに気づいたかのように、険しい顔つきで周囲を見回す。
「……それだ」
「ん?」

 エレベーターの中、作動した火災報知器のスプリンクラーによって、千夏はずぶ濡れになっていた。髪から滴り落ちる水に不満げな表情を浮かべ、千夏は口を開く。
「びっしょびしょだよ! こんなに濡れるなんて聞いてないんだけど!」
 不機嫌そうに千夏が言うと、水滴を払うように体を揺らしながら、ちらっと上条の方を見る。
「なんでこんなことになるの~。面白いことになると思ったけど、これは想定外だってば!」
 上条は呆れたようにため息をつき、彼女をじっと見つめる。
「お前……、そういうのは気にするのな……」
「む、何それ。まるで僕が変人みたいじゃん?」
「そうだよ!そう言ってんだよ⁉」
「えー⁉ 心外! 訂正を求める!」
「……『ビリビリ』といい、常盤台には変な奴しかいねーのか?」
 上条がぼそりとつぶやくと、千夏は眉をしかめて反論する。
「うっわ。今、常盤台に喧嘩売ったね? そんな――」
 ふと千夏の耳に音が聞こえた。七階のエレベーターのドアの向こう側に人の音が聞こえる。
「……ちょっと待って。エレベーターの前、誰かいる。気をつけて」
「は? 何で分かるんだよ?」
「僕の能力。ま、細かい話は後でね」
「……分かった」
 上条は慎重に、これから起こる状況に備えるような態度で頷いた。
 そんな、上条を横目に見ながら、決意を固める。
(暴れてやんぜ!)
 心はすでに興奮で満ちている。エレベーターのドアの向こうに何が待っていようと、恐怖よりも好奇心と興奮が勝る。千夏はそういう人間なのだ。
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